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この力は誰の為に  作者: 榎木ユウ
この力は何の為に
30/44

9 ちとせ、好きだ

「冬深、明日、どっか出かけるの?」

 旅行カバンに物を詰め込んでいる冬深に、夏生が話しかけた。

 冬深は夏生を見上げると、ニカッと笑って、

「お父さんとキャンプ」

と返す。

「ずりー!! 何で? 何で俺いけねーの?!」

 台所で家事をしている智香子が騒ぎに気づいて顔を出す。そして、夏生の不満げな顔に、

「冬深、夏生には明日まで黙ってなさいって言ったでしょ?」

と呆れた声で言えば、冬深はハッと口を押さえて、「忘れてた!」と言った。

「お母さん、何で冬深だけ、お父さんとキャンプなの?!」

「お友達に誘われたんですって。運転手が足りないからお父さんも行くのよ」

「だったら、俺も行きたい!」

「小学生はだめー!」

 自分が中学生だからって、冬深はそんなことを言う。自分だって去年までは小学生だったのに、中学生になった途端、偉そうにする冬深が、最近夏生は嫌いだった。

「俺だって再来年には中学生だしっ!」

「まだまだ先じゃん」

「ずりぃーよ! 俺も行きたいよ!」

 夏生が喚いていると、トイレにいっていた父、節生が笑いながらリビングに入ってくる。

「トイレまで聞こえたぞ」

「お父さん、俺もキャンプつれてってよ!」

 節生は夏生の頭をくしゃりとかき混ぜながら、「そうだなあ、じゃあ、お盆休みに行くか?」と提案してくれた。

「お盆なら、春生も帰ってくるだろうし、秋生も部活ないだろう」

 既に大学生で家にいない長兄と、高校生で部活が忙しい次兄の名前を出して、節生が智香子に提案すると、智香子は苦笑しながら、

「そうねぇ、お盆なら、大丈夫かもね」

と言った。

「やったー!!」

 飛び跳ねて喜ぶ夏生に、冬深が「ガキ」と呟いたが、夏生はそんな冬深に向かって、あかんべぇをする。

「へへん。おばちゃんたちのキャンプなんか勝手に行ってくればあ?」

「ちょっと、おばちゃんって何よ!」

「中学生なんておばちゃんじゃん!」

「夏生ぉ!!」

 節生の周りをドタバタと姉弟で追いかけっこが始まる。

 冬深は中学生の割には、足が遅い。夏生は得意気に笑いながら、

「おばちゃーん!」

とはやしたてた。

「夏生、待てー!!」



 冬深の声で、夏生はパチリと目が覚めた。

 辺りを見回すと、ほんのり薄暗い。

 時計を確認すれば、朝の6時過ぎだ。


(夢、か......)

 随分久しぶりに、父と姉が夢に出てきた。しかもその内容は現実にあったこととは若干違った。

 確かに姉である冬深はキャンプに行ったが、夏生には内緒で出かけたのだ。

 当日、父と姉の不在で初めてそれを知って、母親に怒った。母親は代替案としてお盆のキャンプを提案した。

 それは適わないものとなってしまったが、何故、有り得ない過去が夢に出てくるのかと思うと、苦笑いしか浮かんでこない。


 行かないでと、あの時言えたら。

 一日前に知っていたら。


 何か変わっていたのだろうか、という無駄な期待が夢に現れたのだろう。


(ったく。母さんがいきなり来るから)


 母、智香子は一泊すると思いきや、夏生の

部屋を確認すると、終電で帰って行った。


「布団もない部屋で、むさ苦しい息子と二人ベッドに添い寝する気はないわ~」

 なんて、カラカラ笑っていた。相変わらず、糸の切れたタコのようにどこへでも飛んでいく人だな、と我が母ながら感心してしまう。


 おそらくそんなことがあった翌朝だから、こんな夢を見たのだろう。

 二度寝する気にもなれなくて起き上がると、そのままキッチンへ向かう。


「あ~、ゴミの日か」

 キッチンには昨晩まとめておいたゴミがある。このゴミの日というものは、一人暮らしになって初めて経験したが、意外に面倒くさい。ゴミだしは前夜出しなんて絶対禁止だし、当日朝だって6時から8時までと決められている。

 朝がそんなに早くない夏生は、いつもギリギリにゴミを捨てていた。


 時計を確認すると六時五分前だ。

 降りていけば、丁度六時にはなるだろう。


 夏生はボリボリと頭をかくと、欠伸を一つ、かみ殺し、ゴミ袋を手に持った。


 寝るときはグレーのスゥエットなので、このまま出ても多少だらしないくらいで、それ程気にはされないだろう。

 朝はまだ寒いから、黒のダウンを着込んで、ゴミ袋を手にゴミ集積所に向かう為に家を出た。


 何も考えずにエレベーターに乗り、1Fのボタンを押す。朝も早いし直通だと思ったのだが、エレベーターは1階下で直ぐに停まった。


「あ」「うっ!」


 エレベーターが開いた瞬間、お互いに声が出た。乗り込もうとしたのは、ちとせだった。


「おはよう、ちとせ」


 《開》ボタンを押しながらそう言えば、ちとせは乗るのを一瞬躊躇った後に、「おはよう」と言って、中に入ってくる。

 ちとせの手にもゴミ袋。


 考えることは同じらしい。


「早いね」

「う、うん。何か目が覚めちゃって」

「俺もそう」


 ちとせは着替えてはいたが、スッピンで、髪の毛も少しはねていた。人に会うと思わなかったのだろう。少し落ち着かない感じで夏生とは目を反らして、跳ねた髪を撫でている。


(恥ずかしいのかな)

 いつも姉ぶっているから、スッピンが恥ずかしいのかもしれない。

 だけど、横目で盗み見たちとせのスッピンは、殆どいつもと変わらない感じで、ただ、化粧がない分、子供っぽくさえ見えた。


「どんな夢見たの?」

「ん?」

 珍しくちとせが質問してくる。

 別に知りたい訳ではないのだろう。

 この密室にいるこの微妙な時間が、なんとなく居たたまれないんだろうな、と直ぐに察することが出来た。


「姉と父親の夢。昨日、母親来てたせいだな」

 そこまで言って、ハッと気づいてちとせに言う。

「昨日はいきなりうちの母親がごめん」

「ううん。一緒にご飯作れて楽しかったよ」

 ちとせが微笑む。その笑顔に嘘はないように見えたが、どこか元気がない。

 そうこうするうちにエレベーターが1階に着き、二人でゴミ集積所まで向かう。カラス除けの箱の蓋をあけて、互いのゴミを入れ、再びエレベーターに乗る。


 エレベーターはまた、というか、やはり、二人きりで乗ることになる。

 ドアが閉まった瞬間、あまりこちらを見ないちとせに、

「もしかして、隼生さんの夢でも見た?」

と確認すると、ピクリとちとせの肩が震えた。


(本当、分かり易いよなあ)

 こんなに分かり易くて、どう生きてきたんだか、と自分より8歳も年上なのに思ってしまう。

 ちとせも夢を見て、目が覚めて、何とも言えない気分になったのだろう。


 だって、夢の中では、その人たちは死んでない。普通に会話し、生きている。

 そんな夢の後の現実は、酷く疲れる。


「ちとせ」


 夏生がそう呼ぶと、ちとせは目を伏せたまま、「何?」と聞いてくる。


「家で朝ご飯食べてく?」

「え?」

 ちとせが顔をあげた。


 視線が合った目は、少し赤い。


(ひとりで泣くなよ)


 何時に隼生の夢を見たのだろう。

 そして何時に起きたのだろう。


 少なくとも、夏生より早い時間に起きて、そして泣いたのは確かだ。真っ赤でないのは、時間が経っているからだろう。


 エレベーターがちとせの階で停まったが、夏生はすぐに《閉》ボタンを押す。


「夏生くん! いいよ、朝ご飯は」

「いいから」

 強引にちとせを自分の部屋に連れて行く。

 エレベーターを降りてもちとせは抵抗しないで、夏生に腕を引かれて、夏生の部屋に入る。


 部屋に入った瞬間、夏生はグイッとちとせを抱き寄せた。


「夏生くん?!」

 戸惑うちとせの声。その声に被せるように、優しく囁く。


「ちとせ」


 一体、自分の声はどれ位、隼生と似ているのだろう。

 どれ位、自分の身体は隼生と近いのだろう。


 少なくとも、全く違うというわけではないのは、腕の中のちとせの様子で分かった。

 名前を呼んだ瞬間、肩がピクリと動いて、それからユルユルと手が躊躇うように夏生の背中に回される。だけど、背中をつかむことはない。


「どんな夢見たの、ちとせ?」


 優しく尋ねると、ズズッと鼻をすする音がした。

 ちとせは震える声で言う。


「隼生さんに好きだって、言われた...」


(また、それはしんどい夢だな)


 どれだけ願っても、もうそう言われることは適わない。それでも在りし日の思い出は、自分の中にきちんとあるから、繰り返される。


 あの時、何かしていたら。


 あの時、どうすれば良かったのか。


 死んだ人に対する、あの後ろめたさは、どこから来るんだろう。


「ご、ごめん、夏生くん。ごめっ......」

 ギュッと背中のスゥエットを掴まれた。

 ちとせが抱きついてくるというより、しがみついてくる。まるで何かに流されないように耐えるかのように。


 夏生はぎゅうっと更にちとせを抱きしめて、その耳元に囁く。


「好きだよ、ちとせ」


 いつの間にか、好きになっていた。

 年上とか、婚約者とか、そんなこと関係なく、ただ、この寂しい人を愛しく思っていた。


「ごめん、夏.....おくっ...わたし、ずるいっ......」


(分かってるよ)

 誰の代わりに抱きついているのか、言われなくても分かってる。

 夏生が抱きしめている筈なのに、腕の中の小さな人は、夏生だと思わないでしがみついている。

 いや、夏生だと分かってはいても、求めているのは違うのだ。


「好きだよ、ちとせ」

 もう一度、自分の言葉で囁けば、それは別の意味でちとせに響く。


「隼生さん.....隼生さん、隼生さんっっ!!」


 大声を出して泣けばいいのに、肩は震えているのに、ちとせから嗚咽は漏れない。

 必死に何かを堪えているその身体が、あまりにも痛々しくて、夏生は自分の力の限り、その小さな身体を抱きしめた。




「ちとせ、好きだ」


 自分が誰かに、睦言ではなくそう囁く日が来るなんて思いもしなかった。



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