世界のログ
カインを拘束し、要塞の残党を追い払ったのも束の間。空気が、にわかに重くなった。 それは帝国軍のプレッシャーなどとは比較にならない。世界そのものが「重力」というルールを忘れ、不協和音を奏でるような、絶対的な不快感。
空に、巨大な「文字の帯」が現れた。
『――不適合個体、レン。および、記述外の残滓たち。汝らは、この物語の整合性を決定的に損なわせた』
声ではない。脳内に直接叩き込まれる、冷徹なログデータ。第1章の最後に現れた「管理者」の本体が、ついにこの世界のバグを取り除くために降臨したのだ。
「……あ。……来た。……サーバー管理者。……この世界そのものを、一度『削除』して、再インストールするつもり」
ラジエルの身体が、再びノイズのようにブレ始める。今度は、俺の魔力でも繋ぎ止められないほどの、圧倒的な消去命令だ。ブリュンヒルデの漆黒の剣が砂のように崩れ、エキドナの魔力が霧となって消えていく。
「主様……身体が、動かない……。……世界が、私を拒んでいる……」
アイギスが地面に膝をつく。彼女たちの存在理由は、神の書いた「物語」の中にあった。だが、今、神自身がその物語をゴミ箱へ捨てようとしていた。
「……修復師。汝の善意は、世界を腐らせた。汝が壊れた英雄を直し、死すべき道具に命を与えたことで、物語の結末は霧に消えた。……ゆえに、この章はここで打ち切る」
天から降り注ぐのは、物理的な光ではない。それは「存在の否定」。光に触れた巡礼者たちが、悲鳴を上げる暇もなく、塵一つ残さず消えていく。
「……打ち切りだと? 勝手なことを言うな」
俺は、ポケットの中にあった懐中時計を握りしめた。 かつてラジエルが「中身がスカスカで直せない」と言った、あの古い時計だ。 俺は、その時計のゼンマイを、無理やり、指がちぎれるほどの力で回した。
「……神様。あんた、大きな勘違いをしてるぞ。……物は、あんたの書いたシナリオ通りに動くためにあるんじゃない。……使ってくれる奴と、笑ったり泣いたりするために、ここにあるんだよ!」
俺の心臓が、激しく脈打つ。 俺の【修復】が、自分自身の魂を燃料にして、ゴミ捨て場全体へと広がっていく。
俺が直してきた全ての剣、全ての盾、全ての魂。それら一つ一つが、世界の消去命令に対して「ここにいたい」という明確な拒絶を返していた。
「ブリュンヒルデ! エキドナ! ラジエル! アイギス! ……お前たちはバグなんかじゃない! 俺が直した、世界で最高の『一点物』だ!」
俺の声に、消えかけていた彼女たちの瞳に火が灯る。
「……そうね。……私は、あいつの書いた神話なんて、とっくに飽きていたところよ。……レン、あなたの作ったこの地獄を、私は選びたい」
エキドナが、消えかかっていた魔力で俺の手を握る。その温かさが、虚無の世界で唯一の現実だった。
「――全事象、上書き保存!!」
俺の叫びとともに、ゴミ捨て場のガラクタたちが一斉に共鳴を始めた。それは、神の記述を書き換える、職人のエゴそのものだった。




