01 新しい人生を始めよう
「新しい人生、始めてみないか?」
夏。進学をそこそこの妥協で済まそうとしている高校一年生にとって、この季節は長期休暇の時期である。
教師によっては宿題などと言うものを課して虐待してくることも有るのだが、我が校の教師はとても素晴らしく、業務効率化と生徒の自主性尊重を名目にして自由課題が大半になった。自由という言葉の持つ響きの何と素晴らしいことか。
いよいよ夏休み。さて、自堕落に過ごすぞと意気込んでいたのに。
私は、幼馴染と向き合っていた。
学校のクラス。授業も終わった放課後に、さあ帰ろうとしていた矢先のこと。正直、鬱陶しい。相手がこいつじゃ無ければ無視してそのまま帰っていたかもしれない。
「何、大輔は怪しげな宗教にでも入信したの?」
「違えよ。これだよ、これ」
新しい人生を始めようなどと、普通に考えても新興宗教の勧誘か、胡散臭いセミナーへの誘いであろう。今の人生に不満のある人間が、今の自分を変えようと藻掻くなかで騙されるタイプの謳い文句じゃないかな。
私は、どう聞いても怪しい勧誘にしか聞こえない幼馴染の言葉にジト目を返す。
睨みつけるようにしてみるが、どうにもこいつには効果は薄い。他の男子なら割と効果あるのに。
これだから幼馴染って奴は。
「何これ? ゲームの広告?」
「そ。今話題のVRMMOの最新ゲーム。その名もネオフロンティア」
「ふーん」
大輔の手には、広告が画面いっぱいに表示された携帯端末があった。スマホなのかタブレットなのか分からない、半端な大きさの画面。ゲーミングなんちゃらとかいう、お高いやつだったか。お年玉全部使っちまったぜと自慢げにしてたのを思い出す。高校生にもなってお年玉をくれる親戚がいるというのは、羨ましい話だ。いや、去年のお年玉なんだから、まだギリギリ中三だったね。羨ましいことには変わりないけど。
午後の日差しにも負けない明るさで、煌々と映し出されている画面。映っているのはゲームの宣伝である。
こいつは、ゲームが好きだ。それこそ小さい時から結構色んなゲームに手を出していた。パーティー系のゲームを一緒にやったことも有るが、勝てた試しがない。大輔のお母さんが勉強そっちのけでゲームばかりする馬鹿に業を煮やして、私を見習えという程度にはゲーム好き。
何というか、嵌るとのめりこむタイプなのだ。そのくせ成績は良いのだから、世の中の不公平を煮詰めたような男だ。
同じ高校になんで進学できたのか。勉強をそこそこ頑張った私としては、本当に腹の立つ奴である。
「新世代ハードに対応した、最新ゲームだ。没入感がこれまでのゲームと一線を画し、本当にそのゲームの中にいるかのような体験が出来る。剣と魔法のファンタジー世界で、全く新しい人生を始めてみようってコンセプト。どうよ、面白そうだろ?」
「興味ないわ……」
正直に言って、私はそれほどゲームに興味が無い。目の前のこいつのせいでそれなりに経験は有ると思うのだが、どうにも苦手意識がある。同じゲームをずっとつき合わされて、ゼロ勝のまま何十連敗もしたら、嫌いになっても当然ではなかろうか。うん、よく私も相手してあげてたね。我ながら面倒見のいいことだ。何にせよ、こいつほどにはゲームにハマる気持ちにはなれない。
むしろ家に引きこもって、ずっと漫画や本を読んでいる方が好きなタイプだ。漫画をずっと読んでいて休みの日が終わってしまったこともあるし、それはとてもとても素敵なことだと思っている。長編小説を読みふけって夜更かしし、寝坊したこともある、これはもう仕方がないこと。途中で止められないほど面白い小説が悪い。
読書は人生にとって最高の幸せ。人類の最大の発明だ。あの誰にも邪魔されずに自分の世界にのめりこむ時間。とてもたまらない。
ゲームとか、時間の無駄にしか思えないな。あと、お金の無駄だと思う。
そういうことだから大輔、誘うなら別の人を誘ってね。
「ははは、お前ならそういうだろうと思っていた。しかし!!」
「いきなり大声出さないでよ。びっくりするじゃない。常識無さすぎじゃないの ?」
「このゲームは、ゲームの中に一つの世界がある。ゲームで遊ぶプレイヤーは、どんなことをしても自由なんだ」
猛烈な勢いで私にゲームをおススメしてくる。あんた、そんな熱量はもう少しましなことに使いなさいよ。おばさん、泣いてるわよ。
せめてもっと建設的でクリエイティブなことに時間を費やすべきよ。例えば、読書とか。
「例えば、冒険!! 血沸き肉躍る強敵との戦い。今までのゲームでは味わえなかった、自分の身体をそのまま動かすような、いやそれ以上の感覚で動かせる爽快感。運動音痴な人間でも、このゲームならバク転でも空中宙返りでも思いのまま。現実では出来なかった動きも、ゲームの中で体感できる」
「ふぅん、凄いね」
「或いはアドベンチャー!! ゲームの中で動くキャラは既存のAIの二世代は先を行くと言われる完成度。本当に生きているとしか思えないクオリティで交流できるキャラクターとの出会いは、ボッチで友達のいない人間でも素敵な感動を与えてくれる。ゲームの中で共に悩み、共に励まし合い、共に過ごすことで、もう一つの人生と言えるものがきっと手に入る!!」
「へえ、そう」
「重厚な世界観も魅力的だ。異世界に旅行した気分で、現実では見ることの出来ない風景だって見ることができるんだ。プロモーションでは、ドラゴンの背中に乗って夕日の中を飛ぶような場面もあった。竜の背に乗って、広大で雄大な大自然を一望する。引きこもりでも感激すること間違いなし」
「ああ、はいはい」
「ファンタジー要素も盛り沢山だ。物理現象を無視した魔法を使えるようになったり、見たことも無いモンスターと出会えたりする。魔法を使って水の中を歩いたりも出来るし、動物にアレルギーがあってもモフモフと触れ合える。動物園のふれあいコーナーでモルモットに逃げられて泣いたことのある奴でも、可愛い生き物と友達になれるぞ」
「だから、興味ないって」
さっきからちょいちょい、私をディスってるだろ。お前は誘いたいのか誘いたくないのかどっちだ。まったくもってわけわからん勧誘をする奴だ。
そっけなく断る私に、大輔がにやりと笑う。
なんだろう、背筋がぞわっとしたじゃない。
「でな、β版からの変更点として、ゲームの中には“図書館”があってな?」
「ん?」
図書館だって? 図書館って言った? 言ったよね。
図書館ってあれだよね、本がいっぱい置いてあってタダで読み放題の神施設。
「今では絶版になってしまったものや、電子化されてこなかった幻の名作。更にはここでしか読めない最新の作品や、有名作家の書下ろしも読めるってはな」
「やるわ!!」
「喋ってる途中でいきなり大声出すなよ、びっくりするだろうが。常識は何処いった」
絶版本が読めるとか、そんなの凄いことでしょう。絶版本は絶版だから絶版本って言うんだよ。絶版は絶版で絶版だから、普通はもう二度と読めない本なんだよ。世の中から消えていく一方で、手に入れることさえ稀な、レアな本なんだよ。
それが読めるの? 好きなだけ?
しかも新作まで読めると?
電子書籍化されてなくて、中古本を探すしかない本も読めると?
「それで、どうやったらその本が読めるの?」
大輔の襟元を締め上げる。
さっさっと言え。どうやったら読めるの。キリキリはけ。
「く、苦しい、放せ、死ぬ……」
あ、ごめん。顔色が変な色になって不細工になってた。これ以上不細工になったら大変だもんね。悪い悪い。反省してやらないことも無い。
「げほっ、げほっ。お前、本当に考えなしの馬鹿だな。何でそれで俺より成績良いのか分かんねぇ。漫画ばっかり読んでる癖に。おばさん、泣いてるぞ」
「あんたに言われたくはない。で、さっさと白状しないと、もう一回絞めるわよ」
私には読みたい本があるのだ。
むしろ本の方が私を待っているのだ。読んで欲しいと、名作や新作が私を待ちぼうけているに決まっている。読んであげねないと失礼でしょうが。
さっさと言え。勿体ぶるつもりなら実力行使も辞さないぞ、私は。
「お前、このハード持ってたよな?」
大輔が端末に表示したゲーム機。有名ゲームメーカー「SOGA」 の新型筐体で、スペックがかつてのスパコン並みと謳われた話題のゲーム機だ。
確かにうちにある。お父さんが職場の忘年会だか何だかのイベントで当てて、私が貰った。
何で大輔がそれを把握しているのかは分からないが、持っているのは事実。こくりと頷く。
「それならこのゲームをインストールして……」
早速とばかり、ネオフロンティアなるゲームのやり方を大輔から教わる。
「ふんふん」
「それで設定が……」
私は、まだ見ぬ名作との出会いに心を躍らせていた。本とお金は、寂しがり屋なのだ。迎えに行ってあげないと、逃げて行ってしまう。
待っててね、今読みに行くから。
新作書きたい欲に抗えず
原稿執筆の息抜きに書いた原稿
楽しんでもらえると嬉しいです