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この力は誰の為に  作者: 榎木ユウ
この力は何の為に
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エピローグ この力は。

 空が青い。

 間もなく冬が来るであろう空を、ちとせは見上げる。

 6年前のあの時はこんなに、ここの空が綺麗だったなんて気づきもしなかったし、そんな余裕もなかった。

 ちとせはゆっくりと目線を目前の墓石に移していく。


 浅間家先祖代々の墓。


 墓石のことは分からないが、墓の周りのスペースだけで、優に三畳近い広さがあるのは、流石に本家の墓だけある。

 歴代浅間家の人間が粛々と弔われているその場所に、あまりにも若くして夭逝した男の名前も、墓石には刻まれている。


「隼生さん、今日も来ちゃった」

 ちとせは、墓に向かってそう話しかける。

 返事は当然ない。


 この墓石を昨日は、浅間の親戚と訪れた。

 七回忌の法要で。


 そして今日は、独りで訪れた。


 どうしても、隼生に告げたいことがあったから。


 昨日の喪服とは違う、淡い色の丈の長いカーディガンに、ジーンズという姿は、若い頃にはしなかったように自分でも思う。

 それだけ自分も年をとったのかと感慨深いが、同時に隼生と過ごした時間を、とうに何倍も過ぎたことも分かっていた。


 時間は残酷だ。

 隼生が死んでからの6年は、あまりにも長かった。

 

 どんな風に隼生を好きでいたか。

 どんな風に隼生に好きでいてもらえたか。


 あれほど鮮やかだった記憶は、確かに思い出せるし、自分のものでもあるはずなのに、どこか遠いところにある。

 それが過ぎた時間の長さに比例することは間違いなく。


 忘れることはなくとも、薄れることは止められなかった。



 ちとせはじっ、と墓を見つめてから、やんわりと微笑む。


 どれだけあなたを愛したか。

 どれだけ今も変わらず愛しているか。


 伝えたいことはいっぱいあるのに、そのどれもこれからの自分には相応しくない言葉になるのだから、嫌になる。


「隼生さん......」


 好き、という言葉は飲み込む。

 もう、今生でその言葉を隼生に告げるのは、止めにしなければならない、と思ったから。


 それが、明日を生きていく自分なりのけじめだった。


 ちとせは覚悟を決めると、大きく息を吸い込み、墓に告げる。


「来月、浅間ちとせになります」


 この七回忌が区切りだった。

 別にそれを意識したつもりはなかったが、結果としてはそれが区切りとなった。


「隼生さんから貰った力を持ったまま、浅間の家に嫁に入ります」


 本来なら、同じ浅間でも、浅間隼生の妻になる筈だった。

 だけど、その縁は潰え、代わりに、力があった故に、別の縁と結ばれた。


 これを奇縁と言わずして、何と言おうか。


 このまま力が消えるのではないかとも一時期思ったが、それでも力は消えなかった。

 時に強く、時に弱く、不安定に、だけど、決して忘れられない思い出のように、ちとせの側にいつも力があった。


「この力があって、良かったと思うことも、しんどいと思うことも、6年の中でいっぱいあったよ」

 もしかしたら、一生このままでもいいかもしれないと思った時もあったが、それを許してくれない人がいて、それは叶わなかった。


 ちとせはやんわりと微笑むと、墓石に願いを投じる。


「もし、来世があったら、隼生さん、私と今度は結婚してね」


 今世の行く先は隼生に告げない。

 それはちとせの人生であって、もう死んでしまった隼生には関係のないものだから。


 ちとせは墓石をじっと見つめると、もう何も告げることはなく、深々と頭を下げた。



 その意味は、ちとせの胸の内だけに秘められる。


 

 顔をあげると、ちとせは微笑を浮かべて、墓石を後にした。颯爽と歩く後ろ姿には、悔いも未練も覗かせない。

 そんなものは、浅間の墓石にも残していかない。

 ただ、ここには報告に来ただけだから。


 全てはその胸の中にしまい込み、ちとせは元来た道を帰る。

 

 墓場の入り口に、背の高い男が一人、手持ち無沙汰に立っていた。

 少年の頃はヒョロリと薄かった体躯は、青年期を経て、消防士という職業に就いたせいもあってか、細身ながらもしっかりと筋肉をつけた逞しい身体に変わっていた。

 その後ろ姿は、ちとせが愛した男と似ても似つかなくなっている。


 ちとせが声をかける前に、足音で気づいたのだろう。

 男が振り向いて、

「ちとせ」

と名前を呼んだ。

 唯一、愛した男と似ていた声さえも、今は、全く別物としてちとせの耳には響いた。


 ちとせは男の顔を見て、

「ん、帰ろ」

とだけ言った。



☆☆☆



 浅間隼生の七回忌が行われた。

 夏生は分家の三男坊だから参加する必要もなかったのだが、今度妻にする女が行きたそうにしていたので、紹介も兼ねて連れて行くことにした。


 本家では夏生の結婚を殊の外、喜んでくれた。

 ありがとう、とも言われたが、そんなこと言われる筋合いはないと、内心思っていた。


(ったく、5年もかかっちまった)


 最初の2年は手を繋ぐことまでしか許してくれなかった。

 キスなんて、あの、夏生を助けてくれたあの日を最後に、学生時代は、狂いそうな程の我慢を強いられた。


 3年目は地元に帰ってしまったので、必死になって合間を見てはちとせの元に通った。消防士という職業柄、土日が休みというわけでもなくて、満足にちとせに会えない日は、夏生の心を焦らせたが、許してもらえたキスに、情けないことにそれだけで満たされた。


 4年目にやっと恋人になって、5年目に、ちとせが30になる前に貰ってやるよとプロポーズ。


 七回忌を区切りに、来月、ちとせは夏生の妻となる。



「飲み物、これで良かったか?」

 東京まで出る特急電車の車内で、夏生は買ってきたお茶をちとせに見せる。

 あと5分程で出発時刻になる。その前に飲み物を買い忘れたので、夏生が買ってきたのだ。


 窓際に座って外を見ていたちとせは、夏生を見上げて「ありがとう」と微笑んだ。

 もう30に片足突っ込んでいるというのに、ちとせはまだまだ若々しい。初めて出会った時から全く変わっていない気がする。

 自分と付き合っているせいだと夏生が豪語したら、呆れた顔をされたが、変わらないでいてくれることが嬉しかった。


「きちんと、別れの挨拶してきたか?」

「は?」

「さっきの墓参り」

 七回忌とは別に、帰る間際にちとせは隼生の墓参りをしていた。夏生は墓までは行かなかったので、そこでちとせが何を言ったかは分からない。

 それでも戻ってきたときは、どこかスッキリした顔をしていたので、何かしら話はしたのだろう。


「別れの挨拶ってどういう意味よ?」

 ちとせが眉間に僅かに皺を寄せるので、夏生は自分用に買ったコーヒー缶に口をつけて、ニヤリと笑って見せる。


「だって、もう俺の嫁さんじゃん」


「別に隼生さんと決別したわけじゃないし」

「それにしては随分、スッキリした顔してたじゃん」

 夏生の意地悪な突っ込みに、ちとせは呆れたように苦笑いを浮かべて、

「今更、焼き餅?」

と聞いてきた。


「別に。そんなつもりないし」

 隼生ごとちとせを受け入れると言ったのは、夏生だ。

 16の自分はそれがどれほど大変なことか、まだまだ分かっていなかった。付き合い始めて、つきあう前よりも辛抱強さと忍耐を強いられることになろうとは思いもしなかったが、職業柄、自分を律することが出来たことは幸いだった。


 ちとせは夏生の横顔を見ながら、ふふふ、と小さく笑う。


「生まれ変わったら、隼生さんのお嫁さんにしてくださいって、頼んできちゃった」

「いいんじゃない」

 それが面白くないとは、絶対に顔にも出さないが。


 ちとせはコツンと頭を夏生の肩に寄せると、「でも」と言葉を続ける。


「今世は、夏生くんだけだから、きちんと幸せにしてください」


(まったく、適わないな)


 いつもは年上らしい態度のくせに、たまにそんな可愛いことを、素面で言うのだから困る。

 夏生は来世のことなんて分からないし、興味もない。

 ただ、今、自分の隣にはちとせがいて、その人と共に歩く未来が先にある。


 それが、どれほど沢山の潰えた可能性の上に成り立っているのかなんて、嫌なほど思い知っている。



 隼生が死ななければ、有り得なかった出会い。

 ちとせに力がなければ、助からなかった自分の命。

 そして、お互いが惹かれあわなければ、結ばれなかった縁。



 そう、遠くない未来、ちとせを悩ませ、そして成長させた力は、夏生によって消されることになるだろう。

  

「なあ、ちとせ」

「ん?」


「子供、出来たら名前どうする?」

「ええっ? 結婚前に子供の話?」


 呆れるちとせに夏生は笑いながら、

「だって、すぐ出来そうな気がする」

と返した。

 ちとせはやや頬を赤らめながら、小さく「馬鹿」と夏生に言った。


「とりあえず、浅間家は男が生まれやすいから、ある程度名前決めといても大丈夫だよ」

「そんなこと言われても考えられないし、思いつかない!」

 ちとせはぷいっと顔を反らすと、窓の外へ視線を向けてしまう。

 ホームでは、電車が発車する音楽がタイミングよく流れてくる。


「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃん。

 どうせいつかは考えなくちゃならないことだし」

「全く、夏生くんはムードがない!」

 窓の外を向いたまま、ちとせが文句を言うので、夏生は、「それならベッドの中で聞けばいいのか」と言おうとして止めた。

 それこそ、ムードがないと言われてしまう。


 電車が発車する。緩やかな動きで電車が動き始めた。


「葉月、こっちこっち!」

「あー、待って!」

 夏生より随分若い女の子が、大きな荷物を抱えて中に入ってくる。

 発車ギリギリに入ってきたらしい彼女は、慌てて電車の中を走るので、その大きな鞄が席に座る人に当たりそうになる。


「あ、す、すいません!」

と、そちらに謝ろうとすれば、鞄は当然反対側の座席に向かって遠心力で流れていく。

 その先にあるのは夏生の席で、それをよけた夏生の、前の席に備え付けされているテーブルに最終的にぶち当たる。

 不運にもそこには封をあけた缶コーヒーがあった。缶コーヒーがブンッと空を舞う。


「あっ!」

 ちとせが目を見開いてその視線の先を追えば、何の奇跡か、鞄を振り回した彼女の頭めがけて飛んでいく。


 

 一瞬、本当に一瞬。


 缶の動きが止まる。


 だけど、それは直ぐに解けて、彼女の頭にコーヒー缶がぶち当たる瞬間、パシッとそれを掴んだのは男の手。



 夏生は、コーヒー缶を手に取ると、何事もなかったように座る。

 あたふたとしている少女は、背後でなにが起こったかなんて知る由もなく、そのまま友人のいる席の方へ行ってしまった。


「もう、全然使えなくなったなぁ」

 ちとせがコーヒー缶を見ながら呟いた。


「何? どうせもうすぐなくなるものじゃん」

 夏生が返せば、ちとせは「さっきからそればっかり」と呆れた顔をする。


 なかなか会えない20代前半男子の性欲舐めんな、とは流石に言わないが、からかいたくて言葉を続ける。


「惜しい?」

 夏生と結婚して子供を宿せば、その力は消えてしまう。それが惜しいのかと問えば、ちとせは迷いなく首を横に振る。


「惜しくない。

 あっても、なくても、私達は変わらないから」


 迷いなく告げられた言葉に、照れるのは夏生の方だった。

(たまに無自覚に煽るよなぁ)

 どれだけ夏生を信頼してるんだ。

 なんて、嬉しすぎて聞けるわけがない。


 返事の代わりに夏生は、ちとせの肩に手を回し、自分の胸に引き寄せた。






fin

 




 初めは誰かの為にと、誓った力だった。


 目的はやがて潰え、力だけが残った。


 何の為に使えばよいのか模索し、


 その力を持って手に入れたものは、


 かけがえのないものだった。



 それは力をなくしても、消えることなく私の中に残る。



 いつか、この力は浅間の誰かの中で目覚めるかもしれない。


 若しくはその男を愛した女に受け継がれるかもしれない。



 それでも、この力は、決して恐れるものではなく、敬うものでもない。



 力が大切なんじゃない。



 この力は、


 かけがえのない何かを、知る為の力。

 守るための力。


 そしてそれを学ぶ為の力。



 きっと、浅間の人間それぞれで、力を持った人なりに、意味が違って、形も違って、存在していたし、これからも存在していく。


 そんな力なのだと思う。 

 

 

 


 この力は。

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