婚約者ルーカス視点②
「ほら! 言った通りだろ? 彼女は明日も孤児院に行くって」
「…………」
次の日。
また街にやってきた俺とユータは、複数の店で買い集めたパンを持って孤児院の外から庭の様子を眺めていた。
庭に座って子どもたちに本を読んでいるのは、まさに昨日会った令嬢だ。
「街の人の言う通りだったな。ピンク髪の綺麗な女性がこっちに向かって歩いてたって。見てた人がいてくれたおかげで、探し回ることにならなくて済んだな」
「……探し回ることに……なってたら、俺は帰ってたぞ……ハァハァ」
ゼェゼェと息切れしているユータが、不機嫌そうにボソッと呟く。
彼がこんなに疲れているのは、複数の店を回ってパンを買い集めたからだ。
「だから……しっかり予約して……ハァハァ……来週から行こうって……言ったんだ」
「悪かったよ。でも、ほら。彼女に会えたからいいじゃないか」
「……なんでお前はそんなに元気なんだよ」
「さあ。ユータこそ、なんでそんなに疲れてるんだ?」
昔から勉強ばかりしてきたユータは、体を動かすことがあまり得意ではない。
本人はそれを気にしているらしく、ムッとした表情で俺の足を膝蹴りしてきた。
「うるさい。お前の体力が異常なんだよ」
「いたっ。ちょっ……なんだよ」
ドスッドスッと連続して膝蹴りをしてくるユータから逃げていると、眼帯をつけた彼女の護衛と目が合った。
昨日会った男たちがまた現れたというのに、特に驚く様子も彼女に伝える素振りもないまま、ジッと静かにこちらを見ているだけだ。
あれ? 無反応?
彼女に何も伝えてくれないことを残念に思いながら、チラッともう1度彼女に視線を戻す。
幼い子どもたちに囲まれて、笑顔で絵本を読んでいる彼女。
その幸せそうな表情に、こちらも自然と笑顔になってしまう。
……俺がいなくても、彼女は昨日と何も変わらないな。
『女に騙されるな』
これも、父やユータにしつこく言われてきた言葉だ。
貴族令嬢の多くは、家柄や容姿だけで相手を判断し、その身を委ねようと企むことがあるそうだ。
最初は信じられなかったその話も、この年になればさすがに理解できている。
自分の前とそれ以外で、顔つきや話し方、態度の変わる女性を何人も見てきたからだ。
昨日も思ったけど、やっぱり彼女は俺が今まで出会った女性とは違うようだ。
そんなことを考えていると、バチッと彼女と目が合った。
「!」
無反応だった護衛騎士とは違い、彼女は驚いたように目を丸くしている。
……俺に気づいた?
ヒラヒラ
どこか浮かれそうになる気持ちを抱え軽く手を振ってみたが、彼女はポカンとした顔のままこっちをみているだけだ。
笑顔になることもなく、手を振り返してもこない。
あ、あれ?
声をかけようかと一歩踏み出したところで、子どもたちに話しかけられた彼女はパッと俺から目をそらした。
すぐにまたこちらを向いてくれるかと期待したが、そのまま本を読み始めた彼女は一向に顔を上げる気配がない。
「…………」
「……歓迎されてないんじゃないか?」
「か、歓迎されてない?」
ユータがやけに冷静な声でボソッと囁いた。
こんな冗談を言うヤツではないので、ヒヤッとした感覚が背中を走る。
「見ただろ、さっきの反応。普通、お前が会いにきたら令嬢はみんな顔を赤くして寄ってくるのに」
「…………」
「それが、お前を無視して絵本の続きを読み始めた……ってことは、歓迎されてないんだよ」
「そんな……」
言われてみれば、今までは自分が動かなくとも令嬢から話しかけられてきた。
自分から挨拶をして返ってこなかったのは初めてだ。
勝手にまた現れて、迷惑だと思われたかな?
そんな不安が頭をよぎるが、だからといって何も言われていないのに帰るという選択肢はない。
「とりあえず、中に行ってみよう。これから一緒に孤児院を回りたいって話もしたいし」
「……歓迎されてないかもしれないのに?」
「断られたら、ちゃんと諦めるよ。でも彼女に直接聞くまでは諦めない」
「はぁ……。ド真面目め」
知り合ってから何度言われたかわからない『ド真面目』という言葉を笑顔で流し、俺はユータと一緒に孤児院の中に向かった。
ユータは面倒ごとや効率の悪いことが嫌いだ。
それでも俺が最終的に決めたことには反対せずにつき合ってくれる……そんなユータに、俺はいつも感謝している。
その後、街のカフェに移動した俺は早い段階で彼女にその話をした。
歓迎されてないと思ったのは誤解だったのか、彼女──フェリシー嬢は、俺たちが今後一緒に孤児院を回る提案をすんなり受け入れてくれた。
俺に婚約者がいないかどうか確認した上でだ。
『婚約者がいても、条件のいい男を狙ってくる令嬢は多い』ってユータが言ってたけど、彼女は違うようだ。
もし俺に婚約者がいたら、断られていただろうな。
婚約者がいなくてよかったという安堵とは別に、フェリシー嬢にも婚約者がいなくてよかったと思っている自分がいる。
この安堵は、一緒に孤児院を回れることに対する安堵なのか、それともただ単純に彼女に婚約者がいないという事実に安堵しているのか……よくわからない。
そんな状態で迎えた翌日。
フェリシー嬢と一緒にやってきた孤児院の外で、彼女を見ている男性がいることに気づいた。
高級そうな服に身を包んだ、短い金髪の若い男性。
ひと目見たら忘れないくらいの整った顔をしたその男性は、孤児院の庭にある小さな木の陰に隠れながらコソコソとフェリシー嬢の様子を窺っている。
あの人は……。
ジッと見ていた俺に気づいたのか、その男性と思いっきり目が合った。
男性の真っ赤な瞳が、太陽の光で宝石のようにキラリと光る。
その瞬間、地面に座っていたらしいもう1人を肩に担ぐなり、その男性は走っていってしまった。
「あっ……」
……行ってしまった。
真っ赤な瞳に、金色の短髪、高い身長にあの顔……もしかして、ディラン・ワトフォードか?




