18話 逃亡OLとケンカの仲裁
幌馬車の中は窮屈で、寝転ぶ場所はない。
護衛の冒険者は3人で、馬車の外にいる。御者一人でガイドも兼ねているらしく、この幌馬車の説明があった。
①休憩は数時間ごとに設ける。3日後に到着予定。
②飲食は自分で持ってきたものを食べる。
③客同士の揉め事には関与しない。
④この幌馬車は国から許可の出ていない違法運行のため、治安維持隊などに見つかっても一切責任はとらない。
なんとロベリア王国とアシュガ帝国は表向き国交断絶をしているらしい。しかし、それを逆手にビジネスをする輩はどこの世界にもいる訳で。
「……暇だな」
アズーロの街を出発して数時間もすると、外の景色は草木一つない荒野が広がった。
そこからはずっと半日が経過しても荒野荒野荒野。景色が変わらず正直飽きた。
「本でも読むか」
私は市場で買った特大リュックの中から本をいくつか取り出した。
「まずはこれにしようかな。ゴブリンでも分かる基礎スキル論」
ステータスが上がり、知力や体力の数値が高くなったからか、自分でも驚くほどのスピードで文章が頭に入っていく。
要約するとこうだ。
スキルとは才能の可視化である。そのため、同じような頭脳、身体機能を持つ肉親と同じスキルを所有していることが多い。
環境によって後天的にスキルを得る場合もあるが、それは本人の内なる才能が目覚めた結果である。
ごく稀にスキルを奪取したり、生成したり、譲渡したりすることができる者がいるが、使用者に適正がなければスキルは使用できない。
すべてのスキル適正のある存在がいるという学者もいるが、それは不可能だというのが定説である。
「小難しい言葉が多いな。全然、初心者向けじゃない」
次に私が取り出したのは『しゅぞくずかん』という子供向け絵本だ。
人族
せかいでいちばん かずがおおい しゅぞく
エルフ
うつくしい つよい じゅみょうがながい ふくすうのしゅるいがいる
ドワーフ
せがひくい おひげ ちからもち しょくにんがおおい おさけだいすき
獣人
しっぽとかはねがある ちからがつよくてしゅんびん とがびと
鬼人
つの ぶじん きょうぼう ひみつしゅぎ
魔族
たたかいだいすき じゅみょうながい しゅみわるい
人魚族
まぼろししゅぞく ちにくをたべるとふろうふし?
最後に『ほかにもいろいろなしゅぞくがいるよ!』と記してあった。
おそらく、ここに書いてある種族が数が多かったり、有名な種族なのだろう。
「分かりやすくていいな」
私は絵本を閉じると、外を見た。
本を読むことに熱中していたようで、辺りはもう夕方だった。
「今日はこの辺りで休みます。日が昇り次第、また出発します」
御者が馬車を停めたので、私は何もない荒野に降り立った。
客たちはそれぞれ離れた場所でテントなり寝袋なりを広げて野営の準備を始める。
「さて、テントを張るか」
私は幌馬車からかなり離れた場所で、市場で買った組み立てやすい一人用のテントを広げた。
そして光る苔の入ったランプを手にテントの中に入ると、アイテムボックスから串焼きと固めのパン、野菜スープを取り出す。
屋台で作った料理をそのままアイテムボックスに入れたので出来立てほやほやだ。
「どうしたのシロタ。幌馬車に乗ってから全然しゃべらないじゃん」
私がそう言うと、シロタの尻尾がブルブルと震えた。
「ご主人様はあの視線を浴びて……何も感じなかったんですか!」
「視線? 特に殺気はなかったと思うけど」
「違いますよ!」
シロタ曰く、馬車に乗り合わせた人族の老人がずっと物欲しそうな――――血走った目でシロタとついでに飼い主の私のことを見ていたらしい。
「いくらで買ってくれるかな」
「精霊売買反対!」
シロタは涙声で叫んだ。
「まあ、温かいうちに食べなよ」
「なんだか誤魔化していません?」
シロタは訝しみながらも、いつも通りすごい勢いで料理に食らいついた。
「……面倒が起きないといいけど」
遠くで聞こえる怒鳴り声をBGMにしながら、幌馬車での一日目が過ぎた。
☆
二日目も快晴!
しかし、乾いた砂交じりの風と強い日差しがなんともいえない不快感を与えてくる。
「あの……お嬢さん。ちょっといいかね」
幌馬車に乗る前に私に声をかけてきたのは、人族のおじいさんだった。シロタのことを血走った目で見ている。
「その魔物……儂に売ってくれんか。孫へのプレゼントにしたいんじゃ!」
「いくらで買ってくれます?」
「ご、ご主人様!?」
「なんと! 人語も話せるのか。コボルドみたいじゃの。それじゃったら……金貨1000枚でどうじゃ!?」
日本円換算で1億円か。スキルストック兼不死身盾の値段にしては安いな。
しかし、こんな乗合の幌馬車で1億円も出すなんて、この人……何者だ。
「ごめんなさい」
「ご主人様……そんなにボクのことを大切に思ってくれているなんて……」
「いやぁ。儂もダメもとで聞いたんじゃ。ペットとはいえ、家族は売れんわな!」
豪快に笑うおじいさんに私は営業スマイルを浮かべる。
「私の名前はリリナです。名前を教えていただいても?」
「儂の名前はリアンドロ・アスターじゃ!」
私はスキル<鑑定>を発動させる。
*********
名前:リアンドロ
ノーマルスキル
計算A 剣術C カリスマG 幸運E
*********
私のランクだとファミリーネームまでは表示されないらしい。
とりあえず、リアンドロさんは嘘をついていないようだ。
「その様子を見るに、儂のことを知らないようじゃな! いきなり爺さんが金の話をして驚いたじゃろ」
「田舎から出てきたもので。リアンドロさんは身分が高い方なのですか?」
「平民だ平民! じゃがアシュガ帝国でも三指に入る商会の会長をやっておる。アスター商会といえば、帝都では子どもでも知っているんだがの! まあ、儂はほぼ引退の身なんじゃが!」
注意深く観察するが、ガハハと笑うリアンドロさんに嘘を吐いた様子はない。
……これはかなりいい出会いなんじゃないか。
「実を言うと私は商人志望なんです。道中リアンドロさんのお話を聞かせてくれませんか?」
「良い良い。こんな老いぼれで良ければな! それにリリナ嬢ちゃんは商人に向いていそうだ。儂の勘がリリナお嬢ちゃんは成功すると言っておる。まあ、それでも事業に失敗する可能性もあるがな。儂は責任を取らんぞ!」
「責任を取ってもらうほど子どもではないですよ」
私とリアンドロさんは笑顔で握手を交わす。
和やかな空間が広がるが、それはすぐに怒鳴り声でかき消される。
「もう我慢ならん! どうしてこんな家畜と馬車に乗らねばならないのだ」
「リサは家畜なんかじゃない! そんなに水を分けなかったことが気に入らないのか!」
少し離れた場所で、トラブルが起きているようだ。
人族のおじさんが、犬耳の獣人の女の子と人族の青年のカップルと揉めている。
人族のおじさんと人族の青年が言い争いをしていて、獣人の女の子は涙を堪えながら俯いていた。
「……こういう乗合馬車では、自分の食糧や水、物資を用意するものだ。しかし、あの男は仕入れた商品で鞄の中身がほとんど埋まっているみたいでの。昨日の野営の時にいろんな乗客に水をねだっていたんじゃ。儂らだって、最低限の物資しか持ち合わせていないのにな」
「なるほど。計画性がない馬鹿、びっくりするほどの他責思考、短気の癇癪持ち……総評クズということですね」
「いや、儂はそこまで言っていないんじゃが……」
彼らの言い争いを見て、御者と冒険者たちは呆れている。助けに入る気はないみたいだ。
……早く馬車を出発させてほしいんだけど。
私は人族のおじさんに近づいた。
「ねえ、うるさいんだけど。他の乗客に迷惑をかけるんだったら、馬車に乗らないでくれる?」
「テメェもこの家畜共に味方するっていうのか! 女のくせに邪魔するな!」
人族のおじさんが私に殴りかかってきた。
しかし、凶悪な魔物たちと死闘を繰り広げてきた私からすれば、おじさんのパンチは軟弱そのもの。スローモーションかと思うほどお粗末なものだった。
私は人族のおじさんの拳を片手で受け止め、そのままねじり上げる。
「痛いッ! やめ、やめろッ」
「乗客同士の揉め事には御者も護衛の冒険者も関与しない。それなら、あんたをボコボコにして地面に埋めてもなんのお咎めもないってことだ」
「いや、さすがにそれは咎めるぞ」
冒険者のリーダーっぽい人がツッコんできたので睨みつける。
「揉め事を静観していたくせに出てくるな」
「すみませんでした!」
軽く殺気を放つと冒険者のリーダーが勢いよく頭を下げた。
「痛いですッ、本当に痛いんですッ! お願いだから許してくださいッ」
先ほどの威勢とは裏腹に人族のおじさんが命乞いを始めた。
私は人族のおじさんから手を放す。
人族のおじさんが痛みから解放されてホッとした表情を浮かべた瞬間――――私は彼の顔を両手で掴み持ち上げる。
173センチの私の身長よりも人族のおじさんの方が小さかったので、彼は足が地面から離れてプランプランと揺れる。
「いい年した大人なんだから、マナーは守りましょう。次に騒ぎを起こしたら……ね?」
「……もう、しません。すみ、ませんでした」
人族のおじさんは潰れた顔で言った。
トラブルがこうして円満に解決し、馬車に私たちは乗り込んだ。




