蛇の生殺し
「あっ…痛っ…!」
クラフティさんの家に上げてもらい、左の頬を治療してもらっている。血は滲み、赤く腫れており、冷水が傷口に沁みてヒリヒリと痛む。濡らして血を洗い流した後は、包帯を適当なサイズに切って、頬にあてがった。
「はい、これでおしまい。よくがんばったね」
彼女はそう言って包帯をテープで固定し、その上から優しく撫でた。
「ありがとうございます…」
「堅苦しいなあ、いいよ敬語なんて使わなくても」
そう言って笑いかけてくれた。笑顔がすごく素敵だ。親しくしてくれて嬉しいけど
嫌なこと思い出しちゃった…。
その時、燃料不足なのか部屋の中央のテーブルに置かれたランプの炎が縮こまり、消えてしまいそうになる。しかし、その心配をよそに、間もなく炎は元の勢いを取り戻した。
「そうだ。お腹空いてない?何か作ろっか?」
そう言われれば、今日は何も口にしていない。それを思い出した途端、強い空腹感に襲われ、全身に力が入らなくなった。
「すごく…お腹空いた…」
「正直でえらいね。じゃあ簡単なもの作るからちょっと待っててね」
そう言って隣の部屋に消えて行った。ひとり残された私。嫌でも部屋の中を観察してしまう。ひとことで言うと汚い。そこらじゅうに服や物が投げ捨ててあり、床が見えない。そのような状況だというのに、ど真ん中のテーブルにランプが置いてあるものだから、いつどこに引火するかわからない。私は防衛本能からか、ランプ周りにある引火しそうなものを端に寄せた。
掃除とか…した方がいいかな…助けてくれたお礼に…。
先ほどの悪夢を思い出す。頭に浮かべただけで寒気が止まらない。結局未遂で終わったが、もしそうじゃなかったら…。
忘れたい。忘れたい。
でも忘れられるわけがない。
一生抱えたまま生きていくんだ。
あんなこと…初めてだった。村の人たちはみんな優しかったから…そんなこと起こるはずもなかった。
やっぱり村で引きこもってた方がよかった。
もういやだ…。もう…こんなところ…
「大丈夫?頭抱えて」
突如響いた透き通る声。顔を上げてみると大きなお盆を両手で持っているクラフティが気遣わしげな表情でこちらを見下していた。お盆をテーブルに静かに置き、私と体を擦り合わせるように隣に座った。
「怖かったんだよね?ここは大丈夫だからね」
そう言って私の頭を穏やかに撫でた。私は無抵抗でそれを受け入れ、身を任せることに決めた。
物凄く心地いい、ずっとこのままでいたい。心からそう感じた。
「ぎゅーしよっか?ほら腕広げて?」
黙って従う。どんぐりのように丸まった身体を広げてクラフティに向き直った。
「はい、ぎゅー」
私の首に腕を回して体の前面を密着させる。お互いのお腹と胸がぴったりと服越しにくっついた。細くて長い腕が背中を優しく抱擁する。それを返すように私も脇の下から腕を通して彼女を抱き寄せた。
「ほっぺすりすりしちゃおっか?」
私の体をさらに引き寄せ、左頬を私の右頬に擦り合わせた。もっちりとしたクラフティの頬が気持ちいい。その快楽からか、彼女の骨を全て折ろうというほど強く抱きしめ、もうこれ以上密着することは不可能なまでそれを続けた。乳房が潰れて平たくなっている。最初は上半身のみ寄せ合っていたが、次第に、無意識に互いに両脚を絡め合わせ始めた。
体中余すことなく相手の体に擦り付けるように動かす。狩りの際、丸のみするために全身で獲物を縛り上げる蛇のようだ。私もクラフティも何も言葉を発さず、獣のように求めあった。
徐々に頭がヒートアップしていき、ボォっと放心し、複雑なことなど何も考えられない状態になっているのが自分自身で理解できた。
もっともっと…。
全身を一体化させるほど密着させるだけでは足りない。私は彼女のみずみずしい唇に自分の唇を重ね合わせようとした。
だがそれを遮るように、突然クラフティは私の体に巻き付けた腕をそっと離し、スッと立ち上がった。
なんで…やめるの……。
背の高い彼女を見上げる。
「今日はここまで。スープ冷めちゃうでしょ?」
口角を上げながらそう言い、テーブルを挟んで私の向かい側に腰を下ろした。
「すっごく物欲しそうな顔。かわいいね?」
いたずらに笑うクラフティ。
私、いまどんな顔してるんだろう。鏡があったら今すぐ見たい。
そう考えながら目の前の食事に視線を落とす。野菜が少々入っているスープと、斜めのスライスされたバケットが用意されていた。
ご飯…食べたい…お腹空いたから早く食べたい気持ちはあるけど…今は食欲とかじゃない…。
「続き…したい…」
「ダメ」
「どうしても…?」
猫撫で声だ。自分でもはっきりそう認識した。
「うん。でもいい子にしてればまたやってあげる」
目を細めて笑うクラフティ。
「じゃあ食べよっか」
私からの言葉を待たずにスプーンを手に取った。私は、もっと懇願しようかと思ったが、目の前に吊るされた餌につられてスプーンを手に取った。音を立てないように静かに掬って口に運ぶ。
「これ…」
クラフティがそれを見計らったかのように口を開き始める。私と同じ感想を抱いたのだろう。
「冷めちゃってるね」
やっぱり同じだった。
「うん、でもおいしいよ」
私は次々と掬っては口に運び続ける。
「ありがとう。優しいね」
優しい…。そんなの間違いだ。私は冷めたスープが美味しいとは思わない。
全部は自分のためだ。
自身に嫌悪感を抱きながら食事を続けた。




