1話:遭遇
2022年。
例の感染症ウイルスが治まり、
成人年齢が20歳から18歳に引き下がった年だ。
2022年4月23日。
成人年齢が引き下がった影響の
ニュースを聞き流しながら、
阿久津拓真は遅刻をしないために眠気の残る頭に鞭打ちながらパジャマから制服に着替えてマスクをつけた。
「いってきます。」
「いってらっしゃい。
帰り道に遅くなるなら電話してね」
と母が優しく見送る声が聞こえた。
言い終わらない内に母の携帯に着信が入る。
「もしもし・・・。
あら、美月?」
相手は姉の美月のようだ。
「久しぶり。どうしたの?」
え、今日家に帰るの?
夜に来るのね・・・。
わかった、気をつけて。」
母のその言葉を聞いて少しびっくりした。
ゴールデンウィークを過ぎてしまったし
会えるのは夏休みに入ってからだとは思ったが、日に寄ってではあるものの、
授業が少なくて平日でも会いに行ける。
これが大学生の余裕というものだろうか。
何にせよ一人暮らしの姉に会えるのは少し楽しみになってきた。
通話している母にあやかり、俺はスマホに目を落とす。
今から出ないと遅刻の可能性があるので、
俺はドアを素早く閉めた。
すると、母の驚いた声が聞こえる。
「え、車?!
アンタの歳でそんなの買えるわけないでしょ?!
まさか、変な消費者金融とかに手ぇ出してないよね?!」
すると、電話越しに姉の反論する声が聞こえる。
「してないっつーの!!
ちゃんと自腹で中古車買ったわ!」
朝からギリギリ外に聞こえそうな大声を出すなんて元気だなぁと思いつつ、
俺はドアに鍵をかけて学校に向かった。
電車に揺られながら、俺はふと電話の内容を整理した。
そう言えば姉は今大学生だ。
歳は20歳で、アルバイトをやってるとかいう話は聞いたことはないが、俺に言わないだけでやってはいるだろう。
試しにスマホで中古車の値段を検索してみる。
値段は・・・。
普通車なら最低でも150万円。
軽でも最低100万はするようだ。
中古車ならもっと安いみたいだが、
軽なら最低50万ほどらしい。
買ったのは値段的に中古の軽だろうが
バイトをやっているとはいえ、大学生が車を買えるものなのか?
どうしても頭に引っかかるので、思い切って姉にメッセージを飛ばしてみた。
『おはよう、今日家に帰ってくるんだって?』
すると、即座に返事が来た。
『そうだよ。母さんとの話聞いてたの?』
『うん。車持ってるって聞いたけどマジ?』
すると、4~5分ほど置いてから
『マジ』
と返事が来た。
詳細を問い詰めようと質問をあれこれ考えていると、今度は向こうからメッセージが来た。
『ていうかアンタさ、こんな朝早くに何?
学校じゃないの?』
そっちも大学があるクセに。とツッコミながらこう打ち返した。
『そうだけど。
そっちも今日授業じゃないの?』
『あるけど、10時から。
自分が遅刻しないかの心配してなっつーの。』
余計なお世話だと思いつつも正論ではある。俺は降りる駅を確認して真っ先に降りた。
そこからはいつも通り、部活の時間まで
6時間もある授業を耐えた。
そこからは部活でストレスを発散した。
調子は最高で、先輩と同級生の部員との練習試合ではダンクを決めることができた。
周りからは俺に向けて歓声があがった。
試合が終わると、俺は同級生たちに囲まれた。
「凄かったよ、拓真!」
「相変わらずバッタみてーに高く跳ぶよな!」
「応援ありがと。
次の部活は今日よりももっと活躍できるようになるつもりだから。」
会話を切り上げて汗を拭きに行こうとすると、マネージャーの笹倉さんがこっちに向かってきた。
「拓真くん、お疲れ様!」
彼女は俺に労いの言葉をかけてくれながら
行動を予知したようにタオルを渡してくれた。
「センキュー、笹倉さん。
俺今汗拭こうと思ってたんだよね。」
「そろそろ拭きたいだろうなー?と
思ったし、
今は夏が近いけど、汗は放置したら
風邪ひいちゃうよ?」
「そうなんだ。お父さんお母さんがお医者さんって聞いたけど、流石の知識だね。」
笹倉さんはえへへ・・・。と
目を細めてはにかんで笑った。
それを見て俺よりも周りの部員たちが
感嘆の声をあげた。
俺よりリアクション高くてどうするんだと半分思いつつも、俺も彼らと内心のリアクションは同じなので控えめに振る舞うことで隠せるのは半分ありがたいと思った。
「これはー?」
「近いうちにカップル成立するんじゃないのー?」
周りから下世話なヤジが飛ぶ。
「男と女だからってすぐ付き合うって思うのは偏見だろ。」
と本音をぶつけてヤジの勢いを宥めようと試みる。
笹倉さんもうんうん頷いてくれた。
「リアクション一緒じゃん!」
「普通に付き合ったらいいんじゃね?」
と、いじりは少し続いたが、
ありがたいことに向こうの方から先輩の整列の声が聞こえた。
野次馬の相手はめんどいのと
早く帰りたいので、足早に整列に向かった。
部活終わりの帰り道、家に向かってるとは言え、夕飯まで我慢できそうにないので、コンビニでお菓子を買って食べながら歩いた。
なんとなく、脳内で今日一日の出来事を振り返ってみる。
今日は友達と授業中にギリ怒られない程度に話せたし、授業の内容もわからない部分はそんなになかった。
平和だけどちょっと退屈な日常だった。
明日もこんなことが起きるんだろう。
いや、たぶん卒業するまでこんな感じなのかもしれない。
充実してるとは確実に思うけど、少し
物足りないな。
ふと、視界の隅に看板が目に入る。
しっかりと捉えて文字を見てみるとデカデカとこう書かれていた。
“野犬注意"
「あー・・・」
そう言えば最近、この辺りで人が野良犬に襲われたって話がちょくちょく耳に入る。
今日の朝ごはんでついてたテレビでも何気にこの話題が流れていた気がする。
ていうか、どんだけ前から出てたんだっけ?
俺はこの事件が気になり、道の左側に寄ってスマホを起動させた。
今のところ、野良犬に襲われた人数は3人。男が1、女の人が2人。
被害者は今のところみんな大人だ。
「大人をこんなに襲うほど速い野良犬がいるってことなのかよ?」
どんだけ速い野良犬なんだ。
会いたくないし見たくもない。
調べるのはこれくらいでいいだろう。
そろそろ家に帰るか。
スマホをしまいながら歩き始めると、
ふと耳にザザッと何かが地面を擦れるような音が聞こえた。
「・・・?」
今、自分以外の人間はいない。
怪訝に思って周りを見渡す。
改めて周りを見てみると、人間は俺以外誰もいない。それならカラスとか野良猫とかいるもんだろうなと思ってその姿を探すも、動物の気配すら無い。
周りには自分以外の生き物はいない。
けど、何かが確実にいる。
俺の脳内で警鐘と疑問の声が鳴り響く。
足元を見つめて右から左に視線を配る。
何もいない。
正面を見つめて360度全体を見渡す。
何もいない。
なら・・・。
まさかと思いつつも残り見ていない箇所は上だけだと思って空を見上げると、
銀色に輝く何かが見えた。
目を凝らして正体を確かめる。
それが徐々に近づいてくる。最初は星かな?と思ったがすぐにその可能性は脳から否定される。
星は宇宙飛行士でも無い限りこんなに死の存在を纏って近づいてこない。
俺に向かって輝いてる何かは
上から振り下ろされている刃物だった。
「はぁ?!」
あからさまに驚愕の声を出してしまいつつ、生命の危険を感じて全霊を込めて回避しろと脳に命令した。
すぐに姿勢を整えて襲ってきた相手を見つめる。
見ると、犬と言うよりは狼くらいの大きさの黒い巨大な犬が俺を睨みつけてうなっていた。刺激しないように目を逸らさずに後ずさる。ふと、最初に見たおそらくこの犬の銀色に輝いている部分が気になって全身に目を配る。
身体にはそんな部分はない。
犬の足元を見つめると
包丁のように鋭い爪がコンクリートの地面を抉っていた。
俺に向かって降ってきたのが
星ならどんなによかったことか。
コンクリートにヒビが容易く入っている切れ味なら、切りつけられたら俺の体は紙吹雪みたく粉々になるだろう。
逃げろ。生き延びるために、こいつから全力で。
脳内が全力で俺の全身に命令を下す。
それと同時に俺は利き足で地面を全力で踏み込んで後ろを向き、駆け出そうとしていた。
すると、背後から突風が俺を襲う。
風の強さに耐えきれず、俺は地面に倒れ伏した。
と、同時に鋭い痛みを腕に覚える。
怪訝に思って咄嗟に腕を見ると、出血していた。痛いけどやけに身体が軽いと思って見てみると、通学用のバッグが横一文字で真っ二つになっており、中身が散乱してることに気づいた。その状況が飲み込めたと同時に最悪のあり得た未来が頭に浮かんできた。
もし、バッグがなかったら今頃俺の腕は・・・。
頭から水をぶっかけられたように
冷たい恐怖が全身を駆け巡った。
「クソッ・・・!」
逃げなくちゃ。
逃げなければ。そうしなきゃ死が待ってる。
地面を蹴って一瞬で姿勢を整えてから
また獣に背を向け走り出す。
当然ながら巨大な犬はこちらを追いかけてくる。
でかい図体の割に兎みたいな軽い
足音だ。
すると、俺の耳に自分が出してる音ではなく、獣の声でもない第三者の音が聞こえてきた。
この音は・・・。車の駆動音だ。
しかも、こっちに光速で近づいてくる。
警察か誰かが来てくれたのかな?
一縷の望みを賭けて車を探す。
でも中々見つからない。
「バウッ、バウッ!!」
後ろから獣の叫び声が聞こえる。
思わず振り返ると、目の前には剣山のように鋭い牙とこんな状況じゃなければカッケェと褒められるくらいの渋い赤をした
舌がこちらに迫ってくるのが見えた。
あ。終わった。
死を覚悟して目を閉じようとしたその途端、車が横から突っ込んで来た。
「ギャン?!」
犬が間抜けな悲鳴をあげて後ずさる。
その声に目を開けて事態を確認してみる。
車が目の前で止まり、窓が開いて助けてくれた人が顔を出す。
よく見ると、それは姉の姿だった。
「姉ちゃん?!」
「話は後!すぐ乗って!」
俺は咄嗟に助手席に駆け込んだ。
俺が乗ったのを確認すると、姉ちゃんは
アクセルベタ踏みで車を走らせた。
「なんで来たの?」
「免許取ったし、迎えに行ってやろうと思ったの。どうせ買い食いして帰るから
遅くなるだろうと思ってたけど
こんな事になるとはね・・・。」
姉はそう言ってため息をついたが
良く言えば頼れる、悪く言えば冷静すぎるなと少し心に何かひっかかった。
「これからどこに行くの?
アイツに引っ掻かれたし病院連れてって欲しいんだけど・・・」
「わかってる。
・・・でも、奴さんはそうさせてくんないみたいだね。」
姉がサイドミラーを見ながら呟いたので
倣って見てみる。
すると、犬が4本足を機敏に動かして追いかけてきているのが見えた。
「嘘だろ?しつこすぎんだろ!」
「アンタの肉が美味しそうなんじゃない?」
「食われてねーから!」
「とは言え、このままじゃキリがないね。
やるしかないか。」
急に姉は車を停めた。
「何する気だよ?!」
「いいから黙ってアンタはそこにいな。
降りたら死ぬよ?」
「死ぬのはそっちだろ?
カッコつけんなよ!」
姉は無視して車を降りた。
何も言い返せなくて見送ることしかできなかったが、首元に宝石なのだろうか、
綺麗な色の石っぽい何かがついたペンダントが見えた。
あんなものをつけるなんて大学デビューにしてははっちゃけすぎる。
でも、不思議と似合ってるようにも見えた。
姉はペンダントを触りながら犬の方に向かってとことこ歩いていく。
犬の方が姉に気づいて止まった。
姉も立ち止まって犬を睨みつける。
数秒の硬直の後、
「さて、マジエるとしますか。」
と姉はペンダントを触りながらそう呟いた。
すると、ペンダントが光り出して姉の全身を包んだ。思わず光に目が眩んで
光が消えるまで窓から顔を背ける。
光が落ち着いてきた後に姉を見てみると、
姉はおとぎ話に出てくる王子様のような
格好をしていた。いつの間にか、
腰には剣が差してある。
姉はそれを抜刀して犬に向き直ると、
交戦を始めた。
犬の爪と姉の剣が交差し、
犬の噛みつきを姉は軽やかな身のこなしで避けた。
実力は同じなようで、互いに無傷だ。
いつまで続くんだ、この状況は?
と少し戦況の拮抗に焦りが感じ始めた頃、
また車の駆動音が聞こえてきた。
その音は犬も聴き取ったようで
「キャン、キャン!」
と少し怯えたように吠えると、
全力で逃げて行ってしまった。
「待て!」
と姉は追いかけようとしたけど俺の方を見つめた後に斜め左後ろを見た。
俺も姉の見た方向を見ると、
大きな白い車がこちらに向かって数メートルやってきた後に止まった。
そして、
中から黒いスーツを着て指に水色のマニキュアをつけた人が降りてきた。
スーツには赤と青のポケットチーフが差してあり、
右耳には赤い宝石がついたピアスをつけている。
最初は男かと思ったけど、中くらいの髪の長さと体つきがちょっと柔らかい感じだから女の人な気がした。
その人は拍手をしながらこっちに向かってきて、軽く足を開いて手を伸ばせば届く距離で立ち止まった。
少し状況が飲み込めなくて姉の方を見た。
姉は全く動揺しておらず、むしろこの人が現れてホッとしてるようだった。
「美月ちゃんは立派になったね。
途中で参戦しようか迷ったけど、これからはこの程度のやつが相手なら私無しでも1人で十分対処できるはずだよ。」
「ありがとうございます。」
と姉ははにかみつつもその人にお礼を述べる。声を聞いて、低い方だけどこの人はやっぱり女性だと確信した。
女の人がこちらに近づいてきた。
「ふむ。君が・・・阿久津 拓真くんだね?
話は君の姉さんから聞いてるよ。
私は川辺 明里と言うんだ。
今は名前だけ覚えててくれればいい。
傷の手当てが先だ。
その右腕はあの野犬にやられたんだね?」
「はい・・・」
と無性に情けなくなりつつも肯定した。
「大丈夫だよ。
今から君をすぐ医者に連れて行く。
そして、傷の痛みが落ち着いてきたら
今さっき体験したことの説明を受けてもらうよ。」
「わかりました。」
「じゃあ早速向かおうか。
私よりはお姉さんの方がいいよね。
美月ちゃん、すぐ車出して。」
「わかってます。」
と姉が答えつつ車に向かおうとすると、
川辺さんが姉の方に手を伸ばして
肩に手を置いた。
「ところで、一つ確認を。
君・・・カーテンの魔法かけ忘れたね?」
「あっ・・・!」
姉は何か大事なことを思い出したようで
目を見開いて大声をあげた。