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勇者の師匠  作者: 新嶋紀陽
外伝
69/74

2

一週間に二、三回と言いつつ十日もかかるとは……誠にすみませんでした!!

 メリサは森林の国『クーパー』の中でも三本指に入る名門貴族・ファーシファ家の娘である。

 名門貴族、という名前から分かるように、ファーシファ家は徹底した貴族主義の家柄だった。だが、それ故に彼女に対する教育も徹底していた。

 淑女としての立ち振る舞い、貴族の娘としての正しい在り方。少しでも間違えれば厳しく罰せられ、時には鞭が飛んでくることもしばしば。

 だが、それは全て彼女を将来の王妃にするためのものであった。

 メリサの父親は野心家であり、ファーシファ家の血を王家に混じれさすことで、ファーシファ家の地位をさらに向上させようとしていたのだ。ファーシファの血にはそれだけの歴史と価値はあり、また野心家である父親の根回しによってその夢は現実のものとなった。


「喜べ、メリサ。正式にお前が王子の許嫁と認められたぞ」


 そんなことを言われたのは彼女が十二の時。

 未だ幼さが見え隠れする容姿ではあったが、彼女は幼い頃からの厳しい生活の中でもはや子供心というものは無くなっていた。そのため、メリサは許嫁と認められたと言われても心の中では別段、どうとも思っていなかった。

 いや、そもそも彼女に子供心があったかどうか、それすら疑問に感じる。

 小さい頃からの教育によって、彼女は貴族の娘、そして淑女としてのマナーや手法を完璧と言っていい程身につけた。だが、笑顔を見せることだけはどうにも苦手だった。そも、彼女は心のそこから楽しいと思ったことが一度もなかったのだ。

 ファーシファ家の娘としてやっているだけ……それが彼女の全て。

 自分が何をやりたいのか、というよりも自分が何をすべきなのかを優先させてきた。そうすることを求められてきたのだ。

 だからこそ、王子……クロス・クライトフと結婚することも父親が、そして周りがそれを望んでいるから、ただそれだけだった。


 メリサから見て、クロスは好みの男かと問われれば、恐らく首を傾げるだろう。

 顔はいい。凛々しい顔立ちと青空のような美しい髪は見る女性全てを虜にするのでは、と思う程のもの。

 だが。


「貴様が俺の許嫁か。王家に嫁ぐのだから、無能な女では困る。王妃と言われて相応しい態度と教育をより一層身に付けよ」


 初めて会った時の言葉がこれである。

 どことなく上から目線の彼の性格は冷酷無情であり、他者に対して彼は容赦がない。その容赦の無さは無論メリサにも向けられた。

 会う度に何かと小言を言われ、「王妃になるのだからうんたらかんたら」と説教が始まるのがいつもの流れ。

 正直、そんなことをされて嫌にならない人間はいないだろう。

 けれども、メリサは知っていた。

 クロスが他者にだけでなく、自分にも厳しいということを。

 未来の王になるために、必死に勉強し、必死に武術を習い、必死に政治の世界に身を投じたその姿を彼女は許嫁としてずっと見てきた。その姿はまるで、自分のようだと思いながら。

 しかし、違う。違うのだ。

 何故ならクロスの必死さにはどこか喜びを感じられたのだ。

 ある日、彼女はクロスに聞いた。

 どうしてそんなに努力するのか、と。


「はっ、珍しく自分から口を開いたかと思えばくだらんことを。いいか、俺は将来この国の王となる。それは定められたことであり、当然のことだ。だがな、それだけではない。もっとも重要なのは、俺がそれを望んでいる、ということだ。自分がやりたいことに必死になる。これ以上に当たり前のことなどあるか?」


 瞬間、メリサは理解する。ああ、このお方は自分とは違うのだと。

 メリサのように周りに強制され、それが自然だと思っている彼女とは違い、彼は定められた自分の地位と運命を受け入れながら、それが自分の望みだと言い張った。

 自分と同じような生い立ちでありながら、自分とは全く違う生き方。

 恐らく、メリサがクロスにある種の憧憬を覚えたのはここからだったのかもしれない。

 だからこそ、彼女は思うのだ。この人を男として愛せるかは分からない。恋などしたこともなかったのだから。けれども、この王を支える人間になりたい、と。

 そして、いつも受動的なメリサが恐らく初めて自分が何かしたい、と思った瞬間でもあったのだ。


 かくして時は流れ、当時の国王が急死し、その遺言によってクロス王子が最年少の国王となった年に、メリサは彼と結婚した。

 しかし結婚をしたからと言って二人の距離が縮んだ、というわけではない。相変わらず、合えば小言の連発。けれどもメリサはそんな彼との会話が嫌いではなかった。


 そんなある日。事は起こる。

 クーパーにはある儀式が存在していた。それは、国に厄災が振りまかれた時、異世界から人間を呼び出し、神に祈りを捧げる、というもの。

 異世界、などという言葉を実際に信じていた者は少数……というかほとんどいなかっただろう。実際、メリサも王家に伝わる伝統であるというのに信じられずにいたのだ。

 けれど、実際に国が災害などで困難に陥り、最後の手段として取った異世界人召喚の儀に立会い、異世界人が召喚される様を見れば流石に信じずにはいられなかった。


「えっと……ここはどこですか?」


 異世界から召喚されたのは長い黒髪が特徴的な少女であった。

 少女の名前はカブラギ・シズクという。

 年齢は十五、六といったところか。メリサとは一つか二つ年下であるというのに、妙な色気を醸し出していたのを彼女は一目で理解していた。


「祈り……分かりました。私に何ができるか分かりませんが、頑張ってみます!」


 そんなことを呟いた時、ほとんどの者が安堵の息を吐いた。まさか、彼女がこれから何をしでかすか、予想している者などいなかっただろう。

 彼女に見惚れる男性は多く存在した。何人かは告白までしたとか。

 別段、それは問題ではなかった。確かに大勢の人間に色香を振りまいたりすることはあまり褒められたことではないが、しかし人間という生き物は結局のところ、男と女に分かれるもの。故にそういうことに疎いメリサもシズクに何かしら注意することもなく、見過ごしてきた。


 しかし、それがいけなかった。


 彼女は召喚された者としての責務を果たす一方で自らの美貌と色香によって王宮にいた多くの若者達を自らの思いのままになるように操っていくようになったのだ。

 それは徐々に、けれども確実に手広く。

 そこからメリサはシズクに対し、事あるごとに注意を施していく。けれど、それ以上のことは何も言わなかった。別段、彼女が誰とどういう付き合い方をしていくのか、それは一向に気にしていない。彼女はこちらが召喚した存在だ。ならばこそ、ある程度の我が儘は見過ごしてきた。

 けれど、その毒牙がクロスに向いていると気づいた瞬間、メリサの心は凍りつきそうになった。

 このままではまずい。そう思ったのは何も保身のためではない。もしも、彼女がクロスに気に入られ、側室などになったとしてもメリサにとっては問題はない。王の傍にいられなくなるかもしれない……そう考えたのは事実ではあるが、けれどそれがクロスが望むことならばそれを尊重しようと思う。何せ、自分は王妃であって、恋人ではないのだから。王が恋愛を望むのなら、それを支えるのも王妃の務め。何とも矛盾した考えではあるものの、しかしそれがメリサが思う王への忠誠のやり方なのだ。

 しかし、彼女は、シズクはだめだ。彼女は男をダメにする。それは彼女に取り入られた若い騎士団長や優秀だった文官を見れば一目瞭然。以前よりも仕事への意欲が無くなり、口にするのはシズクのことばかり。彼女にはそういう男を魅了する力でもあるのだろうか。

 そして、ここで問題なのはクロス王も彼女に執心になった場合、どうなるのか。もしかすれば、それが原因でこの国が傾くことも有りうる。メリサが嫌なのはこれだ。彼女にこれ以上この国を、彼の国を乱されることが我慢ならなかったのだ。

 メリサはあらゆる手を尽くして彼女の悪事を暴こうとした。メイドや衛兵を使って証拠を集めた。彼女が私利私欲で国の金を使用していること、自分に歯向かう者、気に入らない者を王宮から追放していること、そして王宮の重鎮に取り入っていること等……それら全てを表に出すために。


 そして、ある日、メリサはシズクを自らの部屋へと呼び出した。


「―――以上がこちらが証拠として提示する予定の資料です」


 自らがかき集めた彼女の悪事の数々。その証拠を説明し終わるとメリサはシズクを見ながら言い放った。

 一方のシズクはというと、表情を一切変えず、淡々とした口調で言葉を口にする。


「……それで。王妃様は私にどうして欲しいというんですか?」

「大人しくしていて下さい。私が求めるのはただそれだけです」


 その言葉にシズクは失笑する。


「大人しく、ですか」

「貴女の行動はこの王宮を乱しすぎている。このままいけば、貴女を追放処分にしなければなりません。けれど、貴女は元々私達が召喚した方です。それを処罰することは我々としても望むとこではない」

「だから、役目を終えて、元の世界に帰るまで大人しくしていろ、と?」

「それが貴女にとっても、こちらにとっても良い解決策だと思いますが」


 とは言うものの、結局のところ、これは脅しだ。

 これ以上勝手な行動をすればこれを表沙汰にするぞ、と。今の彼女の影響力は凄まじいものだが、それを鑑みても処罰せざるを得ないような証拠をメリサは徹底して集めたのだ。

 ならばさっさと異世界へと送り返せばいいのではないか。それが尤もなやり方だが、しかし彼女を元の世界へと戻すには未だ時間がかかる。

 故にそれまでの間、彼女の行動に制限をかける。

 これがメリサが出した答えであった。

 だが。

 それが全くもって詰めが甘いということを彼女はこの時思ってもみなかった。


「王妃様。一つ、私の話を聞いてもらえますか?」

「話、ですか」

「私は自慢じゃありませんが、元の世界では結構男の人に言い寄られることが多かったんですよ。それはこちらの世界へ来ても同じなんですけど。まぁ、でもこっちの方が皆良く私の言葉に耳を傾けてくれます。これが欲しい、あれが欲しいと言えば、誰も彼もがその通りにしてくれる。素晴らしいことだと思いません? 美男子が私の言うことを受け入れてくれる。女にとってこれ以上ない幸せというやつです」


 だから。


「それを邪魔する者は、例え誰が相手であろうと排除するのは当然のことですよね?」


 瞬間、懐から飛び出した短剣がメリサに襲いかかった。


「っ!?」


 咄嗟の判断で椅子から飛び退くメリサ。しかし、反応が遅れ、短剣の刃が肩に掠ってしまった。ドレスの生地が敗れ肌から血が流れていく。

 それを見て、シズクは「あーあ」と呟く。


「避けないでくださいよ、王妃様。急所にでも当たったら危ないじゃないですか」

「貴女、自分が今、何をしでかしたのか、分かっているのですか?」

「当然ですよ。……でもまぁいっか。その程度の傷なら跡も残らなそうだし」

「何を、言って……」


 意味の分からないことを呟くシズクに動揺するメリサだったが、彼女の瞳に己の視線を向けた瞬間、世界がぐるりと回転した。

 まるで身体が上下左右に揺さぶれたかのような感覚に陥り、それが止んだと同時。

 目の前に自分の姿がそこにあった。


「……え?」


 状況に理解がついていけてない彼女は自分の視界が信じられなかった。

 目の前にいるのは間違いなく自分だ。いつものような白いドレスに小奇麗に纏めている長い金髪。そして先程シズクに傷をつけられた肩の傷。

 どういうことだ……そんなことを思っていると、ふと姿見の鏡に視線がいった。

 見るとそこには、血がついた短剣を握りしめている自分シズクの姿が写っていた。

 何だこれは……メリサがそう思っていると。


「何事ですか、王妃様!!」


 大声を上げながら入ってきたのは、宰相のラファール・ノイトラだった。

 彼は現状を見た瞬間、唖然といた表情になりながら、メリサの方を向いていた。


「シズク様……貴女は一体何を……」

「宰相様、助けてください。彼女が突然に私に襲いかかってきたのです!!」


 なっ、と言葉が詰まるメリサ。

 勝手な事を言うな、と叫ぼうとした瞬間。


「彼女を拘束しろ!!」


 宰相の言葉に「ハッ」と言いながら衛兵が一瞬にしてメリサを取り押さえた。


「離して、くださ、い!! 違うんです、彼女はメリサではありません! 私が本物の―――」

「何をわけのわからないことを……前々から怪しげな動きがあると思っていましたが、こんなことをしでかすとは。貴女の処分については、追って沙汰を出します。それまでは牢獄で待っているといい。連れていけ」


 宰相の言葉と同時に衛兵たちに連れて行かれる中で、彼女は自分の身体に乗り移ったであろうシズクを見た。

 そして、その時。

 彼女がまるで悪魔のように微笑んでいたのを彼女は見逃さなかった。


 衛生など考えてみいないであろう服をきさせられ、メリサは牢獄の中で蹲っていた。最初は自分が本物のメリサだと訴えていたが、そんな世迷言を信じる者は誰もいなかった。当然だ。当事者である本人でさえ、未だ何かの間違えだと信じたいくらいなのだから。

 それでもメリサは自分が本物であると言い続けた。

 誰に信じてもられなくても、それでも言い張ることくらいしか、彼女にはできなかったのだから。

 けれど、それもクロス王が来るまでの話である。


「何とも見窄らしい姿になったな、異世界の女よ」


 ある日、唐突にやってきたクロスを見てメリサは驚きと共に希望が芽生えた。

 もしかすれば。あるいは。

 クロス王なら自分の言葉に耳を傾けてくれるかもしれない、と。

 けれど。


「国王様、私は―――」

「喋るな。貴様が自らを王妃だと言い続けているのは知っている。何とも哀れなものだな。助かりたい一心でそんな妄言を吐くとは。人間とは窮地に追いやられればどんなことでもするというが、ここまでとはな」


 まるで家畜を見るかの如き視線はどこまでも冷たかった。

 

「貴様の処分について、もうすぐ沙汰が出るらしい。とはいえ、希望は持つな。貴様が許されることなど万に一つも有り得ないのだからな。我が国に手を出そうとしたその愚行を死の直前まで後悔するがいい」


 それだけ言うとクロスはそのまま立ち去ろうとする。

 ダメだ。このままではいけない。

 と、メリサはそこである言葉を思い出す。


「……『王家に嫁ぐのだから、無能な女では困る』」


 その言葉と同時、クロスの足が止まった。

 メリサはさらに言葉を続ける。


「『王妃と言われて相応しい態度と教育をより一層身に付けよ』……初めて会った時、貴方に言われた言葉です。覚えていますか?」


 ついぞ忘れたことのない言葉はメリサの心の中に刻み込まれていた。

 上から目線の言葉だが、けれどもメリサにとっては初めてかけられた言葉でもあった。だからこそ、一度たりとも忘れたことはなく、忘れられるはずもない。

 ……そのはずなのに。


「覚えとらんな。少なくとも、俺は愛した女にそんな言葉は投げかけん」

 

 ばっさりと、あっさりと。

 希望は打ち砕かれ、絶望が彼女の心を侵食していく。

 別段、メリサは自分が王妃であることを信じられなかったから哀しいわけではない。

 クロスにとって、メリサとは愛するに値しない女……そんなことは前から理解していた。彼にとってみればメリサはただの結婚相手。王妃という立場にいる女。それだけだ。そこに愛があるわけでない。

 だって、今まで一度もメリサはクロスに愛しているなどと言われたことなどないのだから。

 それは分かっていたことだし、今更の事柄だ。

 けれど、でも、だけれども。

 言葉にされる衝撃は、あまりにも大きかった。

 その日、メリサは泣いた。今までにない程泣きじゃくった。最早体裁も何もない。

 自分にはもう、何もないのだから。


 数日後、宰相がやってきてメリサの今後について語られた。今まで色香で多くの王宮の人間を惑わした罪は大きく、その私利私欲なやり口は許せるものではない。さらにはそれを王妃に見咎めれたことに逆上し、殺そうとするなど言語道断。

 結論。彼女は魔物の森に追放になった。

 魔物の森とはその名の通り、魔物が多く生息している地であり、魔物避けの結界晶が無ければ即座に魔物に襲われ、餌食となる。

 つまり、遠まわしな死刑、ということだ。

 その口上を述べられた瞬間、けれども死への恐怖は無かった。もはや今のメリサはただの空っぽの人形同然。煮るなり焼くなり好きにすればいい……そんな感情に支配されていた。


 彼女は想う。一体何がいけなかったのだろうか、と。

 王妃として異世界人の横暴を止めようとしたのが悪かったのか。それとも王妃として国王に愛されていないからこうなったのか。いや、そもそも自分で自分の道を選ばず、流れに身を任せて生きてきたのがいけなかったのか。

 わからない。分からない。ワカラナイ。

 何が正しいのか。何が間違っているのか。最早そんなことを思考することすらメリサにはできずにいた。

 そうして。

 彼女は荷馬車に乗せられ、民衆に小石をぶつけられながら、森へと送られたのだった。

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