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「そういうわけで、早速これから王宮へ乗り込もうと思うのだが」
瞬間、ライドの頭に鍋が投げつけられた。
言うまでもないが、飛んできたのはスカサの方向からである。
音から察するにかなりの衝撃があったはずなのだが、相変わらずライドは微動だにしないまま、スカサへ告げる。
「むっ、何をする師よ。俺は提案を口にしただけなのだが?」
「その提案が無茶で無謀だからじゃ。そしてヌシはそういう無茶や無謀を実行しかねん。というか、提案を口にしただけというが、行く気満々じゃろ?」
「フッ、無論」
「言い切りおったよ、コヤツ……」
頭が痛いと言わんばかりな表情を浮かべながらスカサは溜息を吐く。
「まぁ正直な話、ヌシ一人なら別に構わん。止めはせんよ。結果はどうあれ、ワシの知ったことではない。じゃが、これはそこにいるメリサがやるべきことじゃ。そこはヌシとて分かっているはず……いや、そうあるべきじゃと先程ヌシ自身が言うておったではないか。そして、肝心のメリサはこの状態じゃ。病人をそのまま戦場へ送り出すこと、ワシは見過ごせんぞ」
親指でメリサを指し示しながらの言葉にライドは「ふむ……」と言いつつ納得したようだった。
「そうだな。これは俺の戦いではなく、王妃の戦い。力を貸すが責任は取らんと言いながら自分勝手に行動するのは些か度が過ぎた行動だといえよう。俺としたことが、興奮のあまり焦っていたようだ。すまない」
「いえ……私としても、今すぐ行きたいという気持ちはありますから」
そう。ライドの物言いは唐突だが、実際のところメリサ自身も王宮へ行き、事の解決をしたいと望んでいる。今、こうしている間にもシズクは王妃に成り代わっている。そしてもし、悪事に手を出したり、やりたい放題な政治を行っていたら、被害はただではすまない。そういう者達を助け、シズクを止める義務がメリサにはあるのだ。
だが、スカサの言うとおり、今の自分はただの人。どこにでもいる女なのだ。加えて身体もまともに動かせそうにない。ライドがどんな実力を持っていたとしても足でまといであり、お荷物の状態になるのは必至。
ならばライドに全て任せて自分は安静にしていればいい……などということは口が裂けても言えない。そんな選択肢は無いし、あったところで選ぶつもりは毛頭ない。
「取り敢えず、身体が回復するまで安静にしていることじゃな。それに、これからのことももう少し考える時間も必要じゃろう」
「? これからのことを、考える……」
「先程、ヌシは言ったな。王妃の誇りを怪我したくない、と……その心意気は立派じゃ。嘘でないのは顔を見れば分かる。じゃが、それだけが選択肢ではない。そこの馬鹿が色々と吹き込んではいるが、このまま王妃の立場から退き、ひっそりと暮らすという、というのもありじゃろう?」
スカサの言い分にメリサは思う。確かにそれも一つの選択肢だ、と。
彼女がこれからやろうとしていることは、事実はどうあれ王族と対峙することであり、即ちこの国と戦うと言っても過言ではない。相手は王妃という立場に居て、そこには当然守護する騎士や兵士達がいる。そこから導き出されるのは困難という答え。メリサはシズクの前に立つどころか、その前段階で大きく傷つくことになるかもしれない。
ならばそんな茨の道をわざわざ進む必要はないのではないか。
せっかく拾った命なのだから、無駄にするようなことはやめろ。
つまるところ、スカサが言っていることはそういうことだった。
しかし。
「そうですね……でも、これは私が決めたことですから。私が行くと覚悟して選んだものです」
故に突き進むのだと、歩き進めるのだとメリサは言う。
彼女の言葉を聞いた途端、スカサは大きな溜息を吐く。それは呆れ半分と言った具合であり、これ以上言っても無駄だと感じたのだろう。
「まぁよい。ヌシの人生じゃ。ヌシが決めたことに他人が口出しするのは筋違いというもの。そして無論、それをとやかく言える立場にワシはおらん。故にヌシがそうたいと思うのなら、すればよい」
ただし。
「後悔をしないよう努力せよ。人間誰しも何らかの問題にぶち当たる。そして、選択を迫られ、後悔するものがほとんどじゃ。故にそれを避ける、または乗り越える努力が必要なんじゃ。それを常に心がけ、忘れぬようにな」
スカサの言葉。それが彼女なりの優しさであるのだと理解しながら、メリサは「はい」と静かに答えた。
その様子を見ていたライドはというと、豪快に笑いながら告げる。
「ハハハッ!! 心配することはないぞ、師よ。彼女は強い。それは俺が保証する。そして俺も彼女の剣として支える。自分で言うのもなんだが、心強いとは思わんか?」
「全くもってその通り。自分で言う事ではないぞ、それは。そしてな……ワシの一番の心配要素は何をしでかすか予想できないヌシじゃということが分からんかっ!! というか、ヌシよ。何だかんだと言って、本当はただ厄介事に首を突っ込みたいだけではないのか?」
「何を言うかと思えば……確かに血の気が多いのは認めるが、俺は暴力が好きというわけではない。他者を嬲るのが好ましいとも思わん。ただ、俺が見たいものが厄介事や騒乱の中にあるというだけの話。故にそれらに関わるのはごく自然な話だろう?」
「よーし分かった。そこに座れ。今から特大の鍋をその頭蓋にかましてやるから覚悟せい!!」
「ふむ、それは構わないが、いいのか師よ。そんなことをすれば貴重な鍋が割れてしまうぞ」
「鍋が割れる前提で話をするな、馬鹿者が!! 安心せい、この日のために特注で作った鍋をお見舞いしてやるわ!!」
いや、鍋とは本来そんな事のために使うものではないのですが……とメリサの心の呟きは当然の如く二人には聞こえない。
再び始まった師弟の喧嘩。といっても、一方的にライオが怒られながらも全く堪えておらず、スカサだけが疲れ果てる様。
騒がしく、馬鹿馬鹿しく、呆れ果てる光景。
けれど、メリサはこの時初めて気づいた。
そんな光景を見ながら自分が笑みを浮かべていることに。
……ちなみに。
「ぎゃああっ!! ワ、ワシの最高傑作がぁ~!?」
「だから最初に言っただろう?」
スカサの鍋がどういう結末を迎えたのかは、敢えて伏せておこうと思う。
*
メリサがライドに拾われてから一週間が経とうとしていた。
既に体力の方はほぼ回復しており、以前と変わらず動けるようにはなっている。だが、未だに王都に向かうことはスカサが断固として許していなかった。
まだ激しい運動をすることができない、というのもあるが理由はもっと単純だ。
「何の策もなしに敵地に向かうのは愚の骨頂というもの。何か作戦を見出してから行動せい。それが考えつくまで勝手な行動は許さんからな」
彼女の言い分は尤もであり、言い返す言葉がない。
確かにこのまま王都へ向かったところで何ができるわけでもない。それはメリサもよく分かりきっていることだ。
時は刻々と削られている。こうしている間にもシズクの被害に遭っている者がいるかもしれない。そう思うと王都へ即座に向かい、何とかしたいという気持ちで一杯になる。
しかし、早々良い案など浮かんでこない。当然だ。何せ相手が相手だ。下手なことをすれば一網打尽はおろか、余計な被害まで出てしまう。
協力してくれるライドやスカサはもちろん、これ以上他人に迷惑をかけるわけにはいかないのだ。
「とは言ったものの、どうしたら良いのでしょうか……」
心の呟きを声にしながらメリサは森の中を歩いていた。
既に大方の回復をしている彼女は身体を動かすためのリハビリ、という理由で森の中を散策している。無論、ただ歩くだけではなく、山菜や果物を調達する、という仕事付きだ。本当ならばスカサに「そんなことはしなくていい」と言われたのだが、住まわせてもらっているのだからこれくらいは当然するべきだ、というメリサの言い分に流石の彼女も折れた。
だが、ここは魔物が多く生息している森。普通に考えればメリサがひとりで歩けるような場所ではない。出歩けばそkずあに餌食となるのが目に見えている。故にスカサも心配していたのだが、結局それも無用となった。
何せ、今の彼女には頼りになる用心棒がいるのだから。
「さてな。それを決めるのはお前であり、俺はそれに従うまでだ」
一見、冷たいような言葉だが、しかし正論だ。彼はあくまで手伝い、手助けをする立場にいる。それをどうやるのか、何をするのかはメリサが決めなければならない。そういう契約だ。
故に自分で結論を出さなければならないのだが、やはり都合よくはいかない。
「……それにしても静かですね。結界晶がないというのに、魔物が一匹もいないなんて」
結界晶。クーパーで採掘される特殊な鉱石であり、魔物を寄せ付けない効果があるという。
クーパーには魔物が生息する森が多く存在する。傭兵や騎士なら己の力で抜けられるだろうが、それ以外の者には魔物の餌食になってしまう。それを防ぐために魔物の住む森に向かうものは常に結界晶を持っているのだ。
ただし、今ここにその結界晶はない。にもかかわらず、魔物が襲ってこないのは何故か。
いいや、そもそもだ。
こんな森の中で家を建てて暮らしているとは、今考えれば何とも無茶がすぎるというものではないだろうか。
そんなメリサの疑問に気づいたのか、ライドが口を開いた。
「不思議そうな顔をしているな。何、心配するな。こちらが必要に挑発しない限り、あちらからわざわざ襲ってくるような真似はしてこないだろう」
「? それはどういう……」
「む? 言葉通りの意味だぞ。この森の魔物とは一通りやりあってな。そして一匹残らず返り討ちにしていてな。最初の何年かは繰り返し牙を向いてきたが、いつの間にか襲ってこなくなったのだ。どうやら、奴らは俺や師を恐れているようだ」
それはまた何とも信じがたい事実だった。しかし、メリサは助けてもらった時の一件を覚えており、ライドならやりかねないと思っている。
だが、そこで一つ、重要なことを思い出す。
「あの~……それなら、先日の一件は大丈夫でしょうか? 私を助けた時に魔物を倒してましたけど……」
「あれくらいなら気にするな。邪魔をした程度なら連中も仕返しはしてこんよ」
「そうですか……」
魔物に恐れられているとは、やはりこの男は規格外なのだとメリサは改めて思う。
けれど一方で。
「あれ……そういえば、俺と師って言ってましたが……じゃあスカサ様も?」
「当然だろう。彼女は俺の何倍も強いからな。この森の魔物が全て襲いかかったとしても彼女を殺すことはできんよ」
自信の篭った言葉。
考えてみればそうだ。ライドが『師』と仰ぐのだから、スカサが相当の実力の持ち主であることは間違いない。
だが、正直なところ、メリサは未だあの女性がこのライド強い、という印象を受けないのだ。
「ふむ。その顔は疑っているな?」
「い、いえ、そんなことは……」
首を横に振りながら否定するメリサにライドは笑いながら応える。
「まぁ。普段の彼女しか見ていないのならそうなるのが当然だ。しかし、ああ見えて昔はある国で『魔道騎士団』なる騎士団を率いていたのだぞ?」
「魔道、騎士団……?」
聞きなれない単語にメリサはオウム返しする。
「大昔、人間に魔法が使えなくなって間もない時代。魔人……この国の連中が怪人と呼んでいる存在だ。その魔人のみで構成された騎士団が存在した。それが魔道騎士団だ。人間が魔法を使えなくなったため、唯一使用できるのは魔人のみとなった。それ故重宝され、戦では負け知らずだったという。その長を務めていたのが彼女だったらしい」
「らしい?」
「ああ。恥ずかしながら、俺はその騎士団に入団していなかった。何せ、俺が師と出会ったのは魔道騎士団が壊滅したずっと後、彼女がこの地に隠居していた百年前の話だからな」
壊滅、そいう言葉にメリサは反応しないわけにはいかなかった。
ライド曰く、魔道騎士団は現在の世界で魔法が唯一使える魔人の組織。それはつまり、普通の人間の何十倍もの戦力があると言っても過言ではない。実際、ライドも戦では負けなしと言っていた。
それが壊滅した、と言わればただ事ではないのは明白である。
「あの……壊滅とはどういう……それだけ大きな敵と戦ったんですか?」
メリサの言葉にライドは一瞬口を閉ざした。
そして真剣な眼差しで。
「……いや。魔道騎士団を壊滅させたのは、彼女達が味方していた国の人間達だ」
ライドの言葉に衝撃が走る。
それは一体どういうことだ……そんな視線を送るメリサに彼は続ける。
「別段、珍しい話ではない。魔道騎士団の力は凄まじい。その脅威は敵だけでなく、味方にも感じられるほどに。今はいいが、もしも連中が自分達と相反したら? もしもその力を使って国に謀反を起こしたら? もしも彼らが敵に回ったら一体誰が止めるのか? そんな疑心暗鬼にかられた人間達によって魔道騎士団は徐々に追い詰められ、最後には壊滅させられたらしい」
「そんな……っ」
その事実にメリサは言葉を失う。
壮絶すぎるスカサの過去。その内容はメリサの予想を遥かに上回るものだった。いや、そんな程度の言葉では済まされない。
つまりは、だ。
スカサは自分が助けていた人間達に裏切られたのだ。
その過程に何があったのか、メリサは知らない。もしかすれば裏切った人間達には何か理由があったのかもしれない。
けれど、今の彼女なら分かる。
どんな理由があったとしても。どんな真実があったとしても。
裏切られた悲しみは深く人の心を抉ることを。
「……どうして、でしょうか」
「どうして、とは?」
「どうして、スカサ様は私に親切にしてくれるのでしょうか。だって、スカサ様は人間に裏切られたのでしょう? 人間を憎んでも、恨んでも何の不思議はありません。いいえ、むしろそうなるのが当たり前でしょう。なのに、何故、私を……」
スカサの過去。それは人間を恨んでも憎んでもおかしくない。例え彼女が人間を殺す悪鬼羅刹と化したとしてもそれは自然なことだ。それだけのことを彼女はされたのだから。
そしてメリサも人間の一人だ。こう言うのは間違っているかもしれないが、スカサの裏切りには全く関係のない存在だが、人間というだけで敵視され、嫌悪されるのが普通だろう。
けれど、スカサは、あの女性はそんな仕草を一切見せず、ただ優しく接してくれている。
それが何故なのか、メリサにはわからなかった。
「……何というか、あれだな。お前がそれを言ってもあまり説得力がないのだが……」
「? あの、言っている意味がよく分からないんですが」
「そして自覚がないときている。俺も俺で問題が多いが、お前はお前で厄介な性格をしているな」
何が可笑しいのか、ライドは不敵な笑みを見せていた。
「そうだな。俺は師ではない。故に想像で語るしかないが、恐らくは―――」
刹那。
ライドは足を止め、メリサの前に腕を出す。まるでそれ以上進むなと言わんばかりの仕草に彼女は何事かと問いを投げかける。
「ライド様、どうかなされ―――」
「血の匂いだ。それも人間の血だな、これは」
言われて周りを見渡すも、そのような匂いはしない。それどころか人の気配すら感じ取れなかった。
「残念だがな、人間であるお前には感知できん程離れた場所だ。しかし、どうも妙だな。これは魔物に襲われているという感じではないが……」
「ライド様。すみませんが、血の匂いはどちらの方角からでしょうか?」
「? それならこの先だが―――」
言い終わる前にメリサは駆けていった。それも全速力で。
あまりの突発的な行動を前にライドは一瞬呆けてしまった。
「……確か少し前まで病み上がりだったはずなのだが」
恐らく今の血の匂いがする、というのが誰かが怪我をしている、という風に考えそれ故に助けに行くという思考なのだろう。
それが罠だとか、危険だとか、そんなものは一切考えられていないだろう。
あまりに浅はか。あまりに愚直。
けれど。
「―――だからこそ、面白い」
いつものような笑みを浮かべながら、彼はメリサの後を追うのだった。