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この力は誰の為に  作者: 榎木ユウ
番外編
43/44

この手は誰の為に

「心理テスト、ですか?」

「そ、心理テスト」

 お昼時。ようやく暖かくなり始めた3月初め。

 ちとせは、結婚した為部署異動した桃と食堂でご飯を食べていた。同僚で先輩でもあるサチも当然一緒で、最近は桃が職場を離れたにも関わらず、専ら三人でのランチになっていた。それというのも、来月には桃の出産退職が決まっていたからだ。


 結婚二年目にしてご懐妊。

 桃の夫である大島は、「流石! 背は小さいけど……」と白土に何か言われかけたが、思いっきり後頭部を殴られていたので、ちとせはその先の言葉を知らない。

 兎も角、今年の6月には桃は母になる。


 そんな桃が昼時の話の種に提供してくれたのは、生まれてくる子供のことや、妊婦の不安なんてものではなく、恋愛心理テスト。

 桃らしいと言えば桃らしい。


「好きな人と手をつないで歩くとき、自分はどちら側にいる?」


(好きな人ねぇ……)

 真っ先に頭に過ぎったのは、浅間隼生。

 故人だった。

(いつも隼生さんと歩くときは、隼生さんは右側だった気がする)

 追いつきたくて、好きになって貰いたくて、いつもその左手に自分の右手を絡めていた。

 でも、そんな記憶も悲しいことにもう曖昧だ。


「ちとせ、高校生はどっち側なのよ?」

 サチがニヤニヤしながら聞いてくる。サチと桃の中では、ちとせの恋人は現役高校生の夏生になっているが、ちとせの中では違う。

 意識していることを否定できないが、相手は高校生。

 キスこそ最初の頃は不意打ちに許してしまったが、自分の中で夏生を意識するようになってからは、決してキスさえも許さなかった。

 それは、将来のある夏生を8つも年上の自分に縛り付けたくないという意思表示でもあったし、一度許したらどうなるか怖かったからでもある。

「あれ? でももう卒業だっけ?」

 桃の一言にちとせは顔をしかめてしまう。

 そうなのだ、夏生は今日、高校を卒業した。何だかんだと言いながら、結局、高校生活の2年と少しをちとせの側で過ごしてしまったのだ。

 高校生だから。

 その戒めは、今日解かれる。

 それと同時に、今週末には夏生は実家に帰ってしまう。

 地元の公務員試験に合格し、春からは晴れて消防士となる為、地元に戻るのだ。

 それは夏生の夢でもあったことだから、喜ばしいことだけど。

(私たちもここまでだろうな)

 自称婚約者候補も、もうお仕舞いなんだろうとぼんやりと思っていたら、

「ちとせ~」

と、サチがちとせを呼んだ。

「で、どっち?」

 答を急かされて、ぼんやりと普段並んだ時のことを思い出す。

「左、ですね」

 隼生と逆側だと今気づいた。

 それは故意では全くなかったが、確かにいつも夏生はちとせの左側だ。

 そして様子を見ながら、そっと手を絡めてくる。いつもふりほどこうとするのだが、少年といえども男の力には適わず、手を繋ぐことだけは許していた。


「ふぅん、そうなんだ」

 左、という答に桃はニマニマと口元を弛めると、答え合わせを始めた。



☆☆☆



「なんでいる!」

 ちとせが叫んでしまったのは、漸く日も伸び始めた会社帰り。何度か夏生とかち合った通勤道路。

 そして叫んだ相手は、卒業式で貰ったであろう花束を手にした夏生だった。

 夏生は学ラン姿でニコニコとこちらを見ている。

「ん? ちとせと最後くらい一緒に帰ろうかと思って」

 そう言われて、チクリ、と胸が痛んだ。

 こうして夏生と会えるのも今日が最後。


 そう感じてしまったことが胸に痛い。


(夏生君は私のじゃないのにな)

 恋人でもない自称婚約者。

 ちとせにとっての夏生の位置付けは曖昧だ。

 中にある気持ちは分かっていても、それを夏生に突きつける勇気がちとせにはない。

(まだ夏生君は、子供だし)

 これからいくらでも素敵な出会いを経験することが出来る。

 浅間の男、隼生に縛られるちとせとは違うのだ。


「ちとせ、帰ろう」

 やんわりと微笑まれそう言われ、断れない自分の弱さをちとせは否む。

 そしていつも通り夏生はちとせの左側で、速度を合わせて歩いていく。

「今日の夕飯、何?」

「肉団子」

「お、マジで。肉、楽しみ」

 嬉しそうな夏生の顔が何だか切ない。

 この笑顔を見られるのも、あと少しだと思うと、寂しいという気持ちが、どうしても沸いてしまう。

「卒業式、午前中でしょ? 今まで何してたの?」

 感傷を振り切ろうとそう問えば、夏生は笑いながら「駅前でカラオケ~」と言った。

「まだやってたけど、ちとせ帰ってくるから抜けてきた」

「皆と最後なのに」

(私なんか優先して)

 暗に咎めると、夏生は、はにかんで笑う。

 16歳の少年だった笑顔は、18歳にもなると精悍さが出てきた。

 少年なことに変わりはないはずなのに、どこか一瞬、大人びたものを感じて、ちとせは思わず目を反らす。

「ちとせ」

「?」

 呼ばれて顔を夏生に向けると、左手をそっと握られた。そしてその中に丸いコロンとした何かを渡される。

 訝しげに手を開けば、そこにはボタンが一つ。学生服の金ボタンだ。


 夏生の学ランを見れば、既に全てのボタンはない。


「他はあげてきたんだけど、第2ボタンは死守したから」

 得意気に言われて、唖然としてしまう。

「第2ボタンて……」

 その意味合いは、今と昔では変わってしまったのだろうか、と一瞬、考える。

 だけど、夏生の顔から意味合いは変わってないのだとすぐ分かった。

「この学ラン、今時じゃないけど、こういう時は良かったかな、って思う」

 照れ臭そうにそう言われて、ちとせは何も言えなくなってしまう。


(どうしよう)


 どうしよう。どうしよう。


 ボタンをギュッと握りしめて、

「仕方ないから夏生君の思い出に貰ってあげる」と笑えば、夏生は眉間に皺を寄せる。

「勝手に思い出にしないでくれる?」

「思い出にしちゃいなさいよ」

 地元に帰る少年に、ちとせが何を言えるのか。

 それなのに、夏生はちとせに言うのだ。


 ちとせが欲しくてたまらない言葉を。


「それ、思い出じゃないから。

 約束だから。間違えんなよ」


 そう言って、ギュッとちとせの左手をボタン毎、器用に握ってくる。


(困ったなあ)

 握られた手を振り切るのは辛くて、ちとせは繋いだまま、暗くなりはじめた道を歩く。


『右側の人がその二人の関係で主導権を持つんだって』


 今日の昼休み、桃が言った言葉が思い出される。


 隼生と付き合っていた時、ちとせはいつも右側の隼生を見上げていた。追いかけて、追いかけて、好きで、好きで。

 だから、ちとせたちの恋愛の主導権は隼生にあったことは間違いない。


 今は。


 今は、ちとせの左側に夏生がいる。

 仮に桃の心理テスト通りならば、主導権はちとせにあるはずだ。

 事実、ちとせの嫌がることを決して夏生はしない。

 大半のことは、ちとせのしたいようにさせてくれる。10代の子供とは思えない分別の良さは、きっと彼の生い立ちからくるもので、だからこそ、ちとせは一緒にいて苦しくないのだ。


(いっそ、さよならと言えたらどんなにいいだろう)

 それでも言えないのは、もう、この手の温もりを知ってしまったから。

 誰かと一緒にいることを、温かいと覚えてしまったからだ。


「半年は消防学校あるから来れないけど、消防士になったら、時間見てくるから」

 夏生がそんなことをちとせに言ってくる。

 言わなくていいのに。

 約束なんてしてほしくないのに。


「ねえ、夏生君。どうしていつも私の左側なの?」

 夏生の言葉を無視するかのようにかけられた問いかけに、夏生が僅かに戸惑う。

 だが直ぐに、ちとせには思いも寄らない言葉を返してくる。


「ちとせに何かあっても、すぐに引き寄せられるから」


 駅を過ぎて、ちょうど人気のない路地で、夏生の繋いでいた右手が、強引にちとせを引き寄せた。

 利き手の力で引き寄せられて、簡単にちとせは夏生の胸の中に入ってしまう。

「ちょ───!」

 暴れる前に放されて、ちとせは夏生を軽く睨んだ。

 夏生はその視線に懲りる様子もなく、

「ね? なにかあっても直ぐに胸の中に入れられるでしょ?」

と言った。


(全く、この子は……)

 得意気な顔で言われては、文句の一つも言えやしない。

 ちとせは小さくため息を漏らしてから、握ったままのボタンを手の中で落とさないよう更に握り締める。

 その手をまた夏生が大きな手で包んでくる。

 優しく手をあけられて、ボタンを落とさないよう器用に二人の手を合わせる。しかも今度はしっかりと恋人繋ぎだ。

「ボタン、落とさないようにね」


 だったら鞄にしまえばいいことなのに、それを言わない自分のずるさも、何も指摘しないで甘んじて待っていてくれる夏生の優しさも、全部ちとせは飲み込んで、こくり、と小さく頷いた。


 ちとせがきっと別の意味で頷けば、夏生はちとせのもっと大切な人になるだろう。


 そういう意味では主導権はちとせのものだ。

 それは逆も然りなはずなのだが、この左側にいる人は、ちとせに全てを委ねながらも、その手を決して離してくれない。


 主導権はあれど、拒否権はない。


(もし……。もしも……)


 夏生が地元に帰って、それでもちとせを忘れないでいてくれたら……。



 その先を今は考えたくなかった。

 ただ、貰ったボタンを落とさぬよう、ゆっくりと歩いた。




 右側はもう誰にも空ける気はない。


 そして左側も、もう空けられないのだと、ちとせが思い知ったのは、それからまる半年は優に過ぎた晩秋頃で、今より大分精悍になった夏生に再会した時だ。



この話は、。゜(゜´Д`゜)゜。さんに捧げます。

。゜(゜´Д`゜)゜。さん、ありがとうございました。


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