7.歴史の壁
7.歴史の壁
将門を追跡している井川は確信していた。 将門は都へは行けないと。 その根拠は“歴史の壁”だ。
本来なら、この時期、将門は藤原秀郷と平貞盛の大軍と戦っているはずで、翌月2月には2月1日には秀郷軍に惨敗、13日には秀郷・貞盛により本拠地は焼き払われ、翌14日、幸島郡北山で戦死しているのだ。 もっとも、この知識は“歴女”知美からの受け売りなのだが、いずれにしても将門の死期は近い。 そう考えると、このまますんなりと、将門が都へ行けるとは思わなかった。
井川と志田の軍勢が西へ移動したという情報は、すぐに藤原秀郷にも伝わった。 年が明けてから優勢に戦を進めて来た秀郷はこの機を逃すまいと、貞盛と共に将門の軍勢に迫ろうとしていた。
「お館様、大変なことになりました」 志田の偵察部隊から緊急の連絡が入った。
「なんで? どうした? 将門を見つけたのか?」 井川は湯呑を片手に赤い顔をして偵察兵に言葉を返した。
「藤原秀郷の軍勢が迫っております」 偵察兵が声を荒げた。 井川は焦った。 自分は意気揚々と将門追撃に出ているのだが、周囲から見れば影武者の井川が将門なのだ。 その将門が動いたとなれば敵方は当然、迎え撃ちに出る。
「しまった! すっかり忘れてた」 井川は少し考えると、知美を呼んだ。
「佐々山さん、このタイミングで将門に援軍を送ってくれそうなヤツはいないのか?」
「どうかしたんですか…」 知美は不思議そうな顔をして訊ねたが、井川の顔が青ざめているのを見て今の事態を察した。
「もしかして、敵に見つかったんですか?」 知美の言葉に井川は頷いた。
「そうですねぇ…」 知美はしばらく考えていたが、思い当らなかった。 この時期、劣勢だった将門の軍は、どこの部隊も疲弊していて、今、ここにいる兵以外は役に立つとは思えなかった。 しかし、史実が本当なら、将門は領民に慕われていた。 知美が志田と過ごした3年間もどこの民も将門を新皇として崇めていた。 だが、今では志田を神と崇める民は志田の一言で新皇将門の命も躊躇せず、取りに行くだろう。
「この辺りは割と大きな集落が点在しているようです。 領民を味方につけましょう。 藤原秀郷も民を相手に戦えないでしょうから」 そうは言ったものの、どうやって領民を味方につけるのかは知美も考えていなかった。
「なるほど! そいつはいい。 成禎将軍を呼んでくれ」 知美に告げると、進軍を止めるよう指示を出した。
井川は、いちばん近い集落のはずれに陣営を構え、領民たちを招いて宴を開いた。 一方で志田に使いを出して、秀郷・貞盛の背後に回るよう指示した。
宴の席で井川は、遠征のために用意した現代風の酒や料理を惜しげもなく振舞った。 そして、領民たちに自分の護衛兵に志願すれば生涯生活に困らないだけの富を与えると約束をしたのだ。 そうやって、行く先々の領民を抱きかかえ、またたく間に大軍を作り上げた。
将門軍の兵士の数に恐れをなした秀郷・貞盛は体勢を立て直すために一時兵を引き、距離を取りながら様子をうかがうことにした。 ところが、近代の武器を駆使する志田の精鋭部隊に奇襲されると、兵たちは散り散りに逃げ去ってしまった。 秀郷は茫然と立ち尽くすしかなかった。
「クソッ! 兵士を集めて体制を整えるのに何日かかる…」 秀郷は側近の部下に向かってつぶやいた。
「しかし、あの奇襲部隊、妙な武器を使う…」 そして、貞盛は得体のしれない恐怖を感じていた。
井川の陣では本体が戦わずして、敵を退けたことで士気が高まっていた。 兵士たちも久々の勝利に酔っていた。
「これで少しは時間が稼げるな」 井川はその後も領民から護衛兵を募りながら将門を追って進軍した。
その頃将門は山林の中を抜ける街道を進んでいた。 ところが、途中で道が倒木にさえぎられて進むことができなくなっていたのだ。
「お館様、どうしましょう? これでは先に進めません」 同行している内官が途方に暮れた。
廻り道をすれば10日は余計にかかることになる。 将門はそんなにゆっくり進むわけにはいかなかった。 なぜなら、井川が近くに迫っていることを感じ取っていたからだ。 つまり、自分が狙われていることを察していた。 将門にしてみれば予想外のことだった。 しかも、井川と一緒に最大の敵である藤原秀郷と平貞盛までが近付いている。
将門は内官たちに命じた。 「下がっていろ」 そして、倒木に向かって右手をかざした。 すると、倒木がゆっくりと中に浮かび始めた。 内官たちが目を丸くして驚いていると、倒木は左右に蹴散らされ、あっという間に道が開けた。
「急ぐぞ。 何としてもあのものより先に都へ着かねばならぬ」 将門は二人の内官を引き連れ先を急いだ。
将門が山道に入ったという情報は志田のもとへ伝わっていた。
「さすがだな。 俺たちが真っ直ぐ自分の後を追ってくることに気付いたな」 志田はかすかに笑みを浮かべた。 そこにはサラリーマン社長の面影はみじんもなかった。
「社長様、願ってもないチャンスですね」 志田の側近がつぶやいた。 長く志田と一緒にいるので、“チャンス”などの言葉を使いこなす。 そして、知美と今日子が読んでいたように志田のことを“社長”と呼ぶ。
「お前もそう思うか? ならばどうする?」 志田は嬉しそうにその側近を見た。
「はっ! 私なら精鋭3人お貸しいただければ、生け捕りにしてまいります」
「ほーう、将門は手ごわいぞ。 超能力を使うからな。 それでも出来るかな?」
「はい! 必ずや!」
「分かった。 3人選んで連れて行け」 志田が許可すると、側近は深く礼をし、下がって行った。
井川は相変わらず、領民を吸収しながら志田に続いていた。 しかし、一つだけ問題が生じていた。
「あとどれくらいある?」 井川が神妙な面持ちで知美に尋ねた。
「それが最後の1本ですよ」 知美が非情な言葉を平然と言う。 志田が作り置いていた酒がもうなくなったのだ。 井川にしてみれば、敵に襲われることより深刻な問題だった。