5話
自転車に跨り、後ろにレニーニャが乗ったことを確認し、もう一度僕はペダルに力を入れる。少しフラフラしながらもすぐに直線を進んでいく。田んぼ道を自転車で走り抜けていくが、光景は走っても走っても田んぼ道だ。レニーニャはこの光景がどう見えれば楽しい光景に見えるのか甚だ疑問だった。
「レニーニャさ。この田んぼだらけの光景、面白い?」
「もちろん! こんな景色、見たことないんだもん! 他の星はイニジードでも見たことある、似たような二番煎じな光景ばかりだし、宇宙空間に限っては恒星や隕石ばかりだから、宇宙空間はもっとつまらないと思っているよ」
自分の唯一の長所であるリアリティな空想をする。僕の脳内では映画のコンピューターで作られた宇宙空間や、教科書でしか見たことのない一度も行ったことのない宇宙空間が広がっている。
「宇宙の行ったことのない僕からしてみると、宇宙の方が断然楽しそうに思えるけどな」
「価値観の違いだね。実際は面白くないよ」
背後からつまらなさそうにレニーニャは囁いている。人間、行ったことのない世界には魅力を感じるものだ。例えそれが同じ地球でも。
ペダルを漕ぎ続けていると、橋が見えてくる。この橋は大体中間地点だ。結構遠いところまできたものだと我ながら感心する。
「この細い海は?」
「これは川だよ。川は全て海に繋がっていて、二手に別れたりしても、別れた水は必ず海でまた会えるんだ」
「でも、途中で汲まれたり、塞き止められたりしたら? それでも必ず会えるの?」
どのような表情をして言っているのかは分からない。だが、声音を聞く限りは、真面目な顔をして言っているのだと察しが付く。
「水蒸気になって、雲になって雨になる。雨になればまた海にたどり着けるよ」
「雨はどこに降るか分からないんでしょ? 必ず海に行けるって考えはおかしいんじゃないかな。私はあまりそう思わないけどな」
ここで地球人とイニジード人の考え方が違うことを改めて分かる。僕たち地球人と異なる考え方をしている。もちろん地球人にもレニーニャのようなひねくれた考え方をしている者もいるかもしれない。レニーニャは真っ先に思いついていたので、きっと根本的に考え方が違うのだろう。
橋を渡り、いつもは川沿いを走っているが、今回は流石に自転車で、さらに車通りも増えてきたので、初めて真っ直ぐ行ってみることにした。
初めて通る道だが、とにかく道なりに真っ直ぐ進んでいく。あっているのかどうかも分からない。ただ、進むことしか出来ない。いつか大通りに出る。そのことだけを信じて僕はペダルを動かし続ける。民家を通り抜け、大通りに向かっているのかも分からないまま必死に漕ぎ続ける。
やがて、学校のような建物が見えてきた。建物の近くを走っていると、通りも見えてきた。通りを下っていくと、見たことのある景色が視界に飛び込んでくる。母親と何度も車で通ったことのある道だ。
信号で一旦停止し、辺りを見渡し、やはり何度も通ったことのある道だと確信する。車で行くと安全で早く着く道だが、僕は自転車に乗っている。後ろには人間にそっくりな生命もいる。同じ生きている者として、僕は安全な方を選んだ。結果的にその考えで良かったのかもしれない。車で行っている道は確実に危険だ。歩道もなければ、道幅も非常に狭い。轢かれてもおかしくはない状況だったのだ。民家を通ってきて正解だった。
「レイゼイ、大丈夫?」
「え? ああ。ごめん。行こう」
不安なのか、先ほどより強く僕のシャツを握っていた。
ふと視線を進行方向とは別の方へ向けると、歩行者向けの道がある。もちろん通ったことはないが、この先も車ばかりの道だと思うとやはり不安だ。ここを通って行くべきか、それとも危険を冒してでも車の通りが多い道を通って行くべきか。僕の知っている道だから、確実に到着するのはこの直進コースだ。
しかし、安全を考えるとこの歩行者向けの小道だ。もちろん自転車も通れる。あまりはっきり覚えていないが、先ほどのように途中で歩道がなくなっていた気がする。時間も正午前なので、間違いなく車通りは増えている。どうするべきだ。
「レイゼイ、進まないの?」
僕は一度自転車から降りてレニーニャに話してみることにした。
「いや、危ない道を通って行くか、安全な道を通って行くかで迷っていてさ。今、向かおうとしている道は、たしか途中で歩道がなくなっていて、すごく危ないんだ。もしかすると神社に着く前に轢死するかもしれない」
レニーニャの方を見てみると、顔を真っ青にしている。
「れ、轢死ってそんな危ない運転する人ばかりなの……?」
「轢死はさすがに言い過ぎたけど、歩道がなくなって不安定な状態で走行するのは僕も怖いし、車を運転している人にも迷惑だから、通りたくないんだ。でも、もう一つの道は絶対に車は通らない安全な道なんだ。でも、その道はどこに繋がるのかはっきり分からない。もしかすると、神社と違う道に出るかもしれない」
スマートフォンの地図アプリを起動してみると、オススメの順路として一応出ている。
「レイゼイは他人のことも考えているんだ。レイゼイはどっちが良いと思う?」
「それが分からないから君に聞いているんだよ」
レニーニャは笑いながら言う。
「レイゼイ、鈍感だね。自分の中でもう決まっているじゃない」
彼女は言い終えると同時に自転車に跨る。
「恐怖があるから通りたくないって言ったばかりじゃない。それなら安全な道へ行こうよ」
僕自身気付いていなかった。怖いから通りたくないと言ったことに。
「やっぱり、君には助けられてばかりだ」
「え? 私は何もしていないよ?」
「レニーニャには、感謝しなきゃなってこと。それじゃ、行こう!」
僕は自転車に跨り、歩行者専用の道へと自転車を進めた。
歩行者専用だが、周りが木々で生い茂っている。まさに自然のトンネルと言うべきか。
道も舗装はされているが、狭いのであまり安定して運転が出来ない。
「大丈夫?」
「ああ。少しフラついただけ」
その後はしばらく無言が続いた。ペダルの漕ぐ音と、ギアの音しか聞こえていなかった。
先に話を始めたのは僕だった。
「レニーニャってさ、どうして地球に来たの?」
「地球の近くでエネルギーがなくなったからだよ。でも、不時着した惑星とは言え、こんなに大気がイニジードに似ている惑星も初めて見たよ」
「そんなに似ているの?」
僕の問いかけに彼女は声を大にして言った。
「本当にそっくりだよ! 唯一違う部分と言ったら文明のレベルくらいだもん!」
「宇宙旅行に行っている時点でかなりすごいもんなあ。地球だと難しい勉強をたくさんして、厳しい訓練をして、初めて宇宙へ行けるんだよ。話を聞く限りだと、イニジードでは一般人も簡単に行けるっぽいね」
「私からすると、宇宙旅行に行けない惑星の方が驚きだけどね」
レニーニャの声を聞き流しながら僕はペダルに力を送り続ける。周りは海も見えないくらい木が茂っている。幽かに波音だけは聞こえていた。
「……レイゼイさ、これも別に嫌なら答えなくても良いんだけど、レイゼイの住んでいるこの地球はすごく良い惑星だとは思う。でも、進路が決まっていないレイゼイは、本当は今も学校へ行って進路の話をしていたんでしょ? だけど、私のためにここに残ってくれた。……後悔は、していない?」
何を聞くのかと思ったらまた僕の話だった。レニーニャの言う通り、多少の後悔はあると言えばあるが、ここまで来てしまえば進路など、もうどうでも良い。
「正直に言うと後悔は少しだけしているよ。正確には、していた。でも、レニーニャに会えなかったら今頃は決まらない進路相談をして、1日を無駄にしているだけだったと思うし、だから、今は後悔していないよ」
「……そっか。それなら良かった」
彼女は相変わらず僕のシャツを掴んでいた。
僕はペダルを回し続ける。何度か休憩を挟み、その度に地図を確認すると、確実に目的地へは近付いていることが分かる。
自分の力だけで、ここまで頑張れたことは未だかつてあっただろうか。
もちろんあるわけがない。
僕は子供ではない。
だけど、大人でもない。
中間にいる僕を奮い立たせてくれたのはレニーニャだ。
レニーニャがいなければ、僕はここまで頑張れていなかった。
大人になるのは簡単だ。時間が勝手に人を成長させ、大人にさせる。
だけど、子供にはもう戻れない。
今、この瞬間も僕は生きている。
子供でも大人でもない僕が経験をしているこの今こそが、生きているということなのかもしれない。
レニーニャは、しばらく何も話さなかった。座っているだけで、同じ景色が続いているだけだから、疲れたのかもしれない。僕も疲労が溜まってきているので、話しかけなかった。帰りの分も体力を残しておかなければならないし、何よりも話すネタがない。
自転車から一旦降りて、地図を見てみると、神社まで残り3キロだった。15分もあれば神社に着くことが出来るだろう。
「レニーニャ、もうすぐ神社に着くよ」
「本当?」
「ああ、15分もすれば着くかな」
背後からは歓喜の声が聞こえる。
だが、本当に1000年も前からある神社なのだろうか。
この国には1000年以上前から存在するものは、ごまんとある。
しかし、今向かっている神社の真相は分からない。
もしかすると、1000年前ではなく、500年前かもしれない。
だけど、それでも、構わない。
レニーニャと一緒に、僕自身の力でここまでやってきた、ただそれだけでも僕にとっては貴重な経験だ。一生忘れることはないだろう。
そう考えていると、ついに神社の看板が見えてきた。こう配な坂道を自転車で、しかも後ろに人を乗せながら上るのは無理だったので、自転車を押して神社へと向かった。
「わあ……」
坂道を上り終え、巨大な木造鳥居を目にして、僕もため息しか出なかった。何と立派な鳥居なのだろうか。
「レイゼイ! すごい! すごいよ! ここ、エネルギーに満ち溢れているよ!」
「それは良かった。しばらくそこで待っていてよ。自転車を停めてくるから」
レニーニャを鳥居横にある看板の前で待たせて、僕は駐車場の隅に自転車を置いて、再度彼女の待つ看板前へと向かった。看板の前にはレニーニャはいなかった。
「全く、どこ行ったんだ……」
頭を掻きながらスマートフォンで時間を確認すると、11時55分だった。家を午前8時に出て、4時間弱かけてここへやってきたのかと思うと、疲労が押し寄せる。
「何してるの! 早く行こうよ!」
鳥居の後ろにレニーニャがいて、突然話しかけてきたので僕は驚嘆してしまった。
先ほど教えた通り、レニーニャは鳥居の横を通り、参道を歩く。周りから見ると、外国人が初めて来た神社に興奮しているように見えているのかもしれない。
「レイゼイ! すごいよ!」
満面の笑みで先ほどから騒いでいる彼女を見ていると、来て良かったと心から思える。
彼女と参道を歩いていると、狛犬が見えてくる。
「獣の石像? 石化しちゃったの?」
「これは狛犬と言って、神社の守り神みたいものなんだ。怖がらなくても良いよ」
「そうなんだ」
興味深いのか、彼女は双方の狛犬を何度も見ていた。
狛犬を通り抜け、階段を上る前に手水舎で身を清める。
「お参りする前にここで身を清めるんだ。身を清めると言っても、手を洗うだけなんだけどね。とにかくここに書かれている通りのことを行えば良いよ」
ありがたいことに、全てのすべき動作がイラスト付きで書かれている看板がある。この看板によれば、まずは一礼をし、右手で柄杓で水を汲み、左手から清め、柄杓を左手に持ち替え、右手を清めた後にもう一度右手に持ち替えるそうだ。本来は口に水を含んだりもしたりすると聞いたことがあるが、あまり詳しく覚えていないので、行動に移すのはやめておこう。
「水が冷たくて気持ち良いね」
「うん、生きていて良かったって思うよ」
身を清め終わり、門をくぐると、拝殿や本殿が見えてくる。本殿は僕も初めて見たので、1000年前からこの地にあるのかと思うと、見惚れてしまった。
「すごいね、1000年前からもうあったんだよ、この建物」
また僕の心を読んだかのように、彼女は話しかけてくる。
「本当だね。僕も本殿は初めて見たよ。さ、お参りをしていこう。きっとこの神社の守り神もレニーニャに力を貸してくれるよ」
彼女に100円玉を渡し、賽銭箱に入れるように説明すると、素直に賽銭箱に入れた。
すぐに自分の両手を合わせると、それを見たレニーニャも自分の手を合わせる。
「こうやって手を合わせて、目を閉じて自分の願いを心の中で思うんだ」
右目をそっと開けてみると、レニーニャは強く目をつぶっていた。その姿はどこからどう見ても同じ人間にしか見えない。
手を合わせ終えると僕の方を見てくる。
「レイゼイは何を願ったの?」
「レニーニャが無事に母星に還ることが出来ますようにって。それよりも、力はどうなの? ここは1000年分の力があるのか?」
思い出したかのようにレニーニャはリュックに入っている球体を取り出す。
「すごい! 神社に近付くにつれて何か大きな力は感じていたけど、ここはすごいよ! 1000年以上の力を感じる! でも、もう少し欲しいかも」
「え? また別の1000年前の場所に行くのか?」
「ううん、そうじゃない。ええっと……」
キョロキョロと辺りを見渡し、お守りなどが売っている建物の向こうにある森を指さす。
「あそこに行けば完全に溜まる!」
森の方へと駆けて行くレニーニャを見て、改めて彼女は僕たちと同じ地球人なのではないのだろうかと思う。
動きや仕草は日本人ではなくても、海外の人だと思えば全く違和感などない。
神社のすぐそばにある森へと近付く。森の前には何か書いてあった。
「入らずの森? 入っちゃいけないのか?」
「でもみんな入ってるよ」
向こうを見てみると、観光で来たのであろう県外の人がぞろぞろといた。
「この森の奥へ入っちゃいけないってことなんだろうな。とりあえず行ってみよう」
レニーニャの手を握り、道なりに進んでいくと、球体を取り出す。
「本当にすごいよ。この木たちから千年以上のエネルギーを感じる。地球はやっぱり面白い星だよ」
彼女の持っている球体に目を向けると、メーターの中に緑色の液体のようなものが溜まっていた。これがエネルギーなのだろうか。
そのまま道なりに進み、合格橋と書かれた橋が見えてくる。一応受験生なので渡っておき、さらに進んでいくと社務所の前に出てきた。
「あ、戻ってきたんだ。やっぱりこの道であっていたんだね。それよりも見て!」
球体には先ほどの緑色の液体が上限を越えそうなくらい満タンになっているのが見える。
「1000年分の力を得たんだよ! 1つ目の課題はクリアしたってことだよ!」
「それじゃあ、次の課題か。2つ目は?」
「まだ分からない。戻って船の様子を見ないと」
鳥居の隅を通って、僕たちは気太大社を後にする。レニーニャは鳥居のそばに立ち、頭を深々と下げている。
「1000年分の力、ありがたく頂戴いたします。本当にありがとうございました」
数秒後、顔を上げて僕の方を見て帰ろうと言ってくる。
そうだ。行きがあるから帰りもある。僕はこの神社をゴールにして猪突猛進に必死にペダルを回していたが、本当のゴールはここではない。
それは、家だ。
「今からあの道を戻らないといけないのかと思うと、一気に疲労が戻ってくるよ」
「でも、ここまで来られたんだから。帰るのだって大丈夫だよ」
「レニーニャは運転しないから良いけどさあ。まあ、良いか。とにかく帰ろうか」
僕は来た道を戻ることを完全に忘れていたので、憂鬱な気分のままレニーニャと共に自転車を置いた場所へ向かった。
つづく