ディラン視点
「あの……ディラン様……」
やけに弱々しい声で名前を呼ばれる。
なぜか体がさっきよりも密着しているし、顔も近い。
少し潤んだ瞳で見つめられて、俺は自分の心臓がドンッと体から飛び出したかと思った。
「な、な、な、なんだ、何……を、急に……っ」
うまく喋られずに、声がどもってしまう。
苦しいくらいに心臓が速く動いていて、頭が働かない。
なぜこんなにも緊張しているのか、なぜこんなにも体が熱くなっているのか、なぜこんなにも焦っているのか、自分で理解できない。
自分がおかしいのは少し前からだ。
フェリシーを婚約者役にすると言われたのに、なぜだかまったく嫌だと思わなかった。
それどころか、まともなドレスを持っていないフェリシーの心配までしていたくらいだ。
「フェリシーにそれなりのドレスを仕立ててやってくれ」
そうメイドに伝えたときの、ギョッとした顔が頭から離れない。
その反応を見て、俺は自分がおかしい言動をしていることに気がついた。
待て!! なんでアイツのドレスを俺が用意してやらなきゃいけないんだ!?
別に今持っているものでも十分……いや。でも、俺のイメージにも関わるんだし、口を出してもおかしくないんじゃないか!?
だよな!? これくらいは変じゃないよな!?
「ほ、ほら。俺が恥ずかしくないように、安っぽいものじゃなくきちんとしたドレスをだな……!」
「! そうですね。かしこまりました」
俺の説明を聞いて、メイドがなるほど! と納得したように頷いた。
サッと紙とペンを取り出しメモを取っているのを見て、ホッと胸を撫で下ろす。
「ああ……頼んだぞ」
「はい。ドレスの色は何色にいたしましょう?」
「色?」
そう聞かれた瞬間、華やかなピンク色のドレスに身を包んだフェリシーが脳裏に浮かんだ。
髪の毛の色と相まって、なんとも美しく可愛らしい姿だ。
……って、可愛いってなんだ!?
別に俺はアイツのことをそんな風に思ってなんか……!
「ディラン様?」
「ブ……ブルーだ! 薄いブルーにしてくれ!」
「かしこまりました」
……つい違う色を言ってしまった。
メイドに変な目で見られる気がして、なんとなくピンク色とは言えなかった。
薄いブルーも似合うとは思うが、今度は別の心配事が襲いかかってくる。
勝手に決めてしまったが、フェリシーはピンク色のほうが喜んだかも……薄いブルーで大丈夫か……?
アイツの意見なんか関係ない。俺が用意してやるんだから、俺が決めていいだろう。
そう思っているのに、俺はパーティー当日までずっとソワソワしていた。
気になりすぎて、朝一でフェリシーの部屋を訪ねてしまったくらいだ。
俺が別のドレスを用意することもできると言ったあとの、メイドの驚愕した顔が忘れられない。
フェリシーがドレスを綺麗だと言ってくれて、どれだけホッとしたことか……。
でも!!!
そのドレスを着てるフェリシーを、なぜだか見れねぇ!!!
エリーゼだと間違われないようにフェリシーは髪の色も瞳の色も変えていて、いつもとは別人に見える。
でも妹に似た部分がなくなった分、なぜか余計にフェリシーをまっすぐに見られなくなってしまったのだ。
くそっ!! なんで俺がこんな慌てなくちゃいけねーんだ!?
勝手に1人で緊張してて意味がわかんな…………あ?
プイッとフェリシーから顔を背けた瞬間、視界の端に見覚えのある男がいることに気づいた。
忘れたくても忘れられずに、頭にこびりついている忌々しい黒髪の男──フェリシーと一緒に孤児院にいたヤツだ。
今、俺の真後ろに立っている。
なっ、なんであの男がここに!?
冷静に考えればおかしなことではない。
貴族であれば、このパーティーに参加していても不思議じゃないのだ。
そんな簡単なことを今の今まで考えていなかった自分に、腹が立つ。
まずいっ!! この男がもし俺の顔を覚えてたら……もしそれをこの場で話されたら……フェリシーに、俺が孤児院までつけて行ったことがバレる!!
たとえこの場でその話が出なかったとしても、俺がワトフォード家の者だって知られたらあとでフェリシーに言われるかも……!
この男がどこの誰だか知りたいが、それ以上に俺のことを知られるわけには……。
そのとき、たまたま後ろを振り向いた黒髪の男と目が合ってしまった。
一瞬、ほんの少しだけお互いの目をそらさずに見つめ合ったあと、俺はフェリシーの手を払って走り出していた。
「えっ!?」
フェリシーの驚いた声が聞こえたが、説明している暇はない。
今はただあの男と顔を合わせるのを避けるために、会場を出てひたすらに廊下を走っている。
まずい! まずい! まずい!
目が合った!! 話しかけられる前に逃げないと……!
会場に置き去りにしてしまったフェリシーが気になるが、あの姿なら黒髪男もフェリシーだとは気づかないだろう。
時間を置いて戻ればいい……そう思いながら走り続けていると、背後から男の声がした。
「待ってください!」
は?
まさかと思い振り返ると、なんと黒髪男が俺のあとを追って走ってきていた。
俺に向かって、「すみません! 待ってください!」と叫んでいる。
はあああ!? なんっで俺を追ってきてんだ!?
「話があるんです! 待ってください!」
「…………っ!」
俺はねーーよ!! ついてくんな!!!
ここで止まるわけにはいかない。
俺が誰なのか、この男に知られるわけにはいかない。
俺は王宮内にある太い柱をうまく利用しながら走り、自分の姿が見えなくなったであろうタイミングで外に飛び出した。
「はぁ……はぁ……っ」
よし! この辺に隠れて……!
サッと木の陰に身を潜めて、黒髪男の様子をこっそり窺う。
少し遅れて外に出た黒髪男は、キョロキョロと庭園を見渡している。
見つかってないようだな……。
諦めたのか、しばらくして黒髪男はまた王宮内に戻っていった。
一気に疲れが出て、ガクッと脱力してしまう。
「はぁ……なんだったんだ、あの男。なんで追いかけてきたんだ?」
話があるとか言ってたが、いったいなんの用だ?
まさか俺の名前を聞こうとしてたとか?
「……今まで話したこともない俺を追いかけてきたってことは、やっぱり孤児院にいたのが俺だって気づいたんだよな?」
そうでなければ、目が合っただけの俺をわざわざ追ってはこないだろう。
あの日、向こうは俺の姿を一瞬しか見ていないはずなのに、よく覚えていたなと感心してしまう。
でも、それならなおさら顔を合わせるわけにはいかねぇ……。
孤児院に行ってたとフェリシーにバレたくない……って、あれ?
「……フェリシー!」
しまった!
フェリシーと一緒にいたところも見られてるし、俺が捕まらなかったからって黒髪男がフェリシーに声をかけるかもしれない!
今は別人の見た目をしているが、よく見たら顔が似ていることにも気がつくし、声や話し方でバレる可能性も非常に高い。
まずい!! 変なことを聞かれる前に、なんとかして止めないと!!
重くなった腰を上げて、急いで立ち上がる。
自分のことを聞かれないように……という他にも、なんとなくあの2人に会話をしてほしくないという理由で、俺はまた全力で走り出した。




