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婚約者ルーカス視点①


 俺の父親は気難しい人だ。

『クロスター公爵家』という代々受け継がれてきた家柄を守るために、高位貴族としての誇りを何より大事にしている。



「お前は甘い。もっとクロスター公爵家の跡取りとして、自分にも周りにも厳しくなれ」



 幼い頃からずっと言われてきた言葉。

 父が言うには、他人に優しくするときにも必ずその見返りを考えろということだった。


 自分に得にならないことはするな。

 他人に舐められるな。

 利用されるな。


 言われるたびに「はい」と返事をしてきたが、内心は理解などしていなかった。




 見返りのない優しさがあってもいいじゃないか。




 貴族だからって、そこまで冷徹になる必要はないんじゃないだろうか。

 もっと気を抜いて、楽しく過ごしたほうがみんな幸せなのに。


 そんな本音を胸に抱えながらも、俺は尊敬していた父に従った。


 父が守ってきたものを壊したくはない。

 父のため、クロスター家のため、用意された道をそのまま進んでいたとき──彼女に会った。




 ピンク色の波打つ長い髪に、宝石のような綺麗な赤い瞳。

 誰もが振り向くほどの美しい女性──フェリシー嬢。


 派手な装いではないが、整えられた髪や肌。

 それに護衛騎士のような付き人を見れば、貴族令嬢だとすぐにわかる。


 まだ若く美しい貴族令嬢。

 普通であれば、ドレスや宝石で自身を飾りつけお茶会やパーティーなどを楽しむ年頃だ。


 しかし、フェリシー嬢は目立たない格好で絵本とパンを孤児院に寄付し、子どもたちと楽しそうに遊んでいた。




 ……不思議なご令嬢だ。




 それが彼女の第一印象だった。








「彼女をどう思う? ユータ」



 初めて彼女と会った日の帰り、俺は馬車の中で疲れた顔をした幼なじみに問いかけた。

 ユータは一緒に事業を始める仲間でもあり、最近ずっと2人でこの街を歩き回っている。


 今日は途中から大量のパンを持たせてしまったため、いつも以上に疲れた様子だ。



「かなりの美人だな」


「いや。顔じゃなくて……。彼女、貴族令嬢だよな?」


「だろうな。あんな護衛つけてるくらいだし。知らないのか?」


「……見たことはないな」


「お前がわからないってことは、男爵家か子爵家あたりの家柄の娘なんだろ」


「…………」



 父からの命令で、俺は幼い頃から貴族たちの顔と名前を覚えさせられた。

 この国の『公爵家』はもちろん、力のある『侯爵家』と『伯爵家』の家族全員の名前、見た目や性格の特徴、周りの貴族との関係などだ。


 会ったことのある者や写真がある者については、顔もしっかり覚えている。




 彼女の顔は見たことがない……。

 でも、薄いピンク色の髪に赤い瞳という特徴の娘は過去に覚えた記憶があるような……。




 父からは、当主とその妻、長男を優先的に覚えろと言われていたため、娘の名前はすぐには頭に浮かんでこない。

 1度でも会っていたり、写真を見たことがあれば別だが、顔もわからないとなればなかなか難しい。




 父親が誰かわかれば、その家族の名前や年はすぐに浮かぶんだけど……。

 公爵家当主でピンク色の髪の方はいなかったよな?

 赤い瞳の方は……。




 そこまで考えてハッとする。




 って、何を考えてるんだ!?

 彼女は素性を知られたくなさそうだったじゃないか!

 どの家の娘か考えるなんて、彼女に対して失礼だ。

 



 シスターから名前を聞かれた彼女は、答えにくそうにオロオロと困っていた。

 見かねて自分の名を出そうかと提案したときの、彼女のホッとした表情は今もよく覚えている。




 慈善活動をしていながら自分の身分を隠すなんて、本当に不思議な人だ。




 他人に優しくするときにも見返りを求めろ、自分の得にならないことはするな──そんな父のいう『貴族としての考え』とは正反対だ。

 

 自分への見返りを求めずに、孤児院に本を寄付している不思議な令嬢。




 ……やっぱり、俺は貴族にもそういう優しさがあっていいと思う。

 彼女のこと、もっと知りたいな。




「ユータ。父から言われていたこの街に役立つ何か……あれ、孤児院に寄付して回るのはどうだろう?」


「パンを?」


「パン以外も! この街のいろいろな店でたくさん買えば、店にとってもプラスになるし。どうだ?」


「まあ、普通貴族は高級店からしか買わないからな。この街に金が回って、孤児院への慈善活動も報告できる……うん。いいんじゃないか?」



 こういうとき、ユータは温情や同情といった感情に左右されることなく、客観的に物事を考える男だ。

 自分とは正反対な分、頼りになるし信頼もしている。




 ユータが賛成してくれるなら大丈夫だな。

 よし!

 



「じゃあ、明日から早速やろう!」


「明日から!?」



 ユータは顔を引き攣らせるなり、背もたれに寄りかかっていた体をガバッと起こした。

 眉間にシワを寄せて目を細くしたユータの顔には、『また面倒なことを言い出したな、コイツ』という思いが溢れ出ている。



「え……ダ、ダメか?」


「お前な! 今日はたまたま予約キャンセルがあったから大量のパンを買えたが、普段からあの量を買ったら他の客の分がなくなるだろ!」


「あ」


「こういうのは事前に予約しないといけないんだよ。材料の確保も必要だしな。来週からでいいんじゃないか?」


「…………」



 ユータの言うとおりだ。

 別に焦る必要はないし、店のことを考えても来週から動くほうがいいだろう。


 そう頭ではわかっていても、どこか納得できずにモヤモヤした感情が俺の中に渦巻いている。




 なんでだろう……なぜか、来週からじゃ遅いような気がする……。




 うまく説明できないが、自分の中の何かが『明日行け』と訴えてくるのだ。

 明日行けば、また彼女に会える──と。




「……いや! やっぱり明日行こう! 食料は、いくつかの店から少しずつ買って集めればいい」


「……なんでそこまでして明日にこだわるんだ?」


「明日、彼女もまた違う孤児院に行くと思うから。一緒に行きたいんだ。俺たちだけで回るより、子どもたちも安心すると思うし」


「……彼女と一緒にってのはとりあえず置いといて、なんで明日彼女が別の孤児院に行くって知ってるんだ?」


「勘だ!」


「…………」

 

 

 ユータの俺を見る目が、あきらかに不審者を見る目なんだが……そんな顔になるのも理解できるので仕方ないだろう。




 でも、なぜか絶対会えると確信してる。

 これはもうどうにも証明できないから、それを確かめるためにも明日また孤児院に行かなくては。




 ユータからの返事はまだだが、俺は勝手に明日の予定を考えていた。


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