このドレス、ディランが選んだの?
「おはようございます。フェリシー様。すぐに起きてください」
パーティー当日。
目を覚ますと、まだ薄暗い部屋の中でマゼランが至極めんどくさそうな顔で私を見下ろしていた。
マゼランの後ろには、話したこともないメイドが3人同じような顔で立っている。
な、何……?
ゴシゴシと目を擦りながらゆっくり起き上がると、マゼランが苛立ったように私の布団をバッとはぎ取った。
「早くしてください。時間がないんですから」
「早くって、何を……?」
「パーティーに行く準備に決まっているでしょう?」
「えっ? 準備を手伝ってくれるの?」
私の質問に、マゼランはチッと舌打ちでもするように顔を歪めてから「そうですが」と答えた。
もう少し隠したほうがいいんじゃないかと言いたくなるほど、顔にも声にも心底嫌がっているのが滲み出ている。
「ディラン様に頼まれましたので。きっと、恥をかきたくないのだと思います」
あ、なるほど。
マゼランが私のために動いてくれるわけないので、ディランに頼まれたと聞いて腑に落ちた。
でも、それと同時に今度は違う疑問が浮かび上がってくる。
っていうか、ディランが私の準備を手伝えって命令したの? なんで?
恥をかきたくないって、婚約者役として少しでも綺麗にしてほしいってこと?
あのディランにも理想の女性像があるのかと思うと、ちょっと意外だ。
それに、すんなり私を婚約者役として受け入れていることにも驚きである。
何かエリオットに弱みでも握られてるとか……?
そんなことを考えながらベッドから降りると、マゼランがテーブルの上に置いてあった貴族名簿に気づいてジロッと睨んできた。
「この貴族名簿、名前と顔はすべて覚えたのですか? 間違えたらディラン様が恥をかくのだから、絶対に間違えてはいけませんからね」
絶対に覚えていないだろうと思われているのがヒシヒシと伝わってくる。
私はニヤッといやらしい笑みをしたくなるのをグッとこらえて、爽やかに微笑んだ。
「大丈夫よ。全部覚えたから」
「えっ? ……まあ、覚えたならいいですが」
少し残念そうにそう言うなり、マゼランはプイッと顔をそらしてバスルームに向かった。
ニヤニヤしたいのを我慢しておとなしくメイドたちのあとをつける。
ふふん。意外そうな顔ね。
まだって答えてたら、きっと散々嫌味を言われてただろうな。
まあ……本当は1人も覚えてないんだけど。
*
エリオットから命令されたあの日の夜、私のもとに分厚い貴族名簿が届けられた。
パーティーに誰が参加するかわからないため、関わりのある貴族は全部覚えておけということだった──が。
「レイフェス・グリディカール公爵、アーノルド・シュガーレン伯爵……って、覚えられるか、こんなの!!!」
パラパラとページをめくりながら、目に入った名前を読み上げてみる。
普通に読むだけでも間違えそうなのに、これを全部暗記するなんて100%無理だ。
なんなの、この長すぎる名前は!!!
山田太郎とかいないわけ!? 鈴木とか田中は!?
こんなの数日で覚えられるわけないっ!
頭を抱えてテーブルに突っ伏すと、勢いあまってゴツッと額をぶつけてしまった。
ヒリヒリしているけど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
どうしよう……無理ゲーすぎる。
このクソゲーのクリア以上に難しすぎるよ。
パーティーに参加する人は、みんな社員証みたいに名札を首からぶら下げるルールにしてくれないかな……。
そんなバカみたいなことを考えたとき、頭の中にある画面が浮かんできた。
キャラクターの上に必ず『キャラ名』が出ている、そんなゲームの画面が──。
「……あれ? あれって、このゲームじゃなかった?」
すっかり忘れていたけど、たしかゲーム初期の設定はキャラの名前が画面に表示されるようになっていたはずだ。
ほぼ同じキャラしか出ないのに、毎回毎回名前が出てうっとおしかった記憶がある。
そういえば、あれは表示されないように設定を変えたんだよね?
ってことは……もしかして、設定を戻せばまた名前が表示されるようになるんじゃ!?
*
……って、それでマイページとかいろいろ探ってみたら設定変更できたんだよね〜!
今、バスルームで私の髪を洗ってくれているマゼランの頭上にも、しっかりと『マゼラン・カルヴィス』と名前が表示されている。
一度名前を確認したあとも、すでに名前を知っている人物でも容赦なく表示され続けるので、正直とてもとてもうっとおしい。
ま、今日のパーティーが終わればまた設定を変えればいいもんね!
少しだけの我慢、我慢!
このおかげであの地獄の暗記作業から逃げられたんだから、これくらい可愛いものよ!
これでエリオットやディランに文句を言われなくて済むと、初めてこの機能に心から感謝した。
もしこの機能がなかったなら、本気で逃亡を企む必要があったかもしれない。
「次はメイクをします。ドレッサーの前に座ってください」
マゼランに言われるまま、バスローブを着て部屋に戻る。
その瞬間、他のメイドたちが光り輝く眩しいドレスを運んでいるのが目に入った。
あまりの美しさに、一瞬で目を奪われてしまう。
きっ……綺麗!!
朝日を浴びてキラキラと輝くそれは、まさに憧れのプリンセスドレスだ。
ドレスは何着か持っているけど、こんなに綺麗で可愛いドレスは持っていない。
淡い水色!! 可愛い!!
もしかして、今日このドレスを着るの!?
「とっても綺麗……」
「ディラン様がお選びになったドレスです。汚さないように気をつけてくださいね」
「えっ!? これ、ディラン様が選んだの!?」
マゼランは私の質問を無視して、黙々と準備を進めている。
私にこのドレスが用意されたことを、不満に思っていそうな様子だ。
まさかディラン本人が選んだなんて……!
私に新しいドレスを用意してくれたことにも驚きだけど、こんな高そうなドレスを……!?
いったいどうしちゃったの、ディラン!?
ドレッサーの上には、薄茶色のウイッグやアクセサリーも用意されている。
これもディランが選んだのかな? と考えていると、突然部屋の扉をノックされた。
コンコンコン
「……俺だ」
「!」
ディラン!?
その声を聞くなり、マゼランがすぐに準備を中断して扉を開けにいった。
いつもなら返事も聞かずに勝手に入ってくるくせに、ノックをして開けてもらうまで待機しているなんてディランらしくない。
え、違う人?
声が似ている別人かと思ったけど、部屋に入ってきたのは間違いなくディランだった。
バスローブ姿の私を見るなり、顔を赤くしてバッと顔を横に向けている。
「わ、悪い」
「いえ。大丈夫です」
またディランが謝った!!!
どうやら、バスローブ姿を見たことに対して謝罪しているらしい。
顔が赤くなっているところを見ると、意外とディランは純情なのかもしれない。
私にとってはモコモコのコートみたいで特に気にならなかったけど、この格好で男性の前に出ないほうがよかったのかな?
といっても、私に確認せずディランを部屋に入れたのはマゼランだけどね!?
マゼランは悪びれた様子もなく、ツン! とアゴを突き出すようにして私から顔をそらしている。
まあ、いいや。
それよりなんでディランはこんな朝早くから私の部屋に来たの?
起きてるかの確認??
「えーー……と、何かご用でしょうか?」
「…………」
「…………」
無視かい!! なんなの?
あっ。もしかして、ドレスを用意したことに対してお礼を言ってほしくて来たとか!?
「……ディラン様。あの、こんなに素敵なドレスを用意してくださり、ありがとうございました」
「……ああ」
「…………」
「…………?」
それだけ言うなり、黙ってしまったディラン。
目を合わせてくれないため、何を考えているのかまったく読み取ることができない。
な、なんなの?
もっと偉そうに「そうだろ」とか「もっと感謝しろ」とか言われると思ったのに。
っていうか、いつまで壁を見てるわけ?
話が終わりなら出ていけばいいのに……と思っていると、ディランがいつもより小さい声でゴニョゴニョ言い始めた。
「そ、その色でもよかったのか?」
「え? その色?」
「だから、ド、ドレスの色だよ。勝手にその色にしちゃったけど、違う色がいいならすぐに用意させる……けど」
「…………」
言われた言葉が理解できず、すぐに返事ができなかった。
意味はもちろんわかるのだけど、それがディランの口から出た言葉だったために、本当にそういう意味で合っているのかと疑ってしまったのだ。
え? 私が違う色がいいって言ったら、それを用意してくれるってこと?
え? 今、私の意見を聞かれてるの?
な……何これ? ディランのイベントじゃないよね?
ディランが選んだドレスに賛成するのかどうか、試されてるわけじゃないよね?
「え……っと、初めて見たときにとても綺麗な色だと思ったので、こちらのドレスで嬉しい……です」
「! そ、そうか」
ディランは一瞬だけパァッと顔を輝かせるなり、すぐに咳払いをして険しい顔に戻していた。
顔は怖いけど、オーラには嬉しそうな空気が漂っている。
「それだけ確認したかっただけだ。……邪魔したな」
「あっ、いえ。お気遣い、ありがとうございました」
「……別に」
そう呟くなり、ディランはやけに早足で部屋から出ていった。
再度準備を開始したメイドの横で、私はポカンとその場に立ち尽くしている。
「…………」
いや、誰!?!?
今のディラン!? 本物!?
え。その確認のためだけに、わざわざこんな朝早くから訪ねてきたの!?
嘘でしょ?
「えぇ……?」
ディランの謎言動に驚きつつ、私はマゼランたちに急かされて身支度の準備に取りかかった。




