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全てが語り終えられた後、場に訪れたのは沈黙だった。
それもそうだろう、とメリサは思う。こんな与太話を聞かされれば言葉も出ないのは当たり前。信じる者など誰もいない。疑いの目を持つのが普通だ。牢獄の中で何度も何度も訴えても誰も耳を貸してくれなかったことが何よりの証拠。
二人はメリサのことをどう思っているのだろうか。助かりたいがために嘘をついている悪女か、それとも自分は王妃だと錯覚している哀れな愚者か。
何にせよ、ここにはもう―――。
「なるほど……なぁ、師よ。今の話、どう思う?」
ふと、ライドがそんな言葉を口にすると、「うむ」と呟きながらスカサは答える。
「十中八九、その異人娘の能力……と、言いたいところじゃが、話を聞くところによると、シズクという娘は多くの男を手玉に取っていたのじゃろう? そのことから考えて娘の能力は『魅惑』系統と思うのじゃが」
「ふむ……だが、実際にこうして彼女と異人は身体が入れ替わっている。娘が元々、男を惹きつける程の美貌の持ち主、という可能性は考えられないか?」
「確かに。目前にあるとおり、娘の容姿は非凡じゃ。じゃが、王宮にいる男全員が見惚れる程のものではないじゃろう。察するに、異人の娘が持っていたという短剣は魔装じゃ。傷つけた相手と己の身体を入れ替えると……そういう類のな」
「流石は我が師。俺と全く同じ答えだ」
「まるで自分は最初から分かっていたような口振りはやめい。何故かヌシが言うと腹が立つ」
「クハハッ。心配無用。自覚はある」
「あるのかっ! というか、なら直す努力をせんか、この馬鹿弟子めっ!!」
「何を言う、師。言い方が仰々しくなるのはもはや俺の個性の一つというもの。それを取り除いてしまえば、それは俺が俺を否定するということ。確固たる己を見て見ぬフリをするのは愚者のやることだ。違うか、師よ」
「そして指摘している今現在も直す気ゼロッ! 尤もらしいことを言ってる風に装えば何でもはぐらかせると思うな!! 結局のところ、自分の性格直すのが面倒なだけじゃろうが!!」
「簡潔に言えば、そうだ」
「開き直るな!! もーやだこの弟子」
「そうか? 俺は師のことを気に入っている。そんなことを言いつつも、何だかんだで面倒を見てくれるのだからな。日頃からありがたいと感謝しているぞ」
「そういう意味もなく、脈絡もないことを口走るところが、ワシは大嫌いじゃ!!」
などと言い合う二人。その光景にメアリは目を丸くする他なかった。
「あ、の……」
「ん? なんじゃ、面食らった顔をして。まぁそうなるのも無理はないが……」
「いえ、その……疑わないんですか、私の話を」
メリサが驚いているのはそこだ。
身体が入れ替わった……そんな事実を普通は誰も信じないし、受け入れない。当の本人とて未だ信じきれていないのだから。
しかし、目の前にいる二人は視線を合わせ、不思議そうな目付きで彼女に言う。
「疑うも何も、それが真実なのだろう? それとも、今語ったことは全てお前が妄想した作り話だ、とでも言うつもりか?」
「いえ、そんなことはないです……けれど、でも、こんな話……」
口籠もるメリサに対し、割り込むようにライドは言い放つ。
「確かに、本来ならば信じられん、と言って一刀両断する者がほとんどだろう。何せ、この時勢だ。そんな摩訶不思議なことなど早々受け入れられんだろうな」
しかし。
「生憎と、お前の目の前にいる者もまた、摩訶不思議な存在なのでな。その手の類は何も珍しい話ではないのだ」
「まぁのう。ワシらからしてみれば、身体が入れ替わった、などということは日常茶飯事……とは言わんが、それでも驚くようなことではいからのう」
「それに、だ。話をしているお前からは嘘ついているという感じがしなかった。少なくとも本気であると、俺は感じ取った。これはただの勘ではあるが、俺は自分の勘には自信があるのでな」
「だから、私を信じる、と……?」
「そうだが? 何か問題でも?」
自信に満ちた返答にメリサは今度こそ、言葉が出てこなかった。
考えてみて欲しい。本来ならこんな空想紛いも同然な話、真実だとして誰が信じるだろうか? 誰もいるはずがない。実際、王城にいた者、そしてあのクロス王ですら聞く耳を持たなかった。もし、自分が逆の立場でも恐らく嘘偽りの甘言と断じていただろう。
例え真実だとしてもそれが普通。
例え本当だとしてもそれが当然。
嘘つき、罪人、魔女。
話しても、語っても、説得しようとしても、誰も信じてくれなかった。誰も自分が本物の王妃だと思ってくれなかった。結局のところ、自分という存在はそれだけの価値しかない、ちっぽけなものだと思い知らされた。
だが。
目の前にいる二人は違った。
たった少し、ほんの少しの間話をしただけ。恐らく、この話を信用したのだって、彼らが普通の環境にいないからという理由も大きいのだろう。
しかし、いやだからこそ、言葉がでない。
代わりに出てきたのは大粒の涙であった。
「むっ、少し待て。何故そこで泣く。俺はお前を傷つけるような言葉を口にしたつもりはないが……師よ、もしや俺は気づかぬ内に余計なことでも口走ったか?」
「やはりというか、何というか、期待を裏切らぬ反応よな、ヌシよ」
「違、い、……違うん、です。これは、そうじゃ、なくて……」
そう、違う。これは悲しみから生じたものではない。
これはただの、嬉しさの雫なのだ。
例え、理由が何であろうと。
例え、それが単なる勘から来るものであったとしても。
彼らは自分を信じてくれた。受け入れてくれた。その事実だけが今のメリサにとって十分すぎる程の救いだったのだ。
それで、それだけで、彼女が涙を流す理由は十分だった。
*
「すみません、お見苦しい所を見せました」
凛々しい物言いに戻ったものの、未だ目の下は赤く腫れており、瞳もどこか赤みがかっている。
そんなメリサを見ながらスカサは微笑みながら口を開いた。
「すっきりしたか?」
「はい……大分、楽になりました」
ここ数日間に溜まっていたもの全てが洗い流された……わけではないが、しかしそれでも今まで彼女を縛っていた重石は少なくなった。
「それで、早速なんじゃが……あー、メリサ王妃?」
「メリサで構いません。今の私は王妃の立ちあではありませんから」
「そうか、それは助かる。では、メリサ。ヌシはこれからどうするつもりじゃ?」
これからどうするか。
メリサはあの森の中で一度死を覚悟しながら。しかして生きたいと願い、死から抗い、ここにいる。その理由は単純明快。
故にやることは一つ。
「シズク・カブラギを止めます。彼女の暴挙をこれ以上見過ごすわけにはいきません」
シズクのやりたい放題のありさまは、いずれこの国を滅ぼしかねない。大袈裟と思われるかもしれないが、今回の件でメリサはそれだけの危険があると確信している。
彼女は自分の幸せのためなら人を平気で蹴落とす。それは誰しもがやることであり、珍しいことではない。しかし、シズクの場合はその限度を超えて言える。普通に考えて、一国の王妃と入れ替わろうだなんてことを考えつく人間はいない。いたとしても、それを実行しようとは通常なら考えないだろう。
だが、彼女のは自分のために、とそれをやらかした。故に彼女は本当に「傾国の女」になりかねない。
そして、それをただ黙って見ていることなど、メリサにはできなかった。
そんな彼女の決意の言葉に対し、ライドはじっと彼女を見つめながら質問をする。
「……元に戻りたい、ではなく、異人の女を止めたい、と?」
「もちろん、できることなら元の姿に戻りたいとは思います。けれど、それは二の次です。そこに個室して彼女を止められなかった場合、本末転倒ですから」
「では、お前は復讐をしたいとは思わんのか、お前をこんな風にした異人の女はもちろん、お前を信じなかった者達へ、クロス王への憎しみはないと?」
その指摘はメリサにとって突き刺さるものだった。
彼女の奥底にある感情。黒く、煮えたぎるかのようなそれは確かに存在する。今にも爆発しそうなそれを自覚しながら、メリサは言う。
「……憎しみがない、といえば嘘になります。どうして私がこんな目に。どうして私を信じてくれなかったのか……その感情がないわけではありません。ただ……」
「ただ?」
「王妃の立場を奪われても、王妃のしての誇りを失ってはいませんから。それを汚すような真似だけは絶対にしたくないんです」
憎しみがないわけではない。
悲しみが消え去ったわけではない。
怒りが冷めたわけでもない。
しかし、それらを全部考慮した上でも、メリサは王妃として自分が何をすべきなのか、それを忘れることはできない。それを超えてしまえば、本当に自分はただのメリサに、一人のどこにでもいる女になってしまうから。
それだけは絶対に嫌なのだ。
そして、メリサの言葉が終わると同時。
「クッ、ククッ」
「?」
「クハハ、クハハハハハハハハハハ―――!!」
唐突に、爆走の声音が部屋一体に響き渡った。
いきなりのことで呆けながらもメリサはライドに訪ねる。
「え、あの……私、何か変なことを申しましたか……?」
「変なこと? ああ、変だ。これ以上ないと言わんばかりに大変だ」
その笑みは小馬鹿にしたというものでも、道化を見て楽しんでいるものでもない。
これが見たかったと言わんばかりの目を輝かせた代物だった。
「自分が裏切られても、自分が絶望的な状況に堕とされて尚、王妃という立場に誇りを持ち続ける。憎しみを持っていると自覚しながら、けれども王妃の誇りを汚すまいとする心意気。有り得んだろう。ここは普通、復讐心に駆られ、自分を陥れた者たちへ憎悪する場面だろうに。ああ、そうだな。正直に話そう。俺はお前がそうなると予想していた。身体、地位、愛する者を奪われたお前が復讐鬼と成り果てる道を選ぶと……いやはや、全くもって予想外だよ」
しかし。
「だからこそ敢えて言おう―――お前を助けた俺の行動に間違いはなかったのだと」
言いながら席を立つライドはそのままメリサの前に立ち、そして跪いた。
「え、な、何を……」
「今までの非礼を詫びさせてくれ。お前の在り方は国を守ろうとする王妃そのもの。その生き方に、有り様に、俺は魅入られた。故に謝罪と提案を申したい」
「提案……?」
「シズク・カブラギなる異人の娘。その暴挙を止める手助けをさせて欲しい」
ライドの言葉に目を開かせるメリサ。驚くのも無理はない。何せ、それだけ彼が言っていることは無謀なことなのだから。
「手伝って、くださるのですか?」
「ああ」
「でも、そんな……これは私の問題で貴方には関係のないことで……」
「何、気にする必要はない。俺はただ見たいのだ。お前がどんな結末を迎えるのか。全てを解決させ、元通りになるか、それとも何も手に入れることができずそのまま朽ち果てるのか……俺はそれが見たいだけだ。故に俺がやることは手助けのみ。最終的に事を決めるのはお前だ。頼ることはいいが、責任は一切持たない……そんな男の手でいいのなら、の話だが」
差し出された手を見ながらメリサは考える。
正直、自分の問題に誰かを巻き込むような真似はしたくない。だが、自分ひとりでは何もできないことも彼女は理解している。そして、目の前にいる男なら、心強い戦力になってくれるということも。
ライドの言葉を心の中で木霊させる。
やることは手助けのみ。頼ることはいいが、責任は一切持たない。
これはつまり、そういうことだ。彼の行動は全てメリサの行動。彼が誰かを殺せば、それはメリサが殺したということになる。
本来なら合ったばかりの男にそこまでの信頼を預けることなど無謀にも程かあるというものだろう。
だが、彼は自分を信じてくれた。途方もない、お伽話のような状況に落とされた自分を。
ならば、答えは一つに決まって言える。
「分かりました。では―――ライド・エンドハート様。貴方を、私の剣として認めます。貴方の行動は全て私の行動。貴方の責任は全て私の責任。故に……私と共に来てくれますか?」
「無論だとも。その果てを見届けるまで、俺は貴殿の剣であると約束しよう」
王妃の言葉に怪人は笑みを浮かべながら即答する。
その声音に一切の迷いは無かった。