3 ずっと、寂しい
「浅間夏生です。●●県から越してきました。宜しくお願いします」
卒なく挨拶を終え、夏生は自分の席に着く。
年明け早々、突然現れた転入生に、同級生は興味深々のようで、ホームルームを終えてすぐに、前の席の男が夏生に話しかけてきた。
「俺、郡司 創。宜しく」
人見知りしないタイプなのだろう。物おじせずに郡司は挨拶してきた。
「こんな時期に転入なんて珍しいね」
しかも、思ったことをストレートに聞いてくる。もしデリケートな話だったらどうするつもりなんだと内心夏生は思いながら、
「あぁ、親の都合」
と短く返す。
一々、女と婚約する為に来たんだと言う必要もないだろう。しかし、郡司はニコニコした顔のまま、
「へえ。どんな都合?」
と更に突っ込んできた。
(こいつ、馬鹿か)
これで親の離婚と返したらどんな顔をするんだろうとも思ったが、嘘をつく気にもなれず、夏生は少し諮詢してから、
「言いたくない」
と返せば、郡司はそこで漸く思い至ったのか
「あ、悪い」
と言ってきた。
その様子で根は悪い奴ではないのだろうと伺えた。ただ、考え知らずの馬鹿なだけだ、と評価をつけて、夏生は取り敢えず気にするな、とニコリと笑った。
母親の選んだ新しい学校は、公立で、進学率が6割程度の学校だ。授業は夏生の通っていた高校のレベルの方が高かったらしく、編入試験もなく内申書で入れたのも、そのせいだろう。
(結構可愛い子もいるじゃん)
クラスの半分は、共学校だから当然女子だ。
今までブレザーの高校だったので、セーラー服は新鮮だ。
(これで婚約者がいなけりゃなあ)
とは言っても、婚約者ありきでの転校だ。
わざわざちとせのマンションを選択して越してきたり、金もかかっているし、何より夏生の子孫繁栄がかかってる。
(どうなるんだか)
夏生は小さくため息を逃がした。
☆☆☆
「ちとせちゃん、今週末、飲みに行かない?」
定時直後、同じ職場の白土にそう言われ、ちとせはやんわりと苦笑いを浮かべる。
その笑顔を見て、白土も苦笑で返しながら、
「無理?」
と確認してくる。
ここ数ヶ月、白土とちとせはこんな会話を繰り返している。
「いつになったら誘いにのってくれるんだか」
職場では、一番顔がいいだろうと言われている白土だが、性格面で一番最悪の評価の彼は、空気を読まないウザさで有名だ。
そして、ちとせが断る理由も分かり切っているくせに、白土はちとせに問いかけてくる。
「行けない理由は、俺が嫌い?」
「そんなことないですよ」
寧ろ、白土のウザイ性質であっても相手に対して実直であろうとする面は、同じ様に馬鹿みたいに真っ直ぐなちとせには好ましく思えていた。
ただ、一緒に飲みに行くことは出来ない。
「いつまで操立ててるのさ?」
誰に?とは聞いてこない。
一年と数ヶ月前までは、この職場にもう一人、細くて背の高い、表情の読みにくい男がいたことは、皆、周知の事実だったし、その男にちとせが惚れ抜いて交際までこぎつけていたことも、職場の皆が知っていることだった。
そんな職場だから、白土のこの空気を読まない攻撃に、いつも苛つくのはちとせではなく、周囲の人間で、この時もちとせの二個上で先輩でありながら、友人でもある花川祥子が眉間に皺を寄せながら、白土とちとせの間に立ちふさがる。
「白土、あんたしつこい」
「花川さんのこと、誘ってないし」
「ちとせが強く断らないことをいいことに、ズケズケ土足で入り込んでくんな!」
「そうやって感傷に浸らせ続けるのがいいわけないじゃん。俺はちとせちゃんと話してるんだけど?」
「あんたみたいに、傷口に塩塗り込むのが、正しいやり方だと思うな」
段々、やり取りの口調が激しくなってきたので、ちとせが声をあげてわってはいる。
「サチさん、私、大丈夫ですから。
白土さんもワザとサチさんを煽らないでください」
二人とも何か言い掛けているのを無理やり終わらせて、「私、帰りますんで」と、ちとせは席を立つ。
いつもの習慣で、窓際近くの席を見るが、そこは白土と同期の大島の席だ。以前は別の人間の席だったが、昨年、年明けして直ぐに大島の席になった。
ちとせは「お先に失礼します」と頭を下げて、職場を後にした。
ロッカーで着替えて、さて帰ろうとして、また白土に捕まった。
「途中まで一緒に帰ろう」
「白土さん、車ですよね?」
「家まで送っていこうか?」
「正門までなら一緒に帰りますよ」
ギリギリの妥協案を提示すれば、白土は苦笑しながらその案を受け入れてくれた。
「新しい家、マンションタイプなんだって?」
どこから聞いてきたのか、ちとせが引っ越したことを聞かれ、ちとせは曖昧に「はあ」とだけ返した。
「見てみたいんだけど」
「大したことないですよ」
「でも、綺麗なんでしょ?」
「普通です」
「たまに泊まりにいこうか?」
「遠慮します」
際どいセリフはいつもお互い分かりきったテンポで繰り返される。
会話の内容だけ見れば、白土はちとせにぞっこんだが、ちとせには白土の真意は計りかねていた。
何せ、白土はちとせの恋人だった隼生と職場では一番仲が良かったからだ。33歳と、
27歳で、年齢差こそあれど、寡黙な隼生とよくしゃべる白土は、それなりにお互いに気を許した仲だった。
そんな仲だった相手の恋人に対して、果たして白土が本気でモーションを駆けているのか怪しい、というのがちとせの内心だった。
そうこうしているうちに、工場の門についたので、ちとせは白土を見上げて、
「それじゃ、白土さん、さようなら」
と言った。
白土はニヤリと笑うと、
「寂しいときはいつでも言って」
と返してくる。
ちとせはそれに対しては何も答えず、ニッコリ笑って
「さようなら」
ともう一度繰り返して、白土と別れた。
真冬の帰り道は、定時といえども真っ暗だ。
つい一年前までは、この道を偶に一緒に帰ってくれる誰かがいた。
「ずっと...」
ポツリとちとせの口から言葉が漏れる。独り言だと分かっていても、こぼれてしまう言葉は、誰かに対して向けられたものではない。
いつも自分の内側に向けられるものだ。
ちとせは空を見上げると、ひんやりと冷えた夜空に瞬く星をみつめながら、零れた言葉の先を紡ぐ。
「寂しいですよ?」
それは白土に対して返事をしたわけでもなく、空に誰かがいると信じて呟いたわけでもなかった。
ただ、ただ、自分の隣にいるはずの人がいない【今】を、どうしようもなくて、ちとせは呟いた。
「じゃあ、今晩は鍋にする?」
だから、返事が返されて、ちとせはピクリと身体をこわばせる。
「少しはあったまるんじゃない?」
その声が、一瞬、聞き慣れた人の声に思えて、前を向けば、希望は簡単に覆される。
目の前には、ちとせの自称婚約者が立っていた。
☆☆☆
(どこまで計算づくなんだ?)
夏生はちとせの工場を横目に、そんなことを思いながら歩く。
駅まで徒歩30分かかる高校は、間に大きな工場の横を通学路としてセッティングしていた。
そして、その工場がちとせの勤務先だということに、万に一つの偶然もないだろう。
「くそババア」
母親がこの場にいないことをいいことに、夏生は毒づく。
見上げた夜空は、地元より星が少ない。こちらの方が都会だからだろうし、光源が多いのだろう。
転入の事後処理などで、担任と話して、学校を出たのは5時少し前。
工場の横を通り過ぎたとき、帰宅する会社員が目に付いた。どうやら、会社員も帰る時間らしい。
(あの女もいるのかな)
初めての挨拶は、動揺したちとせに早々に切り上げられて、それから会話していない。
携帯番号など聞き出したかったが、その隙もなく切り上げられてしまった。
今日は家に帰ったら会いに行くつもりだったが、もし帰り道がかち合えばそれも悪くないとは思う。
(まあ、別に嫌な女でもなかったし)
実物は写真より悪くはなかった。
結婚までは考えられないが、ヤれるかヤれないかで判断すれば、8歳年上でもヤれるレベルだ。
まあ、そんなことで判断されているなど、ちとせは思ってもいないだろうが。
工場に向かう側の道と、駅に向かう道が交差する十字路で、工場から駅に向かう人の群れとかち合う。
何気なく先の方まで見れば、とぼとぼと歩く女。
「こんなことってあるのか」
まるでどこかの三流ドラマみたいだと思った。人の流れの間で、ポツンと浮いた存在のように、ぼんやり歩く女は、ちとせだった。
何かを呟いた。
その言葉は聞き取れないが、彼女を待ち構えて立っていると、ちとせはこちらには気づかず、ぼんやりと夜空を見上げ、何かをまた呟いた。
何を言ったのかは分からなかったが、ちとせが今、どんな気持ちなのかは分かった。
「じゃあ、今晩は鍋にする?」
ちとせに聞こえるように話しかけると、ちとせは分かりやすく驚いて立ち止まる。
「少しはあったまるんじゃない?」
そう言って、ちとせの頬に触れると、案の定、夜風にさらされて、とても冷たくなっていた。
「あ、あなた、何でここに?」
「ん? 学校の帰り」
「学校......?」
ちとせは夏生の服に目を遣り、そして更に驚く。
「こ、高校生だったの?」
「うん。高校1年生」
「.........有り得ない」
(うわ、今、浅間の親族、恨んだな、この人)
顔を見ただけで、何を考えているのか分かって、夏生はクスクス笑いながら、
「じゃ、帰ろう?」
とちとせの手を繋ぐ。
「ち、ちょっと! 捕まるから勘弁してよ!」
「大丈夫だよ。ちとせさんにどうこうできる体格差じゃないでしょ」
寧ろ、夏生がどうこうできる体格差なのだが、ちとせの頭はそこまで回っていないらしい。
「高校生って...浅間さんち、何考えてるのぉ?」とブツブツ呟いている。
(思ったより、可愛いじゃん)
長兄の春生を想像していたが、春生と年が近いとは思えないほど子供っぽい。
その子供っぽさに思わず頬を緩めながら、夏生はちとせと駅までの道を帰る。
手を繋いでいたことにちとせが改めて動揺するのは、駅についてからだった。




