探して消えて担って
「あ、あの……」
声は勝手に震えていた。
「私より背が高くて、少しつり目で、黒い髪で……鼻が高くて、脚の長い女の子、見かけませんでしたか?」
口にしながら、胸の奥にへばりついていた悪い予感が、ぬるりと動き出す。
言葉にすればするほど、それが形を持って現れそうで、怖かった。
二人は一瞬だけ考えるような仕草を見せ、それから、当然といえば当然の質問を返してきた。
「名前は、わかる?」
もちろん、知っている。
でも、その名前を口にするのが、なぜだかためらわれた。
まるで、それを言ってしまったら何かが確定してしまうような、そんな感覚。
それでも、言わなければ始まらない。そう、分かっている。
私はわずかに息を吸って、唇を動かした。
「……クラフティ」
その名を聞いた二人は、今度はさっきよりも長く黙り込んだ。沈黙のあとに浮かぶ表情が、何よりも雄弁だった。
目の奥に宿る曇りが、「知らない」と言っていた。
でも、それだけで終わらなかった。
「探してこよう。この避難所の中だけでも、徹底的に調べる」
黒髪の男の人が立ち上がった。
その動きに遅れて、おじいさんも不安定な腰を支えながら立ち上がる。
「え、でも……そんな、無理しないでください。二人とも、疲れてるはずです」
あの地獄をくぐり抜けてきたのだ。体も心も、すり減っているに違いなかった。
何百人といるこの避難所で、ただ一人の女の子を探すなんて……正直、望みは薄い。
もしかしたら、もう――
「いいんだ。あんたは命の恩人なんだ。これくらいさせてくれ。いや、これでも全然足りないくらいだ」
その言葉が、胸に静かに沈んでいく。
たしかに、私はこの人たちを救った。だから、こんなふうに動いてくれるのかもしれない。
でも、それを当然と思ってしまいそうな自分が、どこかにいた。
それが、嫌だった。
……だけど、探してほしかった。
「……じゃあ、ごめんなさい。お願いします」
私は頭を下げた。
深く、できるだけ真っ直ぐに。願いが届くように。
そうして、ふたりは私の前から静かに姿を消した。
周囲を見渡せば、数え切れないほどの人。
その数に比例するように、ざわめきも耳を満たしていた。
しかしその喧騒のただ中にあっても、私はひとりだった。
誰かと肩を寄せ合い、助け助けられ、今ここにいるはずなのに――孤独だった。
それは、耳から侵入してきた“何か”のせいだ。
まるでぬるりと濡れた蛇のような存在が、耳孔から這い入り、奥の奥に巣をつくった感覚。
生臭く湿った音を立てながら身体に入り込んだそれは、今も私の中にとどまり、沈黙したまま視線だけをこちらに向けている気がした。
一度も瞬きをせず、眠ることもなく、ただじっと、じっとこちらを見ているような。
きっと、これから私が死ぬその瞬間まで、ずっと一緒。
根拠は無いけど、そういった確信めいた何かを感じた。
……。
思考がどんどん内側に沈んでいく。鬱屈で、暗い。重くて、じめじめしていて、出口のない湿原のよう。
あんなことがあったからこんなにも落ち込んでしまうのは仕方がないことだと、頭ではわかってるけど。
だけど、前を向こうとする気力が、どうしても湧いてこなかった。
村にいたころの私は、もっと笑っていた。
子どもたちと遊んで、たまに頼まれてご飯をつくって、農作業して、何も考えずに、ただ楽しく過ごしていた。
あの時間は、光に満ちていた。
あの不作の始まりからおかしくなった。
野菜は枯れて、家畜が次々と理由もなく死んでいった。
食べるものが減っていって、笑顔も少しずつ消えていった。
あの不幸も、この災害も、魔王のせいなのかな。
村のみんなは今頃何してるだろう。私がいなくなって、何日も経ったけど、心配してくれているのかな。
……それとも、もしかして私のことなんて忘れてるかな。
――こういう考え方はよくない。
頭の中に渦巻く黒いものから逃れるように、私は毛布を引き寄せて、もう一度その中に身体をうずめた。
目を閉じて、せめて何も見えなくなることを願った。
驚くほど簡単に眠りに落ちた。
――また目が覚めてしまった。
どれほど眠っていたのか、見当もつかない。
体にまとわりつくような気怠さを引きずりながら、ゆっくりと上半身を起こす。
周りは、相変わらずのざわめきに包まれていた。
人々の声、足音、すすり泣き、かすれた笑い声……そのどれもが溶け合って、空気を振動させている。
その真ん中に、ぽつんと座る私ひとり。
右手で毛布の端をつかみながら、ぼんやりと頭の中が動き出すのを感じる。
目覚めてまず最初にすることが、とりとめのないことを考えること。
村にいたころにはそんなこと起きるはずもなかった。
あの頃は目が覚めたら、頭より先に体が動いていた。
畑に行って、子どもたちの声を聞いて、次の食事の献立を決めて――考えごとなんて、必要のない世界だった。
すべては、あの不作から始まった。
――魔王のせいだ。
私たちがこんな思いをしているのも、誰かの命が次々に奪われていったのも、今、見知らぬ人々とひとつの毛布を分け合って眠るしかない現実も。
きっと、すべて魔王のせいだ。
「――ああ、起きたかい」
どこかから声がした。
振り返ると、あの短髪の男の人が立っていた。
彼女を探しに行ってくれた、あの人。
彼は少し気まずそうに目を逸らしながら、私の隣へ腰を下ろした。
その表情だけで、これから何を言うのか分かった。
けれど彼は、できるだけ私に気づかれまいと、慎重に唇を動かす。
「その……クラフティって子、見つけられなかった。避難所の隅々まで探して、何人にも聞き込みをしたんだが……手がかりは何もなかった。本当に、すまない……」
深く、重く、頭を下げた。
謝ることなんて、ないのに。もともと無理な頼みだったんだ。
この混乱の中で、ひとりの女の子を見つけるなんて。
「……大丈夫ですよ。焦らなくても、そのうちきっと見つかりますから……」
そう口にしたものの、自分でもその言葉がどれほど空虚か分かっていた。
「もしよかったら、その子のこと、もっと詳しく教えてもらえないか? それがあれば、もう少し探しやすくなるかもしれない」
……そんなことしたって無駄だろう。
でも、そんなふうに考えてはいけない。
「えっと……学校に通ってる、十四歳の女の子で――」
「え?」
突然、男の人が不気味なほどの驚きの声をあげた。
言葉が遮られ、私は一瞬言葉を失った。
男の人は目を大きく見開いたまま、まばたきもせず、私を見つめていた。
口がかすかに開いていて、そこから言葉が漏れそうで漏れない。
「え……どうしたんですか?」
問いかける私の声が、ほんのわずかに震えていた。
胸の奥に、冷たい風のような不安が流れ込んでくる。
「それは……本当なのかい……?」
その声は、確かに聞こえたのに、遠くの方で響いているようだった。
「え……はい……そうです……」
曖昧に頷いた私の言葉に、男の人がためらうように続きをつけた。
「え……で、でも……」
「この街に……学校は、ないよ」
「……え?」
音だけは確かに聞こえたのに、意味だけがどこか遠くへ滑っていった。
学校が……ない?
それは、どういう意味だろう。
でも、クラフティは……彼女は、確かに学校に通ってるって言ってた。
あのとき、自分でそう言っていた。
……嘘だったってこと?どうして?何のために?
思考が宙に浮いたまま動けずにいると、男の人が私の様子に気づいたのか、言葉を継いだ。
「えっと……隣の街には学校があるけど、ここから馬車で丸一日かかるし……通ってる子なんて、俺は今まで一度も見たことないし、聞いたこともない…」
え……?え?え?どういうこと……?
何度も頭の中で繰り返しても、答えは見つからない。
嘘だったと認めるのが一番自然のは分かっている。
でも、どうして――?
嘘だとしても、その理由がわからなかった。
そのとき、不意に背中を優しくさすられた。
きっと、ひどい顔をしていたんだと思う。自分ではわからなかったけれど。
「とりあえず、今は休もう。もっと落ち着いてから、また探せばいい」
そう言い残して、男の人は立ち去った。何か用事があるのだろう。
私はぽつんとその場に残された。
ぼんやりと空間に取り残されたような気分のまま、眠るでもなく、ただ毛布をもう一度引き寄せ、床に身を伏せた。
それから、いくつもの日が流れた。
配られるわずかな食料で空腹を紛らわせ、濁った水で喉を潤す。
頼りない毛布に身を包みながら、朝と夜の境目も曖昧な日々をやり過ごす。
新しい避難者が何人か加わったようだったが、私には誰が誰なのか、もうどうでもよかった。
あの男の人とおじいさんは、何度か私のもとに足を運んでくれた。
そのたびに、クラフティのことを話してくれる。
見つからなかったこと。
学校に通っていたという話はやはり不自然であること。
私はただうなずくだけだった。何かがおかしい。それだけは確かだった。
でも、それが何なのか、まだ輪郭がつかめない。
さらに幾日かが過ぎた。
クラフティの姿は影も形もなく、
彼女の痕跡さえ、風にさらわれたように見つからなかった。




