心の虎と揺れる馬
東の手下は倒した…はず…。絶対的な確信はないが、あいつだと思う。ブレイズもそう言っていた。仮にあの魔物じゃなかったとして、それを調べることも難しい。私は進むしかないんだ。
そうと決まれば、次は南だ。南…行く当てがある。
村に、頻繁に街にいって商売をしているおじさんがいた。その人はいつも南の大きな街に行っていると言っていた。具体的にどれぐらいの規模かはわからないが、そんな街でなら情報収集が捗るに違いない。街の名前は…確か…思い出せない…。とりあえず行ってみよう。
この付近からその街に行くための馬車が出ているらしい。村長さんから聞いた。一日に三本しか出ていないようだから、一回見逃すと半日近く待つことになる。それだけは嫌だ。そうならないように足早に目的地に向かった。
そうして馬車が出る場所についた。平原にポツンと看板となる木製の看板があるだけだ。日の出と合わせて一本目が来るらしいから…もうすぐ来るはず。
まだ日は昇っておらず、薄暗さと光輝が交錯していた。空気は未だに冷え冷えとしており、首筋に寒気を感じる。そんな中、ただ突っ立って馬車を待ち続けるのだ。
手と手を擦り合わせたり、ハァと息を吹きかけて凍えそうな指を溶かしながら時間を潰した。
次第に空は明るくなり、それに呼応するかのように二頭立ての馬車が轟々と音を鳴らしながら朝日を背にこちらに走ってきた。みるみる減速し、私の前でゆっくりと止まると、御者がニコニコと笑顔を浮かべながら降りてきて、丁寧にキャビンの扉を開けてくれた。私は軽く会釈をして乗り込み、腰を下ろす。中には私ひとりしかいなかった。
「それでは出発致します。どうぞ、お好きなところでお降りください」
そう言って手綱を勢いよく鞭のように弾くと、二頭の馬は軽快に駆け出した。
馬の脚に揺られながらひたすらに待ち続ける。名前はわからないから良さそうな街があるところで降りるつもりだ。
街は始めて行く。本と話でしか知らない。憧れとかはなかったけど…いざ実際に行くとなるとこみ上げてくるものがある。
どんなところなんだろう。何もしていない間はつい考え事をしてしまう。揺られている間、様々なことを考えた。
これから起こること。魔王のこと。村のこと。ブレイズのこと。喜怒哀楽が不規則に襲い掛かってきたと思う。
ここでひとつの謎が解けた気がした。魔物が消える謎だ。東の魔物を倒したとき、体が粉みたいになってそのまま空気中に消えた。それが魔物の生態なのだろうか。魔物のことは全く知らない。本も読んでこなかった。ひどく後悔した。だって、まさかそんなことになるとは思わなかったんだもん。
とにかく、現時点では魔物は死んだら体が砂みたいになるって考えるしかない。
煮え切らない考えを浮かべながら馬車に揺られる。キャビンの中は暖かかった。それに加えて心地よい揺れ。
眠くなってきた…。
まだ朝、さっきまで寝ていたというのにウトウトしてしまう。寝すぎるのは健康に悪いのでなんとか目を覚まそうと指で瞼を広げたりしてみるが、結局その甲斐なく眠りに落ちてしまった。
眠りに落ちる寸前、窓から外の景色を見た。昇った朝日には分厚い雲がかかり、陽を妨げるのが見えた。
辺り一面茶色い土壌が見える。
そんな中、一本、病人のような真っ白い右腕が植物のごとく地面から生えていた。
ひどく驚いた。土の下に人間がいるのだ。私はそそくさと駆け寄って両手で細い腕を掴み、最大限の力で真上に引っ張ってみる。
びくともしない。そんなに深く埋まっていないはずなのに、抜けない。
私は掘り起こそうと考えた。ただ、道具など何もないので素手で掘るしかない。
両手を使って懸命に掘り続けた。だんだん、体の部位が見えてくる。左腕、胸、腹、そして徐々に土にまみれた頭が姿を現した。
これは…
「……私…?」
泥や砂を払い、顔を綺麗にすると、私。私の顔だ。
…え、あ?私…?なんで…私が…?
これ…どういうこと…
「お客さん」
突如響く別世界からの声。
重々しい瞼を開けると、目の前には御者の顔。
さっきのは夢…。
嫌な夢だった。前にもこんな感じの夢を見た。もう二度と見たくない。
「もう終点ですよ」
驚いた。窓から外を見てみると、すっかり暗くなっている。私…何時間寝てたの…?
「とにかく、もう今日は終わりなので、ここで降りてください。お代は…これぐらいです」
そう言って一枚の紙を手渡してくる。金額を見てみると、高い。それも当たり前だ。朝から晩まで乗っていたんだから。だが持ち合わせがないわけではないのが幸いだった。
提示された金額を払い、キャビンから降りた。寒い。どこかで温まりたい。でも、ここがどこかわからない。周りを見渡してみると、暗闇の中炎が遠くで揺らめいているのが見えた。小走りでそれに近付いてみる。
それは街灯だった。背の高いランプだ。これがあるということは…
この先に街がある…?街灯は村や集落にはない。このようなものがあるということは街だ。本で読んだ。
そう考えていると、唐突に後ろから響く声。
「おい女」
突然の声に体がビクッと震えた。素早く振り返ると、腰に剣を差し、分厚いコートと帽子を纏っている背の高い男の人がいた。
「街に入りたいのか?」
続けて言われる。やっぱり、ここは街なんだ。
「入りたいです」
「わかった。では身体検査をする」
そう言ってなんの断りもなしに私の体をべたべたと触り始めた。街を守るために必要なことなんだろうけど…。
正直、気持ち悪い。
でも我慢だ。これは仕方のない事だ。
脚や胸、首など隅々まで指が届く。私はただ黙ってそれを受けているだけだった。そんな触り方する必要があるのだろうか、そう思うことは少なくなかった。でも仕方ないことだ。
「通って良し」
一通り調べ終わったのか、許可が出た。剣は危険なものだと思うが、それは大丈夫らしい。私は軽く頭を下げて街の中に足を踏み入れた。
人通りはかなり少なかった。夜も更け始めたから当然か。とにかく身を休ませることが出来る場所が欲しい。こういう時は、宿屋に行けばいいんだ。村の人の話で聴いた。ひたすら宿屋を探すしかない。
歩き回って宿屋を探す。しかし、簡単には見つからない。ようやく見つかったかと思えば既に閉まっている。建物の数が多いし、建物同士の感覚も狭く、見通しも悪い。
これが街なのか…
田舎育ちの私にとっては新鮮なことだらけだ。こんな家が密集してるなんて思わなかった。
かなり歩いて探したが全く見つからない。だんだん脚が痛くなってきた。
仕方ない…今日は野宿だ…。
そう思って人通りがない路地裏に入り、地面の砂を払って座る。今日はずっと寝ていたから眠たくない。寒いけど、朝まで起きていれば凍えることはないだろう。
そうして何をすることもなくただ座っていると
「んぐ!?」
突然、背後から口を押さえつけられた。かなり強い力で掴まれていて、まともに声を出せない。
私はその力で後ろ向きに引っ張られ。ゴミや泥水にまみれた地面に背中から倒れ込んだ。汚れを気にする暇もなく、間髪入れずに私のお腹の上にドサッと何かが馬乗りになる。
何かに襲われてる。
魔物かと思い剣に手をかけようとしたが、それよりも早く手首を押さえつけられ、地面に叩きつけられる。寝転がって万歳をしているような体勢だ。私は腕を押さえつけている感触に覚えがあった。
これは…
人間の手だ。
その瞬間、ゾッと鳥肌が立った。
私…人間に襲われてるんだ…。
怖かった。掴んでいる手を振り解こうと力を込めるが、抜けない。
「女なのに中々力つええじゃねえか」
私を抑えている人の声。低い男の声だ。
「強い女は嫌いじゃないぜ。それじゃあやらせてもらうか」
そう言ってズボンを下ろし始めた。この時、私はこれから自分が何をされるのか完全に理解した。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
全身から生じる拒否反応。今は片腕が自由になっているので男を押し退けようとするが、私の力では不可能だった。さらにそれが男の逆鱗に触れたようで
「暴れんじゃねーよ!大人しくしてろ!」
ゴッ!
頬を拳で殴られた。鈍い音が辺りに響く。
痛い。痛い。でも…抵抗しなきゃ…。
殴られたくない。でも抵抗しないといけない。感情がぐちゃぐちゃになりながらも必死に抗った。だが、必死に歯向かう私に容赦ない殴打は続いた。
顔…痛い…もう…やめて…血の味する…叩かれたくない…。
抵抗したら殴られる…もう…痛いのいやだ…。
「ようやく大人しくなったか。じゃあ…」
あっ…い、いやだ…それだけは…いやだ…。待って…。
からだに力が入らない…。
「よく見たら結構顔かわいいじゃねえか。儲けたな」
「ひっ…やだぁ…やだぁ…やめて…うう…えぐっ…」
「あ?」
なみだ…出てきた…止まんない…。こ、こわい…。
もうゆるして…なんでもするからぁ…。
「お前…」
「最高だな」
やだ、やだ、やだ、やだ、むり…むり…
だれか助けて…
「あっ!?…あ…ぐぅ…」
うっ…え…?あ…?え…?
いきなり…倒れて…?
「こんないたいけな女の子を襲うなんて、許せないね」
誰…?女の人の声…。
「大丈夫?」
あっ…女の人…心配してくれてる…?
「寒いでしょ?これ着な」
上着…でも…それ渡したらあなたが寒くなっちゃうんじゃ…。
「さてと、股間抑えてうずくまってるけどさっきの元気はどうしたの?ん?」
「あぐ…この…クソ女ぁ…!」
「あっはは、頑張って立ち上がってるけどさ、脚ブルブル震えてんじゃん。そんなに怖い?蹴り上げられるの」
「だ、黙れ…!」
あっ…危ない…!
「…ほんと単純だね。男って」
「がっ!?あ…かはっ…」
あ…綺麗な蹴り…すっごく痛そう…。股間抑えて動かなくなっちゃった…。
「じゃ、去勢しよっか」
「まっ待って…やだ…」
「やだじゃないでしょ?ほら、手どけなさい。潰すから」
「あっ…い…あ…」
そんなとこ踏んだら本当に…。物凄く痛そう…泡吹き始めたし…泣いてる…。
「えいっ」
「ああああああ…!?」
また動かなくなっちゃった。
「ん…潰れてるね。とりあえずは終わりかな」
終わった…
私、助かった…?
「ねえ、君」
次にその女の人に目線を送ったのは私。
「こんな時間に出歩いちゃダメでしょ?早く家帰りな」
さっきまで男の人を折檻していた人とは思えないほど飄々としてる。ちょっと怖いけど…
かっこいいかも…。
「君…」
彼女は不思議そうに私の顔をじっと見つめた。どんな顔をするべきかわからず困っていると、それも意に介さず彼女は言葉を続ける。
「顔…かわいいね。泣き顔かわいい…」
「ふぇ?」
びっくりして間抜けな声が出た。そんなこと言われたことない。でもなんか…嬉しい。じゃなくて…
「あの…家のことなんですけど…私…旅してて…ここ…初めてなんです…今夜、行くとこなくて…」
恥じらいを隠すために話を無理矢理戻した。
「あ、そうなの。それなら……うちくる?顔の怪我相当ひどいし」
ちょっと怖かった。着いて行ってもいいのかわからない。でも、私はこの人に着いて行きたかった。
「行きたいです…」
「うんうん、それなら行こっか。はい、手繋ご?」
そう言って左手を私に差し出す。私はそれをぎゅっと握りかえした。
あったかい。
「あの…名前…聞きたいです…私、メアリって言います…」
「名前?私の?」
「はい…」
「クラフティ」
「クラフティさん…」
恩人の名前を反芻しながら夜の街を手を繋いで歩いた。