16 嘘でも偽りでもなく
10月中旬。絶好の行楽日和。
「だけど、バーベキューにはちょっとシーズンオフじゃないですかね?!」
ビュゥと小さく吹く風は、心なしか少し肌寒い。
大きな河川敷沿いでのバーベキューは、夏こそ楽しむもので、今は明らかにシーズンオフ。
周りにはちとせたち以外は釣り人が遠くに見える程度。
ちとせはバーベキュー用炭コンロの上で熱せられた鉄板で、縁日の屋台よろしく焼きそば作りに奮闘中だった。
「肉、おいしー! 国産和牛ー、おいしー!」
「桃、もう少し落ち着いて食べろ」
隣では同じ型の鉄板で、絶賛、焼肉中のカップルが、鉄板以上にアツアツだ。
当然、桃と大島だ。
「ううう! 隼生さん、プリーズ! 私も温もりが欲しいです!」
「浅間さんは白土と魚釣り中。そんなに寒いなら一緒に鉄板で丸焼かれろ!」
焼きそばソースをかけながら、サチに突っ込まれ、ガクリとちとせはうなだれた。
いつの間にか、桃の発案で決まっていたバーベキュー。
どうやらちとせたちを仲直りさせたくて決まったようだが、当の二人が既に丸く治まっているのを見て、「やらなくてもいいんじゃない?」と提案する者はいなかった。
結局、みんなワイワイ集まることは嫌いではないのだ。
しかも、ストーカー事件で世話になったからと、食材などのスポンサーに隼生と大島が名乗り出たので、かなり贅沢な肉が盛り沢山だ。
(こんなに出したら隼生さんとの結婚資金が!)
なんて思ったが、今まで清く正しく、大した趣味もなく勤勉に働いてきた隼生には、全く頓着しない金額のようだった。
「少し無理すれば新居の頭金まで賄える」
と真顔で言われたときは、自分、でかした!と内心思ってしまった位だ。
「しかし、昨日まで土砂降りだったから心配したけど、雨がやんで良かったよね」
肉を頬張りながら、桃が言った。今日の桃は肉のおかげでいつも以上にご機嫌だ。桃はちとせが思っている以上に食いしん坊なのかもしれない。
(そんな私は隼生さんが近くにいないからさみしん坊)
ふふふ、うまいこと言った!と内心思っていたら、
【ダダ漏れだ、馬鹿】
と隼生の声が聞こえた。
釣りにいっているのだが、100メートル位離れていても声が聞こえるようになっていたので、どうやらちとせの声が聞こえてしまったらしい。
【えへへ、隼生さん、大好き】
【.......俺も】
ガチャン、と思わずフライ返しを鉄板に落としてしまう。
「ちとせ、何してんのよ!」
サチが呆れた声でちとせを諫めるが、ちとせは顔を真っ赤にして、俯いてしまう。
(まさか、返してもらえるとは.......)
心が通じるようになって、思った以上に弊害が出たのは、隼生ではなく、ちとせの方だった。
というのも、隼生は口にしないだけで、実は、かなり、ちとせのことが好きらしいということが分かったからだ。
仕事中も、パソコン画面を真顔で隼生は見ているはずなのに、
【疲れたから、ちとせに触りたい】
なんて声がちとせの頭に届くので、ちとせは一人挙動不審で桃やサチたちに心配されてしまう。
【ちとせ】
【ちとせ】
言葉にしなくても、どれだけ自分のことを気にしてくれているのか、こんなにも思ってもらっているなんて、思いもしなかった。
【ちとせ、作ったらこっちこいよ。何も釣れなくて暇】
隼生の声に、ちとせも頭の中で返す。
【白土さんがいるでしょ?】
【白土、お前と仲直りしたのが気に入らないらしくて、グチグチ煩い。だから、お前とイチャイチャして黙らせる】
「ぶっ。子供ですか」
思わず口に出してしまうと、サチが「は?」と聞き返してくる。
「あ、すいません。独り言です」
「ちとせ、最近独り言多いよね? 大丈夫?」
サチにしては珍しく真顔で心配されてしまったので、ちとせは苦笑しながら、
「最近、隼生さんの愛が嬉しくて.......」
と返した。
「あー。今すぐその顔を川につけてこい。
焼きそばは私が作るから、思う存分いちゃついてこいやーー!!!」
サチが呆れ顔でフライ返しをちとせから奪った。そしてシッシッと獣でも追い払うみたいに手を振られてしまう。
「あう、サチさん、冷たい」
「あんたのノロケに耐えられるほど、私は現役じゃないの!」
自分だって彼氏がいるくせに、とは思ったが、同棲して長いらしいので、もう夫婦みたいなものなのかもしれない。
(いつか、私もサチさんみたいに、隼生さんと一緒に住めるのかなあ?)
想像してみたかったが、何だかワクワクしすぎて逆に出来なかった。
【ちとせ、住みたいの?】
隼生の声が頭に響いてきて、妄想まで丸聞こえだったらしい。
【え、その……】
なんて返していいのか分からずにどもっていると、隼生からの声が届く。
【俺はいつでもいいよ】
「え…」
【ちとせが住みたくなったら、いつでも一緒に住もう。なんなら新居探してもいいよ?】
「わ、私、トイレ行ってきます!」
ちとせはそう叫ぶと、顔を赤くしたまま駆けていく。これ以上、あの場所にいたら間違いなく一人にやけてしまったからだ。
【隼生さん、ずるい……】
心の中で抗議したが、隼生からの返事はなっかった。トイレは100メートルを越えているのかもしれない。
そう思いながら、それでもゆるんでしまう頬もそのままに、ちとせはいいわけだったはずのトイレにかけこんだ。
☆☆☆
「何、ひとりでにやけてるんですか?」
珍しく頬を弛ませた隼生を見て、白土が面白くなさそうに話しかけてきたので、隼生は表情を戻して、
「別に」
と返す。
「なんにもないような顔には見えませんけどね」
「何にもないわけじゃないからな」
「うわ、感じ悪い」
「そんなの、昔からだろう」
それでも、ちとせとつきあい始めて、いかに自分が言葉足らずだったのか、思い知らされた。
ちとせの力のおかげで、二人の間では心が筒抜けだが、それで漸く自分の言葉が足らないことを理解した。
ちとせは想いを伝えれば伝えるほど、響く。嬉しそうに顔を綻ばし、恥ずかしそうに目尻を赤らめる。
隼生が言葉で伝えなかったときには見られなかった様子だ。
言わなくてもわかっていると思っていた。だけど、言わなくては分からないことの方が多いのだと、初めて知った。
(こういうのが、恋っていうのか?)
33年間生きてきて、初めて訪れたこそばゆい感覚に、やはり意識せずとも頬を弛ませてしまうと、白土がバシャリと水をかけてきた。
「白土ぉ?」
眉間に皺を寄せて白土を見れば、白土は初めて釣れた魚をタモで引き寄せながら、
「すいません、ワザとです」
と悪びれもせずに言う。
「お前なぁ!」
「何で仲直りしたのかわかんないんすけど、そのニヤニヤ顔は、流石の俺もイラッとします」
いつも人を苛つかせる天才が、逆にイラついたらしく、隼生は何か言いかけたが、代わりに何も言わずにニヤリと笑ってみせる。
それだけで白土には分かると思ったからだ。
案の定、白土は酷く苦いものでも食べたかのように顔をしかめてから、
「うわ、まじムカつく!」
と笑いながら言った。
互いに気心が知れているから、何も言わなくても通じる。
ちとせもそうだと思ったのだが、どうやら男女の間には越えられない高い壁があるらしい。
【隼生さん、そっちいってもいいですか?】
頭の中にちとせの声が高い壁を乗り越えて飛び込んでくる。
【あぁ、待ってる】
隼生はすかさず心の中で返事をする。
【ちとせ、好きだ】
【へ? う、あう!!】
頭の中の声なのに動揺するちとせが可笑しくて思わず口元に笑みを浮かべてしまうと、白土が「思い出し笑いなんて、最低だよ、浅間さんっ!!」とまた水をかけてきた。
隼生はそれを避けながら、頭の中で【早くおいで】とちとせに呼びかけた。
力の大きさは相手を思う強さに比例するのだとちとせから聞いて、そして実体験して、如何にちとせが自分を好きでいてくれるのか知った。
隼生の気持ちがその強さに適うのかと言われるとまだ自信はない。それでも日毎、想いが募るのは嘘でも偽りでもなく、言葉に出来なくても伝えられる有り難さを噛み締める。
そして、囁く。
ちとせが恥じらうその声を聞きたくて。
【ちとせ、好きだよ】




