236【陽】もし彩乃が他の男に抱き寄せられていたら?
『むぅ、またそうやってクールぶって屁理屈みたいなことを言う! ひーくんのばかっ!』
なんて言いつつも、しっかり水分補給だけは促してくるのが俺の彼女であるということで。
不機嫌感満載の膨れっ面で、右手に持ったボトルを俺の胸にぐいっと押し付けてきたのを受け、一旦素直にお礼を伝えたあとそれを手に取る。
……そのうえで、今の自分の気持ちを言うべきかどうか、一瞬だけ逡巡した。
まだ付き合い始めて日が浅いとはいえ、彩乃と一緒に過ごす中で――
「何がいけなかったのか」を自分一人で分析して反省して、次に活かす……だけではダメで。
ときには互いの気持ちをちゃんと伝え、話し合うことも大事なのではないかと、最近思うようになってきていた俺は。
これもいい機会だと思い、嘘偽りのない本音を。
ただ不満をぶつけるのではなく、できるだけ普段の会話に近いテンションになるよう心掛けながら――
「確かに今のは、俺が悪かったというか奥手すぎたというか……意気地なしな返事だったとは思うけれど……。
んぅ〜〜〜、別にバカって言わなくてもいいじゃん……ばかっ‼」
頑張って平常運転の言い方に寄せようとしたつもりだったが、
“言いたい気持ち”と“言っちゃいけない理性”のせめぎ合いの結果――
幼稚園児が姉に意地悪されて拗ねる時のような返しになってしまった。
すると、一瞬だけ彩乃が『――――っ♡』と反応した気がしたが……
どうやら完全に俺の気のせいだったらしく。
その感情どころか、先ほどまでの“怒り”すら霧散し、顔からあらゆる色が消えて――
「じゃあ逆に聞くけれど、さっきひーくんが美咲に対してやっていたのと同じように、あなたの目の前で……」
と、そこで一度言葉を切り。
俺の感覚でしかないが、その“温度”がさらに数段階上がった直後、再び唇が動く。
「私が他の男に、後ろから抱き寄せられていたら?」
(………………はぁ?)
「そのまま口を塞がれて、こっちには聞こえないくらいの小さな声で……しかも私達の表情もよく見えない状態で何か話していたら?」
(誰だよそのふざけた男。死ね‼)
「にも関わらず、私が満更でもなさそうな反応をしていたら?」
(……それは絶対あり得ないから、どうでもいいわ)
「そいつが普段着ている、そいつの匂いがする上着を私が着ていたら?」
(それも絶対にないから、はい却下)
「挙句の果てには、『この気持ちはもしかして……』みたいな顔を私がしていたら?」
(………………)
「ひーくんは、一体どんな気持ちになると思う?」
突然始まった彩乃の質問が、俺が藤村に対してした行動そのままだったせいで、
“もし立場が逆だったら”の想像が簡単にできてしまう。
頭では「絶対にあり得ない」と分かっていても、想像を進めるほど、不快感だけが理不尽に増していく。
そして、全てを理屈で整理するより先に――本音が勝手に口から飛び出し。
「その男をぶっ殺す」
つい我慢の限界を迎えた小学生みたいな返しをしてしまったところで、
ここまでずっと俺達の後ろで黙っていた藤村が、驚いた顔で何か言おうとした、その瞬間――




