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涙のハグ  作者: 櫟 千一
エピローグ
19/19

最終話

 レニーニャを見送った後、僕は階段を上りつつ、何度も海の上に浮かぶ空を見る。ひょっとすると何かの拍子にレニーニャが戻ってくるのではないかと信じて。

 しかし、レニーニャは戻ってくることはなく、空は徐々に暗くなっていた。

 祖父母の家に戻ると、玄関の前には須原さんの黒い自動車が止まっていた。

 玄関を開けると、須原さんが玄関で祖母と話していた。

「おっ! 冷泉くん帰ってきたか! そんじゃ、行きますね」

「え? 行くって、どこにですか?」

「……冷泉くん大丈夫か? 今日帰る日じゃん。俺も市内に用事があるからそのついでに冷泉くんを送るって前々から言っていたの、忘れてたの?」

 須原さんは僕の背中をバンバンと叩きながら車に乗るように促してきたが、僕は居間に戻り、祖父にお礼を言いに行く。

「じいちゃん。帰るよ。短い間だったけどありがとう」

「ああ、気をつけてな」

 テレビを見ながら、僕に目を合わせることなく話しているのもいつも通りだ。

「……レニーニャも、お礼を言っていたよ」

「レニーニャって何だ?」

 既に祖父の記憶からはレニーニャの記憶は消えているらしい。

「いや、何でもないよ。それじゃ、次会うとしたら正月になるのかな。またその時はよろしくね。本当にありがとう」

 生返事をしていた祖父を無視して僕は玄関に向かう。

 祖母と須原さんが楽しく会話していたが、僕はその輪の中に入らずに、靴を履く。

「冷泉、また来るんだよ」

「ああ。次は正月に来るよ。あのさ、ばあちゃん。一応聞いておきたいんだけど、レニーニャって分かる?」

「レニーニャ? 何だいそれ?」

 どうやら祖父母の記憶からは完全にレニーニャのことは消えているらしい。

「知らないなら良いんだ。また来るよ。ありがとう」

 須原さんと共に外へ出ると、辺りは既に暗くなっていた。海からの涼しい夜風が僕の横を通って行く。レニーニャといた頃より少し肌寒さを感じたので、秋はもう目の前なのだろう。

「冷泉くん、大丈夫? 忘れものとかない?」

「大丈夫です。出発してください」

 祖母は僕たちに何度も手を振っていたので、僕と須原さんも、手を振り返していた。

 道中で、須原さんに僕は質問する。

「あの、須原さん。一応聞きたいんですけど、レニーニャって覚えていますか? 金髪の長い髪の女の子なんですけど」

「レニーニャ? そんな変わった名前の子は聞いたことねえな。どうしたの? さっき逢瀬さんにも聞いていたよね、それ」

 僕はレニーニャの情報を言おうと思ったが、言ったところで記憶が戻るわけでもない。それなら、言う必要はないだろう。

「いえ、ただ、何だか変な夢を見たので、もしかしたら現実なのかなって思って聞いてみただけです。やっぱり、ただの夢だったみたいです」

「そっか。まあ、冷泉くんも今受験生だからな。参っていることが多いかもしれないけど、頑張れよ。最悪、俺みたいな漁師になるのも一つの手だぜ?」

 笑いながら須原さんは僕に冗談か本気か分からないことを言ってくる。

「考えておきますよ」

 車内には須原さんの気に入っている音楽が流れていて、結局その後は二言三言話す程度で、気付けば僕の実家に到着していた。

 須原さんに何度もお礼を言い、僕は実家の玄関の扉を開ける。居間の光が見えていたので、母親と愛人がいるのだろう。

 また僕の居場所のない生活が始まってしまう。

 そんなことを考えた瞬間、レニーニャの言葉が脳裏をよぎる。


「自分で言っていたの、気付いていないの? 勇気を出して、全部話せば良いだけじゃない。知らない人には出ていけって言えば良い、先生や親にも行きたい進学先を言えば良い。全部レイゼイが勇気を出して言えば解決することばかりじゃない。そんなに悩まなくたって良いことばかりで悩んで、家にすら帰りたくなくなるなんて、ニンゲンは本当に面白い生き物だね」


 勇気を出して話せば解決する。彼女には気付かせてもらったことはたくさんある。ここは、レニーニャを信じて、言ってみるべきかもしれない。

 自分の望んでいる道を進むためにも、僕は勇気を出すべきなんだ。

 玄関の扉を開けて居間に入ると、意外なことにも愛人と母親の怒号が飛び交っていた。そっと覗き込んでみると、どうやら些細なことでケンカをしていたようである。この中に僕も入っていくべきだろう。

「何だよてめえ! 俺に指図すんのか!」

「ここは私の家なんだぞ! 文句があんなら出て行けよ!」

 僕は思い切り扉を開けて、母親の愛人に、勇気を振り絞って、言い放つ。

「そ、そうだ。出て行け。お、お前がいるせいで、僕はどれだけ辛い思いをしてきたと思っているんだ! 文句があるなら、出て行ってくれよっ!」

 突然登場した僕に愛人は驚いていたが、ブツブツと文句を言いつつ、僕を睨みつけて、玄関の扉を勢いよく閉めて出て行った。

「冷泉、お前、言うようになったな。どうやって帰ってきたんだ?」

「う、うん。須原さんが市内に用事があるからって言って送ってくれて」

 母親の言葉に僕は少しだけ優越感に浸る。

「それにしても、お前、あんなこと思っていたのか。いつも黙っていたから嫌じゃないのかと思っていたぞ。それならそうって言ってくれれば良かったのに」

 レニーニャの言う通りだった。最初から僕が勇気を出して話していれば全て解決していた。そんな簡単なことに僕はどうして気付いていなかったのだろうか。

 いや、気付いていたけど、心のどこかで抑制していたのかもしれない。その後の関係や客観的に見られる自分に対しての負の評価が着くのを酷く恐れていたのだろう。

 その後、更に行きたい大学のことも話してみた。

「お母さん。その、話があるんだけど」

「何だ?」

「こんなことが起きてすぐに話すのも気が引けるんだけど、僕、大学へ行きたいんだ」

 母親は眉間にしわを寄せていた。

「どこのだ?」

「東京にある大学なんだけど、さすがに難しいかな?」

「難しいって言うか、お前、今から勉強して受かるほどの学力はあるのか? それと、こんなこと言うのは気が引けるけど、お母さん1人の収入でやり繰りしていくので精一杯なんだ。そこにお前が東京の大学へ仮に入学したとして、部屋を借りて仕送りとか考えると一体幾らあれば良いんだよ」

 苛立ち混じりに母親は答える。

「い、いや。あくまで僕は大学へ進学したいって思っているだけだし、東京って言うのはただの願望だよ。県内でも構わないよ」

「県内ならまだ何とかなるかもしれないけどな。まあ、大学へ行くって言う冷泉の意見は分かったよ。あと、何度も学校から電話かかってきていたぞ」

 母親の言葉に僕は血の気が引く。

「な、何で教えてくれなかったの?」

「教えたところで冷泉がここに戻ってくる手段ないだろ。あの辺は電車も通っていないし、あのジジババどもにこんなところまで運転させるわけにもいかないし。お母さんだって仕事が終わるのが遅いし、迎えに行く暇もない。だから、祖父母が危篤状態って嘘を吐いておいたから、明日、学校行って何か言われたら、適当に話を合わせておきゃ何とかなるぜ」

 ニヤリと笑って、母親は自室へと戻って行った。

 とにかく、母親の愛人を追い出し、大学のことを話し、問題はほぼ解決したように思える。

 いろいろな困難が僕を襲うかもしれないが、自分に素直になり、気持ちをさらけ出さないと分からないんだ。僕たち地球人は、イニジード人と違って相手の思考は読めない。だからこそ、口に出してしっかりと話さないと分からない。

 目を見れば分かると聞いたことがあるが、それは、何年も培ってきた友情などのおかげで分かると言うものであり、初対面の人間には分かるはずがない。

 僕も自室に戻りベッドに寝転ぶ。改めて、僕とレニーニャの過ごしてきた時間を思い返す。

 信じられないが、たった5日間しか僕とレニーニャは過ごしていない。その5日間で僕はレニーニャのことを好きになったと言うことがさらに信じられない。彼女には、地球人にはない不思議な魅力があったことは認める。地球人ではないからと言うのもあるが、今まで出会ってきた中で、レニーニャほど僕のことを思ってくれた人物はいただろうか。

 思い出せる限りでは、いない。レニーニャは思考が読める分、僕に優しくしてくれていたのかもしれない。

 レニーニャのいない今、そんなことを考えたところで何か分かるわけではない。

 僕はレニーニャに深く感謝しなければならない。もう会うことはないだろうが、それでも彼女は僕の初めて好きになった『生命体』でもあるのだ。

 必ずレニーニャとまた再開して、もう一度彼女に告白をしたい。

 僕の記憶からは徐々にレニーニャの情報が消えていくかもしれない。だけど、僕は彼女といたと言う事実だけは絶対に忘れない。

 祖父母や須原さんの記憶は消えていたが、どういうわけか僕は鮮明に彼女と過ごした記憶を覚えている。

 どのような力が働いて記憶が消えるかは分からない。代替の記憶にすり替えられると言っていたが、どう言う風に記憶をすり替えるのかも、分からない。

 どんな不幸が身に降りかかろうとも、僕は決してレニーニャと過ごした記憶は忘れない。

 彼女と、もう一度出会うその日まで。



おわり

短期集中連載でしたがいかがだったでしょうか。

個人的には最近書いた小説で一番良い出来だったと思います。

今後はなろうでの執筆は当分控えます。

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