18 二度目はない
「マッコリいいんじゃない?」
「どぶろくより甘いのかなあ? 私、飲んだことないんだよね」
「あ、私、白ワイン、飲みたいです」
酒棚の前をカートを押しながら話す女三人。
カゴの中には、ピザやらつまみやらが沢山入っている。
「私、宅飲みなんて学生以来です」
ちとせがそう言えば、同じ職場で先輩ではあっても、良き友人でもあるサチと桃が、笑いながら、
「だって、宅飲みじゃないと、高校生は呼べないでしょ?」
と言ってきた。
「は?」
「同棲? それとも家が近いの?」
ニヤニヤと聞いてきたのは桃の方だ。ちとせの相手と言われてる人物の心当たりは一人しかなく、ちとせはブンブンと手を振って否定する。
「同棲とかじゃないですから!」
「でも、この前、このスーパーで買い物してたの見た人がいたらしいよ。高校生とその人は思わなかったみたいだけど、若い男と買い物してたって。例の子なんでしょ?」
ちとせはサチの問いかけに、ぐっと言葉をつまらせた。思い当たるのはこの前の買い出しだ。夏生が無理やり付き合ったあの買い出しを、見ていた人がいるのだろう。
「夕飯だけ、我が家で食べてるんです」
観念したようにちとせが告白すれば、
「じゃあ、今日も一緒に」
と言ってくるので、「勘弁してください!」とちとせは根をあげた。
それに夏生には宅飲みだと、既に連絡済みで今日は来ないことになっている。
それをわざわざ呼んだりしたら、どうなるか分かったものじゃないので、ちとせは険しい顔で、「本当に、そんなんじゃないんです」と否定する。
「いい子なんでしょ?」
どぶろくをカートに躊躇いなくいれて、桃が問いかけてきた。優しい笑顔は大島との結婚が決まってますます柔和になった。
そんな笑顔に絆されて、「まあ......」とだけは返してしまう。基本、ちとせは隠し事が苦手な質なので、問われれば答えてしまうのだ。
「でも高校生なんてどんな繋がり?」
「ナンパ?」
二人が興味津々に聞いてくる。
流石に自称婚約者だとは言いづらく、
「浅間さんの親戚らしいです。近所に越してきたので、隼生さん繋がりで挨拶にきてくれて」
と当たり障りのないところだけ返した。
「へえ。わざわざ挨拶に?」
サチが更に突っ込んでくるが、ちとせは笑って「隼生さん、本家の人だったから」とごまかした。間違ったことは言ってないので、大丈夫だろう。
「親戚ってことは、似てる.......?」
隼生と似ているか、と不安げに尋ねてくる桃に、ちとせは笑って返す。
「似てませんよ」
それは本当だ。背格好や声など、一時は似ているかも、と感じたが、今ではそう思えなくなっていた。
夏生はどこまでも夏生だった。
「あぁ、でも.......」
「ん? 何?」
「欲しい言葉を、本当に欲しい時にくれるのは、浅間家特有なのかなって思うくらいビックリします」
隼生がそうだったように、夏生もちとせに言葉をくれた。
そのままのちとせを受け入れ、
変わらないことを許し、
ちとせを導いてくれた。
そして、そのタイミングの良さというか、言葉のバランス感覚の良さに、ちとせは弱い。自分でもよく分かっているから、警戒しているのに、そんな警戒、物ともせずに越えてくるのだから、質が悪い。
「ふぅん」
「へぇ」
「なんですか、その生ぬるい視線!!
やめてくださいよ!」
「肉食ちとせを食っちゃうほどの肉食男子って超興味ある!」
「っな! 食われてませんっっ!!!」
ちとせが顔を赤くして全否定したが、そのちとせを見ながら、サチと桃は満足げに笑った。
粗方食品を買い終え、レジで会計をしようという段階になった時だった。
「え、あれ、火事?」
スーパーの外を見て、桃がビックリしたよう声をあげた。
ちとせもそちらを見る。
薄闇の空に、普通の煙では有り得ない黒煙が盛り上がっていた。
「ほんどだ、火事っぽい」
「帰り、見てく?」
サチが興味を見せてそう言うが、ちとせは顔をしかめて、
「いいですよ、危ない」
と却下した。
「サチって意外に野次馬だよね」
桃も苦笑しながらサチをたしなめ、サチも自分らしくないと思ったのか、苦笑して肩をすくめた。
「でも、凄い近いよね」
「まだ消防車きてないんだね」
口々に二人が会話する。
ちとせもそれに相槌を打ちながら、財布を取り出した瞬間。
【ちとせ】
カッチャン。
音を立てて、ちとせは財布を落としていた。
「ん、どうしたちとせ?」
「なあに? お金なかった?」
二人が笑いながら話しかけてきたが、ちとせはそれどころではなかった。
窓の外の火事の方を睨むように見つめる。
「はやおさん......?」
そんなわけがない。
隼生の声であるわけがない。
だけど、ちとせの耳に確かに聞こえた。
あの時、あの最期の声と同じ声が。
そして、見上げた先の火事の黒煙。
これは、偶然か。
はたまた気の迷いか。
それとも.......。
「ちとせ?」
「ちとせちゃん?」
「すいません! これ、我が家の鍵です! 先、行っててください!」
「ええっ?!」
二人が呆然とする中、ちとせは鍵と財布を渡し、駆けだしていた。
(そんなこと、ありえる筈がない!)
隼生は死んだ。
助けられる筈だったのに、助けられなかった。
きっと、それはちとせの慢心が生んだ悲劇なのだと、ちとせは思っていた。
ずっと、ずっと、
自分を呪いながら生きていくのだろう、と思っていた。
『ちとせは幸せになっていいんだよ』
それを8つも年下の少年が、嘘みたいに簡単に解いてくれた。
誰かの為の力じゃない。
意味のない力じゃない。
隼生も、ちとせも、その力に、気づかない内に振り回されていた。
力があることで何かが出来ると慢心していたし、その力が役に立たないことで、逆に疎みもした。
気がつけば力に雁字搦めになっていたちとせを、夏生は容易く解放してくれた。
走りながら、色んなことが頭を過ぎる。
初めて隼生と会った日のこと。
隼生の実家にいったこと。
隼生にきついことを言われた日のこと。
隼生に好きだといわれたこと。
そのどれもが忘れることのできない、自分の中に根付いたものとして存在している。
だけど、周囲はそれを許してくれなかった。
ちとせが隼生とのことに浸れば浸るほど、まるで可哀想な者を見るかのようにちとせを見た。
そうじゃないのに。
私は、私、なのに。
『ちとせはそのままでいいんだよ』
夏生だけが、そう言って、ちとせを、ボロボロでも、ちとせだと言ってくれた。
それがどんなにちとせの心を救ったか、きっと言った本人も分からないだろう。
心臓が痛い。
どうしてこんなに走っているのか自分でも分からなかった。
果たして火事の場所についたとき、老人が叫んでいる姿が見えた。
「かえで! かえで!」
叫ぶ老人。
それを抑える人々。
熱風か辺りを渦巻いている。
酷い喧噪の中、ちとせはあり得ないものを見た。鞄だ。
火事の家の前に、鞄が投げられたように置いてある。
ちとせが近づこうとすると、「駄目だ、近づいちゃ!」と言われた。
「あ、あの鞄、誰のですか?」
震える声で問えば、誰かが答えてくる。
「学生さんが中に入ったんだ。
この家にまだ人がいると思って。
じいさん、一人暮らしなのに」
「!!」
悲鳴もあげられなかった。
間違えようもない。
あれは、夏生の鞄だ。
家を見上げれば、既に真っ黒に焼けただれている。
助かるわけがない。
そう瞬時に悟った。
悟ったはずなのに。
「夏生くんっ!!!!!」
力の限り、叫んでいた。
ちとせを抑えていた人がギョッとする。
ちとせは老人に駆け寄る。
「どこ?! 夏生くんは、この家のどこ?!」
老人はちとせの剣幕に一瞬、ピクリとしてから、「奥......。1階の一番奥にかえでが.......」と呟く。
その瞬間、「にゃあー!」と鳴きながら建物から猫が出てきた。
「かえで!」
老人が半泣きになりながら猫に駆け寄る。
どうやらその猫が、老人の探し求めていた相手らしい。
しかし、ちとせはそれどころではない。
夏生が帰ってこない。
ちとせは駆けだしていた。隣の家との間を抜け、裏手に回る。凄い煙と熱に、それでも構わず「夏生くん!」と叫んでいた。
抑えようとした人を突き飛ばし、家の壁を叩く。熱さなんて気にしてられなかった。
遠くで消防車のサイレンが聞こえ始める。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ
!!)
もう、大切な人を亡くすなんてごめんだ。
もう、あんな気が狂いそうな想いを、繰り返すこと何て出来ない。
もう、二度とあんな想いしたくない。
とん、と小さく壁が響いた気がした。
中が焼ける音だったかもしれない。
それでもちとせは、それが違うと分かった。
「夏生くん!」
ちとせは渾身の力で壁に爪をたてた。
そんなことで剥がれるわけがないことは分かっていたから、今度は壁を叩く。
蹴る。
びくともしない。
そして、思う。
願う。
(何の為に......、何の為に力があるのよ!)
物一つ僅かにしか動かせない。
弱くて、役立たずな力。
それは静かに、否応無しに消えていく隼生への慕情を現しているかのようで、辛かった。
そんなちとせに、やっぱり光を示してくれたのは、夏生で......。
二度目はない。
あんな、無力感、もう二度と味わいたくない。
「あたしが、幸せになる為の力なら、今、ここで、使えなくてどうするんだっ!!」
そう叫んで、目の前の壁を叩いた瞬間、
【ちとせ、好きだよ】
優しい声が、耳に響いた気がした。
あの日、あの人の最期の時に聞こえた声。
(いやだ!!!)
ちとせは心の底から、その声を拒絶した。
もう、最期の声なんて聞きたくない。
そんな為に使いたくない。
そんな為の力じゃ
な
い。
ドゴォン、と凄い音がした。
爆発に近い音。
そして、有り得ない大きさであいた穴。
バックドラフトはこなかった。
有り得ない程、綺麗に火の消えた部屋が、丸見えでそこにあり、壁の前で倒れている夏生がいた。
「夏生くん!」
「おい! 壁に穴が空いたぞ!」
「爆発かっ!?!」
消防車が到着し、隊員たちがこちらに駆けつけてくる。
ちとせはその隊員に捕まえられ、夏生に近づくことが出来なかったが、直ぐに運ばれていった夏生を追いかけていった。
夏生は火から離れた場所に横たえられ、意識を確認されていた。
間もなく救急車が到着し、ちとせは「関係者です!」と叫んで、その車に一緒に乗る。
「夏生くん! 夏生くん!」
赤く焼けた頬が痛々しい。
それでも微かに上下に動く胸に、夏生がまだ生きていると安堵出来た。
「ち、とせ.......?」
うっすらと、目が開かれた瞬間、ちとせは有らん限りの力で夏生の手を握りしめる。
「あ、の......力、ちとせ? 穴......空いた気がする」
かすれた声にちとせは頷く。
夏生は微笑んで、弱々しくちとせの手を握り返す。
「ありがと.......。助かった」
ちとせは溢れてくる涙を堪えようともせずに、コクリ、と頷いた。
この力があって、良かった。
本当に、良かった。




