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海の見える家で、愛する人とネコチャンと

作者: 葉月はるか
掲載日:2026/11/05

真っ暗闇の中に浮かぶ灯。

そこに一人立つ美しい女性がいた。

淡い金の髪、白いドレス。まるで女神だ。


「貴女はこれから異世界へと旅立ちますが、何か望みはございますか?」


そこで私は死んだのだと知る。

死んだことはともかく、転生なんて望んでいないのだが。


「……それは、どういう家に生まれて、どんな暮らしをして、どんな人と結婚して、みたいな望みですか?」

「ええ、何でも構いませんよ。全て叶えられるとは限りませんが、できる限りの望みをお聞きいたしましょう」


小さく息を吸い、深く吐く。


「では、海の見える家で愛する人と二人暮らしがしたいです。何をしても褒められ、働きすぎると怒られる、そんな生活がいいです。あとネコチャンください」


女神は微笑んだまま答えた。


「承知いたしました。来世の貴女が幸多くあることを願います」

「ありがとうございます」


前から真っ白な光が近づいてくる。それはきっと転生の合図だ。

言い忘れたことを思い出し、女神の方を振り返ると、もう彼女はいなかった。


「待ってください、ネコチャンは三毛猫がいいです!大きめだと嬉しいです、貰い手の少ない二歳以降でー……


視界が眩くなる。私の意識はそこで途切れた。


***


暗い部屋の中、埃を被ったシャンデリアを見上げる。天井には色褪せた模様が描かれている。

かつては見事な装飾の家だったんだろうな。お金持ちだったんだろうな。


「……あれ、かつて、って」


私は自分の手のひらを見つめる。白く細い指は記憶の中の私のものではない。

私は誰なんだ?そう思ってベッドから起き上がる。ベッドの、床の軋む音がひどい。


塗装の剥げた姿見に映るのは、焦げ茶色の髪をただ伸ばしただけのような、地味な女の子だった。ダークローズ色のワンピースは、これまたずっと着回しているのだろう、毛玉とほつれがひどかった。


「……転生してる」


最近流行っている異世界転生を、自分ができたと思うと何だかこそばゆい。鼓動が少し速くなっている気さえする。


私はどこの誰なのかしら?

そう思って扉を開けると、入れ違いに入ってくる人と思い切りぶつかった。


「うぷっ」

「すまない、怪我はないか?ルー」


私の顔の前に胸元が来るほど、その人は大柄だった。やや赤みがかった髭をたっぷりとたくわえたその人は、多分私の父なのだろう。


「……ごめんなさい、私が不注意でしたわ」

「いいんだよ、ルー。それより、大事な話があるんだ」


私の両肩に置かれた手は大きく、温かい。だけれどその男性の瞳はとても悲しそうに細められていた。


居間へ行くと、母、姉弟たちが揃って琥珀色のテーブルについていた。

皆が私の前を歩いていた父の方を見ている。父は真ん中に立つと、口を開いた。


「かつて侯爵家にも匹敵すると言われた我がヴェルメイユ家も、今ではこの通り、没落の一途を辿るばかりだ。使用人を雇う余裕はおろか、お前たちにドレス一着すら仕立てられない、貧しい家になってしまった。ここにいてももう満足に暮らしてはいけない。そこでだ、お前たちに我が家の残り少ない財産を分けようと思う」

「お父様……」

「長女のリィンには王都からは遠いが、北の小さな農園と旧領主邸を。長男のラグには港の管理権と商船を二隻。次女のルーには海沿いに建てられた屋敷とその一帯の土地を、それぞれに譲ろう」


その言葉に母と姉は涙を流し、私と弟は訳が分からず、呆然としていた。すると姉が私を抱きしめ、頭を撫でてくれた。


「ルー、ラグ、お前たちは幼くてまだ訳が分からないわよね。あのね、お父様はこう言ったの。もうこの家では貴女たちを養うことが出来ないから、この家を出て、譲った財産で暮らしなさいと……」


姉は私の肩に顔をうずめ、すすり泣いていた。私はそんな姉を抱きしめるほかなかった。


うーん、転生後の世界、思ったより重いな!私はともかく、まだ中学生ぐらいの弟ぐらいは何とかしてあげて欲しいな、切実に。


***


さて私は転生直後にいきなり家族離れ離れになって、念願の海が見える家に追い出されたわけだが。


「愛する人はドコデスカ……?」


ネコチャンについては具体的に考えていたが、愛する人については何も考えてなかった。どんな人が現れるのだろう、わくわく半分、恐怖半分である。

ターコイズブルーの屋根、白い壁。少し距離はあるが、高い丘の上の庭先からエメラルドの海が見える。

風に乗って潮の香りもする。素晴らしい。問題は家が補修が必要なほどボロボロで、直してくれる人などいない、ということだ。


黒く塗られた鉄飾りのついた白いドア。あちこち木が剥がれ落ち、取手は今にも取れそうだ。その取手に手をかけ、引こうとすると。

内側からドアが開き、私はバランスを崩しつんのめった。


「……誰だ?」

「えっ」


顔を上げると、そこには大きな三毛柄のネコチャンを肩に乗せた、背の高いおじさんがいた。

三毛猫チャンは肩の上から首を伸ばすと、私の顔をふんす、ふんすと嗅ぐ。ネコチャンと鼻キッス、なんて素敵。


「トロワ、このお嬢さんは怖くないのか」


そう言われて改めておじさんをまじまじと見る。長い、白髪混じりの黒い前髪から見えた、黒いつぶらな瞳、顎と鼻下の無精髭。その目は何故か私を惹きつける、優しい目だった。


三毛猫ちゃんはおじさんの鼻をすんすんと嗅ぎ、頬に頭をこすりつける。なんて優しい光景だろう。

だがしかし、この人は誰なのだ。父は『使用人はいない』と言っていた。


「……あの、大変申し上げにくいのですが、この家はヴェルメイユ家の別邸でして……どちら様ですか?」

「え、ああ、持ち主か。まいったなこりゃ……」


おじさんは首の後ろをがりがりと掻く。無人の家に住みついた流れ者の方なのかしら。

貴族のお嬢さんと不審者。あまりよろしくない状況だが、不思議と怖さはなかった。ネコチャンのせいかも。


「おじさん、私はヴェルメイユ家の次女、ルーと申します。といっても、ロクな財産もない落ちぶれた貴族でして。ついこの間この海沿いの家を譲るから、一人で暮らしなさいと言われたのです」

「……そっか、お嬢さんも大変だなあ」

「そこで、一つご提案がございまして」


ここからが勝負どころだ。


「おじさん、住むところに困っているのでしょう?私は住むところ以外に困っているのです。手を組みませんか?」

「と、いうと」

「一人暮らしをしたことがなく、買い物の仕方も料理の仕方も分かりません。手伝っていただけないでしょうか」


大嘘である。前世の私は一人暮らしをしていたし、一般的な家事は一通りできる。が、私の野望のための方便なのだ。


「……君は俺が怖くないのか?どこの誰とも知らない輩だぞ?俺がこの場で君を殺してこの家を手に入れても、誰にも気づかれないんだぞ?」

「こんなに人懐こい猫の飼い主さんが、悪い人の訳がございません。私は人を見る目は確かです」

「……まいったな」


おじさんの二回目のまいったな、が聞こえてきた。おじさんは目を伏せ、後頭部を掻いている。ネコチャンの瞳孔は三日月のように細く、穏やかな表情をしていた。


「なあ、トロワ。今日から三人暮らしになってもいいか?」

「ぐるるるる」

「まあ、喉を鳴らしてます」

「俺とお嬢さんは親子ほど、いやそれ以上に離れているが、大丈夫か?おじさんだぞ?」

「問題ありません、猫と海沿いの家で暮らすのが夢でしたから」

「たくましいお嬢さんだなぁ」


呆れたようにため息をつかれる。交渉は成立したらしい。

カードは揃った、後はこの家で『愛する人』を探すだけだ。


***


二人と一匹暮らしが始まった。


おじさんは『ブルーエ』さんと言うらしい。

ブルーエさんは自分のことは何も話さなかったが、家事のこと、買い物の仕方、猫のことなどは何でも教えてくれた。


ブルーエさんは私に火を使わせてくれなかった。包丁も持たせてくれなかった。

私の担当はもっぱら掃除と三毛猫『トロワ』の世話であり、空き時間に寝たり、本を読んだり、トロワを観察したり、海へ散歩したり。

とにかく私は自由を謳歌した。一生分の自由を謳歌したんじゃないかと思うほどだ。


***


「おかえり。今日も海を見ていたのかい」

「ええ、少し曇りの日でもエメラルド色が深くて綺麗なのです。雲の影を見ていても飽きないです」

「今日はキッシュにしてみたよ、お口にあうかな」

「わーい!キッシュ、大好きです」


二人と一匹の生活には、意外と早く馴染んだ。と思う。

ブルーエさんがあまりに身の回りのことをささっとしてくれてしまうので、時々申し訳なくて手伝おうとするのだが、止められてしまう。

料理を始めとした家事全般が大好きらしい。何でも、一人暮らしの時には味わえなかった、『料理を振る舞う』ことに喜びを感じているのだとか。

私は料理は嫌いだし掃除は苦手だし、こう言っちゃなんだが、win-winの関係である。

ブルーエさんの手料理はそれはそれは美味しいのである。一口食べると芳い香りが広がり、二口、三口食べると味が変わる。果物を多めに使っているみたいだ。けど詳しいことはよく分からない。


『どうだ?』と聞かれるたびに、『よく分からないけどとても美味しいです』と答えてしまうことに、若干申し訳なさが伴う。でもブルーエさんはその一言でにこにこの笑顔になってしまうので、まあいいか。


トロワは普段はとても臆病な猫らしい。こんなに大きいのに。(十キロぐらいはありそうな、大型猫)

人の足音ですぐ逃げてしまうので、私に懐いたのは奇跡なんだとか。


食事をしながら、私はブルーエさんに秘密の計画を打ち明けた。私の野望に足りないのはあと生涯を共にする人なのだと。

ブルーエさんは『いつか王子様が迎えに来てくれるといいな』と笑うのだが、そうなったらブルーエさんはお役御免になってしまうのである。それはあまりに気の毒なので、雇ってあげようかなとも思った。この料理の腕だもの、きっとまだ見ぬ彼も気にいるでしょう。


***


たまに、ブルーエさんとトロワと一緒に、海辺を散歩する。

その時決まって、ブルーエさんは海の遠くの方を見つめるのだ。

その目は悲しそうというよりは、寂しそうで。まるで海の向こうに大事なものを置いてきてしまったみたいで。

だから私は黙って手を繋ぐし、トロワは頬に頭をこすりつけ、鼻頭を舐めるのだ、


「痛いよトロワ、お前の舌はざらざらのトゲだらけなんだから」


そういいつつも嬉しそうな顔が可愛い、と思っているのは内緒。


***


ある時、カタンと郵便受けがなって手紙が届いた。

こんな辺境の家によく郵便物を届けられたな、と感心するも。その手紙の差出人を見てブルーエさんは目を見開いた。


「……いや、もう俺には関係のないことだ」

「どうしたのですか、ブルーエさん」

「なぁん」

「何でもない」

「すごく『話を聞いてくれ』というお顔をしてますが」


ブルーエさんは黙っていたが、私とトロワの熱視線という、無言の圧力に負けたのか、口を開いた。


「俺はね、海の向こうの大陸から海を渡ってここに来たんだよ」

「すごいです、船旅ですね」

「海の向こうの仲間たちが『帰ってこないか』と言ってくれているんだ。でも、俺に帰る資格なんてないんだよ」

「帰るのに資格なんていらないのでは?」

「……俺はね、一番守りたかった人を守れなかったんだ」


そう言ってブルーエさんは私の頭にぽん、と手を置く。すると私の隣にトロワが来た。ブルーエさんがトロワにも手を乗せると、トロワは満足そうに喉を鳴らした。


***


それから二年の月日が経ち、私は十九になった。家族からも時々頼りが届き、『大変なこともあるが、何とかやっているよ』とのことだった。


その日、ブルーエさん宛に手紙が届いた。

ブルーエさんは封を開き、手紙を読むと、みるみる憔悴した。


「ブルーエさん?」

「……俺のいた国に、凶暴な魔物が出たらしい。行かなければ、ああでもどうやって」

「海の向こうですか?大丈夫です、我がヴェルメイユ家は海洋貴族ですから」


私はすぐに弟のラグに手紙をしたためた。ラグは船と港を持っている、航路と船舶の権利もだ。


港でブルーエさんを見送る時、不覚にも涙が出た。きっとブルーエさんはもう帰って来ないだろう。時々トロワには会いに来てくれるかな。


「ルー、いい子にしていてくれな」

「任せてください、家とトロワは守ります」


ブルーエさんの目が優しく細められ、頭に置かれた手は温かかった。


「俺はね、騎士団の団長だったんだ。だけど王女様を守れなかった。だから帰る資格なんてなかったんだよ、だけど今だけ騎士に戻ろうと思う」

「……話してくれてありがとうございます、どうかご無事で」


薄々、そんな気はしていた。鍛え抜かれた体、ところどころに傷跡。屋根裏部屋にあった鎧と剣。


その晩はトロワと二人でベッドで寝た。トロワはブルーエさんを探したりしなかった、賢い猫だ。


***


ブルーエさんが海を渡って半年。

一人と一匹暮らしにも慣れてきた。


自由を謳歌しすぎて飽きてきたので、ちょうど働きたくなってきた頃だった。

掃除はやりこめば止まらないし、料理も実験だと思うと楽しかった。

勉強、運動、家の修繕に庭の手入れ。人生は忙しい。

ただ、ブルーエさんの料理が恋しいなとは思うのだが。


その日は滅多に鳴かないトロワが、にゃおん、にゃおんと鳴き止まない。


「どうしたの、王子様が迎えにでも来たのかしら」


そう言いながら洗濯物を干すためにドアを開けると、ドアの向こうにいた人とぶつかった。


「すまない、怪我はないか」

「……帰ってきてくれたのですか」

「王子様じゃなくてごめんな」


苦笑いしながら私の頭を撫でるその人は、ブルーエさんだった。

前より白髪が増えている。心なしか日焼けもしたみたい。


「ブルーエさん、もう逃しませんよ」

「悪かったって。騎士団の連中が放してくれなかったんだ」

「ずっと貴方の料理を待っていたのです」

「はいはい、今すぐ作るから待っててな」


トロワがブルーエさんの足にまとわり付いて離れない。その目はきらきらと輝き、ヒゲはぴん、と伸びている。

私はブルーエさんの胴に両腕を回し、ひっついている。


「お姫様、料理ができないから腕を離してくれないか?」

「もう少しだけ、このままでいさせてください」

「……王子様が見つかるまで、ちゃんとそばにいるから」

「王子様が見つかった後でも、専属シェフとして雇います」

「はいはい」


海の見える家で、おじさんとネコチャンと暮らしながら、私は今日も王子様を待っているのである。


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