3話
物音で僕は目を覚ますと同時に、自分の部屋の天井ではないことに違和感を覚える。
右側で寝ているはずのレニーニャに目を向けると、レニーニャがいなくなっていた。
居間へ続く戸が少しだけ開いていて、祖父が見ているテレビの音も聞こえる。
「おはよう、レイゼイ」
窓から外の様子を見ていたレニーニャは、僕に朝の挨拶を交わしてきた。
「お、おはよう。どう? よく眠れた?」
「うん、昨日に比べればね」
そう言った後、大きく伸びをする。僕も立ち上がる前に、少しだけ伸びをした。
時計を見ると時間は午前7時前だった。居間に向かうと、朝ご飯がすでに用意されていた。
焼き魚に、貝のみそ汁と言った相変わらずの海鮮尽くしである。
「今日は魚が焼けている! 何だか昨日とは別の、良い匂いがする!」
食べ物のことになると、急にレニーニャは目を輝かせる。そんなに地球の食べ物は珍しいのだろうか。
確かに未知の惑星に来たとは言っていたが。
相変わらず慣れた箸使いでご飯を口に入れ、音を立てて味噌汁を飲んでいる。宇宙人とは思えないくらい日本人を堪能している。
実は、本当にロシアからやってきた日本大好き外国人なのじゃないだろうか。
だが、あのような近未来的な道具箱という名の球体を見せられたり、変な膜を張ったりと地球ではまず考えられないようなものをたくさん持っている。
「レイゼイ? 食べないなら私が食べちゃうよ?」
食べ物のことになると、まるで子供のようだ。昨晩の落ち込んでいるレニーニャとは思えない。
「いや、食べるよ。今日も歩き回ると思うからさ」
「そう。残念」
本当に残念そうにシュンとしていた。
「今日も歩き回るって、昨日だけで見たんじゃないのかい?」
半世紀以上ここに住んでいる祖母が僕に疑問をぶつける。
もしかすると、半世紀以上も住んでいるのなら、1000年以上時間の経った場所、何か知っているかもしれない。
「ばあちゃん、ちょっと聞きたいんだけど、この辺りに、1000年以上前から存在するものってある? 本当に何でも良いんだ」
「1000年!? そんなもの、ピラミッドくらいしか思いつかないかなあ……」
「ピラミッドなんて、紀元前からあるけどさ……でも、もっとこう、身近にない? なるべく徒歩圏内が良いんだけど」
「……気多大社」
テレビニュースを見ていた祖父がボソリと呟いた。
「気多大社って、あそこ、結構遠くない? それに、僕は2回くらいしか行ったことないんだけど」
「一番身近にある1000年以上前からある場所は、あそこしかない。万葉集にも載っている神社だから、間違いなく1000年以上前からある。他はどこも思いつかん」
「レイゼイ、ケタタイシャって何?」
レニーニャは不思議そうに頭を傾げて、僕に質問する。
「1000年前からある神社だけど、結構遠いんだ。それでも良い?」
「1番近いのがそこなら、行くよ。連れて行って」
僕も指で数える程しか行っていない場所なのだ。本気で言っているのだろうか。しかも、徒歩で行くなんて。
「簡単に言うけど、車でも30分くらいかかるんだ。歩けば3時間、いや、それ以上かかるけど、それでも良いの?」
「良い!」
レニーニャはジッと僕の目を見つめながら強く言ってくる。
「……分かった。でも、辛くなったらすぐに僕に言ってよ?」
「帰ることが出来るなら、どんな酷な作業も耐えてみせるっ!」
誤解を生みそうな言い方をしないでほしいが、祖父母は聞こえていないようだった。聞こえていたとしても、母星に帰るとは思わないだろう。
「冷泉、本当に歩いていくのかい? ここから何キロあると思っているの?」
「でも、車もないし、歩くしかないよ」
「歩くのは結構なことだけど、水分補給はこまめにしておきなさいよ? あ、そうだ。おむすび握っておくよ。ついでに、凍らせた麦茶も持って行きなさい。あと」
心配してくれるのはとても嬉しいが荷物が多すぎると体力がなくなりそうなので、この辺で断りを入れなければ、あらゆるものを持って行かされる。
「ばあちゃん、僕とレニーニャさんのお茶とおにぎりだけで良いよ。あとは自力で何とかするから」
それでも祖母は、いろいろ話していたが、祖父が黙らせる。すぐに祖母は何も言わなくなり、台所で黙々とおにぎりを握りだした。
「冷泉、お前自転車は乗れるか?」
何を言い出すのかと思ったら、至極当然なことを聞いてきた。
「当たり前じゃないか。学校へは自転車で行っているし、体力にもそれなりに自信はあるよ」
毎朝、学校まで5キロ近くの道のりを向かい風の中走っているので、体力だってそれなりにあるのは事実だ。まさか、自転車があるのだろうか。それならどれほどありがたいことか。
「……それじゃ自転車に乗って行け」
「自転車あるの?」
「ああ。古いが乗れないわけじゃない。見せてやるからちょっと来い」
祖父と一緒に倉庫へ行き、自転車を出した。見た目は古くもない。僕の乗っている自転車と似たような雰囲気だ。
「一応、乗ってみろ。何もないとは思うが、空気が抜けているかもしれん」
サドルに跨りペダルを思い切り踏むと、ゆっくりと動き出した。玄関の周りをグルグル回ってみたが、空気もちゃんと入っているし、ブレーキもちゃんと効くので特に不具合はなさそうだ。
「問題なさそうだよ」
倉庫の奥にいる祖父にそう言うと、祖父は倉庫から出てきて、小さな紙を渡してきた。
「これは?」
「どうしてもダメだと思ったら、ここに電話しろ。今はまだ見るな」
そう言って僕の手に小さな紙を握らせる。僕はすぐにそれをポケットにしまった。しまい終えた直後、祖父が僕に疑問をぶつける。
「……レニーニャさんは、何故、1000年以上時間が経った場所に行きたいんだ?」
宇宙へ帰るためのエネルギーの元があるだなんて言っても信じないだろうし、祖父母にはレニーニャはロシア人と言うことにしてある。何とかして誤魔化さなければ。
「ロシアには、神社のような施設がないんだ。1000年以上経った場所に行って、今話題になっているパワースポットって言うの? ああ言ったよく分からない力を得たいんだってさ」
どうにか誤魔化したつもりだが僕は話している間、一度も祖父と目を合わせなかったので怪しまれたかもしれない。
「……そうか。気をつけて行ってこいよ」
祖父がそう言った後台所で祖母と一緒におにぎりを握っていたレニーニャが玄関までやって来て、僕のことを呼ぶ。
「レイゼイ、おにぎりとお茶入れるのはカバンってやつと、リュックってやつどっちが良いだってー」
「ああ、今行く」
自転車を立てて、家の中へと入る。
「どっちが良い?」
居間に入ると右手にはカバン、左手にはリュックを持つレニーニャがいた。遠出と言えば、やはりリュックだろう。ここはリュックを選ぼう。
「リュックで良いよ。その左手に持っている方」
カバンを放り投げ、リュックを持って台所へ行くと居間に祖父が入ってくる。
「冷泉、詰めたらすぐに行け。今は朝だからまだ涼しいが、昼になれば暑くなる。早めに出ておけ」
「分かった」
リュックを持って台所から出てきたレニーニャは、僕にリュックを渡してくる。
「行こう! レイゼイ!」
レニーニャが僕の手を引っ張ってくる。
祖父母にあいさつをして、玄関へ向かう。
「あ、ああ。じゃあ、行ってきます。夕方には戻れるようにするよ」
「気をつけて行くんだよ!」
相変わらず言われるこの一言を聞いて、僕とレニーニャは玄関を出た。
外へ出て初めて見たであろう自転車にレニーニャは酷く興奮していた。
「うわっ! すごい! こんな原始的な乗り物、もう見られないと思っていたよ! どうやって動かすの!?」
舐め回すように自転車を見ていた。確かにレニーニャの乗ってきた船に比べると原始的だろう。
だが、地球に住む高校生の僕にとっては唯一、最も高速で移動出来るのが自転車だ。
「跨って、ペダルを踏むと、動くんだ。本当に原始的だけど、結構良いものだよ」
レニーニャに一通り簡単な説明をした後、気多大社へ向かって歩き出した。
郵便局へ続く道の方へ、自転車を押しながらレニーニャと進んでいく。
小さな坂道を上り終え右へ曲がってずっと進めば、いつか神社へと到着する。
「レニーニャさん、ここからずっと走り続けることになるけど本当に辛くなったり、体調が悪くなったらすぐに言ってね?」
僕の方をジッと見て、何を言うのかと思いきや、レニーニャは意外なことを言ってきた。
「レイゼイ、前から言おうと思っていたんだけど私のことをさん付けするの、やめてくれないかな? 私はレイゼイって呼んでいるのに、レイゼイは私のことをレニーニャさんって呼ぶ。ずっと違和感があったんだ。レニーニャで良いよ」
いきなりのさん付け撤回発言に頭が回らない。
「で、でも」
やはり出会ってから24時間も経っていないのに、いきなりレニーニャと呼ぶのは違和感がある。
「でも、じゃなくて、私がそう言っているんだからそうして。それでもまださん付けするって言うのなら、今この瞬間こそが辛いときであり、体調が悪いときだよ。頭がモヤモヤして、気分が晴れない」
やはりレニーニャは結構頭の切れる宇宙人だ。言い回しが上手い。
そのようなことを思っていると、レニーニャはジッと僕を見てくる。これはさん付けをやめる良い機会なので、勇気を振り絞って名前を呼んだ。
「……分かったよ、レニーニャ」
胸の高鳴りを抑えて、初めてレニーニャと呼ぶ。どういうわけかとても緊張した。
「そう、それで良いの。これでやっと私も本調子になれるよ」
ニコニコしながら、レニーニャは話を続ける。
「ところで、気多大社ってのは、本当に1000年以上前から存在しているの?」
「一応、万葉集って言う1000年以上前に書かれた古い書物に書かれているから、1000年以上前からあるのは、間違いないんだけど」
と、言ってみたが、詳しいことは僕も知らない。祖父がそう言うので、そう言うことにしておいたが、また旧灯台のようなことになったらどうしようか。
今は考えていても仕方がない。気多大社は1000年前からあると信じるしかない。
郵便局の横を通ったあたりで、レニーニャに話しかける。
「そろそろ自転車に乗るよ。君は後ろに座っているだけで良いから。お尻がちょっと……いや、かなり痛くなるけど、耐えられる?」
彼女は僕の方を見て、声を大にして言った。
「さっきも言ったじゃない! どんな酷な作業も耐えるって! お尻くらい、どうってことないよ!」
あまり大きな声で言ってほしいことではないが、とにかく大丈夫なら良い。
「それじゃあ、後ろに乗って」
レニーニャは自転車の後ろに座り、海を見てぼそりと話した。
「ここから見える海の景色も綺麗だね。私が不時着したのがこの海で良かった」
朝日が反射し、キラキラと輝く海を見て僕に言っているのか、独り言なのか分からない言葉を紡いでいた。
近頃は家庭、学校での問題が多すぎてこのような景色を見ることもなかった。
見たとしても、綺麗な心で見ていなかったので特に何も思わなかった。県内に住んでいても海が見える場所と見えない場所が多い。海が見えたとしてもゴミが溢れていたり、非行に走る者たちがいてとてもじゃないが綺麗とは思えたことがない。
だが、レニーニャに会えてからこのような景色を見て、綺麗と思えた。そう言う点では感謝するべきなのは僕の方なのかもしれない。
「レイゼイ? 大丈夫? 海に何かあるの?」
レニーニャの声で我に返る。
「い、いや。別にそう言うわけじゃないよ。日が高くなる前に、行こう」
薄々と心のどこかでレニーニャは心も読めるのではないだろうかと思ってしまう。
そのようなことを思いつつペダルを思い切り踏み込む。自転車は少しフラフラしていたが、すぐにバランスを立て直し、まっすぐと進みだした。
郵便局も越えて、しばらく田んぼ道の海辺を進むと、県道に出る。
県道をひたすら道なりに進めば、着くはずなのだが。
「この辺は植物だらけだね」
レニーニャは不満そうに言うので海がある方角を見てみると、植物が生い茂っていて海は見えなかった。不満になるのも頷ける。
「もう少し進めば海が綺麗に見える場所に着くよ。来るときいつも見ているし」
「そんなに綺麗なの?」
少し疑っているのか、そのようなことを質問してくる。
「すぐ真横が海だよ。たまに車も止まっているし、誰か海水浴とかしているんだと思う」
「あんな岩だらけの場所で?」
言われてみればそうだ。きっと、海苔でも取りに来ているのだろう。詳しく知ったところでどうしようもないので、この話はやめることにした。
案内標識を越えてやや進むと、歩道がなくなった。ここからは路側帯を通って行かなければいけないので、さすがに車通りは少ないと言え、やはり危険だ。注意しなければ。
「わあ! すごい!」
そのようなことを思っていると、レニーニャはいきなり大きな声をあげる。
道の先に見える海を見て、もう一度叫んだ。
「すごーい!!」
「さっきも言ったけど、もう少し進めば、もっと綺麗に海が見られるよ」
そう言っても、金髪少女は海に釘付けだった。
路側帯を走っているが、朝なので車は全く通らない。
少し離れた場所にある波の音だけが閑散としたこの場所の空気を震わせている。
「レイゼイ、ここで一度降りて良い? 潮風を感じたいんだ」
レニーニャがそう言うので、自転車にブレーキをかけてペダルから地面に足を移動させる。つま先を地面に着けて、完全に停止してから、スタンドを立てた。
彼女は海を見て、しばらく口を閉じていたが、やがて話を始めた。
「地球って、本当に面白い星だね。まだこの辺のことしか分からないけど、もっともっと知りたいな、地球のこと。今までいろいろな星に行ったけど、地球みたいなどこか懐かしい感覚がある惑星、初めてなんだ」
いきなり惑星だの何だの言われても、海外どころか都内すら行ったことのない僕にとって、規模が大きすぎて、どうもピンと来ない。
「……さ、行こっか。今は、神社に行かないといけないもんね」
僕の心情を察したのか、レニーニャは自転車の後ろに座った。
しばらくの間、僕たちの右側には海があった。
つづく
原稿では気太大社となっていますが、ここでは入稿したときと同じ本来の名である気多大社にしてあります。