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この力は誰の為に  作者: 榎木ユウ
この力は何の為に
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14 この力は何の為に

 部屋に戻って急いで着替えて、ちとせの部屋に戻る。本当は頭も洗いたかったが、そんな暇はない。

 急いでちとせの部屋に戻れば、麻婆豆腐で汚れた絨毯は綺麗にされており、食卓にはおにぎりが用意されていた。

「おかず、なくなっちゃったから」

と、ちとせは何事もなかったかのように振る舞ったが、夏生はそのままにしておくわけにはいかなかった。

 美味しそうなおにぎりは気になったが、それより先にもう一度、ちとせに確認する。


「力、なくなったのか?」


 力の喪失は、浅間の子を産む以外の方法を夏生は知らない。いや、浅間家自体知らないだろう。

 そうでなければ夏生を婚約者に推す必要がない。


 ちとせは小さく首を振って、

「なくなってはないよ」

と返した。

「ただ、弱くなっただけ」

 そう言って、目の前のおにぎりを見つめる。

 おにぎりは、パタンと何もしてないのに倒れる。

 きっと、ちとせが力で動かしたのだろう。

 だけど、今までのちとせなら人を宙に浮かすほどの力があったはずだ。

 夏生だって、二度ほどその力で飛ばされている。


「何でいきなり......」

「.......分からない」


 何となく返事に間があったので、恐らく思い当たることもあるのだろう。

 それを夏生に言ってくれないことは歯痒いが、無理強いはしない。


「夏生くん、おにぎり食べなよ」

「あ、あぁ」

 促されておにぎりを食べる。塩がきいていて旨い。ちとせの作るご飯は、全部夏生の好みだ。


 一通り、おにぎりを食べ終えると、ちとせが茶を用意してくれた。

 それを飲んで一息吐くと、ちとせが夏生に声をかけてくる。


「夏生くん......」

「何、ちとせ?」

「婚約とか、もうなしにしよう?

 元々浅間さん家で勝手に言ってただけだし、私から断ったってことにして、なしにしよう」

「何で?」

「......私、隼生さんを好きでいたい」


 泣きそうな声で、ちとせがそう言った。

 いつも以上に弱々しい声は、先程、るりあに対して毅然とした態度をとった人間とは思えない程、か細い。


「好きでいてもいいって、俺、言ったじゃん」


「他の人はいらない!」

 ちとせが下を俯き、ギュッと下唇を噛みしめて、そう言った。

 太腿に乗せている両拳も力を入れて、精一杯、何かを拒んでいる。


「それ、力が弱くなったこと関係あるの?」

「.......」


(無言は、肯定だよ、ちとせ)


 それ以上、追い詰める気にもなれなくて、夏生も黙り込む。


 力が弱くなった途端、婚約を解消したいと言ってきたちとせ。今までだって、突っぱねてはいたけれど、相手にしてなかったから、気にもしなかったはずだ。

 それが、突然、解消したいと思うに至った理由は何か。


 ここ一週間、夏生との接触が極端に減った理由も同じことにに起因するに違いなかった。

 残業というのは、半分、嘘だったのだろう。


(俺、鈍けりゃ良かったな)


 恋愛経験値が無駄に高いだけあって、ちとせの行動の理由が、本人さえ分かってないだろうに分かってしまった。


「その力の強さって、相手を思う強さと関係するんだっけ?」

 沈黙後、そう口を開けば、ちとせの肩がピクリと動いた。

 夏生は何とも言えない気持ちになる。


 ちとせの婚約者になる際、力についても少しばかり本家から説明を受けていた。


 本来なら、小さな物を動かす程度の弱い力。

 それが浅間家の力だ。


 だけど、ちとせに移った後、その力は強くなる。ちとせが隼生を想う気持ちの強さに比例して。

 ならば、それが弱まる理由は何か。


 簡単だ。


 想いが弱まれば、力も弱くなる。


 ちとせもそう思ったはずだ。

 そして、どうして薄れたのか考えて、兎に角原因となりそうなものを排除しにかかったのだ。


 夏生という婚約者の存在を。


(あぁ、言っちゃ不味いだろうあ)

 それでも問わずにはいられない。


「会社、あの白土って男にも、近づかないように言ったの?」


 瞬間、ちとせが顔をあげて、くにゃりと口元を歪ませた。

 それだけで、白土には変わらぬ態度なのだと、分かる。


(どうしよう、これ......)


 自分だけ。

 夏生だけ、遠ざけようとしている。


 その意味に、こんな時なのに、胸躍る自分がいた。


「だったら、俺のことも今まで通りでいいじゃん」

 ずるいと思いつつもそう言えば、ちとせは首を横に振る。


「いや」

「何がいや?」


(追い詰めるのは駄目な筈なのに)


 聞きたい。

 ちとせがどうして夏生だけを省こうとしているのか、聞きたかった。

 決して隼生への想いが薄れたわけではないだろうし、夏生のことを隼生と同じ様に好きになったわけでもないだろうとは思う。


 でも、きっと、そこには夏生を排除したい確固たる理由があるはずだった。


「ちとせ?」

 ちとせは頑なに首を横に振る。何度も、何度も。


「この力は、隼生さんの力なの!

 隼生さんの為だけにある力なの!」


 まるで、自分に言い聞かせるように、ちとせはそう言った。


「夏生くん、言ったじゃない!

 自分も遺品になるって!

 この力だって、そう。

 隼生さんが私にくれたたった一つの......!」


「ちとせ、それ、おかしいよ」


(俺に力のことなんか分からないけど)


「何がおかしいの?」

 キッとちとせが夏生を睨んでくる。


 この力は、すべて浅間隼生の為にある。


 そう考えてきた人間に、自分は酷なことを言うな、と思ったが、それでも言わずにはいられなかった。


「力は、手段であって、目的じゃない。

 誰かの為に存在するなんて考え、間違ってる」


 その力があるから、とか、その力のおかげで、とか、人はちょっとでも他と違う力を手に入れると、まるでそれに『価値』があるように見いだしてしまう。


「俺、将来、消防士になるつもりなんだ」


「......?」


 突然、夏生がそんなことを言ったので、ちとせが困惑の表情で夏生を見上げる。

 夏生は額の隅の方を照れ隠しで、ポリポリと掻いて、そんなちとせから少し視線を反らす。


「父親が消防士だったからさ。

 だから、小学5年になった時、将来の夢で、父親と同じ仕事に就きたいって。

 そしたら、父親が小5の子供に真剣に言うんだ。

 『消防士は確かに格好いいかもしれない。だけど、その力を決して人の為と思って使うな』って」

「ええっ? 消防士さんなのに?!」

「誰かの為って言葉は、エゴなんだって。

 力は『手段』であって、『目的』じゃないから。

 その時はよく分からなかったけど、最近は何となく分かる」


 消防士という仕事は、確かに人の為になる仕事だし、誰かを助けることも出来る。でも、それは結果論でしかなくて、火を消し、避難路を確保し、要救助者を助けるにしても、全てをひとりでこなすわけではないのだ。一つ一つの、目の前にあることを実直にこなす。そこにヒーローは必要ない。自分の責務をただひたすら全うする独りの人間がいるだけだ。


「浅間の力も、そうなんじゃないかな」


 物一つ、僅かにしか動かせない小さな力。あることの意味さえも曖昧なそれ。

 30過ぎまで童貞じゃないと授からない、馬鹿馬鹿しいギフト。


 それが誰かの為に存在する、と思うこと自体、間違っているのではないだろうか。


「じゃあ、この力は何の為にあるの?」

 不安げに、揺れる瞳で、ちとせが問いかけてくる。

 夏生はやんわりと微笑んで、「手段だと考えるなら」と前置きを置いて返す。



「ちとせが、幸せになるのに使えばいいよ」



 力があるせいで、とか、力を使って、とか、力に振り回される必要はない。

 きっと浅間の家系だって、そんな仰々しいものだったなら、当の昔に血筋も絶えていただろう。

 些細な力自体に意味があるわけじゃない。

 力があったら、あったで、それなりに使えばいい。


 それなら、ちとせはその力で幸せになればいい。


 力があるせいで、不幸になったり、何か縛られる必要なんて、全くない。


「幸せになる為の力?」

「そ。でも勘違いするなよ。

 幸せになる為に『使う』んだ。

 その力があるから、幸せになるんじゃない。

 その力を使って、幸せになるんだ」



 ちとせは目をまあるく見開いて、そしてもう一度、繰り返す。


「幸せになる為に使う.......」


 色んなものが、その目の奥を駆け巡っている。

 隼生のことも思い出しているのだろう。



 ぽろり。



 その大きな目から、大きな雫が零れた。

 それを皮切りに、ポタポタと、まるでダムが決壊したみたいに、ちとせの目から涙が零れおちてくる。


「やっ......」

 ちとせが目を抑えて顔を隠す。


 ちとせの泣き顔を始めて見た。


「ちとせ」

 夏生がちとせに呼びかける。

 そして、おいで、と言うのではなく、自分から、その小さな身体を抱きしめた。


「頑張ったね」

 こんな小さな身体で、得体の知れない力に振り回されて、それでも健気にこの人は頑張ってきた。

 8歳も年上だが、今は年齢なんか関係なく、ただ、ただ、この人の頑張りを労いたかった。


「夏生くっん.......」


 しゃくりあげる声が、隼生ではなく夏生の名前を呼んだ。

 そして、次の瞬間。


「うわあああああああああ.......!!」


 子供みたいな泣き声が、夏生の胸の中から聞こえてきた。



 怖かった。


 辛かった。


 こんな力が欲しかったわけじゃない。



 泣きながら、何度もちとせがそんなことを繰り返し言う。



 ただ、好きだった。


 一緒にいたかった。



 それだけなのに、本当に欲しかったものだけが、ちとせの手には残らなかった。

 それがどれだけちとせを苦しめたのか、夏生にはちとせじゃないから、分からない。

 それでも、泣き疲れてちとせが眠るまで、夏生はその背中を撫で続けた。



 この力は、誰の為にあるのか。



 そうじゃない。

 力は、誰かの為にも、何かの為にもあるわけじゃない。


 ただ、そこにあるがままに。

 使えるなら使えばいいだけのこと。

 そこに特別な意味も価値も必要ない。


 それでも、何か使いたいのであれば、自分の為に使えばいい。



 だから、ちとせは幸せになればいい。

 幸せになっていいんだよ。



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