暗闇にいた
き、きた…!
ギィン!
「ああっ!?」
ふりおろされた爪がかまえていた剣にいきおいよくあたり、私のカラダがはじきとばされ、そのまま地面にたたきつけられる。こぶしをにぎりつづけることは不可能になり、けんも私同様、チカラなくじめんに突っ伏した。
「い、いったぁ…」
よそういじょうにはやかった。むかってきたとおもったらすでにつめをふりおろされていた。ぐうぜん剣にあたったからなんとか助かったけど…。もしもそのまま体に当たってたらとおもうと…考えたくない…。
がぁ!
く、くる!
倒れているわたし目掛けてふりおろされる爪。とっさに体を転がして回避を試みる。致命傷は避けられたが、左の太ももをかすった感覚があった。爪はバキンという大きな音と共に、頑丈なはずの石畳を貫いて地面に深々と突き刺さってしまった。
「う、うう…」
体がうまく動かない…。頭は少しクリアになってきたけど…、体は全然クリアじゃない。まだ震える…。でも、次が来るから…避けて…剣をひろって…。頭を無理矢理回転させて次の手立てを考える。不意打ちを食らわないように緑の魔物から目を離さないように視線を固定しているが、どうもおかしい。その魔物は爪を地面に刺したっきり全く動く気配がない。しきりに地面に隠れた爪を引き抜こうとしている。恐らく刺さったまま抜けないのだろう。少しの間私は動けずにその様子を見ていたが、その魔物は全く動かないので少しだけ胸をなでおろした。私はふっ飛ばされた剣を拾って、入らない力を入れ直して今度は離さないようにしっかり握った。
魔物のもう片方の爪が届かない距離で観察する。必死に爪を抜こうともがいているが、全く抜ける気配はない。剣を大きく振りかぶって一刀のもとに切り伏せようと腕を勢いよく動かそうとする、が、どうしても動かない。心の中でブレーキをかけている。
私、この人を殺すの…?人…じゃないけど…。でも、生きてるんだよね…。
生き物を殺すという確かな感覚。今まで牛や鶏を屠殺したことはあるはずなのに、それとはずっと違う気持ち。どうして?私は数秒考え込んだ後、結論を出した。家畜を殺すことには目的があった。みんなを養う。生きる糧になってもらう。でも…この魔物は…
邪魔だから。ただそれだけの理由で斬り刻むんだ。そんなの許されるの…?でも、剣を振らないと、私が爪を突き立てられる…。地面から爪を抜いて走って追いかけてくるかもしれない。そうなったら今度こそ終わりかもしれない。
やるしかないんだ…。
そう心の中で言い訳をつくって。一層力を込めて拳を握り直す。しゃがんだまま立てない魔物を見下ろしながら最大限の力で振り下ろした。
「ごめんなさい…」
そうひとこと呟き、刃が体を裂く寸前、目を瞑った。筋が多い肉を切ったような感覚、バキャという木を砕くような音が耳を突き刺した。
それから怖くて目を開けることが中々できず、朝だというのに私は暗闇にいた。嫌だ。見たくない。でも、開けなきゃ。まだ生きてたら…とどめを…刺さないと…。息が上がっていて半ばパニックだ。走ってもいないのにハァハァと生温い吐息を何度も放ち、汗によってくっついた背中と肌着が気持ち悪い。
目を、開けなきゃ…。目を…。
自らを鼓舞して恐る恐る瞼を持ち上げる。そこには全く予想外の光景があった。
私は魔物の死体があるものだと思っていた、が違った。
そこには何もなかった。先ほどの魔物はどこへやら、目の前にあるのは舗装されていない石畳。
「…え?」
予想の範疇を超える現象に戸惑いながらも、脅威が去った安心感も同時に感じていた。
終わった…。
初めての魔物との戦闘を終え、東に向かってもう一度足を動かし始めた。ゆっくりと歩いていたが、頭の中では大忙しだ。
魔物はどこへいったの?もしかして、逃げたの?私が倒し損ねて。でも…何かを斬る感覚が未だに手に残ってる。どういうことなのか全くわからない。
きちんと目を開けなかったあの時の自分を恨んだ。一人で考えるだけでは確かな結論は出ない。魔物についてはもちろん疑問だが、それ以上に私を締め付けて離さないものがあった。
死から目を背けた。
その事実が痛く、心にナイフを突き刺した。自分で殺して、それを自分で受け止めないなんて…ダメに決まってる。わかってるはずなのに、やってしまった。それに、剣を振り下ろす瞬間、私、殺すしかないって確かに感じた。殺す理由を自分で作って、家畜を引き合いに出して、自分の中で言い訳を作って…命に優劣をつけた…。
悪い子だ、私って。
その判決は大きく大きく私の肩にのしかかった。私はこれまで自分のことをいい人だと思っていたのかもしれないが、そんなことはない。
悪人だ、私。
その言葉がこびりついて離れない。別の魔物が出るかもしれないにも関わらず、その警戒を怠るほどにショッキングだった。
「うあ…!?」
その時、突然ひび割れた隙間に足が取られ、前方に盛大によろけてドンと地面に投げ出されてしまった。
「いったぁ…」
ただ純粋に痛い。叩きつけられた身体はもちろん、受け身を取ろうとして手のひらを擦ってしまったようだ。熱さとそれに伴う痛みがやってきた。その痛みに耐えながら地面に押し付けてなんとか体を起き上がらせる。脛の辺りも同様に擦っており、少し赤色ににじんでいる。
砂埃を体から払い、痛みを我慢してもう一度歩き出す。太もも、手のひら、脛の傷は歩くたびに痛みが増していくだけであった。
私、何やってるんだろう。あんなに堂々と、行きますって言って。みんなを救おうと思ったのに。みんなの光になりたかったのに、こんなところで躓いて、魔物とも全然戦えなくて。
なんにも出来ないじゃない…。わたし…。
「う、あ…う…ひぐっ…」
気づけば涙がポロポロと地面に滴っていた。自然と嗚咽が漏れ、スムーズに呼吸が出来なくなる。泣かないって決めたのに。怖くても、つらくても、私は選ばれた勇者だから、強くないといけないのに…。みんなを助けないといけないのに…。
もう帰りたい…。今からでも引き返したい…。ごめんなさいって謝って…家のベッドで寝たい…。
そんなことを考えてしまう自分が情けなくて、弱くて、嫌で…。
ごめんなさい…ごめんなさい…。
声が漏れないように痛む手で口を抑えるが、余計に呼吸が苦しくなるだけであった。それからは苦痛に悶えている体を引きずってトボトボと道なりに進んだ。
幸運にもそれから魔物は現れなかった。だんだん日が沈んできたのに、集落どころか人ひとり見ることは無かった。危険だけど、今日は野宿するしかない。道の脇にある小さなスペースで、村長から使ったマッチを使って火を起こした。
闇夜の中にぽつんとひとつ、熱くて小さな光。脚を三角に折って座り、破ったズボンの裾を包帯代わりにして三か所の傷口を覆っている私がいた。
怖い。火を焚いているとは言えど三歩も進めばそこは暗闇だ。朝に出くわした魔物を嫌でも想像してしまう。それを考えると夜はもっと怖い。突然後ろから襲われたら?ものすごく大きい魔物に丸吞みされちゃったら?悪い想像は激流のごとく私の脳内を流れた。
お腹が空いた。朝から何も食べていない。村長から渡された水筒で水を飲んだだけ。それ以外は口にしていない。
傷が痛む。布で覆っているだけであり、ただの気休めだ。そのうち交換しないといけないし、布だって有限だ。
脚が痛い。一日中歩き続けて棒になっている。明日はもっと痛むだろう。
嫌なことばかり、体も心も疲労困憊だ。明日からもこうなるだろう。また魔物に襲われたら次こそ…。
戦わなくちゃ…どんなに怖くても…目を瞑っちゃダメ。
そう心に決めた。
冷たくてネガティブな気持ちと小さな決意で胸を満たしながら、何の気もなしに手のひらを燃え上がる炎の傍に近づけてみる。傷が沁みてじりじりと痛みを感じる。しかし、
「あったかい…」
沁みるのは傷だけではなかった。いつぶりか、口角がほんの少しだけ上がるのがわかった。
突然風を斬る音がしたかと思うと、ヒョォっと冷え込んだ空気が髪と火炎を同じ方向に傾けさせた。嫌な寒さを感じると同時に、優しい炎の温かさが強調された。