8.戻れるといいですね
8.戻れるといいですね
将門にしてみれば、まったくの計算外だった。 それは、井川と共に引き寄せてしまった志田の存在だった。 しかも、志田がこっちへやって来たのが三年前の時代だったこと。
将門の知らない間に、強大な勢力を得た志田が一時は味方についていたのも歴史を変えて元の時代に戻るための策略だった。 しかし、結果的には大きな変化をもたらすには至らなかったがために、今の事態を予測することができなかった…。
普通なら、その時代にはない武器や戦術を駆使して戦う、志田を警戒して当然なのだが、飛ぶ鳥をも落とすほどの勢いがあった当時は志田の軍といえども、裏切れば一瞬にして葬り去ることもたやすいとうぬぼれていた。
その志田が、今では自分を脅かす一番の敵に変わってしまったのだ。 その志田がまさか井川と共に自分自身で呼び寄せた者とはつゆほども考えていなかった。
考えてみれば不思議な話だ。 志田に追い詰められて影武者を呼び寄せた。 それによって志田が現れた。 影武者を呼び寄せなければ志田が現れることもなかった…。 歴史とは数奇な縁の上に成り立っているものなのだろう。
「運命を変えることは無理なのか…」 将門はぽつりとつぶやいた。
「運命を変えるとは…」 内官の一人が不思議そうに将門を見た。
「いや、何でもない。 先を急ごう」 将門はそう言うと足を速めた。
今とは比べ物にならないほど澄み渡った夜空の星を眺めていた志田は、付の中から舞い降りてくる一羽の鳩の姿を捉えた。
志田が差し向けた偵察兵は既に将門の姿を確認していた。 偵察兵はふところに忍ばせていた鳩の足に文をくくりつけると、そっと空に放った。 伝書鳩を使った連絡手段も志田が用いた策だった。
鳩は志田のそばに舞い降りると、志田がばらまいていた米粒を食べ始めた。 志田はある程度食べさせてから鳩を抱き寄せ、足に結び付けられた文を外した。
『十里先獲物確認』 文にはそう書かれていた。 志田はニヤリと笑い、全兵士に合図を送った。
井川は最後の酒を一気に煽った。 名取と青田は「もったいない」とため息をついた。
「何を言ってるんだ! こんなもんいつかはなくなるんだ。 チビチビやってても酒の味が薄れるだけだ。 あとはこいつで十分だ」 そう言って、道中で集めた護衛兵が持ち寄った酒の瓶を指した。
「まあ、確かに部長にかかれば酔えれば何でもいいんだろうけど…」 名取は口惜しそうにうなだれた。
良介と知美は合流した兵士たちに武器の材料を集めさせた。 志田の兵士が使っていた武器を見本に同じ武器を作るためだ。 今でいうボウガンのよな武器は弓を引いたことのない農民にも簡単に矢を放てるような工夫がされていた。
「さすが社長だな。 学生の時にアーチェリーをやっていたんだったよな」 良介は志田が作った武器を見ながら感心した。
「あら、そうじゃないわ。 社長がやっていたのはサッカーよ」と知美。
「あれっ? おかしいな。 誰かにそんな話を聞いた覚えがあるんだけどなあ」
「それは多分、わたしが弓道をやっていて、最近アーチェリーを習い始めたっていう話を社長がしたんじゃないかしら」 照れくさそうに知美が言う。
「えっ? 誰だって?」 良介は思わず聞き返した。
「高校生の時は弓道部だったんですよ、私」 知美はそう言うと、そばに置いてあった弓を掴むと弦に矢を掛け思いっきり引っ張り良介の方に向いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」 良介がよける間もなく知美は矢を放った。 矢が良介の顔をかすめると、目を引きつらせて尻もちをついた。 矢は良介の後方の木を這っていた蛇に命中していた。
「三年生の頃にはインターハイで三位になったこともあるんですよ」 そう言って知美は尻もちをついた良介に右手を差し出した。
十里あった距離を志田は一晩で一気に詰めた。 将門は既に甲斐の国に差し掛かろうとしていた。
「どうやら間に合ったな」 志田は携帯用の双眼鏡を取り出し、将門の姿を観察した。
双眼鏡は井川と良介たちが志田の陣を訪れた時、たまたま良介が持っていたものを借りていた。 良介は昼間、年始あいさつで中山の顧客を訪れた際、ちゃっかり競馬場へ足を運んでいた。 それを知っていた志田は良介に馬券を頼んでいた。
志田は双眼鏡をしまうと、財布からくたびれた馬券を取り出し、しみじみと眺めながら苦笑いした。
「このままじゃあ、これもただの紙くずだな」 そうは言ったものの、馬券は再び大事そうに財布に戻した。 そして兵士のもとへ戻ると、将門を捉えるための指示を出した。
良介と知美は集まった材料を確認して頷いた。
「何とか使えそうだな」 良介が言うと知美もニッコリ笑った。
「あとは私が見ておきますから日下部さんはみんなのところへ戻ってもいいですよ」そう言って知美は大工の棟梁のもとへ歩き出した。
本陣に戻った良介は名取と青田の横に座った。 名取が馬券を取り出してしみじみと眺めていた。
「今日の金杯、どうなったかなあ…」
「なんだよ、仕事もしないで競馬場に行っていたのか?」青田が咎めるように言う。
「違いますよ! 新宿のお客さんのところへ行った帰りに場外馬券場で買ったんですよ」良介は名取の馬券を覗きこんだ。
「それはハズレだな」 それを聞いた名取は「マジっすか?」と聞き返した。
「ああ! 1着が1番で2着が4番。 ちなみに3着は16番だった」
「1-4-16ですか? けっこう付いたんじゃないですか? 日下部さんも買ったんですか?」
「ああ。 馬連でも3千5百円付いた」 良介は、自分の馬券を取り出して名取に見せた。 もちろん、当たってはいなかった。
「社長は馬連を取ったよ。 しかも一万」
「ということは、35万? それじゃあ、今日は社長のおごりで一杯イケますね」
「そうだな」
「戻れるといいですね」 青田がしみじみと言った。
良介は消えそうになった焚火に薪を放った。 井川は相変わらず、今日子を隣に置いて飲んだくれていた。
その頃、志田の兵士たちは密かに将門たちを取り囲んでいた。