王女の独白
彼女は、わたくしの数少ない側付きの護衛騎士だったの。
王族の女性に付けられる女性騎士は貴重で、病弱で公務にも出ぬわたくしには、彼女ただ一人。
王族でありながら病弱に生まれたわたくしの人間関係といえば、乳母と侍女、そして護衛騎士くらいのもの。
家族なんて、わたくしに期待していないのがよく分かるのよ。少しは隠して欲しいものだわ。
騎士様は、わたくしとは対照的にしっかりとした体躯を持ち、声も大きく快活だった。
最初は羨んだものだけれど、彼女の話は面白くて、すぐに気に入ってしまったの。
侍女達はしてくれないような外の話を、遠慮なく語ってくれるのだもの。
嗜められることもあったようだけれど、わたくしは彼女の真っ直ぐな物言いが好きだった。
特に体調が優れぬ時には、彼女の語る領地での遊びを夢に見ながら眠った。
どうせ見るなら、楽しい夢が良いもの。
やがて寝込むことも減り、公務に呼ばれることが増えた。
それまで期待していなかったくせに、父上も母上も急に多くを求めてくる。参ってしまうわ。
兄弟達に至らぬところを当てこすられることもあった。仕方ないと思いたいのに、やっぱりプライドは傷つくの。
健康に生まれていれば……そう思わずにはいられなかった。
そうして愚痴をこぼすわたくしを、騎士様はいつも根気強く慰めてくれたわ。
決して、触れることなく。
けれどわたくしは――この頃から、彼女に触れてみたいと思うようになっていたの。
これが「恋」というものなのかしら、と自分でも戸惑うほどに。
そんな矢先、騎士様が婚約を結んだと報せに来たの。
女性騎士は結婚すれば、多くが職を辞する。まれに平民のもとへ嫁ぎ、務めを続ける者もいるけれど……彼女の婚約相手は断ることのできぬほど高位の貴族だという。
目の前が、真っ暗になった。
騎士様は結婚を望まぬと明言していたから、わたくしは勝手に思い込んでいたのだわ。
ずっと、ずっと傍にいてくれるのだと。
わたくしは人払いをし、彼女を私室へ招き入れた。
気持ちを知って欲しかった。
離れていかないでと、懇願したかったの。
「お気持ちは嬉しいです、王女様。ですが、この縁談は我が家では到底断れません。どうかお許しください――」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が音を立てて崩れた。
自暴自棄になって、サイドテーブルにあったペーパーナイフを掴み、喉へ突き立てようとしたわ。
「王女様! いけません!」
あと一歩のところで、彼女に止められた。
ナイフを奪われた途端、わたくしは泣き崩れた。
だって……わたくしには、あなたしかいないの。
みんなよそよそしい。腫れ物に触るようにしか扱わない。
けれど、あなただけが。あなただけが、わたくしを真っ直ぐに見てくれるのに。
わたくしは衝動のまま、彼女の首に腕を回した。
そして、噛み付いた。
彼女の肌に痕が残ればいい。
彼女を縛る証が刻まれればいい。
そう思ったの。
「あなたは……わたくしのものよ」
これは誓いの口づけではない。ただの背徳。
けれど、彼女の“初めて”をわたくしに刻みたかった。
なんて浅ましい女なのでしょう、わたくしは。
……それからのこと。
わたくしは騎士様の婚約相手とその家柄を、官僚に命じて洗わせた。
何か一つでも不祥事の種があれば、それを手に取って揺さぶるつもりだった。
古い家ならば、一つや二つ、必ず綻びがあるもの。
案の定、税収の横領が見つかった。
これでまた、騎士様はわたくしの傍にいられる。
そう……わたくしのものとして。
あれからあからさまに騎士様と触れ合うことは無かった。けれど、侍女達の目を盗んでほんの少し指先を触れ合わせるだけで幸せだった。想う方との秘密を抱えることが、わたくしにとって甘美な愉悦だったのだ。
その報せもまた唐突なものだった。父王が隣国の騎士との縁談を纏めたというのだ。わたくしは病弱であることを理由に、今まで縁談を仄めかされても断り続けてきたというのに。
「お前も床に臥すことは殆ど無くなっただろう。いい加減にふらふら遊んでいないで、将来について真剣に考えなさい」
「いいえ、父上。わたくしは前にも申しました。公務もまともにこなせぬ身なれば、修道院にて生涯を終える覚悟であると」
騎士様を巻き込んで修道院で過ごすことになっても、彼女さえ居れば幸せなのだと本気で思っていた。自由を奪ってしまうことには申し訳なさを感じながらも……。
しかし父上は呆れたようにため息を吐くだけだった。
「お前は護衛騎士のことを気に入っていると聞いた。だからこそ、政略的価値は薄くとも器量の良い騎士を選んだのだ。我儘を言うのはやめなさい」
頭に火がついたような恥ずかしさに襲われた。騎士様への想いが、とうに知られていたのだと悟ったから。
これ以上の問答は不要とばかりに玉座の間を追い出され、自室に戻る。わたくしは騎士様の顔を見ることすらできなかった。――彼女までもが「『騎士』であれば誰でもよい」と誤解するのが怖かったのだ。
わたくしは、あなたがいいの。
憔悴したわたくしを、騎士様は人払いをして慰めてくれた。
もちろん彼女の「初めて」も、わたくしの「初めて」も、お互いのものとした。そのことにわたくしは大いに満足していた。
けれど願わくば、彼女と正式に結ばれたかった。
わたくしの言葉に彼女は驚いたようだった。
その答えを聞くのが恐ろしくて、わたくしは唇で塞いだ。
騎士様は、泣き止むまでずっと抱きしめていてくれた。
翌日は泣きすぎたからか頭が重かった。だがその不調は翌日も、さらにその翌日も続いた。
やがてわたくしは久しぶりに寝込んだ。冬の気配が近づく中、流行り風邪には気をつけていたはずなのに、結局わたくしは罹ってしまったらしい。
皆が心配してくれる。騎士様も久しぶりに領地での遊びの話をしてくれて嬉しかった。王女は体も強くなってきたし、気候も良い。すぐに治るだろう――そう周囲は予想していたのに、わたくしの体調は逆に悪化していった。
ああ、このままわたくしが居なくなるのであれば、わたくしの魂は騎士様とともにあれるのかしら。
そんなことを思うと、死を望んでさえしまいそうになる。
王女としてのわたくしではなく、一人の女として騎士様の隣に立ちたかった。このまま顔も知らぬ男のものになるくらいなら、いっそ――
「王女様……私はあなたと共にあります」
ああ、騎士様も同じ気持ちでいてくれるのかしら。
呼吸が苦しい。止まらぬ咳で全身が痛い。
それでも最後に浮かんだのは、不思議と恐怖ではなかった。
枕元にいてくれる騎士様の顔。
泣くまいと必死に堪えるその表情が、愛おしくて、胸が締め付けられた。
「ずっとわたくしの傍にいてくれてありがとう」
その言葉を伝えられたとき、もう十分だと思えた。
けれど心のどこかで、まだ叶わぬ夢を抱いていた。
彼女と共に歩む未来、陽だまりの下で笑い合う日々……
すべてを手に入れることは叶わぬとしても、最期にあなたを想いながら逝けるのなら、これ以上の幸せはない。




