4 私を好きになって
お盆休みはあっと言う間に過ぎて、仕事が始まった。あんなに長い連休があったというのに、仕事が始まれば、もう頭は仕事脳だ。
盆を挟んで変わったことと言えば、ちとせが隼生と付き合い始めたこと。
「しっかし、超肉食だったね、ちとせちゃん」
ニヤニヤしながらそう言ってきたのは、同じ職場の白土健輔だ。ちとせは彼と隼生の書いた設計図をトレースすることが主な仕事で、26歳の白土は隼生よりは気安い仲と言えるかもしれない。
但し、一言余計なせいか、女性陣の評判はお世辞にもいいとは言えない。
今だって、廊下にも関わらず、肉食獣扱いだ。
(まあ、別にいいけどさ)
自分で自分の性分位自覚済みだ。
「否定はしませんよ。肉食なのは確かだから」
「で、ラマの喰い心地はどうよ?」
「ラマ?」
「浅間さん」
動物園の大人しいラマと隼生が重なって、思わずちとせは苦笑してしまう。
「人の彼氏をラマ扱いしないでくださいよ」
「いいじゃん。俺が取り持った仲なんだから!」
確かにそうとも言える。
盆休み前の飲み会を主催してくれたのは、この一言余計な白土のおかげだったからだ。
「大島といい、浅間さんといい、俺の許可なく女子社員とりやがって」
「白土さんの許可なんていりませんよ」
「少なくとも、ちとせちゃんと桃ちゃんは、俺のだ!」
「誰が白土さんのですか」
呆れた声が背後から聞こえてきたので振り向くと、ちとせと背格好は同じだが、内面は正に正反対と称していい酒田桃が、ファイルを持って立っていた。
ちとせと同じ仕事を受け持つ彼女は、ちとせの一つ年上の先輩だ。
ちとせと違ってほんわかとしていて、だけど一本芯がある強さが、ちとせは大好きだった。
「桃ちゃん、大島やめて俺にしなよ」
「大島さんに言いつけますよ?」
桃が苦笑しながら白土を軽く睨みつけた。
出てきた大島という名前も、同じ職場の社員で、白土の同期だ。
そして、ちとせと隼生が交際を決めた同じ飲み会がきっかけで交際がスタートした。
年齢差こそ違えど、同じ職場内恋愛。
通じるものはある、気がする......
(と言っても、桃さんと私じゃなあ)
「大島より俺の方が背、高いのに」
確かに大島は160と小柄だった。
だが白土のそのボヤキに対して、桃はニコニコしながらはっきり言う。
「身長で選んでませんから」
下手すればノロケなのに、桃が言うとさっぱり楚々としているから、羨ましい。
(いい恋、してるんだろうなあ)
同じ職場内恋愛カップルでも、唯一、天と地程違うことが一つだけある。
それは、大島と桃はお互いがお互いを好きな両想いカップルだと言うことだ。
(私んとことは大違い)
それでも諦める気も別れる気もない。
「私、情報部に用事がありますから。
あんまりちとせちゃん、いじめないでくださいね」
最後はきちんと先輩らしくちとせを気にかけて桃は廊下を別の方に歩いていく。
その後ろ姿は、背丈も同じせいか、どことなく自分と似ている気がした。
「この前、浅間さん、桃ちゃんの後ろ姿を見て、ちとせちゃんと間違えていたよ」
後ろ姿を見て同じことを感じていたらしい白土が意地悪くそう告げてきた。
おそらく冗談ではなく真実だろう。
隼生ならあり得る話だ。
「いじめないでって今、言われたくせに!」
「これいじめ? 事実だけど?」
ケロリとした顔で、人が触れられたくない場所をつついてくるから、嫌になる。
ちとせは溜め息をこぼさないように飲み込んでから、
「これから愛を育ててくんで!」
と断言してみせた。
「めげないねぇ」
白土がちょっと感心したように片眉をあげた。
「めげませんよ」
こんなことでめげるほど柔じゃないし、だから一夜の過ちにかこつけて、逆お持ち帰りもした。
好きだったら、攻めるしかない。
それがちとせの選択だ。
「肉食ですから」
ニヤリと笑ってみせると、白土は面白そうに微笑んだ。
☆☆☆
「隼生さん、何か食べたいものありますか?」
隼生の部屋のキッチンで、冷蔵庫の中を確認しながらちとせが尋ねると、テレビを見ていた隼生は、
「何でもいいよ」
と気のない返事をした。
付き合って僅か二週間ちょっと。
それなのに、この熟年夫婦みたいな会話はどうだろうと思えども、自分からラブラブしたいと絡めば、少し困った顔をされるのがオチだ。
「隼生さんの好きなもの、ないんですか?」
「んー、特にないかな」
元来、食に興味の薄い隼生の食卓は、ほぼパンらしい。=自炊しない、ということで、栄養源は昼の食堂のみとなる。
それでは身体を壊す、とちとせが付き合うようになってからは、冷蔵庫はビール保管庫からようやく卒業したし、炊飯器は埃まみれではなくなった。
(なんか私、隼生さんのお母さん?)
隼生の好み探求は諦めて、特売で買っておいたキャベツでロールキャベツを作っていると、テレビを見ていた隼生がヒョッコリと後ろから覗いてくる。
「お、ロールキャベツ」
「嫌いですか?」
恐る恐る尋ねると、隼生は首を横に振る。
「あんまり食べたことない。実家は和食ばっかりだったし」
隼生は、挽き肉を茹でたキャベツでクルクルと巻いている様子を物珍しそうに眺めている。
「器用だな」
「隼生さんのお嫁さんですから」
「ん。いい嫁さん、貰った」
サラリと上乗せで言葉が返ってきて、ちとせは撃沈する。
(本当にこの人は私を殺すのが上手い)
「そう言えば結婚式、しますか?」
「あー、したいよね?」
料理を作りながら問いかけたら、逆に聞き返された。
「姉がもう嫁いでるんで、式自体は我が家はそんなに気にしてないと思うんですが」
「俺の家の方が気にするかもな」
確かに隼生の家は、変な力が遺伝する家系だけあって旧家だった。
中の方々は極めてアットホームで温かい人たちだったが。
「まあ、まだ焦らなくてもいいかな。
付き合って直ぐに結婚なんて、会社の連中に何言われるか」
「確かに!」
頭に浮かんだのは白土の顔だ。
間違いなく何か言う。
それを想像して苦笑いを浮かべると、隼生が話のついでみたいに尋ねてくる。
「力は、何かに使ってるのか?」
「あー。たまに家でリモコン、とるくらいですかね?」
隼生から移った力は、思った以上に使い勝手が悪く、殆ど使っていない。
もし中学生や高校生だったら、色んなことを試したのかもしれないが、この年になると、仕事で使うわけにもいかないし、わざわざ使うこともない。
隼生には申し訳ないが、唯一感謝しているのはこの力のお陰で隼生と結婚出来るということだけだ。
「意外に何かに使うってこと、ないですねぇ」
そう呟くと、
「そうか」
と隼生が呟いて、ちとせの頭を軽く撫でてくれた。
どこか安心したかのような横顔に、一瞬違和感を覚えたが、意識は直ぐに撫でられた頭にいってしまう。
「えへへ、隼生さんの手、大好き」
細くて長い指はそれでもきちんと男の人の指で、男の人の掌だ。
素直に紡ぐ愛の言葉の裏には、
私を好きになって
なんて馬鹿げた思いが込められていることに、多分隼生は気づいてない。
今日も返される笑顔は優しく、そして返してくれる言葉も正直だ。
「ありがとう」
ちとせはその言葉さえも嬉しいと、満面の笑みを最愛の人に向けて浮かべた。