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「―――で、言い訳はあるか? メリサよ」
全く目が笑っていない表情でのスカサの一言にメリサは思わず苦笑いを浮かべた。
「えっと、その……勝手な事をしてしまい、すみませんでした」
床に座らされながら、メリサは深々と頭を下げる。もはやこれ以外の手段が思いつかないほど、今のスカサは恐ろしい。
メリサの謝罪にはぁ、と溜息を吐きながらスカサは言う。
「確かに今のヌシは以前と比べ、回復している。全開といってもよい。じゃが、そもそも戦いなどできんヌシが何故危なっかしいことに首をつっこむのか……その理由が分からんとは言わん。理解もしよう。じゃが、それに対して何も言わない、ということはワシは看過できん」
「……はい」
元気なく答えるメリサ。けれども、それはスカサの言い分が正しいことを理解した上でのことだった。
戦闘能力がない自分が危険な場所へわざわざ向かったとしても、何かできるわけではない。むしろ、殺される可能性しかないのだ。
そう。彼女がこれだけ怒りを露わにするのは、裏を返せば自分のことを慮ってのことなのだ。それが理解できないわけではないし、それ故に何も言い返す言葉がない。
だが、一つ言いたいことがあるとするのなら。
「うむ。全くもってその通り。お前はもう少し、周りというものを見るべきだと俺も思うぞ」
などと口にするライドに対して、貴方にだけは言われたくない、と思うのは間違っているだろうか、と心の中で呟いたがそれが自分だけの疑問ではないことはスカサの言葉で証明される。
「……まぁメリサの行動についてはここまでにしよう。で、ここからが本題なんじゃが……それらの行動を止めなかったヌシは何をしておる?」
「むっ? 何をと言われてもな。見ての通り夕食の支度をだな……」
「やかしいわ!! そんなこと言われんでも分かっとる!! っというか、説教を受ける側が何を堂々としておるのか!?」
荒げる声音にしかしてライドは何食わぬ顔で答える。
「師よ。確かに今回、俺は王妃の行動を止めなかった。そのことを糾弾されるのは当然だろう。何せ、俺は彼女の剣になると誓ったのだから。だが、今回の騒動は彼女の意思であり、覚悟の上でのもの。それを止めるなどということは無粋極まりないことだ。人の信念を捻じ曲げるというのはそれ相応の信念が必要だ。しかしな、困ったことに俺は逆に彼女の熱意ある行動の先を見たいと思ってしまったのだ。窮地にありながら自分を貫き通す姿。それこそが俺が見たいと思うものであり、人の輝きで―――」
「ふんっ!!」
瞬間、部屋中に甲高い鉄の音が部屋中に響き渡る。見るとスカサの鍋の一擊がライドの顔面に直撃していた。
……が、ライドは全く微動だにしないまま、続ける。
「師よ。人が話している最中に割り込むのは些かどうかと思うぞ?」
「それはその通りじゃが、ヌシに関しては例外じゃろうて。全く反省してない奴にきつい仕置をするのはいつの時代も一緒じゃろうが」
「ふむ。一理あるな。そして、その理屈で言えば今ので俺への説教は終わったということだな」
「そんなわけあるがこの馬鹿弟子!! ようし、そっちがその気ならこっちにも考えがあるぞ!! その余裕ぶった態度を今日という今日は改めさせてやるわ!!」
「これはまた否ことを。俺がいつ師の前で余裕ぶったことを言った? 俺は常に本気だぞ」
「そういうことを口にするところを叩き直すと言っているのだ!!」
そこから始まったいつも通りの説教という名の乱闘はがいくばくか続いた。
そして数分後。
「はぁはぁ……それで? そこの男は何者じゃ?」
スカサは息を切らせながら正体不明の男を指差しながら問う。彼女の疑問は尤もであり、けれどもその答えを知る者はここにはいなかった。
「さてな。先程も言ったが奇妙な者に殺されかかっていた。あの口調と技のキレ、実力からして相当腕のある殺し屋とみて間違いないだろう。殺人鬼、と己で公言していたくらいだ。持っていた武器も恐らく『魔装』の類だろうしな」
「そう考えると、そんな者に狙われるほどの理由がこやつにはある、と……また面倒事を持ってきたものよ」
「申し訳ありません」
「謝る必要はない……とは言わんが、しかしそう気にすることもない。ヌシだけのせいでもないのだから」
「そうだぞ、王妃。お前は自分の意思でこの者を助けたいと思い、実行した。ならばそれに謝罪の言葉を述べるのは筋違いというものだ」
「全くもってその通りなのじゃが、逆にヌシはもう少し反省という言葉を理解しろ」
とは言うものの、笑みを浮かべるだけで返事をしない辺り、いうだけ無駄というものだろうが。
「しっかし、これはまたひどい火傷じゃ。加えて刺し傷も結構深いところまでいっておったわ」
「大丈夫でしょうか?」
「安心せい。腹の傷は何とでもなる……が、火傷の方は跡は残ってしまうあろうが……まぁ生きているだけでも奇跡的なのだ。そこは大目に見てもらうとしよう」
などと言いつつ、男の身体に手を当てると、唐突に掌が光り出した。これがスカサの力の一つである治癒の能力らしい。小さな傷は一瞬で、大きな傷も時間はかかるが大抵は塞がってしまうというのだから凄まじいという他ない。
とそこで疑問が浮かび上がる。
「あの……スカサ様。ライド様の治療の方はよろしいんでしょうか?」
別に目の前の男の傷を軽んじているわけではないが、しかしライドはライドでかなりの重傷だったはず。無数の短剣を背中に浴びせられていたのだ。普通なら即死であるはずの攻撃を受けながら生きているライドは常人離れしているとは思うのだが、それでも治療は必要だろう。
しかし、スカサの応えは何とも端的なものだった。
「ん? ああ、別にいいじゃろ、そやつは。唾でもつけておけば治るじゃろうて」
「はははっ!! これはまたひどい扱いだな、師よ」
「事実そうなのじゃから問題なかろう。実際、ヌシの傷はもう閉じているのだろう?」
言われ、不敵な笑みを浮かべながら「まぁな」と答えるライド。その言葉にメリサは信じられないと言わんばかりな表情を浮かべた。
「む? その顔は疑っているな? いいだろう。ならば証拠を見せてやろう」
「証拠……って、なっ、何をいきなり脱いでるんですか!?」
「? 背中の傷なのだから、脱がなければみえないだろう?」
「そうですけど、そうなんですけど!!」
顔を両手で隠しながら訴えるメリサ。王妃という立場であった彼女は男の身体というものはあまり見慣れていないのだ。ましてやそれが国王以外となれば尚更である。
「ヌシよ……仮にも相手は王妃じゃぞ。いや、それ以前におなご相手に何も言わず脱ぐとかありえんじゃろ……」
もはや怒る気にもならないのか、スカサの口調には聊かやる気がなくなっていた。流石の彼女も治療しながら怒号を浴びせる元気はないようだ。
そんな女性陣の言葉を聞き流しながらライドは背中を露わにする。
そして、メリサの視界に入って来たのは既に完治している身体であった。
その光景に、ライドの言葉が事実だと分かった今でもメリサは目を丸くさせる他なかった。
「不死身……なのですか?」
唐突に出てきた陳腐な言葉。けれどもそれくらいでしか、この現象は説明がつかなかった。その言葉にスカサは苦笑しながら答える。
「その程度だったなら、問題はないんじゃがのう。……まぁそやつの身体そやつはそういう身体をしておると考えてもらえばいい。大抵の傷は放っておいても治ってしまう。故に馬鹿なことを余計にできてしまうわけだが」
「むっ? その言葉は聞き捨てならないぞ、師よ。俺は例えこのような身体ではなくともやりたいことをやり通すぞ」
「尚更悪いわ、馬鹿弟子め……メリサ、すまんが替えの包帯を取ってきてくれんか? 見ての通り、両手がふさがっておるのでな」
「あっ、はい。分かりました」
言われ、メリサはそのまま部屋を出て行く。それを確認すると同時に、ライドは笑みを浮かべながら自らの師に言う。
「王妃相手に使いっぱしりをさせるとは。流石だな」
「ヌシにだけは言われとうないわ……それよりも、だ。奇妙だとは思わんか?」
「というと?」
「身体を入れ替えられた王妃がきて間もない頃、今度は全身やけどを負った正体不明の包帯男が舞い込んできた。これが偶然と考えてよいものかと思っての」
「ふむ……この森は魔物が多い。故に本来なら人もそう来ることはない。後始末の場所としてはうってつけ、と考える者も多いだろう……と普通は考えるのだが、師の見解は違うと見える」
弟子の言葉にスカサは小さくうなずいた。
「後始末をするのなら、死体をそのまま持ってくればいいだけじゃ。だというのに、二人とも生きたままこの森へと連れ込まれた。魔物に襲わせる、この森で処理をする。確かに理屈は通るかもしれないが、しかし手間がかかってるのも事実じゃ。やり方が雑……というより、わざとそうしている、と思えてならん」
「つまり、師は誰かが故意に彼女達をここへ導いた、と?」
「確証はない。じゃが……覚えておるか? メリサが身体を入れ替えられた時の話」
「……短剣、か」
「メリサの時も、そしてヌシが戦った相手の武器も、短剣が使用されていた。どこから出したか分からない無数の短剣。しかもそやつはそれを手を触れずに自在に操ったと言っておったな? 相手がワシらと同じ魔人ならばヌシが分からぬはずがない。となると、相手は人間じゃ。しかし、人間にそんな芸当ができるとは思えん。故に」
「魔装の短剣を使用していたわけか」
「可能性の話じゃがな。そしてメリサの身体を入れ替えたのも恐らくは魔装の短剣。無論、ただの偶然と言い切ることもできる。じゃが……こうも妙な偶然があるものかと思ってのう」
スカサの疑問も尤もだ。
この森で、特にライドの周りで騒動はいつものこと。しかし、今回のような偶然が重なったことは一度もない。たまたま問題を抱えて混んでいる人間が二人森に生きたままやってきた。これを問題視せずに素通りしていろ、というのは聊か無理がある。
「師の言いたいことは理解した。しかし、ならばどうする? 二人とも追い出すか?」
「ヌシよ……答えが分かっていて問うのはやめろと何度も言っておるじゃろうが」
片目を瞑りながら視線を送るとライドは両手を上げて「すまなかった」と零す。同時にはぁ、とため息を吐きながらスカサは続けた。
「我ながら情けないのう」
「そうか? 助けを求めていれば何が何でも助ける。求めてなくてもある程度は助力する。その上で相手を導こうとする師の在り方は俺は好ましいと思うぞ」
「喧しい。大体、厄介事を持って来るのはいつもヌシじゃろうが。それに、ワシが何を言おうが、結局はヌシが関わってしまうのじゃから、目を離すわけにもいかんじゃろ」
「まるで手のかかる子供の扱いだな」
「まるでではない、正しく、じゃ。全く……」
弟子とは上手く表現したものだ。この男は容姿はそれなりに整っているが、その根っこはどうしようもなく子供じみていて、弟のように手がかかる。それが普通の領域ならまだいいのだが、この男は常人離れの実力を持っているから尚のこと目を光らせて居なければならない。そして、一番厄介なのはそんな弟子を追い出さず、今もこうして置いている自分なのだが。
「それにしても、ヌシよ。余ほどあの娘の事を気に入っているな。もしや恋慕でも抱いたか?」
「ああ。かもしれんな」
「……マジか」
「冗談だ。しかし、女としてはともかく、人間としては確かに気に入っている。今日のあれは特に面白かったぞ。俺が血の匂いがすると言っただけで、駆け出して行ったのだからな。自分の身を顧みず他者の心配をするその姿は尊敬に値する」
「それは自分を軽んじているだけではないか?」
「かもしれん。しかし、他人を助けようとするそのあり方は賞賛されるべき事柄だ。そしてあれはそれを意図も簡単に選択した。それは人が持つ重要な光だ。やはり、俺の目に狂いはなかった」
それはそうだろう、とスカサは心の中でつぶやく。このどうしようもない馬鹿弟子は、しかして実力と人を見る目だけはずば抜けているのだから。故にスカサもメリサを連れ込んできた時も彼を信じ、世話をすると決めたのだ。
「―――逆に、だ。俺はもう一つ、確かめなければならないことができた。王妃を陥れ、その地位を奪った異世界人の女。その者がどんな人間なのか、見極めなければならない」
むしろ、噂を聞きつけ、メリサの元へと向かったのは元々はそういう理由からだった。そして、今回の事でよりそれを見定める必要性が出てきた。
「王妃に成り代わり、彼女が何をしようとしているのか。この国を乗っ取る? 転覆を謀る? その理由は別に問わない。どんな理由であれ、そこに本気で挑むのなら俺は尊重しよう。犯罪であろうが何だろうが、努力することもまた人の光なのだから」
ライドの言葉にスカサは何も言わない。
そう。この男はこういう性格なのだ。善行であれ、悪事であれ、相手が本気でやっているのなら彼はそれを認める。無論、認めるとは言っても見過ごせない事柄であれば阻止することもあるが、時に手を貸し、そして共に成し遂げ、そして拍手喝采を送る。それこそが俺が認めた人間なのだと言いながら。
要はこの男、ライド・エンドハートは人間大好きなのである。
彼が自分に出会うまでどんな人生を送ってきたのかは師匠であるスカサには分からない。しかし、少なくとも彼はここに来た時点でもうこういう性格になっていたのだ。人間の勇気や努力、そして光が彼を魅了していたのだ。
だが、それ故に。
「しかしだな。もしも異世界人の女が何の努力もせず、目的ももたず、堕落した存在なのならば、俺は恐らく容赦できんだろう。楽をしたい、というのは誰しもが持つ煩悩だ。そこを否定する程俺は狭量ではない。だが……俺が認めた人間を陥れた上で手に入れた堕落ならば、容認はできん。そんなことが通っていいわけがないと知らしめる必要がある」
鋭い殺気が部屋中に放たれる。
恐らく、メリサがこの場にいれば腰を抜かしていたかもしれない。それほど今の彼の発言は本気なのだ。
人間は好きだ。特に頑張っている人間は大好きだ。
だからこそ、そういう人間を踏みにじり、甘い蜜だけを啜ろうとする連中は許せない。
自分が認めた人間を踏み潰し、上へのし上がったのならばそれだけの覚悟と決意を見せてもらわなければ。
でなければ、彼は善行だろうが、悪事であろうが、一切認めない。
問答無用で叩き潰す。
例え、その結果がどんなことになろうとも。
(全く……本当に手間のかかる弟子じゃよ、貴様は)
そんなことを心の中でつぶやきながら、スカサはただただ治療を続けるのだった。
そして数時間後。
うめき声と共に、男は目を覚ましたのだった。