もっと強く
誰にも何も言わずに出て行くことにした。誰かと話すと決心が揺らぐからだ。
早朝の日の出、村のみんなが寝静まっている時間に村長ただひとりに見送られながらこの村を出る。目の前には村長が開いてくれた木製の頑丈な門がある。私はこの門を超えたことが一度もない。
「気を付けて行ってきてくれ」
村長はいつもとなんら変わらない硬い表情のまま、逆光を浴びながら静かに語り掛けた。もう少し…悲しんでくれたらうれしいかな…。私は、鋼で鍛えた剣を腰に携えて、身を守れるようにと渡された丈夫な素材で作られた服の紐をぴっちりと締め直す。
「じゃあ、行ってきますね…」
そう言って正面から日の光を浴びながら村の敷地外への一歩を踏み出そうとした。だが、その一歩が踏み出せなかった。足を止めずに進み続ける、そうしようと思っていたのに。不思議な力で足が止まった。不安をかき消すように太陽光の先を追ってスッと振り返る。そこには、16年間過ごした思い出が詰まった地が広がっていた。もしかしたら二度と帰ってこられないかもしれない。村のみんなと永遠の別れになるかもしれない。門を超えたことがない私にとって、この村が全てなのに、それと永遠の別れ…。そうなると、私はどうなるんだろう。陽の光を一身に浴びて少し考え込んでしまった。村長はその様子を黙って見てくれていた。
言い出したい。やっぱり、やめます。嫌ですって。いくら天啓でも従えませんって。そう言って、今から農場に戻りたい。でも、そしたら…みんなが…。
空を流れる雲が大きな太陽の光を遮り、大地を影に落とした。同時に、陽で温められていた空気が瞬間的に冷え込み、薄ら寒い風がヒョォっと流れてゾワッと鳥肌を立たせた。
ううん、絶対帰るんだ。すべて終わらせて、ただいまって。そして、またみんなと遊びながらここで過ごして、たくさん野菜食べて…。ここで妄想を打ち切った。これ以上考えると、日が落ちる時間まで考え込んでしまうからだ。
じゃあね…。心の中で呟いた。それきり村のことは思考の端まで押し出すように努力した。重い脚を無理矢理動かす。
門を超えた。ここからは未知の領域だ。村長は私が見えなくなるところまで見送ってから門を閉めようとしていたのだろう。後ろから門を閉めようと歩き出す音は聞こえない。その思惑に逆らって私はスゥッと振り返って自ら門に手をかけた。
「私、閉めときますよ…結構重いでしょう、これ」
無理な笑顔で語り掛ける。きっと引きつった顔をしていたと思う。村長はそれを数秒見つめた後、いつもと変わらない表情で
「ありがとう、メアリ」
と言った。その声がいつもより柔らかく感じたのは気のせいだろうか。それを心に留めた私は門をグッと握って両手両足に力を込め、ギィィと唸る門を元の形に直した。
私は門を挟んで村長を少し見つめた。その瞬間、先ほどまで陽を遮っていた雲が太陽の前から退き、辺り一面に光を与えた。これから朝が来ると告げている。私は少し眩しいと感じながら踵を返して歩を進め始めた。
それから振り返ることなく村が見えなくなるところまで歩いた。
「なんにも言わずに出てきちゃったな…」
寂寥感と後ろめたさを大きく感じながら、木々の間を抜けていく。村が隔離されたところにあるから、まずは森を抜けるところから始めないといけない。
「…怖い…」
とにかく不安でならない。村の外に出たことなんて16年間一度だってない。この森だって初めてだ。この森はすぐに抜けられるから…そこを抜けたら道なりに東に進めって言ってたな。とにかく森を抜けないと…。
進む、進む、とにかく無心で進む。考えるのが怖いからだ。頭を動かすと村のことを嫌でも考えてしまうからだ。
もう既に泣きそうな顔になっているだろう。でも、泣いちゃダメ、私は勇者だから。
何も考えていないのに不安な気持ちになるという矛盾を抱えながら、なんとか森を抜けた。
開けてるところに出た。大きな空と、古びた石畳の道路。ひび割れているところをみると、長い間人の手が加わっていないようだ。
村の外の人が作った道路だ。私は古びた道路に嘆くよりも、村の外には確実に人間が存在するという事象に確かな感動を覚えていた。当然、存在は知っている。だが、それは知識として蓄えてあるというだけで感覚としてはさっぱりなんだ。外の世界に出たという感触をもっと噛み締めようと思ったが、そうゆっくりはしていられない。東だから…こっち側か…。
村長からは”ゆっくり急げ”って言われてる。なるべく一直線に魔王の元に向かうこと。しかし、そのためには世界各地に点在する魔王の手下を倒さなければならない。その数は三体。その人たちを倒すために十分に力を付けて行け、それを全て倒して魔王の道は開かれるって、村長は言ってたけど…。具体性に欠けててイメージしずらい…。魔王は北、その手下たちはそれぞれ東、南、西にいるようだけど…もっと詳しい情報が欲しかったな…。
ううん、後ろ向きになっちゃダメ。まだ始まったばかり、大丈夫よメアリ、ポジティブに行きましょう。
とにかく今は東に向かわないと。最初の手下を倒すために…。
ザザッ!
「ん?」
頭を働かせながら足が取られそうな道路に気を配りながらぽつぽつと歩いていると、突如、端にある、人間一人は隠れることが出来そうな草むらが大きく揺れた。それはその後もガサガサという音と共に左右に揺れ、嫌でも注目してしまう。
私はそれを目を丸くして見つめていた。恐怖と不安で脚が震え始めた。草むらが揺れる音に合わせて私の脚も震える。私は自然と腰から剣を抜いていた。これから起こることを知っていたからだ。
震える手で力強く剣の柄を握り、”それ”が正体を現すまでじっと待つ。これは…村長が言ってた…
魔物だ!
バサッ!
「きゃあ!?」
瞬間、草むらから小さな影が勢いよく飛び出した。それ同時に思わず目をぎゅっとつぶって顔を背けてしまった。しかし、それではいけない。恐る恐る目を開き、視線を前方に移す。
がぁがぁ!
そこにいたのは、喉から掠れているとも言い難い、しゃがれた声を放つ人間の形をした魔物がいた。形は人間だが、肌の色は全身深緑で、目は不気味なほど大きく開いている。長い長い爪を携えており、引っかかれたらひとたまりもないだろう。
がぁがぁ!
「う…うう…」
さっきから震えている脚と手に加え、歯もガチガチと音を鳴らし始めた。
こ、怖い…。
村長は、剣で容赦なく斬りつけろって言ってた。で、でも…そんなことしたら…この人死んじゃうんじゃ…いや、その前に私が…?嫌だ…倒さないと…。逃げちゃダメ…ここで逃げたら…この先ずっと逃げることになる…。でも…
戦う覚悟を決める前に出発してしまったことをひどく後悔した。こんなに怖いことだと思わなかった。
魔物については理解しているつもりだった。たまに村に襲いに来る魔物もいた。しかし、私自身その姿を見たことはなく、いつも村長や村のおじさんが対処してくれていた。みんなは村長の家に隠れてろって言って、私たちが身を寄せ合って時間が過ぎる中、見えないところで戦っていた。私は怯える子供たちの頭を撫でたり、おじいちゃんおばあちゃんの介助をしていた。
戦ったことなんて…ない。その事実が、恐怖を加速させた。
え、え、こんなに怖いの…?足がうまく動かない…。剣も…落としそう…。落としたら…まずい…。落としたら…死ぬかも…。
頭もうまくまわらない。思考力がきょくたんにおちているのがりかい出来た。
じかんがたてばたつほどきょうふのボルテージがあがっていく。
このまませなかをみせてにげてしまおう。そうしてむらまでかえってしまおう。そうかんがえたやさき。
がぁ!!
マモノがひときわおおきなこえをあげてスルドイつめをふりかぶってオソイかかってきた。