はじまり
※注意※ この作品は、第一章で、主要人物が一人、さくっと、死にます。それでもよいという方は、どうぞご笑覧ください。
西脇ちとせが、浅間隼生に惚れたのは、何てことない会社の飲み会の一言がきっかけだった。
派遣としてその職場に入ってきたちとせは、御歳23歳。花も恥じらうと言えば聞こえがいいが、女がてらに空手を手習いとしてこよなく愛していたせいか、やや、色気というものがなく、そのせいで大学時代に付き合っていた彼氏には振られてしまった。
挙げ句の果てに、その歓迎会では酔っ払った上司に絡まれて、
「新人の癖に偉そうだ」とか「女が二杯目から日本酒なんて、色気がない」とか暴言を吐かれ、これが自分の歓迎会でなかったら、上司の意識は軽く側足蹴りで飛ばしている、と物騒なことを考えていたりした。
そんな不機嫌極まりない時に聞こえてきたのが、これから同じ職場で仕事をする浅間隼生の一言だ。
「いや、十分色っぽいでしょ?」
色気がないと暴言を吐かれていたちとせに対して浅間はそう言うと、自分の目元を抑えて、
「ほんのり赤い。色っぽい」
ともう一度、言った。
ちとせにとっては、それだけで十分だった。
色気皆無の自分を褒めてくれた相手。
一番欲しいときに、一番ほしい言葉をくれた相手。
それだけで、十分好きになる理由になった。
後付けで、実はシャイなところとか、仕事をしっかりするところとか、33歳という年齢の割には中年太りもせずにほっそりとした体型とか、色んなところに惚れていったが、根本はいつまでも変わらなかった。
だから......
「え。あ、れー?」
酔った勢いで、美味しく浅間をいただいた翌日、ちとせは浅間の部屋で思いもかけないことに遭遇する。
さっさとちとせを置いて洗面所に行ってしまった浅間に対して、寂しさを感じながら、昨晩ベッド横に放り投げた下着を手に取ろうとしたが、届かなかった。
(うー、届けー!)
そう念じながらちとせが手を伸ばした瞬間、パンツが宙に浮いた。
「え、え、え?」
そのパンツを浮かしているのは自分だと、直感で分かった。何となく、力を込めている感覚が手先にあったからだ。
(私、昨日までこんな力、無かったよね?)
戸惑いつつもパンツを浮かせていると、洗面所で顔を洗い終えた浅間が戻ってきた。
空に浮くパンツ。
呆然とする浅間。
どうしようか、一瞬ちとせは戸惑ったが、取りあえず場を誤魔化すためにパンツを浮かせたまま、浅間に問いかける。
「浅間さん、私に何かしました?
私、昨日までこんな力、なかったんですけど...」
勿論、浅間が何かしたとはちとせは思っていなかった。
ただ、誤魔化すための問いかけのはずだった。
だが、浅間は眉間に皺を寄せると、深くため息を漏らし、言う。
「浅間家の男子は代々30才まで童貞だと、そう言った力を使えるようになるんだ」
「........」
(え、何、そのネットの都市伝説みたいな話.....)
何も言えないちとせを見ながら、至極真面目に浅間は言葉を続ける。
「だけど、一度女と寝てしまうと、その女に力が移る。だから西脇のその力は、本来は俺の力」
(え、え、え......?)
あまりの展開に声も出なかったちとせが、暫く諮詢した後、呟いた言葉は一つ。
「浅間さん、童貞だったんですか?」
その日、ちとせは思いもかけない力を手に入れた。
本当に手に入れたかったのは、彼の心。彼の身体。
だけど、ちとせが手に入れたのは、三十路過ぎの魔法使いの力だった。