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二日後。
約束の日まで、あと一日。リッドウェイは今日も朝から出かけて、情報収集に向かっていた。
一方のベルセルクも、朝からシナンに見つからないように、外に出歩いていた。といってもやることがないので一日中暇だった。そこらの店で、商品を見たりしてはいたが、暇には変わらなかった。
夕方になって、ベルセルクはとある居酒屋に足を運んでいた。
カランカランという鈴の音と共に、出迎えの声がやってくる。
「いらっしゃい……。おや、ベルじゃないか。久しぶり」
気さくにベルセルクにあいさつをする女性。亜麻色の長い髪で、ちょっと大人な雰囲気をかもし出している。
マーテル・レヴァナント。通称『マティ』。この居酒屋の亭主である。
彼女は元々、ここの住人ではなかった。ベルセルクと同じ故郷の出身で、ベルセルクとは昔からの腐れ縁の仲なのだ。
前に仕事で来た時、たまたま再会し、彼女が店を構えた事をベルセルクは知ったのだ。
「その呼び方やめろって言ってんだろうが。ガキか俺は」
「私にとっちゃ、似たようなモンだよ。アンタがこ~んな小さな頃から知ってるからねぇ」
「それって自分が年増だって言ってるようなモンじゃ……」
ガンッ。
「何か言った?」
「……いや、別に」
平然とベルセルクは返す。
途中、何か物騒な音がしたが、それは気にしないのが大人というヤツだ。
「それに、アンタだって、アタシの事『マティ』って言ってるじゃないか。人の事、言えた義理じゃないと思うけど?」
言われて「そうかよ」とベルセルクは反論しなかった。もうこの女に呼び方をやめろというのは無理だと理解した。
マティはグラスを出して、酒を注ぐ。
その間に、ベルセルクはふと周りを見渡し、店が寂しい事を感じた。
「にしても、どうしたよこの客のなさは。前ならこの時間帯、ごった返してただろ?」
「いやぁ、それがどうもみんな魔物狩りに出かけちゃったらいんだよ。うちに来るのって、みーんなギルド関係の奴らだから」
「だからって、これは少なすぎだろ?」
「そうなんだけどねぇ……どうも、最近の魔物は変な行動するらしくてねぇ。退治するのに一苦労するらしいんだよ」
「変な行動……ねぇ」
ベルセルクは先日の魔物の大群やラプトールの事を思い出していた。確かに妙と言えば、妙だった。今まで魔物がイレギュラーな行動を取るのはたまにあった。しかし、今回のように連続して異常な事をしでかすことはなかった。しかも、それはベルセルクの知らない所でも起こっているらしい。
何かが起こっている。しかし、それが何なのかは、ベルセルクには分からないし、別段興味もなかった。
「そういや、アンタ、弟子をとったって本当かい?」
ピクリ、とベルセルクの体が止まった。
「……誰から聞いた?」
「アンタとつるんでるって言ってたね。確か名前はリッドウェイ、だったか?」
「リッドウェイ、あのクソバカッ」
毒づくベルセルク。街に出かけていたのは、情報収集だけではなかったようだ。どうやら毎度おなじみの宣伝までしているようだ。しかも、弟子を取ったっていう余計な事まで含んで。
相棒の馬鹿さ加減に頭を悩ませているベルセルクに、マティは面白そうに聞いてきた。
「で? 実際、その子どうなのよ?」
「……何でそんな事聞くんだ? ってか、何でそんなに楽しそうなんだ?」
「あん? そりゃだって、アンタが弟子にするくらいの子だよ? 面白そうに決まってるじゃないか」
「別に俺が弟子を取るのと、面白いのは関係ないと思うんだが……」
ベルセルクはグラスの中にある酒を覗き見ながら、考える。
「……まぁ、そこらのゴロツキよりは見込みはあるな」
「おや、そうなのかい。てっきり『全然ダメ』と言うと思ってたのに」
「おい、そりゃどういう意味だ?」
「どうもこうもないよ。アンタの事だ。どうせ今でも他人を卑下するような事しか言ってないんだろうが」
確かに、とベルセルクは納得する。自分は他人に対して、そういった言葉を言う方が多い。マティに言われても、仕方がないのかもしれない。
「まぁ、そんなアンタが『見込みあり』って言うんだ。こりゃ相当なヤツに違いない」
「別にそこまで言うほどのもんじゃねぇぞ。見た目はちっこいくせして、言う事だけはデカイ。挙句、人の部屋を勝手に掃除したり、俺の酒を没収したり……」
そう、このリドリアーナに来てからも、シナンは身の回りの整頓やら掃除やらを徹底的にしていた。昨日だって宿屋だというのに、少しでもベルセルクが何かを汚すと、ぷんぷん怒ってくるのだ。挙句、持ってきていた酒をすべて没収していった。
ふ~ん、と言うマティだが、ふと妙な顔になった。
「というか、その、何だね。その弟子って何だから家政婦みたいなヤツだね」
「全く持って、そう思う」
「でも、良かったんじゃないかい? アンタの事だ。どうせ部屋は汚くて、飯だってロクなもん食ってなかったんだろ?」
「否定はしないが、他人に勝手にされるというのが、俺の勘に障る」
「んな事言えた義理かい? 周りの面倒見てくれるだなんて、ありがたい事じゃないか」
言われてみると、シナンが来てからというもの、身の周りの事をほとんどやってくれているおかげで、前よりも段違いに住みやすくはなったと言っても過言ではないだろう。
掃除をしてくれるし、身の回りの事をしてくれて、ベルセルク達が絶対しない事をしてくれている。
故に、ここはありがたいと思うべきなのだが……。
「なんか、釈然としねぇんだよ」
言いながら、ベルセルクは酒を一気に飲み干す。
「素直じゃないねぇ」
そんなベルセルクを、マティは呆れたような目で見つめる。
おかわり、とベルセルクが酒をもう一杯たのもうとした時。
カランカラン。
「あっ!? ようやく見つけましたよ、師匠!!」
鈴尽きドアが開かれ、一人の少年(実は少女)が入ってきた。
ベルセルクははぁ、とため息を吐きながら、その方向へ向く。
「お前、何やってんだ?」
そこには、息を荒げながらベルセルクを睨みつけるシナンの姿があった。
「それは、こっちの台詞ですよ!! 今日こそは修行に付き合って貰おうと思ってたのに、朝からいなくて町中捜したんですよ……って、ああ!! こんな所でまた酒飲んでたんですか!?」
「こんなところとは失礼な。ここは居酒屋だぞ。酒を飲むところだ。何が悪い」
「そういう問題じゃないんです!! 師匠は酒を飲みすぎだって言っているんです!!」
「別にいいじゃねぇか、酔わないんだし。俺の勝手だ」
「よくありません。祖母が言ってました。アルコールは適度が一番。飲みすぎると体に毒だって」
いや、なぜにここでおばあちゃんの豆知識を出すんだ? とベルセルクは心の中でツッコミを入れた。言ったら言ったで、またぎゃあぎゃあと騒ぐと思ったからだ。
「っつか、お前には関係ないだろ?」
「大有りです! 師匠が倒れでもしたら、誰が僕の修行みてくれるんですか!」
「いや、俺だって未だにお前の修行見てないし」
「だから見てくださいって言ってるんです!」
と、熱く語るシナンだが、ベルセルクはうんともすんとも動こうとはしない。
すると、マティがクスクスと笑っているのに気がついた。
「……何笑ってやがる」
「いやね、どうにも可笑しくてねぇ。あの『狂剣』とも言われたあんたが、こんな小さな子にここまで言われてるの見れば、誰でも笑うだろうさ」
『狂剣』ベルセルクはその戦いの姿が狂った剣のような姿をしていることから来た名前だ。知っている者なら、仕事以外で誰も近づこうとはしないし、ましてや口喧嘩をするわけがない。いつ斬りかかってきてもおかしくはないと思われているのだ。
そんなベルセルクが、こんな子供に酒をやめろと説教を言われているのを見れば、可笑しくもなるだろう。
マティはシナンを凝視して、目を見開いた。
「しっかし、驚いたね。まさかアンタの弟子が、こんな小さな子供だったなんて」
「こ、子供じゃないです!」
子供扱いされたのが勘に触ったのか、シナンはムッとしながら否定する。それを感じ取ったのか、マティは苦笑しながら謝る。
「ああ、悪い悪い。アンタ、名前は?」
「し、シナン・バールです」
「シナンか。アタシはマーテル・レヴァナント。マティって呼んでくれ」
気軽な挨拶を終えると、マティはシナンに質問した。
「にしても、こりゃまた美形が来たもんだ。ベル、まさかアンタそっち系の趣味走ったわけ?」
「どういう趣味の事言ってんだよ」
「ホモ」
「死ぬか、一回?」
すでに半分ほど剣が鞘から抜かれていたのを見て、「冗談よ、冗談」とマティは軽く流した。
「でもねぇ、そう思われるくらい、この子は美形よ? アタシが言うんだから間違いなし」
「何言ってんだ。お前が言うからって意味が分からん。つーか、そもそもコイツは女だ」
え? とマティは素っ頓狂な声を出して、もう一度シナンを凝視した。そのあまりにも恐ろしい顔に、シナンは苦笑いで返すしかなかった。
じーっと見ること十秒ほど。マティはカウンター越しでシナンの両肩を抱いて、引き寄せた。
「うっわ、ホントだわ。この子、女の子じゃないか!?」
「だから、そう言ってるじゃねぇか」
うんざりしたように、ベルセルクは返した。
「ベルッ! まさか、アンタこの子を手篭めにしようとしてんじゃないだろうね!」
瞬間、ベルセルクは口に含んでいた酒を「ぶはっ」と吹きだし、シナンにいたっては顔が真っ赤に染まっていた。何を言い出すんだこの女、とベルセルクは心の中で、つぶやいた。
しかし、ベルセルクが言う前に、シナンが反論した。
「な、何言ってるんですか、マティさん!! ぼ、僕達はそんな関係じゃありませんよ!」
「シナン。よーくお聞き。このロクデナシは、昔っから女運がなくてねぇ。それはそれはモテなかったのさ。だから、この歳になって無理やりにでも女を作ろうとしても、何ら不思議じゃないのさ」
「オイコラ、何勝手に作り話を聞かせてんだ」
「作り話じゃないさ。現に村にいた頃は、アタシ以外の女には「きゃー恐い」とかなんとか言われて喋りもしなかったじゃないか」
「どんだけ昔の話を堀り返してんだ。っつか、俺とコイツとじゃ歳が離れすぎてるだろうが」
「今時の男は、変な趣味が多いもんだ。まさかこんな年下に手を出そうとは」
「……オイ、いい加減にしねぇと、マジで潰すぞ」
今度は剣ではなく、拳が握りながら、人の話を聞かないマティにベルセルクは釘を刺す。
「それに、俺はこんな小さくて、胸を触れたくらいでビービー泣きながら人の顔を殴るような女好みじゃない」
その言葉と同時にシナンの顔がさらに赤くなり、しまいには首元まで赤くなっていた。
「な、ななな、何言い出すんですか、師匠!」
「事実だろう? 人が助けてやったってのに、胸を間違えて揉んだくらいで人の顔を殴りやがって」
「くらいって何ですか!? 女の子にとって、それがどんな屈辱か分かるんですか!?」
いや、わかんねぇよ、とツッコミを入れたかったのだが、シナンの顔が今にも泣きそうなほどうるうるになっていて、あまりにも可哀想に思え、ベルセルクは口を開かなかった。
その光景に、またもやマティが笑い出す。今度は腹をかかえながらだった。
そんなマティにベルセルクは静かに注意する。
「笑うな」
「いや、アンタも結構面白いとは思っていたが、この子もかなり面白い子だねぇ」
言われて、シナンは顎を引き、下に俯いた。未だに顔は赤いままだった。
その姿にマティはまたもやシニカルな笑みを見せる。
「なんだか訳ありって感じだが、頑張りな。コイツはロクデナシだが、戦いに関しちゃ一流だからね。一応は教わることがあると思うよ」
ニヒヒヒッと何だか気分のよさそうな笑顔で言うマティであった。それに対して、「はい、頑張ります」とシナンは答える。
「そうと分かれば、早速このロクデナシを連れて修行でも行っておいで」
「なっ、おいマティ、お前なぁ」
「アンタ、まだこの子の修行に付き合ってあげてないんだろう? 師匠だったら修行くらい付き合ってあげんのが筋ってもんだ」
まともな正論を言われ、ベルセルクは言い返せなかった。
シナンは一度マティを見た。マティはというと「早く連れていきな」と言わんばかりの顔をしており、シナンはそれに笑顔で返した。
「なら、お言葉に甘えて。ほら、師匠行きますよ」
「いや、どうせならもう一杯飲んでから……」
「い・き・ま・す・よ」
「分かった、分かったからそんなに引っ張るな。服が伸びるだろうが」
小さな体に引っ張られていくベルセルク。二人はそのままカランカランとベルを鳴らしながら、ドアを開け出て行った。
それと同時に店内には、ベルセルクが来る前の静けさが戻っていた。
「……何だ。楽しくやってるようじゃないか」
鼻を鳴らしながら、マティは呟く。
そして、そのまま店の仕度を始めるのだった。