次へのプロローグ
兄が死んだ。
車の事故であっさりと、死んだ。
育生は葬式も終え、既に仏壇の人となった隼生を見ながら、ぼんやりと思う。
「兄貴、どうすんだよ」
ぼそりと呟いた言葉は、仏壇の無表情の兄には届かない。
それでも問わずにはいられない。
「嫁さんにする前に死んで、どうすんだよ」
育生の脳裏に浮かぶのは、隼生の婚約者。隼生と10歳違う、自分より年下の女性。
浅間家の力は、浅間家の男子の子供を身ごもらない限り、消えない。
30過ぎまでご丁寧に童貞を保って力を付けて、ようやく伴侶を見つけたかと思えば、本願前に死亡なんて、どこの三流ドラマだと思う。
隼生の婚約者、西脇ちとせは今後、浅間家以外の男子との間に子供を設けられない。
辛うじで浅間家の男子であれば、実は他の男であっても良いらしいことは、過去の言い伝えから分かっていた。
だが、兄を亡くして直ぐに他の男をあてがう話をするわけにもいかず、あまりにも大きな兄の残した置き土産に、浅間家は困惑していた。
「死ぬならきちんと孕ませてから死ねよ」
ポツリとそう愚痴れば、
「ほんと、そうですよね」
と声が返ってきて、育夫は慌てる。
振り返ると喪服姿のちとせがいた。
本当なら葬式の後、直ぐに帰るはずだったものを、育生の父母が引き止めたのだ。
「子種くらい残してくれていっても良かったのに」
そう言ったちとせは涙一つ浮かべていない。
だが、それがより一層、ちとせの姿を儚げに見せていた。
泣きむせぶ母の姿も胸に痛かったが、泣きもせず葬式に参列していたちとせの姿も痛々しかった。
「ちとせさん、大丈夫?」
「はい。明日には帰ります」
仕事も残っているし、と付け加えるちとせはケロリとした顔で、憔悴しきった母と違う。
(一体、何が彼女をここまで強くさせているんだろう)
最愛の人を亡くしたというのに、涙一つ零さない気丈さは、薄情ともとられかねない。
それでも少しの接触しかしてないが、育生にはちとせが隼生を心底好きだったことはわかっていたし、だからこそ、泣けないのか、とも思っていた。
(どこで彼女は泣くのだろう?)
それともどこでも泣かないのか。
「落ち着いたら、また浅間家から連絡行くと思うから」
ちとせをこのまま放っておくことは、情に厚い浅間の人間ならしない。
今は無理でも、いつか、ちとせが幸せになれるよう、尽力するだろう。
「いいんですよ。私のことなんて」
やんわりと距離を置かれて、育生は何も言えなくなる。
兄を亡くしたばかりで、自分もまた途方に暮れているのだと気づいた。
「あ、お夕飯、出来てるんですよ」
そう言って、ちとせは戻っていった。
その後ろ姿を見ながら、育生はもう一度、
「兄貴、どうすんだよ」
とやり場のない言葉を投げかけた。
☆☆☆
「夏生、いい加減にしなさい」
「へー、へー」
浅間 夏生は電車の中、母親の叱る声に適当に返事をして携帯を閉じた。
さっきからうるさいくらい電話がかかってきていた。何度か出たことを母親は叱ったのだ。電車の中で電話をするな、と。
そんなこと、中学3年生の夏生にいったところで、聞くわけもないと知っているくせに母親は叱る。
細かいことにうるさいのは昔からだ。
(俺だって好きで電話出てんじゃねーっての)
電話の相手は、つい最近交際し始めた彼女モドキ。モドキがつくのは夏生はお試しでとしか答えていなかったからだ。
まあ、お試しといいながらも、あっちの方もお試ししたら、全然イケてなかった。
がっかりして縁遠くなるつもりが、相手は一回寝ただけで彼女きどり。大体、中学生相手に本気になる大学生って犯罪じゃね?と、自分のしたことを棚上げして夏生は思った。
親戚の葬式で学校を休んだと話しても、「本当は女と旅行なんでしょ?」と彼女面だ。
いい加減うんざりしたところで、母親からも叱られて、夏生は我慢の限界を超えて、携帯の電源を切ると、そのまま席を立つ。
せめて新幹線だったらな、と思いながら、特急電車の中を歩いていくと、一人の女が目に付いた。
自由席の後ろから二番目の席。平日の昼前のせいかガラガラの車内で、ポツンと女は座ってた。
何で目に入ったのか、不思議に思いながら横を通り過ぎた瞬間、女の声がした。
「ごめんなさい」
(へ?)
一瞬、何を謝られたと思い、二三歩戻って女を見たが、女は窓の外を見ていた。
独り言だったのだとそれで分かる。
女は自分の声が漏れているにも関わらず、もう一度、ごめんなさいと漏らす。
(頭、オカシイ?)
そう思ったが、何だか気になって後ろの空いていた席に座りこむ。
女の声がまた漏れる。
「力......、使えなくてごめんなさい、....さん」
(力?)
「...おさんの為の.....力.......のに......ごめんなさい」
かすれた声は聞き取れないが、誰かに謝っているようだった。
(力、ねぇ?)
誰かの為に力になりたかったのに、なれなかったのだろうか。
車窓には涙を流す女の顔が見える。拭うこともせず、どこにも合わない焦点の目で、ただ、窓の外の誰かに謝っていた。
(変な女)
これ以上覗いて、変な因縁をふっかけられても困ると思い、夏生は席を立つ。
最後に振り向くと、女の肩が小さく震えていた。
人気のない車内で泣く女。
好きな男にでも振られたか、それとも他の何か、か。
どちらにせよ、自分に関係することではないと、夏生はその車両を後にした。
☆☆☆
皆の前で泣くわけにはいかなかった。
ちとせには力があった。
隼生を助けられる筈の力が。
だけど、その力は何の役にもたたなかった。
「隼生さん、ごめんなさい........」
むせび泣く隼生の母を見て、胸が張り裂けそうだった。
自分のせいだ。
そう、強く思った。
本当はちとせのせいではないことは分かっていても、それでも助けられる可能性はあったはずなのだ。
(誰の為の力なの......?)
大切な人、一人守れない。
どんなに強くなっても、どんなに相手を想っても、助けられなかったら、それは無いに等しい。
隼生の為の、隼生の為だけの力だったはずなのに。
【ちとせ、大好きだよ】
優しく心に響いた声はもう聞こえない。
道標のようにちとせの未来を示してくれた人が、もういない。
それなのに........
「はづき、駆けちゃ駄目よ!」
ちとせのいる車両を小さな女の子が駆けてくる。そしてちとせの前で勢いよく転ぶ。
「はづき!」
母親が駆け寄る。
転んだ筈の女の子は、不思議そうな顔で母親を見上げる。
「ママ、ころんだのにいたくないよ。ふわふわしたよ?」
「そう、うまく転べたの。だけど、走っちゃ駄目よ」
親子連れがそのまま車両を通り過ぎていくのを見ながら、ちとせは思う。
(隼生さんがいないのに、何でこの力だけが残ってるの.......?)
先程、子供が転ぶ瞬間に、ちとせは一瞬だけ、子供を浮かせた。その動作はとても簡単で、何故、そんなことが出来るのか、我がことながら虚しくなる。
「せめて、子種位残していってよ、隼生さん」
あなたの子供が欲しかった。
あなたとの未来が欲しかった。
あなたが、欲しかった。
なのに、手に残ったのは、肝心な時に役立たずな力。
ちとせは窓に頭を押しつけると、唇を噛みしめる。止まらない涙はいまだけだ、と覚悟を決める。
好きな人から、たった一つ残された物の大きさに、途方もなく押しつぶされそうだった。
それでもちとせは馬鹿みたいに思うのだ。
それが答えにならなくても。
この力は誰の為に?
全ては浅間 隼生、最愛の人の為にあるのだと。
to be continued...




