6 だから、優しい
翌日は夏生にとって散々な日だった。
昨日の夕食食いっぱぐれが響いたらしく、夜は満足に寝られなかったし、何よりちとせが衝撃的すぎた。
(あんなにキスうまいなんて聞いてない!)
隼生が童貞だからって、ちとせまで処女だったわけではないのだろう。
いや、30過ぎまで童貞だった浅間の男を籠絡したのだ。並の女じゃないという考えに至らなかった自分が馬鹿だった。
(いつもは全然子供っぽいのに、あんなの詐欺だ)
隼生にはもっと熱のこもったキスをしたのだろうか。きっと、したのだろう。
ちとせが隼生のことを語るときは、熱のこもった瞳と口調だ。
昨日、部屋から夏生を追い出した時のような、冷たい笑顔なんて浮かべない。
「あー、くそ」
色々予想外過ぎて呻いていると、
「夏生、お前、下手くそなんだって?」
と創が授業合間の休み時間に言ってきた。
世間話のような口調で言われたので、一瞬、言われた言葉の意味を理解しかねる。
創はニヤニヤしながら、
「ただ、腰ふる猿扱いだぞ、お前」
と言ってくる。
「は? なんだそれ?」
「すげー噂になってる」
「噂?」
「一年の浅間夏生はヤリチンだけど、下手くそだって」
「はあっ?」
素っ頓狂な声をあげて問い詰めると、創は肩をすくめた。
「一応、お前、巨乳婚約者がいるからって否定しといてやったけど、夏生って女の扱い、下手なんだな」
昨日から頭の中で繰り返される「下手くそ」という言葉に、夏生は眉をしかめる。
「都賀さん、やっきになってお前の噂、広めてるぞ? 昨日告られたばかりの女に、どうやったらそんなに恨まれるわけ?」
(あれはあの女の方が悪いだろう!)
よりにもよって夏生の携帯から、ちとせに電話をかけたのだから。
「遊びだっていったのに.......」
小さくぼやくと、創がはははっ、と声を出して笑った。
「んだよ?」
「夏生って意外に子供なんだな」
「はあっ?」
創はポンポンと夏生の頭を叩くと、
「安心しろ。友人として最大限、フォローしてやるから」
と言った。
「友人じゃねぇし」と呟こうとしたが、そんな余力もなく、夏生はうなだれて机に突っ伏した。
☆☆☆
夜、ちとせの家のインターホンを押した。
「はい」
警戒する声に、「俺」とだけ短く答えると、ブツリと音声を切られた。
(うお、シカトかよ)
心が折れそうになったが、もう一度押して、相手が声を出す前に言う。
「腹減った。開けて。お願い.......します」
最後だけ丁寧語になったのは、それだけ切羽詰まっていたからと言えなくもない。朝も昼もコンビニで、昨晩からまともな食事にありつけていない。
ちとせのきちんとした食事が恋しくて、普段なら絶対しない下手に出てそう乞えば、ガチャリとドアの内鍵が開く音がした。
そしてゆっくりとドアが開く。
ドアガードがついたままで。
(それじゃ入れないじゃん!)
余程悲壮な顔だったのだろう。
ぷ、とちとせが小さく吹き出していた。苦笑を浮かべながら、夏生に問いかけてくる。
「あける前に何か言うことは?」
「言うこと?」
問い返すとちとせが呆れた顔でドアを閉めようとするので、慌てて手をつっこんで夏生は叫ぶ。
「ごめん! 俺が悪かったよ!」
ドアが少しの隙間だけ残して止まる。
中からちとせの声がする。
「もうしない?」
「しない!」
「反省してる?」
「してる!」
「女の子とは遊びで付き合わない?」
「ええっ?!」
(何でその話?)
もしかしたらちとせは妬いているのだろうか、と思ったが、それは甘い考えだった。
「高校生なのに、不健全な交際するような子にはご飯作りません!」
(お前は俺のオカンかっ!!)
内心つっこんだが、言葉には当然出さない。
今閉められたら、今晩もコンビニ飯だ。
夏生はコンビニの弁当というのが好きではない。どうにも味が薬品臭く感じるからだ。
その点、ちとせの作る夕食は、和食中心で茶色が多かったが、母手製の田舎料理に慣れている夏生には、とても美味しく感じられた。
「返事、ないの?」
ちとせの確認に、夏生は慌てて
「もう遊びません!」
と叫んだ。
「宜しい。ドアガード外すから、手外して」
ちとさの言われたとおり指を抜くと、ドアが一度閉まる。そして、ガチャリ、と鍵の閉まる。
しん、と何の音もしない。
「お、おいっ!」
バンバンとドアを叩くと、アハハと笑いながらちとせがドアを開けた。
「冗談、冗談」
「なんでそこでそんなことするかなぁ!」
呆れながらも、開けてくれたことにホッとしながら、夏生はちとせの部屋に入る。
ちとせの部屋のテーブルには、きちんと二人分の夕飯が用意してあった。
今日は用意してないと思っていたので、少しだけ夏生は嬉しくなる。
「ったく、本当だったら、もう家にあげないところだからね!」
「.......なんであげてくれたの?」
(今日は無理かなとも思ったのに)
伺うようにちとせを見れば、ちとせはニッコリ笑って言う。
「ごめんなさいは子供の特権だから」
「は?」
「ガキだから、許してあげるのよ」
「なんだ、それ?」
今日、創も似たようなことを夏生に言ったことを思い出す。
「俺ってガキ?」
「ガキだね」
「どこら辺が?」
「自分の気持ちが最優先なところ」
迷い無くスパッと断言されて、返す言葉もない。ちとせはニコニコ笑いながら、更に言い募る。
「何しても、それは自分の意思で決めた自分の責任でしたことなのに、人のせいにするでしょ?」
確かに昨日のことだってるりあのせいだと思った。今もその気持ちに変わりはない。
だけど、それさえも責任の一端は夏生にもあると言わんばかりにちとせは言う。
「流されてつき合っても、選んだのは自分。
女の子とか他の誰に対しても、きちんとした対応が出来ないまま大人にはならないでほしいな」
ちとせの目は真剣で、しっかりと夏生に分かって貰いたいという意志が見えた。
夏生はその目がまっすぐすぎて、目を反らす。
「何でそこまで俺にしてくれるわけ?
俺が婚約者だから?」
「まさか」
一笑されて、ちとせの中では、婚約者なんて言葉、字の一つさえも刻まれていないことに、その時、初めて夏生は気づく。
(でも、俺に優しかったジャン)
夕飯だって毎回作ってくれる。
少しは打ち解けてきたものだとばかり思ったが。
そんなこと、
全く、
なかった。
ちとせが余りにも元気で明るかったから、夏生は頭で理解していたつもりで、全く理解してなかったのだ。
ちとせは夏生を見ながら、やんわりと微笑む。どこか懐かしむような愛しさのこめた目で夏生を見ると、言う。
「夏生くんは、隼生さんと親戚なだけあって、声と体型が似てるから。
だから、私、君に優しいのよ?」
いっそのこと、子供だから、で済ませてくれた方がまだマシだった。
優しい彼女は、優しい笑顔のまま、夏生にお前は身替わりなんだと、悪びれもせず言ってくれた。




