2 夢の時間
浅間家には、ちょっと変わった家系的特徴がある。
それは、男子が30歳を過ぎても童貞だった場合、超能力のような力が手にはいるのだ。
その力は初めて性交渉を行った相手に移り、その相手が浅間家の子を宿さない限り、その相手の中に存在してしまう。
しかも、相手の女性が他の男と姦通して、浅間家以外の子を体内に宿すと、その子供諸共死んでしまうのだ。
浅間の血、恐るべし。
と、思った人がいるかどうかは知らないが、高校入学時、夏生は長兄の春生からその話を聞き、
「あ、俺、アウトじゃん」
とキッパリ宣言した。
既に中学2年で年上の女性と初体験を経験していた夏生にとって、全く無意味な話だった。
春生は末っ子の早熟に唖然とし、母は何も言わずに夏生の後頭部を殴った。
そんな風だったから、浅間の血のことなんて、自分に子供が出来たときにまた伝えればいいんだろう、ぐらいにしか考えてなかったし、今時30まで童貞の奴、いるのか?なんて、自分が経験済みだからくる傲慢さで思っていたから、見合いの話の詳細を母親から聞いたとき、夏生は驚くよりも、「へぇー」としか言えなかった。
西脇ちとせは本家の浅間隼生(享年33歳)の婚約者だった。一年前まで。
享年という通り、隼生は昨年、事故死。
問題は、西脇ちとせが、隼生が30歳を過ぎてから、いや、人生で初めての彼女だったということ。
西脇ちとせは、隼生の力を受け継ぎ、結婚して、彼の子供を宿すはずだったのだが、隼生は死亡。
西脇ちとせは、力を持ったままとなる。
勿論、その力のせいで、他の男とは恋愛もできない。
唯一、彼女と恋も結婚も出きるのは、同じ浅間の血を引く男性のみとなる。
本家の隼生には弟がいたが、既に既婚者ということで、一周忌を終えた今、彼女を少しでも楽にしてあげられたら、という本家の温情から、西脇ちとせの婿探しが勝手に始まったらしい。
(まじ、迷惑な話)
好きな男が死んで一年ぐらいでどうにかなるのか分からないが、その見合い話は周り回って夏生の家にもやってきた。
長男 春生 25歳。
次男 秋生 22歳。
そして三男 夏生 16歳。
順当に行けば、長男か次男が妥当な線な筈なのに、夏生の母は夏生に白刃の矢を立てた。
三人の中で一番、女たらしで、女の扱いにも長けすぎている三男の将来を心配したからか。
それとも、何か思うところでもあったのか。
夏生が思うに、間違いなく夏生の女癖の悪さを見限ったからだと思うのだが、それは怖くて聞けない。
(ったく、まじ、貧乏くじ)
女癖の悪いガキの相手をしなくてはならないちとせの方が貧乏くじだなんて考えは、夏生にはない。
こんなところで俺の人生終わった......と落胆しつつ、ある鉄筋マンションの部屋の前で、部屋番号と、そこに書かれた【西脇】という名字を確認する。
そしてピンポンとインターホンを押した。
☆☆☆
いつも起きる直前に見る夢がある。
【ちとせ、好きだよ】
最愛の人の甘い言葉に、ちとせはゆっくりと現実に引き戻された。
日曜の夕方、何をするわけでもなく自分がコタツに突っ伏して寝ていたのだと、それでちとせは理解した。
ぶるり、と一度身震い。
明日から年明け一発目の仕事だっていうのに、風邪を引いたらたまらない。
ファンヒーターの電源に目を向けると、ピ、と電源が指で押してもいないのにつく。次いで、ベッドの上に投げ出していたリモコンが宙に浮き、フワフワとちとせの手元にやってくる。
まるで魔法のような、超能力のようなその力が身について、気づけば一年ちょっと。
まだ一年なのか。
それとも、もう一年なのか。
その答えは、自分の中で出したくなくて、ちとせはテレビをつけて気を逸らす。
そうは言っても、日曜の夕方では、殆ど興味のある番組もなく、テレビは直ぐに消して立ち上がる。
「夕飯、何にしようかな」
先週末に作ったカレーが冷凍して残っていた筈だと思いながら、ちとせはキッチンに向かう。
と、ピンポンと軽やかなインターホンの音。
こんな時間に来客はないし、最近通販を頼んだ覚えもないので、ちとせは「はあい」と返事をしながら、モニタを確認する。
この賃貸マンションに越してきたのは昨年末。このマンションのオーナーが借金で首が回らなくなり裁判所所有マンションとなったらしく、安価での賃貸募集がかかっていたので、何となく気分で引っ越しを決めた。
最愛の人が一度も訪れることもなかったアパートに当然愛着なんてものはなく、まるで何かに急かされるようにこのマンションに越してきた。
カメラ付きインターホンは、外をのぞき窓で確認なんてことをしなくてもいいので助かる。
「はい」
画面に映るのは若い男の子。
ちとせには全く見覚えが無かったが、どこかで見たような雰囲気の男の子が一人、立っていた。
「すいません、上の階に越してきたので挨拶に来ました」
「あ、そうですか」
一瞬、本当か疑いかけたが、確かに上の階はちとせが引っ越しをする際も空いていたので、間違いはないだろう。
ちとせはドアガードを外し、ゆっくりとドアを開けた。
☆☆☆
インターホンを押して、直ぐにちとせはドアを開けてきた。
上の階に引っ越してきたのは確かで嘘は言ってないが、それでも女の一人暮らしで、それだけの確認で開けるのは不用心だな、と夏生は思いながらも、ニコリと笑って
「こんにちは」
と言った。
「こんにちは」
(まあまあ、か)
写真よりは悪くない顔だった。スタイルだって、それ程悪くない。胸も大きめで嫌いなタイプじゃなかった。
出てきた一瞬でそれを判断した夏生は、ニコリと笑って、引っ越しの挨拶用にと母親に持たされたタオルセットをちとせに突き出した。
「階下までわざわざすいませ........」
途中まで言いかけて、ちとせが息を飲む。
多分、挨拶用の熨斗に書かれた名字に、一瞬戸惑いを覚えたのだろう。
(さあて、どうしようかな)
こういう時、どうすれば女の気を引けるかなんて、習わなくても知っていた。
性格とか、容姿以前に、初対面の印象は何より大切だ。
だが、いいこちゃんぶった挨拶が、相手の印象に残ることはまず、ない。
ましてや、過去の男を忘れられないだろう女に、ただ、名前を名乗ったところで、直ぐ忘れ去られるのがオチだ。
切り札は、先に使えるなら使った方がいい。
「俺、浅間夏生と言います。夏に生まれるで夏生。浅間隼生とは親戚です」
スラスラとまるで宅配便が荷物を届けにきたかのように夏生はそう言うと、人懐っこい年上受けする笑みをちとせに対して向ける。
ちとせが呆然としながらも顔をあげ、夏生を見た。24歳の筈だが、背丈は夏生より大分小さい。
そしてその身体のパーツに見合った小さな顔が、まじまじと夏生を見上げる。
何かを確認するかのように。
(隼生さんと似てるとこでも探してるんだろうな)
年が離れ過ぎているせいか、夏生に隼生の印象は殆どない。それでも、小さな頃には本家に行く都度、遊んで貰っていたらしく、去年の葬式には他の兄弟が仕事の都合で参列出来なかったので、夏生が母に付き添った。
だから、もしかしたらその時、ちとせと会っていたのかもしれないが、夏生には生憎覚えが無かった。
況やちとせの方こそ、わざわざ隼生の親戚を覚えることなどなかっただろう。
互いに目を合わせ、十分お互いに認識できただろうタイミングを見計らって、夏生はニコニコしながらちとせに言う。
きっとちとせはその言葉でひどく戸惑うか、傷つくか、分かっていたが。
「俺、浅間家の代表として、ちとせさんの婚約者になりにきました。宜しくお願いします」
「........え?」
一瞬にして青ざめていくちとせの顔。
恐らく今まで、きっと亡き恋人との思い出を感傷しながら生きてきたのだろう。
それが悪いとは言わないが、浅間の家はそれを認めない。それが浅間の温情であり、浅間の禄でもない感傷だと、夏生自身分かっていながらも、こうして来たのだ。
望みもしない婚約者相手に。
相手も望んでもいない求婚をしに。
(夢の時間はおしまい)
夏生は結婚しなければパイプカットだし、ちとせは浅間の男でなければ死ぬことになる。どちらも、自分の意志なんてないところで決められたレールに乗らなければならない。
(自分だけ逃げようとなんて思うなよ)
夏生は茫然自失のちとせの手を掴むと、キュッと握りしめ、これがさも決定事項だと言わんばかりに宣言する。
「宜しくね、ちとせさん」




