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この力は誰の為に  作者: 榎木ユウ
この力は何の為に
29/44

8 どこで落ちた

「よう、下手くそ君」

「よぉ、童貞君」

「!!!」

 朝一番の挨拶とは思えない挨拶を創と交わしながら、夏生は席に着く。

「お前、それが朝一に親友に言うことか?!」

 ぐぬぬ、と呻く創はどうやら本当に童貞らしい。

「朝から人を馬鹿にした名前で呼ぶ奴は、それで十分だ」

「そういうのはもっとオブラートに包めよ!」

「え? お前包まれてるの?」

「.......はあっ?!」

 一瞬、何を言われたのか分からない顔をした創は、はっと気づいてから、

「ばっ! ちがっ! 最低!!」

と声にならない否定を言葉にしようと必死だが、最初にちょっかいをかけてきたのは創なので、夏生は素知らぬ顔で机の中にノートなどをしまった。

「ううう、すいませんでした。朝から調子乗ってました」

 結局、折れたのは創の方で、その素直さにくくっと小さく夏生は笑った。


 何だかんだと言いながらも、創の、年の割に素直なところは嫌いではなかった。

(これで下ネタ尽くしでなければ、彼女の一人ぐらい、出来るだろうになあ)

 残念なことに創は、下ネタ大好き少年だ。見た目こそ悪くない部類に入るのに、口を開けば思春期の少年の願望丸出しなことを、平気で女子の前でも言うので、女子からは敬遠されていた。

 しかももっと残念なことは、本人はそれに気づかず、何故自分に彼女ができないのだろう、と不思議がっていることだ。

 クラスの女子からの影のあだ名が『残念な子』だというのは、本人だけが知らない公然の事実で、転入生の夏生でさえ耳にはいるほど有名なのだから、目も当てられない。

「くそー、なんで夏生ばっかりモテるんだ?

 俺だって、あとは実戦だけで、それなりに自主練つんでるのに!」

 だから、そう言うところが駄目なんだよ、と周囲の女子の生暖かい目が向けられていることにも、創本人は気づかない。

 夏生は苦笑しながら、「はいはい」と創の言葉を流した。

「あれ? 夏生、ご機嫌じゃん。

 婚約者と仲直りしたの?」

「は? 何で?」


(というか、俺、喧嘩したなんて言ったか?)


 夏生が訝しげに創を見れば、創は得意気に笑う。

「だって、いつもの夏生なら軽く流すときは冷たい視線なのに、今日は微笑がセットだ!」

「うわ、お前、気持ち悪ぃ!」

「っな!!」

「俺のこと、どんだけ見てるわけ?

 悪いけど俺、男は無理だぞ!」

「ばっ! 俺だって、女しか勃たねぇよ!!」

 創の背後で女子たちが、「ないわぁ」と小さく首を振っていたことは創には言わないでおく。

 創はそんなこともつゆ知らず、

「でもそんなんで浮かれるなんて、結構、夏生って婚約者のこと好きなんだなぁ」

と感心したように言った。


「はあ?」

(好きじゃねぇし)


 そもそもちとせとの間に恋愛感情なんてものは存在していない。あるのは結婚しなければ、去勢されるという事実だけだ。

 あと、敢えて言うなら、飯が旨い。

 それだけの関係で好きだの、愛だの、感じられるとは思ってもいない。


 いないのに、創は余計なことを言う。

「だってお前が一喜一憂するのってその年上巨乳の婚約者のことだけじゃん。

 都賀さんに噂ばらまかれたって、嫌そうな顔する程度なのに、婚約者のこととなると、言わなくても態度に出るから、俺でさえ分かるよ?」

(一喜一憂してたか、俺?)

 自分でそんなことをした覚えを探してみる。


 キスした時は、ちとせのキスの旨さにびびった。

 笑顔で身代わりって言われたときは「そうだろうな」と納得した。でも少しだけ寂しかったのも確かで...。

 昨日はまたちとせと普通に戻れたことは嬉しかったし、今日からまた夕飯を一緒に出来ることも嬉しかった。


「ばぁか。好きなわけっ......」

「うわ、珍しい。夏生、顔赤いよ?」


 創にからかわれて、慌てて顔に手を当てる。

 確かに頬が熱い。


(俺が、ちとせを、好き?)


 いつも寄ってくるのは女の方で、誘ってもいないのに、寄ってきた。

 睦言でしか呟かない「好き」という言葉に、男女間の好きはそんなものなのか、と思った。


「夏生くん」

 にっこりと笑うちとせが、だけど本当は心の底から笑えないことを知っている。

 それは夏生だから分かることで、夏生でなければ分からなかっただろう。


(どこで、落ちた?)


 フラッシュバックするのは、ちとせの笑顔ばかり。

 否定する要素が全く出てこないことに、酷く驚いた。


「あれ? 気づいてなかった?

 夏生、気づいてなかったの?」

 創がウザい位、ニヤニヤとしてきたが、そんなこと構ってられなかった。


 迂闊だった。

 不覚だった。


 好きになるつもりなんて、全くなかったのに。


(俺、ちとせのこと、好きになってたのか?)


 問いかけに返す明確な答えは自分の中になく、その日の授業も全く頭に入らなかった。



☆☆☆



「ただいま~」

 自分の家でもないのに、緊張した面もちでそう言った瞬間、バタンと夏生はドアを閉めようとした。

 ドアを開けてくれたちとせの後ろに、見てはならない人を見たからだ。


「何、もう旦那きどり?」

「くそババア! なんでここにいる!?」


 ちとせの部屋で、家主以上に存在感を露わにしていたのは、夏生の母、智香子だった。

 50近くには見えない、スラリとした長身に、年相応の化粧をきめて、ニヤニヤとこちらを見ている。


「夏生くん、お母さんにそんな口の聞き方、よくないよ」

 やんわりとちとせに窘められたが、夏生にそんな余裕はない。

 何故此処に?

 どうして自分の部屋ではなく、ちとせの部屋なのか?

 聞きたいことはあれど、うまくそれが言葉に繋がらない。


 智香子はニヤニヤとしながら、

「早くあがんなさい。あんたの好きな生姜焼きよ」

と夏生に言った。

 智香子に案内されて、食事の用意の出来た席についたが、智香子がいるせいかどうも落ち着かない。


「何でこっちに来てるんだよ?」

「あんたが『順調』としかメールしてこないから、様子見にきたのよ」

「うまくいってるし」

「弟扱いじゃない。女たらしの癖に肝心な時に駄目ね。やっぱりパイプカットかしら」

 呑気に智香子にそう言われ、夏生はバッと智香子から飛び跳ねて距離を置く。


 そんな二人を見ながら、ちとせが可笑しそうにくすくす笑った。


「浅間さん家って皆さん、楽しい方ばかりですね。隼生さん家も、明るくて楽しい方ばかりでした」

 そう言いながらテーブルに用意された生姜焼きは、夏生の来る時間を予想していたらしく、湯気と香ばしい匂いを漂わせていた。

 ちとせと向かい合わせに夏生、右隣に智香子が座ったので、まるで家族の団欒みたいだ。


「本家も賑やかよね。

 でも、ちとせちゃん、我が家も本家に負けないくらい賑やかよ」

 いつからちとせの家に来ていたのか、智香子は既にちとせを『ちゃん』付だ。ちとせも智香子に気を許しているのか、ニコニコと笑いながら、

「そうなんですか?」

と聞いてくる。

「夏生の上に、春生と秋生って長男次男がいるのよ」

「じゃあ、冬があれば、季節揃い踏みですね」


 ちとせとしては、何気ない会話のつもりだったのだろう。

 春と秋と夏とくれば、当然、冬だって、という考えは誰にだって及ぶ。


 だから、夏生は家族の話を友人にしないし、やむを得ずするときは、兄達の名前を敢えて告げたりはしなかった。


 それは、母親だって同じ筈だったろうに。


(何、考えてるんだ。母さん?)


 智香子はニッコリ笑うと、

「冬もいたのよ」

と何てことないようにちとせに告げた。


「え......?」

 ちとせの表情が強ばる。


 智香子はそんなことお構いなしで、言葉を続ける。

「次男と夏生の間に、女の子が一人。冬が深いって書いて冬深。だけど、6年前、夏生が10歳の時に、父親と一緒に川で溺れて死んでるの」


(何でここでそれを言うかなぁ)


 智香子の本意が分からなかった。夏生が、自分の家族が亡くなっていることを言わなかったのは、同病相哀れむ、みたいな感覚になりたくなかったからだ。



 10歳の時、父と姉が死んだ。


 それは、夏生の家族が乗り越えなければいけない悲しすぎる事実だった。

 今でこそ、家族内では「父さんたち、元気かな?」なんて冗談も言えるが、当時は一家の大黒柱と、兄弟の中で唯一の娘だった冬深が亡くなり、家族はかなり危機的状況だった。

 ボロボロだった、と言ってもいい。


「だけど、今は全然そんな様子ないでしょう?

 それもこれも、この一番下の愚息が頑張ったからなの」

 智香子がぐしゃぐしゃと夏生の髪を掻き回す。ちとせの目が夏生に向けられて、こんな時なのに今日の昼間のことを思い出してドキリとした。


(中学生じゃあるまいし!)

 そう思えども、『好き』だと異性を意識することなど初めてで、どうしてよいのか分からず目を反らす。

 智香子はそんな夏生の様子を面白そうに見てから、言う。

「この子があの家族の中で、一番先を見てた。

 一生懸命、死んだ人間も、生きた人間も、幸せになれる方法を考えてた」


 それは母親から初めて受ける、自分に対する尊敬にも近い評価で、夏生は目を見開いて智香子を見た。


 当時、小学生だった夏生は、突然消えた父と姉のことを、どう消化すればよいのか分からなかった。

 親である智香子や兄達でさえ、どうしようもない虚無感に苛んでいた。

 だから、夏生は、考えた。そして行き着いた。

 自分だけの答に。


「死んだ人間も、幸せになれるの?」

 ちとせが答を求めるかのように、縋るような視線を夏生に向けた。

 その意味が分かるから、チクリ、と胸が傷む。


「幸せになれるんじゃねぇの?」

「どうやって?」

「ちとせが幸せに、一日でも長く生きればいいんだよ」


 あの時も智香子に夏生は、そう言った。


「ちとせは隼生さんと会う前と会った後で、自分の中で変わったことはあるか。例えば食べ物の好みとか、好きな漫画とか」

「あるよ、いっぱいある!」

「それが、隼生さんがいた証拠なんだよ。

 確かにそこにいたっていう一番の遺品が、自分。そう思って生きたら、自分の人生粗末に出来ねぇよ」

 今更語るには何だか恥ずかしかったが、それでもそう言えば、ちとせはぐっ、と強い視線を夏生に向けながら、「自分が遺品...」と呟いた。


「くっさいセリフでしょ?

 だけど、小学生の息子にそう言われちゃ、私も開眼せざる得ないわ~」

 智香子がバシバシと夏生の背中を叩いたので、夏生はケホリと軽くむせた。


「あー! もういいだろ?! 腹減ってるんだ、飯食おうぜ! 飯!!」

 夏生がそう言うと、ちとせはハッと我に返って、それからご飯をジャーから人数分よそりはじめた。

 夕飯はそれ以降は辛気くさいことにもならず、夏生は後片付けをすると、智香子を伴って自宅に戻る。



 帰りの階段で、

「あんたのことだから、もう自分が遺品だなんて言ってるのかと思ってた」

と智香子が笑いながら言った。

「言えるか!」

「でも、少しはちとせちゃんも気持ちが軽くなったんじゃない?」

「わざわざそれだけ言いに来たのかよ」

 先に階段を登り終え、振り向くと、智香子はやんわりと微笑む。


「あの子、いい子ね」

 智香子がフフフと思い出しながら笑った。


「同じ浅間家の男を愛した子だから、どんな子か知りたかったのよ」

「知らないくせに俺を婚約者に推したのかよ」

「少しはあんたの女遊びも収まるかと思ったし、我が家とは違うけど、夏生ならあの子の気持ちを少しは汲んであげられるでしょう?」

 亡くした相手は違えど、突然大切な人が消えたという点では同じだ。だから、ちとせの苦しみも切なさも、年の割には理解できたし、だからこそ、こんな短期間で親しくもなったのだ。 


「まあ、本当に夏生が惚れるとは思かったけど」

「!!」


(バレてる!)

 惚けようとしたが、顔に出てしまったのだろう。頬が赤くなるのを自覚しながら智香子を睨めば、智香子はクスクスと笑う。


「だから、話したのよ。少しはあの子も夏生に親近感抱くんじゃない?」


(計算づくかよ)

 身内の不幸を利用するまで至らないのは、夏生の若さ故の潔癖さだ。

 だが、智香子はそれさえも武器にする。


「卑怯なんて言ってらんないわよ。

 浅間の男に惚れた女は一途な女ばっかりなんだから」

「そんなこと分かってる」


 ちとせがどれだけ、今も隼生を好きかなんて、夏生が一番分かっている。

 側で、他の誰にも言えなかった隼生への想いを、嫌と言うほど聞いてきたから。


「まあ、一生隼生くんには適わないだろうから、それ覚悟で頑張んなさい」

 あっさりと息子の敗北を予言する智香子に、夏生は眉を顰めるが、同時に智香子の言葉だからこそ、その言葉の重さにも心を重くする。


 最愛の男を失ったのは、智香子もまた同じだ。その人間が、「一生適わない」というのなら、間違いなくそうなのだろう。


(何でこの年でそんな面倒くさい恋愛しなきゃ、なんねぇんだよ)


 もっと楽に恋することだって、いくらでも出来るのに。


 それでも思い浮かぶのは、はにかんだちとせの笑顔で、自覚してしまえば、もう簡単に落ちる。


 夏生は息を思いっきり吸うと、深呼吸のように長く吐き出す。そして、智香子にむかって、宣言する。



「18になる時は嫁さん連れてくから、兄貴たちにお先にごめんって言っといて」



 落ちるなら、どこまでだって、落ちればいい。覚悟ぐらい決めてやる。


 智香子は夏生の言葉を聞くと、「アハハ」と大きな声をたてて笑ってから、

「楽しみにしてるわよ。我が家の三男様」

と夏生の背中を叩いた。




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