神喰い
鏡の光が位置をずらすにつれ、広場の喧騒は静まって行った。神官たちは瓶を手に持ち場につき、村人たちは自然とやぐらから離れる。
「そろそろだ」
ナルタカはつぶやき、表情を引き締めた。
光はすでに森にかかっていた。ゆっくりと、じりじりと位置を変え、そしてそれは起こった。
――おぉぉぉぉぉぉん……。
広場に静かな緊張が走る。荒神が起きたのだ。
森の中から、ざっと一陣の風が吹き、村中をなめていった。吹き飛ばされないよう、神官も見物人もみな足を踏ん張る。砂が巻き上げられ、散った。
神官たちが手にした鐘を鳴らした。キィンと、甲高い音が鳴った。長老たち、またその家系のものたちが供物を手にして森へ向かう。神官たちが祝詞をあげながら鐘を鳴らし、それを囲うように続く。その後ろにぞろぞろと、見物人たちがついていった。
村から数ブロック離れた場所にある森の入り口では、すでに一人の神官が待ち構えていた。彼は一行が辿りつくとひときわ高い声で祝詞を唱えながら、瓶の中の水を地面にまきつつ先頭を歩き始めた。荒神から人々を守るための聖水だ。他の神官たちも同じようにまいていく。
シシアたちは一番後ろを歩いていた。ナルタカはできるなら先頭を歩きたかったが、一人で盛り上がっているのも恥ずかしく、仕方なく二人組ととともに歩いた。他の見物人たちはこの異様な行列にのまれないようひそひそ話をしていたが、シシアもバレルもじっと押し黙って歩くばかりだった。
森の中心へ近づいていくにつれ、何やら重々しい気配が一行を包んだ。じっとりとした汗がナルタカの背中を流れる。ひそひそ話もいつの間にかやみ、神官たちの声だけがシンと響いた。
やがて歩みは止まった。祠へついたのだ。
――おぉぉん……おぉぉん……おぉぉん……。
声とも音とも鳴き声ともつかないものが鼓膜を震わせる。初めての見物人の中には、耳をふさぐものもいた。
ナルタカたちはただ静かに立っていた。後ろからは何も見えないが、おそらく祠の中に神饌や供物が運び込まれているのだろう。その中のご神体を、ナルタカは一度だけみたことがある。
獣のような姿をした赤ん坊をかたどった、木造の像だった。シンプルなもので、こんな大仰なお祭りには似合わないほど質素な姿だった。
――おぉぉん……おぉぉん……。
ナルタカは不意に澄んだ音を聞いて顔を上げた。シシアを見た。無表情だが、何かを言ったはずだった。
そのとたん。
――おぉぉぉぉぉぉぉん……!!
ごうっと、すさまじい風が吹いた。人々はもんどりうって飛ばされ、木々がひれ伏すようにしなった。立っているのはシシアとバレル、そしてバレルに支えられたナルタカだけだった。
木につかまって、あるいは地面に這いつくばって、見物人たちが泣き叫ぶ。
ナルタカは神官たちの向こうに見える祠を見た。
――おぉぉぉぉぉん!おぉぉぉぉぉん!
まさに祠の中の像が鳴動しているかのようだった。周りの押し曲がった木々の様子から、風はそこから吹いているに違いなかった。
「誰だ、真の名を呼んだのは!」
神官の一人が叫んだ。
まるでその答えを求めるかのように、風がやんだ。倒れたものたちの声以外、何も聞こえなくなった。
シシアが風を防いでいた右腕をおろし、マントを払った。顔を上げた。
「私だ」
バレルがもう大丈夫だ、というようにナルタカの体を押し、手を離した。ナルタカはよろめき、ぽっかり開いた口をやっとの思いで動かした。
「真の名……?」
それは祝詞よりも強い呪力をもつ。しかもまるで正反対の意味をもつ。神を呼び起こし真の力を目覚めさせるもの。そのくらい、ナルタカだって知っている。しかし……。
「どうして、真の名をシシアが?」
「それはな、こういうことだ」
バレルは首にかけたネックレスを引っ張り出した。正五角形の中に五芒星と十字の刻まれた石を神官たちへ見せる。
「大神殿から遣わされた神喰いだ。この村の荒神レンシャを粛清する」
神官たちの顔に驚愕と慄きが走った。
シシアが一歩、進み出た。そして一歩、また一歩……。
祠に近づいていく少女へ、神官たちが道を開ける。シシアが近づいていくにつれ、音ともつかない鳴動が強烈になっていく。まるで恐れるように。逃げようとするように。
シシアは歩きながら、顔の仮面をはずし、右腕を覆っている鋼鉄を外していった。重い音を立てて落ちたそれらが、地面にめりこむ。よほど重いのだろう。
そしてナルタカは見た。肌ともつかない黒い色をした、その手を。四本しか指がなく、長く鋭い爪のついたその手を。
それはまるで、魔物のそれのようだった。
シシアの右目が木漏れ日を浴びて光沢を放つ。血を凝縮したような、深い赤。その眼には祠の中の像の中心で輝く荒神の本体が見えていた。
「喰らう」
――おぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!
再び強い風が吹いた。祠から半透明の何かが盛り上がった。産道をくぐる赤ん坊にも、怒れる魔物にも、あざ笑うピエロにも、厳粛な老人にも見える何かが、のっそりと森を突き抜け立ち上がった。そしてあんぐりと口を開け、シシアを、人々を飲み込まんと襲いくる。
シシアはまるで何も見えてないように静かに、そして確かに、振り上げた右腕を祠の中の像へと振り下ろした。長い爪が獣じみた赤ん坊を切り裂き、そして、中心の光玉を食らった。
――おぉぉぉぉぉぉぉ……ぉぉ……ん……!
巨大な半透明の何かは崩れ去った。最後の風に巻かれて、消えた。
「終わったか」
バレルがため息を吐くと同時に、ナルタカはしりもちをつき、大声で泣きだした。
赤ん坊のような泣き声が、森の中に響き渡った。
村の中は葬儀でもあったように静かだった。実際、葬式のようなものだった。荒神が死んだのだ。
「ただしくは、吸収されたといったほうがいいかもしれんが」
バレルはそうつぶやいて顎を撫でた。ナルタカは窓の外からそちらへ視線を移した。
「吸収?」
「そう。神喰いは殺すんじゃない、喰らうんだ。荒神という、見えない力をな」
「おいら、そういうことよくわかんないけど」
「びっくりさせて悪かったな。でも、俺たちのやり方ってああいう風にしかできないからさ」
ナルタカは布団から出した手で両目の下をこすった。もう泣きやんだが、まだ目の濡れている感覚がある。
「先に神官たちに話しておけばよかったんじゃないのか? 村の人たちにも旅人たちにもけが人が出たし」
「それじゃダメなんだ。いつも通りの祭りをして、荒神を油断させておかなきゃな。神官の中には神喰いってものに反対しているものもいるから、下手に話すと厄介なことになる」
「そうなのか」
「もう平気か?」
バレルはナルタカを元気づけるように、大きな口でにっと笑ってみせた。ナルタカは首をかしげた。
「おいらも、なんであんなに泣いたのかわからない。ただすごく悲しくて、でも、なんでか嬉しかったんだ。荒神がいなくなって、嬉しかったのかな。今までは村を守ってくれる神様みたいに思ってたけど」
「そうじゃない。お前は感受性豊かなのさ」
もっともらしく言われ、ナルタカは恥ずかしくなって頬を赤くした。
「やめてくれよ」
「荒神だってああなりたくてなったわけじゃない。喰われたくて喰われたわけじゃない。だから悲しかったのさ。でも、ある意味では嬉しかったんだな。喰われてさ」
「悲しいけど嬉しいのか?」
「神喰いだって荒神と同じなのさ。”反乱の血”から生まれたんだ。うまくいかなかったのものは荒神となり、うまくいったものは神喰いとなった。まぁ、どっちもどっちだな。うまくいったとも言いにくい……」
「そうなのか」
ナルタカは再び窓の外を見た。森はいつものようにそこにある。荒神がもういないということを微塵も感じさせずに。
「シシアも、悲しかったのかな」
「さぁ、どうだろうな。あいつに至っては、そんな感情あるのかないのか。付き合いの長い俺にだってわからんよ」
バレルは立ち上がった。
「もう行くのかい?」
「おう。いいよ、そのままで」
ベッドから起き上がろうとしたナルタカをおさえ、大きな手で小さな頭をくしゃくしゃ撫でる。
「元気でな、少年。もしかしたら何年、何十年後かに、あの森にもまた魔物が戻って来るかもしれない」
「荒神がいなくなったから?」
「そう。お前は見込みがある、強くなれるよ」
親指をぐっと立ててみせ、バレルは部屋を出ていった。
窓から入ってきた風がナルタカの頬を撫でる。森の木々もさざめいている。
ナルタカは再び目をこすり、まぶしそうに微笑んだ。
シシアは風に撫でられる髪をおさえながら、歩いてくるバレルを見た。座っていた柵から、ぴょんと飛び降りる。
「私はいつも待っている気がする」
「先に行くのが悪いんだ」
バレルはあきれてため息をついた。
「よかったのか、あの少年に別れを言わなくて」
「別にいい」
無表情に村の門をくぐる横顔に、バレルがにやりとする。
「それにしても、あいつが泣きだしたときのお前の怯みっぷりと言ったら」
「うるさい」
「おろおろしちまってさ。いや、見ものだったぜ。天下の神喰い様がよ」
「うるさい」
静かな怒りオーラですっと右腕をマントから出す。バレルは慌てて両手を上げた。
「それはないだろ。俺は人間だ、喰うな!」
「喰らう価値もない。こんど言ったら木端微塵にしてやる」
シシアは右腕をしまい、風のにおいに鼻をひくつかせた。
「雨が降りそうだ」
「またか。仕事のあとはいつもそうだな」
「泣いてるんだよ」
村を振り向く。その向こうにある森へと思いをはせる。バレルはその金色の頭をつかみ、無理やり前を向かせた。
「喜んでるのかもな」
「バレルじゃないんだから、マゾじゃあるまいし」
「なんだと」
シシアはかすかに口角をあげ、顔の半分を覆う仮面を撫でた。
終わり
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