4 教えてよ
ちとせと夏生の住むマンションは会社から見て駅の反対側にある。
スーパーも近いのでそこで鍋の材料を買うと、「本当に鍋、するつもりなの?」とちとせが呆れた顔をした。
「ていうか、何で我が家に入ろうとするの?! 鍋なら一人でしなさいよ!」
ちとせの部屋にそのままなだれ込もうとしたら、全力で阻止されたので夏生はニッコリ笑いながら、
「旦那の飯の世話くらいしないと」
と言った。
「誰が旦那だっ! 私、あなたと婚約した覚えないし!」
「いや、覚えなくても婚約者だし。
それに、俺、飯作れないから、ちとせに何か作って貰わないと飢える」
「ぎゃー! いつの間にか呼びつけだし!
何なの? 今時の高校生、怖いっ!!」
「悲鳴あげてる間に、ドアの警戒、お留守だよ?」
ひょい、とちとせより先に中に入っていくと、ちとせが背後から何か訴えてきたが、そんな声は無視する。
入ってしまえばこっちのものだ。
(隙、ありすぎ)
まあ、浅間の人間だと分かっているからというのもあるのだろう。
「あと、俺、夏生だから。あなた呼びも旦那みたいで悪くないけど」
台所に買ってきた食材を起きながらそう言えば、ちとせは口をパクパクさせながら、
「だから、旦那じゃないでしょ!」
と呻いた。
「ちとせ、お腹すいた~。ご飯~」
そのまま、学ランの上を部屋の隅のコート掛けにかけて、夏生はちとせ用らしい一人用のクッションソファーに腰掛けて、テレビをつけた。
ベッドの位置といい、ワンルームタイプなので、夏生の部屋と間取りは変わらない。ただ、こちらの方が物が多く、そしてくつろぎやすく配置されていた。ゴミ箱の位置なども、投げてゴミを入れやすい。
(なんつうか、お一人様専用ってかんじ)
人を呼ぶために作られた雰囲気の全くない部屋に、隼生が死んでからの一年、ちとせが誰も自分のプライベートに人を招いてないことが伺えた。
「ったく、何で私が......」
文句をいいつつも、鍋の準備をちとせは台所でし始める。根は素直なのだろう。
その様子を眺めながら、夏生はクスリと笑った。
30分もかからずに、ちとせは鍋の用意を終えると、コンロに土鍋を乗せて、テーブルにセッティングした。
「感謝しなさいよね」
とちとせがグチれば、
「俺の金だし」
と夏生が返す。正確には生活費は母親持ちだが、そんなことは言わぬが花だ。
「なんかちとせ、さっきより大分砕けてきたね」
「図々しいガキに向ける愛想なんてないし。
食べたら帰りなさいよね」
「あ、携帯番号交換しといたから、明日以降、帰りが遅くなるときは連絡ちょうだい?」
コンロの火をつけたちとせが唖然として夏生を見た。夏生はニッコリ笑いながら、ちとせの携帯を差し出す。
「コート、かけるときに入ってたから」
ちとせは脱いだコートはポールにかけず、自分の鞄の上に置いて家事を始めたので、夏生が気をきかせてポールにかけたのだ。
かけた時、ポケットに携帯が入っていたので、丁度よいと互いの番号とアドレスを登録しておいた。
「夏生くんだっけ.......。いい加減にしないと、おねえさん、怒るよ?」
ちとせが真顔になる。だが、夏生はニッコリと笑ったまま、
「怒ったって、泣いたって、ちとせは俺の婚約者だよ?」
と念押しした。
一瞬だけ、グッ、とちとせが唇を噛み締める。しかし、直ぐにそれはやめて、
「8歳も上のオバサンの婚約者なんて、どうしてまた.......」
とぼやくように呟いた。ちとせは心底、困惑しているようで、その表情も夏生には可愛く思えた。
くるくると変わる表情も、分かりやすい性格も、そして、一途に誰かを想っているところも、特に嫌いなところなんてない。
それが結婚につながるかなんて、まだ16の夏生にはピンとこないが、これしかパイプカット回避の道がないのだから、他に選びようがない。
「俺、ちとせと結婚できないとパイプカットされちゃうんだよね」
鍋がグツグツと煮立ってくるのを確認しながらそう言うと、ちとせが「パイプカット?」と小首を傾げる。
「精子がでないようにすること。まあ、sexは出来るけど、流石にこの年で種なしは勘弁だな、と」
いつかは分からないが、将来、母親に孫の顔ぐらい自分も見せてやりたい。
二人の兄たちはどこか木訥として、婚期を逃しかねない。いくら男三人いるからと言っても、浅間の血が繋がる確率は多いに越したことはないだろう。
「た、種なしぃ? なんで? 浅間さんちってそんなに厳しいの? 力持ちのまま、後家さんがいたらまずいの?」
困惑するちとせに夏生は「違う違う」と否定する。
「力があるから消したいとかではなくて、浅間の血を愛してくれた女が不幸になるのを、浅間の人間は嫌がるんだよ」
それだけ情が深いとも言える。
それは浅間の血に脈々と受け継がれる性質なのか、それとも環境から成る性格なのか、夏生には分からないか、浅間の人間は身内になった相手に心底優しいのだ。
それこそ自分の血族を使ってでも、浅間家以外の男と幸せになれない女を一生独りで生かせておくことなんてしない。
「浅間の血.......」
ちとせが復唱して、何とも言えない顔をする。
その間に鍋の方が煮えてきたのだが、熱くなりすぎて蓋がとれない。
「あ、俺、蓋とる.......え?」
夏生が鍋の蓋を取ろうと手を伸ばした瞬間、パカッと土鍋の蓋がひとりで宙に浮き、そのまま台所に飛んでいった。
ちとせを見ると、ちとせは苦笑いを浮かべながら、
「いつもこんなことに使ってるの」
と言った。
それでようやく、それが浅間の力なのだと気づいた。
(マジで超能力みたいだな)
顔にはださなかったが、始めて見た異能の力に若干驚いた。
自分も30まで童貞だったならあの力があつたのかと思うと、少し惜しい気がしたが、それでも今のちとせをみる限り、自分には必要ない力だとも思った。
「なあ、ちとせ」
「何?」
「隼生さんって、どんな人だった?」
「え?」
今度はちとさが驚く番だった。
夏生はそんなちとせを見ながら、笑いかける。
「教えてよ、ちとせが好きな隼生さんが、どんな人だったか」
好きだったと、過去形は使わない。
そして、その意図を汲んでくれたのか、ちとせはやんわりと微笑むと、鍋の具材を小皿にとって夏生に渡す。
「私がノロけると長いよ?」
「別にいいよ。一杯のろけなよ」
(どうせこの一年、誰にものろけられなかったんだろうし)
好きな人のことを誰にも言えない日々は、夏生には想像できない。
夏生は、夏生の家族は、好きな人を思い出にするのではなく、自分の中に埋め込んで生きてきた。
だから今の夏生があるし、そのことに深く夏生は感謝もしている。
ちとせが全く夏生と同じとは言えないし、性格も境遇も違うからこれがいい方法かも、夏生には分からなかったが、それでも思い出に消化出来ないほど焼き付いた人のことを、話せない日々は辛いだろうとは思う。
「隼生さんはね........」
ポツポツと話すちとせは正に恋する少女の顔で、夏生はその話にしっかりと耳を傾ける。
今の、西脇ちとせを形づくるものの一端が、確かにそこにあった。




