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勇者の師匠  作者: 新嶋紀陽
外伝
72/74

5

 ライドが指し示した方向へと駆けていくメリサ。本当に病み上がりだったのかと疑問が沸く走りっぷりを披露しながら進んでいくと、木々が段々と少なくなっていく。

 そして、見つけた。


「っ、いた!!」


 見知らぬ人影が背を上に向けながら倒れていた。

 それは、一見すると男なのか女なのか、判断できなかった。

 身体全身に巻きつけられている包帯。しかし巻き方は実に雑であり、ところどころに隙間がある。そこから見えるのは焼きただれた皮膚。どうやら全身に火傷を負っているらしい。

 けれども、一番問題なのは火傷ではない。

 背中から滲み出るような出血。見るとおこには短剣が突き刺さっていた。致命傷、ではない。だがこのまま放置しておけば確実に命に関わる。


「大丈夫ですか!? しっかりして下さい!!」


 メリサの声に包帯人間は「うぅ……」とうめき声をあげる。どうやら生きてはいるようだ。しかし、喉も火傷でやられているのか、掠れた声音であり、やはり男なのか女なのか判別ができない。

 だが、生きているのはならなんとかなる。

 取り敢えずこのままにしておくわけにもいかないと思ったメリサは移動しなければ、ということが最優先事項として頭にあった。

 けれど、彼女はこの時点で気づくべきだったのかもしれない。

 短剣を刺されている、ということは少なくとも短剣を刺した人間がいるということに。

 そして、その人物が近くにいるかもしれない、という可能性に。


「おや、おや、おや、おや」


 瞬間、悪寒が背中に走る。

 メリサは別に人間性を見抜く力は持っていない。そんな便利なものを持っていればこんな状態にはなっていなかっただろう。けれど、そんな彼女にも今の声を聞けば、その持ち主が只者ではないのは理解できる。

 気味が悪く、気色が悪く、そして何より気分が悪くなるような声音。

 たった一言だけでそれらを融合させ、表現した者へと視線を向ける。

 そこにいたのは紫色のマントを羽織った痩せ細った男だった。身体が骨でできていると言われても不思議に思わないほど肉付きがなく、顔もげっそりと言わんばかり。目の下には当然のように隈ができていた。

 けれども口元はこれでもかと言わんばかりな笑みを浮かべており、それが身体を相まって不気味さを強調させていた。


「これは、これは、これは、これは。何とも珍しいことがあったものです。このような森であなたのような可憐なお嬢さんと出会うとは。今日のワタクシは実に運がいい。何分、ワタクシはこのような容姿のため女性の方とお近づきになるのが滅多にないもので。自分から話しかけようにも口下手も合わさって相手に恐れられることが多々あるのですよ。特にあなたのような可憐な方々はワタクシを避けたがるのです。声すらまともにかけてくれません。そのため極力女性の方には近づかないようには心がけているのですが、こうして「仕事」の過程で近づくのでしたら、別段気を使わなくても宜しいでしょう?」


 奇怪な言葉使いにメリサは何も言えなかった。言葉もそうだが、男の目付き。あれは完全に獲物を狩る獣の瞳だ。そして、それはメリサの後ろを示している。油断すれば即座に怪我人が狩られてしまうのだと彼女の本能が囁いていた。


「しかし、しかし、しかし、しかし。ワタクシと違い、あなたは実に運が悪い。何せワタクシのような者と出会ってしまったのですから。女性からしてみればワタクシは毛虫や蝿と同じ類。見るだけで嫌悪感を抱いてしまう。故に言わせてもらうとするのなら……ご愁傷様です。自らの不幸を嘆いてください」


 狂気と共に放たれる自己評価の低い物言い。それは謙遜からくるものではなく、本気でそう思っているのだろうことが分かる。

 そして、もう一つ。理解したことがあった。


「……この方を傷つけたのは貴方ですか?」


 震える身体を自らの意思で抑えながらメエリサは言葉を紡ぎ出す。

 先程、この男は「仕事」と言っていた。そこから察するに包帯を巻かれている者を追い込んだのは彼だとメリサは結論づけた。

 けれど。


「ああ、ああ、ああ、ああっ!?」


 唐突に震えだしたかと思えば、男は涙を流しながら叫びを上げる。


「なんという、なんという、なんという、なんというこおでしょうか!! このワタクシに、あなたのような女性が、声をかけて下さるなど!! それも愛想笑いなどではない。恐怖に歪んだものでもない。あなたのそれは、確固たる意思!! 震えながら、怖がりながら、けれども強い意思を感じさせるその言葉、その視線、その決意!! それらを向けられるなど、今日はなんとツイているのか!? もしや明日、ワタクシ死ぬのでは? ええ、ええ、ええ、ええ。それもいいでしょう。構いませんとも!! 何故ならこのような幸福を味わえたのだから!!」


 意味不明で理解不能な言葉の羅列にメリサはついていけなかった。感動、いや感激していると言っていいのか。女性に声をかけられただけで、ここまで反応するとは一体どういう人生を送ってきたのか。そもそも、敵意を向けられるだけで喜ぶなど本来なら有り得ない。しかし、そここそが、この男の油断ならない部分であり、異常さを醸し出している。


「……こちらの質問には無視ですか」


 叫ぶだけで何の返答もしない男にメリサは問いを投げかけた。

 瞬間、ハッとした表情を浮かべながら男はメリサに視線を移す。


「これは、これは、これは、これはっ! 申し訳ない。あまりの興奮に我を忘れていたようです。ええ、そうです。そうですとも。折角勇気を振り絞ったあなたの言葉を無下にするとは言語道断。一生の不覚というべき事柄です。反省しましょう。改めましょう。もう二度としないと約束しましょう」


こちらの言葉に謝罪を述べる男にメリサは未だ警戒を解かない。しかし一方で全く話が通用しない相手でもないことが理解できた。

 それでも、常軌を逸していることには変わりないが。


「けれど、けれど、けれど、けれど。あなたの質問に答える前にまずは自己紹介をしなければ。男として、人として、礼儀がないというものです。本来なら遭ったその瞬間にすべきものですが、遅れてしまって申し訳ない」


 言うと男は深々と頭を下げると共に自らの名を告げる。


「ワタクシの名前はフレデリック・ボガート。しがない殺人鬼をやっております。お近づきの印にどうぞあなたの記憶の片隅にこの名を刻んでもらえれば、とても、とても、とても、とても、僥倖でございますれば」


 男―――フレデリックの態度は形だけ見るなら紳士的そのものだった。しかし、あくまで形だけの話。彼から発せられる鋭利な狂気は素人のメリサでもわかるほど、研ぎ澄まされていた。

 油断できない状況下で、しかしフレデリックは構わず続ける。


「それでぇは、それでは、それでは、それでは!! こちらの名も告げたことですし、今度はあなたの名前を教えてもらいたいのですが。よろしいでしょうか? ワタクシもできれば知りたいことですので。ええ、それはもう、是非に」

「言われて素直に答えるとでも?」

「無論、無論、無論、無論。あなたの言い分はわかります。当然です。当たり前です。このような遭ったばかりの奇怪な男に自らの名前を告げるなど死ぬのと同じくらい苦痛でしょう。けれど、それではワタクシはあなたを何とお呼びすればいいのか困るのです。別に本名でなくても構いません。偽名でもなんでもいいのです」


 言われてメリサは考える。

 このまま怪我人を放って逃げる、という選択肢は初めから彼女にはない。かと言って担いで逃げる、というのもあまりに現実味がない考えだ。前者は彼女の誇りに関わる問題であり、後者は実行不可能という問題がある。

 故にこのままフレデリックと会話する以外の道はなかった。


「……アマンダ、とでも呼んでください」


 適当に思いついた名前を言葉にするとフレデリックは「ふむ」と呟く。


「アマンダ、アマンダ、アマンダ、アマンダ……正直なところを話しますと、その響きはあなたには合っていません。似合わない、というべきでしょうか。恐らく偽名なのでしょう。しかし、ワタクシの言葉に応じ、偽名を教えてくださったあなたはやはり素晴らしい!! そして、そんなあなたの問いかけに答えないわけにはまいりません」


 瞬間、フレデリックの右手に短剣が出現する。先程まで彼は手ぶらだったはずだ。だが、鞘から抜いたわけでもない。本当に何の仕草もせず、短剣の方が勝手に出現したかのような光景はまるで手品のそれであった。


「そこにいる者に傷を負わせたは間違いなくワタクシです。殺してくれ、という依頼があったものですので。殺しはワタクシの専門であり、前金ももらっていますので断る理由がありませんでした。ただ、ただ、ただ、ただ。ワタクシは殺人鬼でありまして、暗殺者ではないのです。殺人にはなれていても暗殺に関しては不慣れなのです。故にこのように無駄に痛みを与える時間を与えてしまったことは申し訳ないと思っています。ええ」


 さも当然のように、ごく自然と答えるフレデリック。その言葉、態度からメリサは改めて思う。

 やはり、この男は異常者である、と。

 人を殺すことに全く忌避感を抱いていない。剣を持つ騎士や傭兵も人を殺す職業だ。それなりに慣れてはいるかもしれない。しかし、ここまであからさまな物言いはしないはずだ。


「さて、さて、さて、さて! それではアマンダさん。唐突で申し訳ないのですが、そろそろそこをどいてもらえないでしょうぁ。いえ、別に邪魔だとかそういうことを言いたいわけではないのです。ただ、単純にそこにいては危ないので。そのままですと、ワタクシはそこにいる者と一緒にあなたを殺してしまうかもしれません。ああ、安心してください。ワタクシはあなたを殺したいとは思っていません。ええ本当に。殺すところを見られたからと言って口封じをする、などという蛮行はいたしません。別段、目撃者がいたところでどうというわけでもありませんので。故にそこをどいて逃げることもいいでしょうし、ワタクシが殺す場面を眺めているのも結構ですよ」


 まるで世間話をしているかのような感覚の言葉。恐らくは彼にとって人を殺すということは本当に特殊なことではないのだろう。人が呼吸をするとうに、食事をするように、別段それをなぜしてはいけないのか、考えることもしないのだろう。

 確実に言えるのは、このままいけば確実に火傷を負ったこの人物が殺されてしまう、ということ。

 一方でメリサはどうだろうか。

 フレデリックは狂人の類の人種だ。けれど、言葉や態度からして嘘をつくような人間性はしないように見える。もしかすれば本当にメリサがこのまま逃げ出しても追ってこないかもしれない。そうすればメリサだけでも命は助かる。

 だとするのなら、答えは簡単だった。


「―――どきません」


 迷いない一言。

 どけない、ではなく、どかない、という言葉にフレデリックは首を右に大きく傾けながらほうけたような顔付きでいう。


「それは……どういう、どういう、どういう、どういうことでしょうか? ワタクシの目的はあなたではなく、そちらに倒れている方。見るからにしてあなたとその方は知り合いのようには見えませんが?」

「ええ、そうですね。先程初めて会いました。加えてまとも喋ってもいません」

「でしらた、でしたら、でしたら、でしたら!! それはおかしい。あなたは今、非常に不可解な行使をなさっている。先程遭ったばかり、喋ってもいない赤の他人を庇っているようにワタクシにはみえてしまうのですが」

「そうですよ。私はこの方を庇っているのです。だって、そうしなければ貴方はこの方を殺してしまうでしょう? それは見過ごせません」


 はっきりと、きっぱりと。

 言い放たれた言葉にやはりフレデリックは不思議そうな表情を浮かべたままだった。

 今度は左に首を傾げながら言葉を続ける。


「おかしい、おかしい、おかしい、おかしい!! 親しい人間でも、大切な友人でも、命に替えても守りたい家族でもない人間を、どうしてそこまで庇うのか。分かりません。理解できません。納得がいきません」


 静かな怒りを爆発させた瞬間、フレデリックの動きが一瞬止まった。

 と同時。


「―――まさか、あなた、偽善者ですか?」


 ギロリ、と睨む視線はまるで眼光のみで人を殺せそうな勢いであった。


「なるほど、なるほど、なるほど、なるほど。それはならばあなたの行為も道理というものです。自らの行いが偽物だと気づかず、善行であると思い込んでいる。なんと哀れ。なんと憐れなのでしょうか。そんなにも可憐で美しく、そして強い意思を持ちながら、根幹の部分に気づいていないとは!!」


 偽善、という言葉にけれどもメリサは反論できなかった。

 今、彼女が助けようとしているのは何故か。人が死ぬのが見過ごせないから? それはいい。けれど、それが赤の他人だったらどうだろうか? 友人や恋人、家族でもない人間を何故命を顧みずに助けようと思えるのだろうか。

 そして、それはこの状況に限った話ではない。

 メリサは言った。王妃として異人に苦しめられている人々を助け隊、と。その言葉に嘘偽りはないが、けれどそれが偽善ではないと言い切れるのだろうか。


「……確かに貴方の言うとおり、これは偽善なのかもしれません。私はこの方のことを何も知りません。もしかすれば罪人で、このような姿になる程の悪行を重ねた方なのかもしれない。そういうことを知りもしないで助けようとする……傍から見れば愚かな行為でしょう」


 そう。自分も理解していないことをはっきり肯定することはできない。無論、否定することも然り、だ。それは中途半端と呼ばれても仕方がないことだろう。

 それでも、だ。


「けれど、目の前で死にそうな人間を放っておくことはできません。それをしてしまえば、きっと私は後悔する。人間的に正しくても、私は私を許すことができないでしょう」


 スカサは言った。後悔しないようにしろ、と。その通りだ。。後悔してしまえば、それはきっと一生自分に付き纏ってくる。そんな生き方をするよりも今、自分がしたいことをした方がよっぽどいい。

 それが例え、命の危機に瀕していたとしても。


「それは、それは、それは、それは!! 単なるあなたの自己満足ではないですか? 弱い者を助けたという優越感。そういうものに浸りたいという願望ではないですか?」

「ええ、そうですね。これはきっとただの自己満足です。自分が後悔したくないから、自分を責めたくないから。そういう理屈です。だから、自分勝手だと言われても仕方ないでしょう」


 この状況も、シズク・カブラギを止めたいというのも、誰かに頼まれたからではない。それが自分のすべきこと、したいことなのだとメリサは自覚している。ああ、そうだ。あのクロス王も言っていたことではない。自分がやりたいことに必死になる。これ以上当たり前なことなどないと。

 だからこそ、メリサはどかないのだ。


「私はどうしようおなく、自己中心的な人間なんでしょう。だから、自分の想いを、考えを、曲げたくないんです」


 偽善かもしれない。自己満足かもしれない。他人からしてmりえばどうしようもなく愚かな行為なのかもしれない。

 けれど、それでも、自分が決めたことだ。後悔しないために選んだことだ。

 ならば、これがきっと正しいおだと確信しながら、メリサは両手を広げながらフレデリックの前に立つ。


「だからこそ、私が言うべき台詞は一つだけです……この方は絶対に殺させません」


 確固たる敵意。揺るぎない決意。

 それらが混ざり合った視線を前に、フレデリックは少しの間呆然としていた。

 そして。


「そうですか、そうですか、そうですか、そうですか……」


 うんいん、と言わんばかりに頭を上下に振る。

 瞬間。


「―――なら、死んでください」


 何の感情もない言葉と共に鋭い凶器が放たれる。

 短剣だ。メリサはそれを避けることが可能だったかもしれない。けれど、メリサが避けてしまえばそれはそのまま後ろの者に当たってしまう。ならば何かで防げるかと言われれば、今の彼女は手ぶらであり、何も持ち合わせていない。そもそも戦闘技能が皆無な彼女にそんなことは不可能だ。

 結論。メリサはこのまま短剣を避けることも防ぐこともできない。

 故に刃は真っ直ぐそのまま彼女の顔面目掛けて放たれ――――――。




「それは困る。その女の末路がこんなところというのは、些か早すぎるのでな」




 唐突に吹き荒れた突風が短剣を明後日の方へと吹き飛ばしていった。


「……誰です?」


 静かな、けれども沸々と滲み出る怒りを宿した瞳でフレデリックは振り向く。それに釣られてメリサもまた同じ方向に視線を向けた。

 そして、茂みの中から現れたのは。


「何、ただの通りすがりの、しがない怪人だ」


 男――――――ライドはいつものように不敵な笑みを浮かべていた。

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