子供みたいに
ちゅんちゅんと小鳥がさえずる声で目を覚ます。首をひねってみると、整えられていない、散乱している衣服が目に入った。
食事を摂った後、寝てしまったようだ。そんなに眠くなかったのに、暗くなったら寝てしまう。昔からそうだ。むくりと起き上がって辺りを見回すと、誰もいない。昨日の食事に使った食器はそのまま残っている。クラフティはどこに行ったのだろうか。彼女を求めて部屋から出た。
彼女はすぐに見つかった。綺麗な服とサラサラとした滑らかな髪を見せながら、玄関で靴を履いていた。
「どこに行くの?」
行ってほしくない。出来れば今日一日ずっと一緒にいたい。彼女は私の引き留めに振り向いた。目元が綺麗で、鼻が高くて、肌が白くて、昨日よりもさらに大人の雰囲気を漂わせてた。
「おはよ。学校行ってくるの」
「が、がっこう?」
学校って…知ってるけど…あれって六歳から十八歳ぐらいの子が通うやつだよね…。クラフティってどう見ても二十超えてるように見えるけど…。
「クラフティって何歳なの…?」
「私?十四」
「じゅ、じゅうよん!?」
「びっくりした?背高いからよく間違われるんだよね」
年下だったんだ…。大人のお姉さんだと思ってたけど…。
意外な事実に圧倒されている間に、クラフティは靴を履き終えて立ち上がり、私より高い身長を見せつけた。
「それじゃあ行ってくるね。一応鍵置いておくから、もし外出るときはちゃんと鍵かけてね」
そう言って玄関の横の棚の上に鍵を置いた。ドアノブをひねって前に押し出すと、朝の冷たくて気持ちいい空気と明るさが部屋に飛び込んできた。太陽の光が照り付ける綺麗な朝だ。扉を超え、家の範囲外に出る。
これから出るぞというタイミングだが、突然こちらにくるりと振り返り、私と目を合わせた。外の空気と朝日を一心に浴びた彼女は女神のように見える。
「いい子にしてるんだよ」
そういたずらっぽく笑いながら言って、扉を静かに閉めた。
私は一人残された部屋でぽーっと玄関のドアを見つめていた。クラフティの甘い香りがほんのりと残っていて心地よい。やがて彼女が行ってしまったことを悟ると、私は夜を過ごした部屋に戻った。
これからどうしよう。どうしようか全く考えていなかった。そもそもなんで街に行こうってなったんだっけ…。
膝を丸めて床に座り込んで問い続ける。
そこまで考えて、蘇る記憶。
情報収集だった。魔王とその手下に関する情報のために人が集まるところに来たんだった。そうとなれば外に出ないとどうにもならない。
でも…
昨日の夜のことを思い出してしまう。あれは私の心にトラウマとして残り、染み付いて離れなかった。
怖い…。外出たくない…。
私は外に出ることが好きだった。農作業も、子供と遊ぶのも、大好きだったのに…。また昨日みたいなことが起こるかと思うと怖い…。でも…外出ないと何もできない…。
魔王を倒さないといけないのに…。
立ち上がって玄関まで歩いてドアノブに手をかけた。
これを捻らないと…捻らないと…外に出ないと…こんなことしてる場合じゃない…。
ドアノブを握る手に力を入れた。
―――――――――――――
「ただいま」
透き通るような声と共に玄関の扉を開ける音が響く。
「いい子にしてた?」
頭上から降ってくる甘い声。うなだれている頭を持ち上げて声がする方に向ける。
口角を上げたクラフティがじっとこちらを下ろしていた。
「うん…」
「えらいえらい、あ、洗い物してくれたんだ。ありがとう」
そう言って私の頭を撫でた。うれしい…けど…
えらくなんて…ない…。
結局、今日はずっと部屋に引きこもっていた。もう少しで外出られたのに…。
私…ダメな人間だ…。
自己嫌悪が止まらない。こんなんで魔王を倒すなんて無理だよ…。
いや…
そもそも外に出てどこに行くの…?
漠然と情報収集って言っても何もあてがないんだから外に出ても無意味じゃない?
そうだよ。今日外に出たって意味なんてなかった。
そう考えると、途端心が軽くなった。
「あれ、なんか機嫌良さそうだね?」
「え?そうかな?」
顔に出てたみたいだ。そうだ…。これで、いい。
これでいい…はず…。
「ま、まあとりあえず…ご飯作るね。ごめんね作ってなくて」
そう言って立ち上がるが、突然、クラフティは私の肩を抑えて無理矢理座らせた。
「え?」
驚いて一瞬時が止まってしまう。もう一度膝を伸ばして立ち上がろうとするが、出来ない。相当強い力で掴まれているみたいだ。
「私が作るから座ってて」
そう言って手を離すと、背中を向けて調理場に向かって行ってしまった。
そんな背中をポーッと見ていた。
何をするでもなくただ待っていると、昨日見た光景と同じ、クラフティがお盆に四枚の皿を乗せ、スープをこぼさないようにとゆっくりこちらに歩いてきた。やがてテーブルの傍まで近寄ると、そっとお盆を置いた。
昨日と同じ光景だ。
昨日と同じ…
昨日と…
村のことを思い出す。子供たちといっぱい遊んだ記憶。
遊んでる最中、転んだり、喧嘩したりして泣いちゃう子とかいた。
そういう時、絶対私のところに来た。
私の脚と腰にしがみついて…甘えてきて…。
向こうが先に叩いてきたとか、悪口言ってきたとか。
私を挟んで争ってた。
いつも甘えられてたなあ…。
「ねえクラフティ」
「昨日の続き…したい…」
気づけば口から出ていた。無意識の一言。しばらく、何が起こったのか理解できないでいたが、途端恥じらいを感じて顔を地面に向け、クラフティから視線そらした。
変なこと言っちゃった…
クラフティ今どんな顔してるかな…嫌われたかな…。だって続き
「何してほしいの?」
心の声を遮る甘い囁き。耳元に、生温かく脳まで刺激するような吐息を吹きかけられ、全身が震えるのがわかった。視線を上げてみると、舌を伸ばせば届きそうな距離のクラフティの顔。鼻が高くて、まつげが長くて、唇が瑞々しい。
ホントに十四歳なの…?
あまりにも大人びている容姿と雰囲気に圧倒され、啞然とする。しかし突然、前髪の生え際に鋭い痛みが走った。
「あっ…いった…!」
前髪を掴まれた、それも結構強く。反射的に目を瞑って痛みに悶える。
「何してほしいのか言え」
彼女の聞いたことのない、低くてドス黒い声。今までの甘美な優しい声とは全く質の異なる、殺意まで感じてしまう声色に驚きと恐怖を覚える。
「ほら早く言え。ちゃんと言葉にしろ」
「う…あ……体くっつけたり…抱き合ったり…昨日は出来なかったけど…キス…とか…」
恥じらいも忘れて必死に汚らしい欲望を口にする。その間にも掴む強さは増していき、髪がちぎれそうなほどの痛みを覚えた。
「い、痛いっ…離して…!クラフティ…!」
そう懇願しても全く離す気配が無い。それどころかさらに強さは増していくように感じる。
「い、痛い!痛い!痛い!やめて!!お願い!」
終わる気配のない苦痛に身をよじって暴れ出す。目を瞑り、腕を、脚を、何かに助けを求めるように振り回す。
すると
ガシャン!
陶器が固いものにぶつかるような甲高い音が響いた。恐る恐る目を開けてみると、クラフティが用意した料理のお盆がひっくり返っている。スープはカーペットに染みをつくり、ゴミだらけの床にスープの具材とパンのカスが散乱している。とても食べたいとは思えない。
「う…あ…」
やってしまった。食べ物を粗末にしてしまった。でも…これはクラフティが髪を…
バシィン!
先ほどの音とは比べ物にならないほどの大きさの、何かが破裂したような音。それと同時に襲い掛かる頬の痛み。クラフティが私の右頬をはたいた。
「何してんの?」
まるで目に光が宿っていない。心底呆れ、ゴミを見るような目。それを彼女は私に向けている。これはクラフティじゃない。クラフティと同じ姿をした、人格が全く違う悪魔なのではないか、そう思ってしまうほどだった。悪魔となった彼女に圧倒され、私が何も言えないでいる間にも世界は進む。
「ほら、掃除」
そう言って埃に塗れたキャベツを乱暴に掴み、有無を言わさず私の口に押し込んだ。
「う…え…」
気持ち悪い。ゴミがたくさん付着しているという事実が嚥下を阻害する。えずきが止められない。嚙みたくない。数秒口に含んだが、結局飲み込むことは出来ずに、そのまま胃液と共に床に吐き捨ててしまった。
「お、おえ…」
もう無理。もう許して欲しい。クラフティはそんな私の願いを真っ向からへし折った。胃液に塗れ、私の口から糸を引いているキャベツを彼女は何の躊躇もなく拾い上げ、もう片方の手で私の口を開かせた。
「ほら、ちゃんと食べろ」
絶望を叩きつけられる。無理矢理口に突っ込み、次はそこから指を抜かなかった。
「手伝ってあげる」
キャベツが乱暴に口の奥に押し込まれる。ろくに咀嚼もさせずに喉を通らされ、たちまちそれは胃に届いた。食道とお腹に感じる異物感、不快感。吐きたくても、吐けない。悶えている最中でも、彼女からの拷問は終わらない。
再び前髪を掴まれ、強制的に頭を上げさせられる。
痛い。もうやめてほしい。
誠心誠意謝るから…そう伝えようと思って口を開く。
自然と彼女と目が合った。
笑ってた。
子供みたいに、心底楽しそうに。
その時、何を言っても、どれだけ許しを乞うても、彼女は止まらないと確信した。
白い手で左頬をスッと撫でられる。また…叩かれる…。そう思って目をぎゅっと瞑った瞬間
「泣いてるとこ…かわいいね」
昨日聞いた言葉。優しい声につられて目を開けてみると、にっこりと笑ったクラフティが目の前にいた。先ほどまでの悪魔の様な彼女はどこへやら、これまで私に向けていた顔と声に戻った。




