16 温い
「夏生、もうすぐ俺の日だっ!」
3月になってすぐ、休み時間、嬉々として話しかけてきた創に、夏生は「とうとう......」とだけ呟いて、目を逸らした。
春一番もまだだというのに、創はきてもない春の陽気にやられたらしい。
「ちょっ! とうとうなんだよ!?
最近おまえ、俺のこと見る目、冷たくねっ?
やっぱ、掲示板で聞いたとおり、お前、本当は俺のことが好きなのか?!」
「......色々突っ込みどころが多すぎるが、取り敢えず掲示板て何だ?」
「ネットでスレッドっていうのをたてて......」
「いい、それ以上言うな。何か疲れそう」
創は別のステージを登ってしまったらしい。
夏生はそちらを登りたいとも思わないので、話を変える。
「で、俺の日ってなんだよ?」
「ばっかだなぁ! ホワイトデーだよ、ホワイトデー!」
凄い嬉しそうに創が叫んだ。
チラッと珍しく背後の女子を振り返って。
女子たちが、創が夏生の方を見てから首を傾げる。夏生もそうだ。
バレンタインで喜ぶならまだしも、ホワイトデーで喜ぶ意味が分からない。
「創、今年、いくつ貰ったんだ?」
「ん? 貰ってないよ」
「.......それで、何を返すんだ、ホワイトデーに」
「ほら、俺、チョコよりクッキーとかマシュマロが好きだから、女の子たち、それを知っててホワイトデーにお菓子くれると思うんだ!
だって、ホワイトデーのお菓子の方が、俺好みだし!」
きっと今、間違いなく、創の徒名は『残念な子』から『可哀想な子』に変わった。
その証拠に、今まで苦笑いしていた背後の女子も、もう創を見ようとさえしない。
「そうか、沢山もらえるといいな」
「袋、持ってこないと駄目かな?」
創は真面目に言っているが、多分、袋は必要ないということは、黙っておく。いや、もしかして、ということもあるかもしれない。背後の女子で、独りくらい同情してくれる可能性にかけてもいい......かもしれない。
それくらい、期待させといてやってもいいだろう。
「そういや、夏生は婚約者からチョコ、貰ったんだっけ?」
「いや。ないな」
(そもそもバレンタインとか興味無かったし)
ちとせが残業という理由で夏生を遠ざけていたあの時期に、気がついたら過ぎていた。
そう言えばバレンタインデーも、創は浮かれて話をして、帰りに凄く凹んで帰っていた気がする。
それでもホワイトデーに、貰えると期待するのだから、もしかすると、創は凄い奴なのかもしれない。
「そっか.......。ごめんな、デリカシーないこと言って」
創が申し訳なさそうに夏生を見てくるのがウザい。
「俺もホワイトデーに貰えるとか、思わないわけ?」
「え? 夏生もチョコ嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど」
「じゃあ、諦めろよ! 来年、頑張れ!なっ!」
無意味な創の慰めが色んな意味で痛すぎる。
夏生はため息をこっそり逃しながら、「そうだな」と話を合わせた。
「巨乳婚約者から来年貰うとして、パイ拓チョコとかどうだよ?」
「........」
(コイツ、絶対もらえないな......)
本当、尽く残念すぎる友人にもう何も言う言葉が思い浮かばず、夏生は蔑んだ視線を投げかけたが、それは創を喜ばすだけだった。
☆☆☆
その日家に帰ってから、携帯を確認すると、夕飯を買い出しするので少し遅くなるとちとせからメールがあった。
夏生は即座に『●×スーパーだろ? 付き合う』と返信して、家を出る。
ちとせから遠慮するメールが届いたがシカトしてマンションから10分ほどの●×スーパーの前で待つと、会社帰りそのままのスタイルのちとせが呆れたようにこちらを見ていた。
「来なくていいってメールしたのに!」
「荷物持ち、必要だろ?」
「それはそうだけど」
「私服だし、何も言われないよ」
学生ではあるが、夏生はそこそこの長身のせいか、私服の時は子供に見られたことはない。まあ、背伸びして二十歳に見られればいい程度だから、ちとせよりは幼く見えるだろうが、姉弟には見られないだろう。
ちとせはそれも分かっているらしく、だからこそ断りのメールを入れてきたのだろうが、こんなチャンスをみすみす夏生が逃すわけがなかった。
二人で並んでスーパーに入る。カートにカゴを入れて、それを押してやる。
「えっと、牛乳、牛乳」
飲み物コーナーでちとせがそう言いながら牛乳を探す姿に思わずにやけてしまう。
誰の飲む牛乳なんて、聞かなくても分かる。
「丁度、牛乳、切れちゃって」
「俺が良く飲むしね」
「.......明日、シチューにするんですっ!」
(どうしてくれよう、この女.......)
何か、これから毎日一緒に夕飯食べて、いつまで我慢できるか、自信がなくなってくる。
それでも、せっかく勝ち取った信頼をむざむざドブに捨てる気にもなれず、揺らぐ自制心をキリリと律する。
他にも油などを購入すると結構な重さになった。
「俺が来て良かったろ?」
「まあ、悪くないかな」
返答になってないちとせの言葉に頬を緩ませながら、スーパーを出ようとして、その入り口に山積みされたホワイトデー関連の商品に目がいく。
「あ、ホワイトデー、何かほしいのある?」
夏生がそこを見て通り過ぎながら問えば、
「は? 私、あげてないし」
と、ちとせに切り捨てられた。
「いや、俺があげたいだけ。何か作ろうか?」
「作れるの?」
「作れたら夕飯も自分で作ってるって。
ちとせと一緒に作ろうかな、と」
「何で私が貰うものを自分で作らなきゃなんないのよ! しかも、あげてもないのに!」
エコバッグを持っている手と反対側の手で、ちとせの手をキュッと握ると、ちとせがこちらを睨んでくる。
その視線を交わしながら外にでると、スーパーにくる時薄闇だった空は、既に漆黒だ。
3月初めにしては寒い夜に、ちとせの手だけが、冷たくなくそこにある。
「夏生くん、この前、私が言ったこと忘れたの?」
「忘れてないけど、手ぐらい、いいじゃん。
白土ってオヤジも握ってたじゃん」
「ぐっ......」
どうやら白土のことを出されると断れなくなるらしい。それは何だか面白くはないが、手を繋げるのは嬉しかった。
「ちとせの手、温い(ぬるい)」
「温いって、何かビミョー」
「いいじゃん、熱すぎず、冷たすぎずで」
(俺らの関係みたい)
もう少し進めることもできるかもしれない。
だけど、進めるにはまだ早い気がして。
「ちとせー」
「なあに?」
「俺が年下でよかったね」
「何で?」
「ちとせのこと、待ってられる」
「.......」
何を?とはちとせは聞いてこない。
その代わり、素気なく言われる。
「待ってられても困る」
「いい。俺が勝手に待ってるだけ。
で、ホワイトデー、何、作る?」
ちとせは呆れたように夏生を見てから、ポツリと
「シチュー」
と言った。
「甘くないし、菓子でもないじゃん!」
「でも、白くて美味しいから私は好きなの!
いつか......いつか、隼生さんにも食べさせたかったの......」
スルリ、と手を解かれそうになって、慌てて強く掴む。
戸惑いの色が浮かぶちとせの目には、何時でも隼生への想いが滲んでいる。
(別にそれでいいって、言ってるじゃん)
恋愛って、もっとシンプルで簡単だと思っていたのに、夏生に課された課題は、思った以上に難題だ。
「いいよ。シチュー、作ろう」
そう返したのに、ちとせは困ったような、申し訳なさそうな顔をする。
だから、夏生は気にするな、と笑う。
焦ってないし。
待ってられるし。
(そんな不安そうな顔するなよ)
ちとせの力はあれ以来、弱いままだ。
もう、夏生を突き飛ばすことも出来ない。
それでも、隼生に対する気持ちが消えることがないように、その力もちとせが浅間の男と子供を成すまで消えない。
「ちとせのシチューも、好きだよ」
「.......」
その言葉に返事はなかった。
だけど、繋いだ手を振りほどかれることもなく、温い手は温いまま、ゆったりと家路を歩いた。




