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この力は誰の為に  作者: 榎木ユウ
この力は何の為に
31/44

10 忘れるようなもんじゃねぇ

「ちとせちゃん、一緒に帰ろう」

 白土にそう呼び止められたのは、残業が終わった後、帰り道、正門を抜けてすぐのことだった。

 ちとせは一度足を止めて、きっぱり

「無理です」

と告げると、再び歩き出す。

 白土は笑いながら、ちとせの横をついてくる。

「車じゃないんですか?」

「今日は電車にした。ちとせちゃんと一緒に帰ろうかと思って」

 思わずため息が漏れてしまう。

「白土さん、本当に懲りませんね」

「懲りるようなことしてないし」

「しつこいし」

「でもちとせちゃんが本当に嫌なことはしてないよ?」

 実際、その通りだから質が悪い。

 白土は言葉こそ厳しいし、行動も時には強引だ。でも、ちとせがそれ以上踏み込まれたら憎みそうになる位置には決して踏み込んではこない。

 ウザイ、煩い、うっとおしいの、3uだなんて言われているが、実際の白土は驚くほど人を見極め、敢えて人が嫌がることをしたり言ったりするのだ。


「私なんかといて、楽しいですか?」

 こんなに隼生に捕らわれている自分といて、楽しいわけがない。そう思って問いかければ、白土はちとせがビックリするぐらいあっさり言う。

「つまんないに決まってるじゃん」

「だったら、何でかまうんですか?」

「浅間さんと付き合う前の、溌剌としたちとせちゃんが好きだから?」

 臆面もなく告げられた言葉は、全然嬉しくなく、寧ろちとせの心を抉っていく。


「隼生さんと付き合ってたときも、私は私です」

「じゃあ、今は?」


 一瞬、ちとせは顔を歪める。


「ちとせちゃんの、楽しそうに笑う笑顔が好きだよ。花川さんたちに突っ込まれて、それでも強引に突き進むところも大好きだ。

 あと......」

 白土がちとせの手をとる。

 隼生とは違う、男らしい手だ。

 ちとせは振り払おうとしたが、ぐっと握られて、振り払えない。


「この白い手を、律儀に俺にふってくれるところなんか、たまらなく、好きだ」


 歩きながらなのに、まるでベッドの中に向かい合って寝ているかのような艶めいた声に、ちとせは耳が赤くなるのを止められない。


「白土さん、手、はなしてください!」

 小走りで逃げようとするが、白土はそれを許さない。


「もう十分、苦しんだだろう?

 もう十分、頑張ったろう?

 いいから、俺の処においで」


 それは誘惑というには、あまりにも優しすぎる言葉で、ちとせはぎゅっと唇を噛みしめると、振り向いて手を高々とあげる。

 そして手のひらを開いて、手を一気に振り下ろす。

 バッと、白土の手が、反動で外れた。


「私は隼生さん以外、選べません!」



「そこは、浅間の男以外にしときなよ、ちとせ」


「?」


 ちとせの背後から、スッと手が伸びてきた。

 ぐいっ、と引っ張られて、後ろに倒れそうになるが、直ぐにトンっと堅くて暖かいものに受け止められる。


「おじさん、人の婚約者、口説かないでくれる?」

 真上から聞こえた声は聞き慣れた声で、ちとせは無意識に安堵の息を漏らしていた。


「夏生くん」


 夏生はちとせを受け止めながら、しっかりと白土を睨んでいた。



☆☆☆



(ったく、面倒くせぇ)

 夏生はウンザリしながら欠伸をかみ殺していた。目の前には進路希望の紙。

 もう直ぐ高校二年生ということで、進路調査の紙が配られたのだ。


「夏生、進路どうすんの?」


 創が見せると言ってもないのに人の紙をのぞきこみ、そして目を丸くした。

「お前、大学行かないんだ!」

「興味ないし」


 夏生の選んだ進路。それは公務員試験だった。しかも、特殊公務員ともいわれる消防士だ。

 小学生の頃から、漠然とそのことは考えていたし、今でもそれは変わらない。

 だから、受験勉強といわれても、夏生にはピンとこないのだ。


「そんなに早く就職するのって、婚約者が年上だからか?」

 創がニヤニヤとしながら聞いてくる。

 違うのだから、直ぐに違うと言えば良かったのだが、消防士の自分の横にちとせを想像して、何だかむず痒くなる。

 それが、決して嫌ではないからだ。


「うわ、ニヤニヤして、かんじわるっ!」

「悔しかったら、お前も女作れば?」

「何で婚約者いても彼女つくる不誠実な奴には女が出来て、俺には出来ないんだ!!」

「お前、イカ臭いからじゃね?」

「臭くねーよ! 毎日、事後に風呂入ってるっつーのっ!」


 創の背後で、また女子たちが『ないわ~』と首を振っていたが、それは黙っておく。というか、創に彼女が出来ない一端は夏生にもあるんだろうな、と思ったが、

「くそー! 婚約者に年齢釣り合う彼氏が出来て別れてしまえー!」

と言われたので、もっと創を貶めることを決意した。


「書き終わったから、帰る」

「裏切りものー!」

 背後から創の声が聞こえたが、サラリと無視して夏生は学校を後にした。


(ちとせと帰り、会えるかな)


 帰宅を急ぐサラリーマンたちが前方に見えてきたので、時間を確認すれば、会社が終わる時間になっていた。

 進路の紙を書きながらお喋りしていたので、気づかない内に遅くなっていたのだろう。


 最初に出会った時も、このT字路だなと思いながら、会社の方を見て。

 肝が冷えた。

 思いがけない光景がそこにあったからだ。


 先程、学校で創が喚いた言葉が耳に返ってくる。

「婚約者に年齢釣り合う彼氏が出来て別れてしまえ!」

 それは冗談だったはずなのに、目の前で、ちとせが、見知らぬ会社員風の男と手を繋いでいた。


(お前は浅間の男しか駄目なんだろう?)

 そう思って直ぐに、例え浅間であっても、兄であっても、それは嫌だと思えた。


 ちとせの顔を確認して、その顔が嫌がっているのが分かったから、すぐにほっとしたが、それでもちとせが男と手を繋いでいることが、我慢出来なかった。


 ちとせが男と何か言い合っている。

 大股で近づくと、ちとせの声が聞こえてくる。

 

「私は隼生さん以外、選べません!」


 その言葉は、男に向かって言われたものだが、思った以上に夏生も抉る。

 それでも構わず、ちとせの肩に手をのせると、グイッとこちらに引き寄せた。


「そこは、『浅間の男以外』にしときなよ、ちとせ」

 ちとせが一瞬強ばったが、夏生の声に気づいたのだろう。無意識に緩められた肩の強ばりが嬉しい。


「おじさん、人の婚約者、口説かないでくれる?」


 しっかりと男を睨んでそう言えば、男が困惑した顔でちとせを見た。

「婚約者?」

「ち、違うんです。浅間さんの親戚の子です」

「そ。それでちとせの婚約者」

 はっきりともう一度、『婚約者』を強調して言えば、男はフッと笑って、

「何? 浅間さん家って、どうしてもちとせちゃんに子供産ませたいわけ?」

といきなり言ってきた。


「いいよ。婚約者との子供が必要なら作ればいい。前も言ったけど、その後でも俺は構わないよ」


「はあっ?」

(何だ、それ?)

 ちとせを見下ろせば、ちとせはブンブンと首を振り、

「それは、あの時、隼生さんと喧嘩してたから......」

と小さく言ったが、それで直ぐに分かった。


 隼生はちとせに言ったのだろう。


 浅間の子を一人でも産めば、力はなくなるし、他の男と結婚できるとも。


 ぐっ、とちとせの肩を掴む手に力がこもる。


「隼生さんが何をあんたに言ったか知んないけど、俺はちとせを他の男にやるつもりないから」

 睨みつけたまま、そう宣言すると、男は肩を竦めてから笑った。そして小さく、「学生が」と呟く。


 何か、言いかけたわけじゃない。

 学生風情が。そう馬鹿にしたのだ。


 一瞬、我を忘れそうになったが、それを制したのはちとせだった。


「白土さん、夏生くんは学生だけど、そんな言い方しないでください」

「何? ちとせちゃん、そいつに惚れてるの?」

 その言葉に、ちとせはまた顔を歪めた。そして息を吐くように言う。

「私が好きなのは今も、昔も、隼生さんです」

「......もういい加減、忘れ......」

「それ以上、言うな」

 言葉よりも早く、ちとせを後ろに庇っていた。そして白土と呼ばれた男の言葉を遮る。


(それ以上、ちとせを壊すな)


 父と姉が死んだ後、一年を過ぎると、周囲の人間がポツリポツリと言い始めた。特に母親に対して。


「もう思い出にしていかないと」

「忘れてもいいんだよ?」


 当時、40代前半、若々しかった母親に、再婚の話が持ち込まれるのも少なくなかった。

 そのたびに繰り返されたその言葉に、子供ながらに夏生は憤った。


「忘れるようなもんじゃねえんだよ!」


 忘れたくても、忘れられない。

 忘れたくなくても、忘れてしまう。


「夏生くん!?」

 ちとせを引っ張り、そのまま駅まで走り出す。白土が追いかけてきたら蹴飛ばすつもりだったが、白土は追いかけて来なかった。


「な、夏生くん! く、くるしっ!」

 ずっと走っているせいでちとせが苦しそうだったが、それも構わず走った。

 互いに息が荒くなり、それでも手だけは繋いで走る。


 まるで何かから逃げる、逃避行みたいに。


 マンションまでたどり着くと、ちとせの階を押してエレベーターに乗り込む。互いにゼーゼーと息が切れていた。

 夏生は加減したが、ちとせには辛かったのだろう。

 苦しそうに眉間に皺を寄せている。


 ちとせの階について、「鍵」とだけ言うと、酸欠状態なのかフラフラのまま、夏生に自分の部屋の鍵を渡した。

 夏生はそれを受け取ると、鍵を開けて中にちとせを先に入れた。自分も中に入る。


 夏生の息はもう整っていたが、ちとせはまだゼーゼーと言いながら、どさり、とソファに倒れ込む。


「な、夏生くん、ありが......」

 息も絶え絶えにちとせが言う。

 恐らく走りすぎたせいだろう。涙ぐんだ目で夏生を見上げながら。


「ちとせ、水」

 キッチンに入って、水道の水をコップに注いで渡すと、コクコクとゆっくりちとせがそれを飲み干した。


「ありがと、夏生くん」

 今度ははっきりとお礼を言われ、夏生はコクリと小さく頷いた。


「あの男、何?」

「ん、職場の人。悪い人ではないんだけどね」

 しんどいのだろう。胸を上下に繰り返しなから、ちとせは眉をひそめた。


(悪い人にしか見えなかったけど)


 顔は良さげだったが、如何せん、口が悪すぎる。


「何? 隼生さん、ちとせのこと、あの男に下げ渡すとでも言ってたの?」

 皮肉って問えば、ちとせは困惑した顔で、

「私が余計なことしたから、仕方ないの」

と言った。


(女にそんなこと言わせんなよ)

 死んだ人間を悪く言う気にもなれなかったが、隼生の墓を蹴り飛ばしたい衝動に刈られる。


 自分が惚れて選んだ女に、どうしてそんなことが言えるんだ。

 言いたいことは沢山あったが、それは全部飲み込んで、ドサリとちとせの横に座り込んだ。


「今度言われたら、婚約者いますってきちんといっとけよ」

 そう言えば、ちとせがクスリと笑う。

「無理矢理親に言われた高校生を、婚約者になんて出来ないよ」


(言うんじゃなかった)

 結婚しないとパイプカットなんて言ってしまったから、自分たちの間には恋とかではない繋がりしかないと思われている。

 だからこそ、ちとせは自分に気を許している。

 それも分かるけど、今はそれが苦しくて、気がついたら、ちとせの頭に手を回していた。


「夏生くん?」

 キョトンとこちらを目を丸くして見つめるちとせに、チッ、とかすれるキスをした。

 触れあうか触れあわないか、分からないくらい微かなキス。

 それでもキスには変わりなく、ちとせが身体を強ばらせる。


(さっきは俺がきて安心したくせに)


 その変化が悔しくて。

 でも、その変化が嬉しくもあって。


 チッ、ともう一度、キスをする。


「な、夏生くっ!」


 一回。

 二回。


 暴れようとした手を掴んで、三回。


 四回。


 こんなに、触れるだけのキスを人としたのは初めてのような気がする。


 五回。


 少しだけ顔を離すと、真っ赤になってこちらを睨むちとせがいた。


「好きだよ、ちとせ」


 その言葉に、ちとせの顔が歪む。

 その声が、夏生の声としてではなく響いたからかもしれない。


(だけど、今、キスしてるのは、俺、だよ)


 六回目のキスをして、告げる。


「『俺』が、ちとせを好きなんだ」


 隼生じゃない。身代わりでもない。

 浅間夏生が、西脇ちとせを好きなんだ、と宣言する。


「隼生さんごと、ちとせのこと貰ってやるから。隼生さんを好きなまま、俺の嫁さんになっていいよ」


 生きてる人間相手だったら、間違いなく奪ってた。

 だけど、相手は死んでる人間。


 どうやったって、生きてる人間は適わない。


「忘れなくていい。好きなままでいい。

 そのまんまのちとせでいいから」


 七回目のキスをしようとした瞬間、有無を言わせず身体が浮いた。

 真っ赤な顔のちとせがどんどん遠ざかっていく。


 いつの間にか開けられたら玄関から、荷物よろしく放り投げられ、鞄と靴まで投げられた。

 そして、バタン、と勢いよくドアが閉まり、ちとせの声がする。


「夏生くん、今日、晩ご飯、抜き!!!!」


(はあ? 俺、犬かよ!)


 それでも、嫌いだと言われなかったことが、不覚にも嬉しい。追い出されはしたが、それがちとせの拒絶には思えなかった。


「『今日は』抜き、ね」

 じゃあ、明日は? なんて今は聞かない。

 きっと部屋の中では、ちとせが真っ赤な顔でソファに撃沈しているだろう。

 それだけ思えば、とても満足で、明日のことは明日に回せる。


(隼生さん、ちとせは貰うよ)

 死んだ人間には適わない。

 でも、死んだ人間だって、生きてる人間には適わないのだ。


 夏生は尻を払うと、鞄を持って靴を履き、自分の階へと帰っていった。 



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