240【美】その頃、美咲は(下)
『ふふっ♡ ひーくん……今、私とキスした唇、いつもみたいに舐めたくてうずうずしてるでしょ?』
まだ他の人達が中間地点に来ていないのをいいことに、完全に自制が壊れた彩乃は――ご覧の通り、一之瀬君を上手く転がしながら、普通に外でキスまでしているわけで。
『そんなに可愛く物欲しそうに睨み付けてもだ〜め♪
って言いたいところだけれど……この場で抱いた色んな私の気持ちをちゃんと理解したうえで、ひーくんが自分の気持ちに素直になってくれたのなら――
この指、どけてあ・げ・る♡』
それだけでは飽き足らず、今度はこの場で独占欲を満たそうとする始末。
自分の欲望に忠実でありながら、しっかり“ギリギリのライン”だけは死守するという、圧倒的慣れた手つきのイチャイチャを――よりによって 私のすぐ後ろで 繰り広げているかと思えば。
『前言撤回♪
やっぱり言葉だけじゃ本当に私の気持ちを理解してくれたのか不安だからぁ……行動でも示してくれなきゃ、これどけてあ〜げない♡』
……いや、もう。
人がさっきまでギリギリのところで踏みとどまってたというのに、その努力を粉微塵にするかのような、妙に艶っぽい“軽度の加虐愛”めいた声音まで飛び出してくるとか――。
(……いくらウゲッてるとはいえ、年頃の女としてはやっぱり色々と気になるものがあるというか……なんというか……ねぇ?)
などと、誰に向かってでもなく、ただ自分への言い訳めいたことを考えつつ、同意を求めるような気持ちでそっと後ろを振り向いた、その瞬間。
視界に飛び込んできたのは――
背中越しでも分かるくらい、完全に“可愛いモード”になっちゃってる一之瀬君の姿と。
こちらの存在など最初から眼中にありませんと言わんばかりに――
意地悪を越えてわずかにSっ気すら含んだ、そして何より“この場には絶対似つかわしくない”艶っぽい視線と表情のすべてを、一之瀬君一人に向けている彩乃。
いかがわしい雰囲気に包まれた、完璧な二人の世界。
……にもかかわらず。
(あー、見える。見えちゃう。
あの子と同じ“女”である私には、全部丸見えだし分かるのよ)
……全てが。何もかもが。
(あれは確実に、“彩乃”という人間の中に存在するもう一人の彩乃――
いわば“裏彩乃”が、唇の端をこれでもかってくらい吊り上げながら、いやらしい笑みを浮かべている顔ですわ)
……シミュレーションでも、実践でも。
(なんなら“今目の前にいるのが裏彩乃本人だ”って言われても、0.1秒で信じる自信がありますわ)
つまり――
(……上手くいっているという意味で。
お喜びになっておられるお姿が、ですよ?)




