選ばれた勇者
ちっぽけな村で生まれ、死ぬまで住人として暮らすと思っていた。都へのあこがれは無く、都には”これ”があると説かれても、行ってみたい見てみたいと感じることもない。
朝起きる。家畜の世話をする。料理をする。畑仕事をする。子供たちと遊ぶ。料理をする。寝る。ただそれだけ。同じことの繰り返し。
それでもこの生活が嫌だとか退屈だと思ったことはない。これでいい、これが好きって心の底から思っている。私の幼馴染や友人の中には、「この狭い村から出てもっと楽しいことをする」ってことを言って、引き止める声を無視して飛び出した人たちもいた。
私はずっとここで暮らそうって思ってる。
のに…。
「魔王を倒すために旅に出ろ」
村長にそう言われた。いきなり言われてもわけがわからない。
「なんで…私なんですか…?」
「昨日の夜、天啓があった。メアリを勇者として魔王を倒すたびに出させろとな」
「そんなこと言われたって…納得できないです…」
「納得できなくても行くしかないんだ」
村長の表情は土に深く埋まった大根のように強く、硬いものだった。本気なのだろう。
「そんな、魔王を倒すって…そんなの私とかの役目じゃなくて、都の騎士団とかの役目じゃないんですか…?」
「それはそうだ、だが、天啓があったんだ」
「天啓って…そんな…」
村長の天啓はこれまでも何度かあった。しかも、それらはことごとく良い方向に作用した。大雨が降るから屋根の補強をしろとか、魔物が襲ってくるからバリケードを作れとか。ことごとくそれは当たってたし、天の言いなりになることでこの村の安寧は保たれてきた。
「三日後の朝には出発してもらうからな」
「エッ!?そんな急に、せめて一週間ぐらいは…」
「ダメだ。その日に旅に出させろというのもまた天啓だ。すまない、わかってくれ」
引き受けたくない。でも…
「一回…一人にしてください…」
そう言って半ば逃げるようにドアノブに手をかけて外へ飛び出した。
人に優しくするのは好きだけどあまりに大役過ぎて私には無理だよ…。天啓って……今までそれでうまくいってきたし…。でも、魔王を倒す旅って、危険だよね…。
私、死んじゃうのかも…。
これから起こるかもしれない最悪の事態を考えながら歩いていると、正面からまん丸とした顔の少年がてこてことこちらに歩いてきた。
「メアリ姉ちゃん!村長さんちで何してたの?」
無邪気に口を大きく開けて尋ねる。
「ああ、なんかね…もっとヤギの数増やしたいねーみたいな?」
「最近ヤギ少ないもんな!野菜もあんまり取れねーし!もっと増えるといいよな!」
「う、うん…そうだね…」
「てか今日も遊んでくれよ!みんなでかくれんぼしよーぜ!」
「あ、うん…やろっか!」
ほんとは家に帰って今日のことについて考えたいのに。断れない。
結局四人の子供と日が暮れるまでかくれんぼをしてしまった。最初は楽しいと感じたが、かくれている最中に鬼ではないもっと巨大な何かから身を隠しているような恐怖を覚えた。それが頭の中に沁みついて離れなくなり、途中からは楽しめなかった。
いざ帰ろうと足の先を自宅の方向に向けた途端、後ろからか弱い力で私の服の裾を掴む感覚を覚えた。振り返ってみると、先ほどまでかくれんぼに勤しんでいた女の子が世界が終わるかのような顔を浮かべている。
「うん?どうしたの?」
しゃがみこんでその子と視線を合わせながら語り掛ける。その子は今にも涙が溢れそうな目を見せながら口を開いた。
「最近…お母さんが元気なくて…」
「え、何かあったの?」
「ご飯があんまり食べられてなくて…前よりおかずも少なくなってるし…そんなに不作なの…?」
私は下唇を軽く噛んだ。不作であることは事実だからだ。でも、子供たちにはそれを悟られてはならない。不安な気持ちにさせちゃだめ…。私は無理のない自然な笑顔をつくった。こういうのは得意だ。
「大丈夫!確かにここ最近ちょっとお野菜の量は減ってたけど…これからはたくさん取れるから!もうすぐに食卓がカラフルになるよ!」
「ほんとに!?」
嘘だ。
「うん、ほんとだよ!だから私やおじさんたちにドンと任せて!」
そう言って頭を優しく撫でる。そうすると女の子はにっこりと笑顔を浮かべて歯を見せた。
そうして表面上は良い形で会話を終え、手を振ってそれぞれの帰路についた。自宅に帰るまでも帰ってからも気が気でなかった。自宅の簡素なベッドに寝転んで、ずっと頭の隅からこちらを見ていた魔王についての考えを巡らせる。
魔王はずっとこの世に居座っていて、定期的に災いをもたらす。本でそう読んだし、実際そうだ。今の村で起こっているような不作や家畜の不自然な死が一定の周期で起こっている。今は魔王が暴れる時期なのだろう。この不作は30年単位でやってきて、3か月は絶望をもたらす。ただ…最初の家畜が死んでからもう3か月以上経っている。現在は異常事態ではあるんだよね。でもなんで私?力もないし…戦ったことなんてないから無理だよ…。そもそも、ずっと居座ってる魔王を倒しちゃって大丈夫なものなの?世の中でおかしな変化が起こっちゃうんじゃ…。でも村長が言ってるし…。大体、定期的な災いって言ってもしばらく耐えれば収まるんだから今は我慢する時期だ。このために貯蔵もしてきた。確かに少しずつ食料が尽きてはきたけど…もう少し頑張れば…。
もう少し頑張れば…。
その言葉が脳髄で反芻する。そのたび、子供たちの顔が浮かんでくる。昔から私のことを頼ってくれた。喧嘩の仲裁だって何度もした。料理を教えてほしいって言ってきたり、一緒に遊んでほしいって言ってきたり。
子供ってずるい。なんでもしてあげたくなってしまう。魔王のことと、子供のこと、不作のことをぐるぐると考えているうちに気が付けば深い眠りに落ちていた。
食事もとらずに朝を迎えてしまった。全身に気怠さを覚えながら村全体で営んでいる農場へと向かう。朝、野菜と家畜の世話から一日が始まる。牛小屋に到着し、様子を確認するべく中に入る。すると、ひとりの男が力なく倒れている牛の前で頭を抱えているのが見えた。
「おはようございます」
いつも通り私が挨拶をすると、生気がない顔をこちらにくるっと向けてきた。
「ああ…メアリちゃんおはよう…」
いつもは笑顔でガハハハと笑いながら村の端まで届きそうな声で挨拶を返してくれる人だ。だが、ここ最近はいつもこのような調子だ。
「また…ですか…」
「ああ…まただよ…もう…どうすればいいかわかんねえ…」
そう言って頭をガクンと落とす。目の前の牛は四肢を投げ出して倒れたままピクリとも動かない。このような家畜の死が後を絶たない。原因は、魔王だ。
「このままだと家畜みんな死んじまう…そうなればこの村も終わりだ…」
「そう…なっちゃいますね…」
「メアリちゃん…畑見たか…?」
「いえ、まだ…」
「そうか…畑もこんな感じのを想像してくれたらいい…収穫量は落ち続けてる…魔王のせいで不作なのはわかるが、今回は長いからな…」
私は何も言えなかった。とりあえず仕事をこなそうと道具を手に取ろうとしたが、「もうやることも少ないから俺がやるよ」と言われたのでそのまま農場を後にした。
村の中心に出てみる。村全体は覇気がない。この頃ずっとそうだ…不作が始まる前はやかましいほど話し声と笑顔を感じることが出来たのに、そんなものはない。だが、そんな中でも話しかけてくれる人はいる。
「メアリちゃん、メアリちゃん。こないだ、息子と遊んでくれてありがとうね」
「ああ、いえいえ、私も楽しかったですよ。またいつでも遊ぼうって言っといてください!」
どんなに不作でも、子供は世界に希望を持たないといけない。それが大人の役目だ。私はまだ16だけど、あの子たちにとっては大人だ。頼れる、しっかりした、助けてくれるような人に…
助けてくれるような…。
「メアリちゃん、この前は、倉庫の掃除手伝ってくれてありがとうね。もうこの年になると上手く体が動かなくて…」
「ううん、いいんですよ…また何かあったらいつでも言ってください」
あのおじいちゃん、もう長くないだろう。私が小さいころからかわいがってくれた。色んな遊びを教えてくれたり、畑の耕し方とか、体が弱くなるまでは村一番の働き者だった。寿命が先か、飢餓が先かというところまで来てる。あんなに優しくて、がんばって生きてきた人なのにお腹が空いて死んじゃうかもしれないなんて、そんなのあんまりだよ…。死んじゃったら寂しいよ…。
「メアリちゃん、お野菜分けてくれてありがとうね。今なかなか取れないのに…」
「いいんですよ。私野菜あんまり好きじゃないですし…それなら好きな子供がたくさん食べた方がいいに決まってます!」
私、人に優しくするのが好きだ。自己犠牲になることもあるけど、それでも誰かの笑顔を見るのが好きで…みんなには笑顔でいてほしくて…
「メアリちゃん」
この村が好きで…
「メアリちゃん」
人が好きで…
「メアリちゃん」
それを奪う魔王が許せなくて…
「メアリ」
「決心はついたのか」
目の前の村長に強く言われる。だがその前に、いくつか尋ねたいことがあった。
「この不作は…いつまで続くんですか」
「正確な数字はわからんが、あと半年は続くんじゃないかと予想している」
「魔王を倒せば…本当に改善されるんですか」
「される。それは絶対だ」
「わかりました…」
そう言って村長の目をじっと見つめる。
「行きます」