ルーカス視点①
「ルーカス。……もう、今後はエリーゼ様と孤児院を回れないかもしれない」
「えっ?」
ユータの突然の発言に、俺はガタッと勢いよく椅子から立ち上がった。
その反動でテーブルの上に置いてあったイヤリングが床に落ちそうになり、慌てて受け止める。
「……どういうことだ?」
なんとか冷静にそう尋ねると、ユータは暗い表情を浮かべたまま静かに反対側の椅子に腰かけた。
その重苦しい雰囲気で、これから聞く話は俺にとっていい話ではないであろうことが容易に想像できる。
もうエリーゼ様と一緒に回れない?
せっかくエリオット様から、何も問題はないと言ってもらえたというのに?
「さっき、ドルトン様に呼び出された。もうしばらくしたら、お前も呼ばれるはずだ」
「父に? いったいなんの話で……」
「お前の婚約者の話だそうだ」
「婚約者!?」
クロスター公爵家の長男として生きてきて、いつかはそんな話がくることも理解していた。
あの厳格な父親が決めた相手であれば、何も問題はないだろう。
自分はただそれを信じて従うだけだ──そう思っていたのに、なぜだか今は心の奥底で「嫌だ」と思っている自分がいる。
なんで今になって……。
「……そのお相手は?」
「そこまでは聞いていない。お前にはきっと話すはずだ」
「…………」
「だが、相手が誰であれ……婚約者ができた以上、もう他の女性と一緒に出かけることはできない」
遠慮がちでありながら、どこかキッパリと言いきるユータの言葉が、俺の胸に重くのしかかってくる。
言っていることが理解できるだけに、反論の言葉が何も浮かばない。
たしかに、そのとおりだ……でも……。
「彼女のことは諦めろ」
「……え?」
「お前がエリーゼ様に惹かれているのは気づいてる。だけど、こればかりはどうにもできない。お前は……クロスター公爵家の長男なんだから」
「…………」
ユータに俺の気持ちをすべて代弁されて、なぜ今こんなにも自分が落ち込んでいるのかがわかった。
俺はエリーゼ様に惹かれていて、彼女以外の女性と結婚することを心が拒絶しているのだ。
しかし、それをどうすることもできない──だからこんなに苦しいのか。
これが恋愛感情なのかはまだよくわからないが……彼女に会えなくなるのは……嫌だな。
コンコンコン
「ルーカス様。ドルトン様がお呼びです」
「!」
父の執事の声に、無言のままユータと目を合わせる。
自分が今どんな顔をしているのかは、ユータの心配そうな表情を見たらなんとなくわかる。
「……行ってくる」
「ああ……」
先ほど掴んだイヤリングを丁寧にテーブルの上に置く。
エリオット様に渡し忘れてしまったこのイヤリングを、エリーゼ様に代わりに渡そうかと悩んでいたところだった。
エリオット様の許可もいただいたし、エリーゼ様のお名前も家も知っていると打ち明けるつもりだったのに……。
もう、本当に彼女には会えないのか?
父の話が婚約の話でなければいいのに──。
そう頭の片隅で考えながら、俺は父のいる執務室に向かった。
「……お呼びでしょうか?」
「ああ。来たか。……ユータに話は?」
「……聞きました」
「そうか」
なら話は早いとでも言うように、父は机の上で指を組み、その前に立っている俺をチラリと見上げた。
この不満な心が顔に出てはいないかと心配になりながらも、俺はまっすぐにその目を見つめ返す。
「お前の結婚はまだ先の予定だったが、婚約だけでも進めようかと思ってな。事業を開始したときに相手がいないと、いろいろと声をかけてくる家が増えて煩わしいだろう」
「…………」
やっぱり、婚約の話か……。
「実は前から相手は決まっていた。何かあれば変更できるように、今までは話を進めていなかったが……そろそろいいだろう」
「!」
前から決まっていたのに、俺には黙っていたのか。
何かあれば変更できるように、か……なんとも父らしい言葉だ。
貴族の結婚に愛情が必要でないことはわかっているが、それでもどこか悲しい気持ちになる。
人を人とも思っていないような言葉が、胸に小さな棘を刺していく。
俺はクロスター公爵家の長男だ。
たとえ望んだ結婚でなくとも、家のために受け入れなくては……。
「そうですか。それで、そのお相手の方は?」
「ワトフォード公爵家の長女、エリーゼ嬢だ」
「………………え?」
頭が真っ白になるとは、こういう状態を言うのだろうか。
全身から力が抜けたかのように、まるで夢の中にいるかのように、頭がぼんやりとしてうまく働かない。
今、なんて……。
「ワトフォード公爵家の……エリーゼ嬢……ですか?」
「そうだ。不満か?」
「い、いえ……」
「なら、いい。話はそれだけだ」
「……失礼、します」
まだ呆然とした状態のまま、俺は父に頭を下げて執務室から出た。
いまだに頭の整理がついていないため、自室に向かう足取りがフラフラしている。
……え? エリーゼ様?
俺の婚約者が……あのエリーゼ様?
「おい! どうしたんだ、ルーカス!?」
「…………えっ?」
ふと気がつくと、俺は青い顔をしたユータに体を揺さぶられていた。
さっきまで廊下を歩いていたはずなのに、いつの間にか自分の部屋に戻ってきていたらしい。
「大丈夫か!? 婚約者の話以外にも、何かあったのか!?」
「……大丈夫だ。話は、婚約者の件だけだった」
「じゃあ……よっぽど嫌な相手だったのか?」
「いや…………むしろ、その逆だ」
「逆?」
ユータが不可解そうに眉をくねらせる。
俺はそんなユータを真顔で見つめながら、小さな声で答えた。
「エリーゼ様だった」
「……は?」
「俺の婚約者、エリーゼ・ワトフォードだった」
「…………」
一瞬の沈黙。お互い、ただただ真顔のまま見つめ合う。
おそらく、ユータも今の俺と同じような状態になっているのだろう。
ハッと我に返ったユータは、やけに険しい顔をしたまま「はああ!?」と叫んだ。
「エリーゼ様!? お前の婚約者が、あのエリーゼ様!?」
興奮しているユータに、俺はコクコクと頷くことしかできない。
俺自身もまだ半信半疑だが、父から直接聞いていないユータは尚更信じられないらしい。
まだ疑うような目で俺を見ている。
「本当か? お前がそう望みすぎて、聞き間違えたんじゃ……」
「いや……それはない。父にも復唱して確認したから」
「じゃあ、本当にエリーゼ様がお前の婚約者に……?」
「…………」
「…………」
またまた訪れた無言の時間。
でも、今回はさっきのように真顔じゃない。2人とも、吹き出すのを我慢しているようなニヤけた表情になっている。
まだ完全に信じられていなかったけど、ユータと話しているうちにどんどん実感が湧いてきた。
本当に……エリーゼ様と婚約を!?
「やった……!」
「よかったな! ルーカス!」
「ああ……!」
先ほどまでの重く苦しい気持ちはどこへやら。
今は晴れ晴れとした明るい気持ちで、世界が輝いて見える。
「ユータ。ワトフォード家に約束を取りつけてほしい。エリーゼ様とは数日後に孤児院で会う約束をしているが、その前に会いたい。……クロスター家のルーカスとして、きちんと挨拶をしたいんだ」
「はぁ……ほんとど真面目だな。わかった。連絡してみよう」
「ありがとう」
……エリーゼ様は、もう俺が婚約者だと知っただろうか?
この前お会いしたとき、エリオット様は俺に婚約の話は何もしなかった。
きっと、まだ話は保留にしてほしいと父に言われていたのだろう。
婚約者はいないって本人が言っていたし、エリーゼ様もまだ聞いていなかったはずだ。
……俺が婚約者だと知って、嫌がられたらどうしよう。
急な不安に襲われたけれど、それ以上に嬉しい気持ちが大きすぎる。
俺は高鳴る胸をおさえながら、早くエリーゼ様に会いたいと願っていた。




