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目を覚ますと暖かなベットの中だった。
「……有り得ない」
目覚めて最初の一言としてはあまりに相応しくない言葉。けれども彼女がそう思うのも無理はない。何せ、自分が『罪人』。このような待遇をされるわけがないのだ。
故に結論。これはあまりにも過酷な現状が見せている幻。
つまりは。
「なるほど、夢ですか」
「幸か不幸か、それは外れだ」
ふと、視線を上げるとそこにいたのは一人の男。
長身の身体。それを越すかのような黒色の長髪を後ろで束ねてはいるものの、前髪に関してなにもせず、左半分が隠れている状態だ。そこから見え隠れする男の顔は何とも凶悪なものであった。笑みを浮かべてはいるものの、今から人を殺すかのような、そんな代物に見えて仕方がない。
「あなた、は……」
「ん? 自己紹介ならば既に済ませているはずだが?」
瞬間、少女は思い出す。
自分が兵士達によって森に放置されたこと。
弱っている自分を餌だと思った魔物に襲われそうになったこと。
しかし、それでも諦めようとせず、立ち向かおうとしたこと。
そして、それをこの男が助けてくれたこと。
確か名前は。
「ライド、エンドハート……」
「どうやら思い出したようなだな。なによりだ」
男―――ライドは少女が寝ているベットの少し離れた場所で椅子に座っていた。片手には本を持っており、恐らく先程まで読んでいたのが伺える。
もしや、少女が目覚めるまで看病してくれていたのだろうか? それは大変申し訳ないことであるが、しかしだからといって、早速気が許せるかと言われれば否だ。
「どうして……私を助けたのですか?」
直球、けれどもだからこそ、少女が一番聞きたいことでもあった。
魔物が住む森。その中に放置された女。しかも周りには多数の魔物。それを助けようとする者など早々いるはずがない。それこそ、何か理由がなければ。
しかし、少女の質問にライドは「ふむ」と言いつつ、淡々と応える。
「どうして、と言われてもな。この状況になったのはただの気まぐれだ。そうとしか言えん。何せ、最初は単にお前という人間を見極めるためだけだったのだからな」
「見極め……?」
それはどういう意味か。それを口にする前にライドは言葉を続けた。
「この森林の国『クーパー』を色香で揺るがせようとした異世界の女がどんな人間なのか、実に興味があったのでな」
刹那、少女は理解する。この男は自分の噂を知っている、と。そして、ここでの誤魔化しは意味がないと悟った。
「……こちらの事情は既にご存知だ、と。だとしたら尚更理解できません。私はこの国にとって、大罪人ですよ? そんな人間を助けるなど……」
「おかしい、と? 確かにそうかもしれん。罪人を助けようとする輩など、そうはいないだろうからな。だが、俺はあえて言おう。それがどうした、と。俺がこの国の人間ではない。この森に住んではいるが、国に忠誠を誓った覚えはないのでな。この国の法など知ったことか。それに、俺はお前に直接何かされたわけでもない」
そんなことを言い放つライドを見て少女は思う。やはりこの男はどこかおかしい、と。今のような台詞を堂々となんの臆面もなしに口にすることができる人間こそ少ない。
「おかしな人ですね。そんなにまでして私に何を求めているのですか? 身体ですか? それとも金銭でしょうか? 生憎と後者の場合ですと見ての通り私何も持ち合わせてはいませんが」
そんなことを口走りながら、少女は何となく想像はしていた。
身も蓋もないことを言ってしまえば、少女の容姿は男がついつい手を出したくなる程の美貌である。今はぼさぼさの髪で艶もなく、傷だらけの身体ではあるものの、整えれば化粧が無くても無数の男を魅了できるだろう。十差し、城にいた男達はその色香に惑わされたのだから。
故に既に答えは決まっているようなものだった。
さて、自分は売られるのだろうか。それともこのまま男の慰めものになるのか。
どちらなのかと逡巡している少女だったが。
「何を言い出すかと思えば、くだらん。そんなものはいらんよ。何を求めているかと言われればその答えは不明だ。何せ、それを見極めるために俺はお前をここへ連れてきたのだから」
思いもしなかった言葉に少女は思わずきょとんとしてしまう。
嘘を言っている……ようには見えない。少なくとも少女にはそう思えた。
しかし、ならばこそ自分を何故助けたのかを問いただそうとしたその時。
ゴンッ、と強烈な一擊(鍋)が男の後頭部を襲った。
「怪我人相手に何をしとんじゃ、ヌシは」
そこにいたのは三角帽子を被った胸が小さな……ではなく、スレンダーな少女。いや、この場合は女性と言い直すできだろうか。背丈はそんなに高くなく、少女と同じかそれ以下。しかし、その身体から醸し出す空気はとても十代のものとは思えない。太ももや両肩を露出させる服装はどこか妖艶で不思議な空気を纏っていた。
女性の一擊を受けたライド。しかし、彼はまるで一切痛みを感じていないと言わんばかりに不敵に笑っていた。
「おお、流石は我が師・スカサ。的確な位置と威力、そして少しばかりの手加減。こちらへの配慮を忘れないとは」
「馬鹿者が。ヌシを本気で殴っても鍋がへこむだけじゃからじゃ」
「なるほど。しかしだな、師よ。先程の一擊はいかなる理由からか? いかに師とはいえ、理由なき理不尽は俺としても看過しておけんのだが」
「このド阿呆。怪我人相手に威嚇しながら話す馬鹿がどこにおる。見てみよ、先程からヌシの威圧に怯えておるではないか。ただでさえ、警戒せざるを得ん状況で不安がらせてどうする」
スカサの言葉にライド「む……」と言いつつ、少女を見た。
「これはしたり。俺としたことが、また悪い癖が出たようだ。ついつい熱くなってしまった。謝罪をさせてくれ」
「え、あ、いえ、大丈夫です。私こそ、助けていただいたというのに妙な態度を取ってしまってすみません」
ライドの思いもしない謝罪に驚きながら頭を下げる少女。
その様子を見て、スカサはふぅ、と息を吐いた。
「取り敢えず、目が覚めたのなら何か食べさせねばな。どうせここ最近、ロクなものは口にしておらんのじゃろう? 待っておれ。すぐに何か持ってきてやるわ」
「えっ、そんな、大丈夫です! 私は……」
「ここまで世話になっておいて、今更何を言っておる。いいから、大人しくそこで寝ておれ」
「そうだな。俺が言えた義理ではないが、怪我人は寝ているべきだ。何、安心しろ。師の料理は絶品だ。そこらの料理人など足元にも及ばん。故に、だ……師よ、俺は鳥の煮込みを所望する」
「何を自分もあまり前に食べれると思っておるのかこの馬鹿弟子は……いいからヌシも来い! それも作ってやるからヌシも手伝え!」
相分かった、と言いながらライドはスカサの後ろへとついて行く。
ドアを締める瞬間、彼はやはり凶悪な笑みをこちらに向けていた。
「……あの顔は生まれ付きなのかしら」
そんなことを口にできるくらい、少女は回復していた。
*
率直に言って、スカサの料理は確かに絶品だった。
これでも少女は世間一般的に言えば良い環境の中で生まれ育ってきた。故に舌もかなり肥えているはずだったのだが、それでも彼女の料理は今までにない代物である。さらに言えば、少女はここ何日も何も食べていない状態がずっと続いていたため、スカサの料理を残さず全てあっという間に平らげてしまった。
「どうやら口に合ったようじゃの」
「……お恥ずかしいところをお見せしまいた」
笑みを浮かべるスサカの言葉に頬を赤めながら少女は言う。
今までこれほど忙しなく食事をしたのは初めてだった。それだけ、彼女は自分が玄関寸前にいたのだと自覚する。
しかし、そんな少女を見ながらライドは豪笑した。
「ハハハッ! 別段、恥ずかしがるものでもないだろう。人にとって食事とは重要なものだ。それがなければ生きていけないのだから。特に今のお前は餓死寸前の状態だったのだ。腹が減っては戦どころか、何もできない。たらふく食べて身体を休ませるがいい。というわけで、師よ。お代わりだ」
「何を偉そうなことを呟いているのかと思えば結局はそれか、ヌシは! 全く話が噛み合っておらんじゃろうが! というか、ワシの記憶が正しければさっきもしたと思うのじゃが!?」
「食べ盛りなのだよ」
「喧しいわ!! 子供じゃあるまいし、そこら辺はもっと遠慮せんか!!」
「おいおい、師よ、そんなことを言ってくれるな。俺と師の間に、遠慮など不要だろう?」
「かぁーっ! ムカつくな、この馬鹿弟子は!! 確かにそうかもしれんが、少なくともそれはヌシが言う台詞ではない!!」
などと怒りを顕にするスカサであったが、「全く」と呟きながらライドのお代わりを持ってくるため席を立った。
今の会話からしてもこの二人が師匠と弟子であること、そしてその仲がなんだかんだで良い関係であることが少女にも理解できた。
「仲がよろしいんですね」
「ふむ? そう見えるか? まぁ師とは古くからの付き合いだからな」
「どれくらいになるです?」
「そうだな……かれこれ百年にはなるか」
……。
……。
……え?
今、ライドは何と言った?
「百、年……?」
その有り得ない年数に少女は思わず奇妙な声音を出してしまう。
「? どうかしたか……ああ、そうだったな。百年という年月は人間にとっては一生分だからな。信じられない、と言ったところか。しかし、嘘ではないぞ。こう見えて俺は二百年以上生きている。師の場合は、その倍……いや、もっとだろうな」
「え、あ、その……」
まるで平然と話し続けるライドに少女は唖然とする他なかった。
けれども、よくよく考えればライドの言動にはおかしなところが多かった。まるで自分を人間ではないかのようないい回しも多く見られる。
そして、そこで少女は思い出す。
『この森には「怪人」が住んでるんだと』
『俺の名はライド。ライド・エンドハート。人々からは「怪人」と呼ばれている男だ』
そう。目の前にいるのは人間ではなく怪人であるこということを。
嘘か真か。この状況で確実な答えを出すことはできないが、しかし少なくともライドが人間離れしている男であることは間違いない。嘘をついている様子もなく、さらに言えば彼女を助けた時のあの力は通常のものではない。
そんなことを考えていると。
「さて……食事が終わった直後で悪いが、そろそろ本題に入らせてもらうとしよう」
「本題、ですか」
「ああ。何、心配するな。大したことではない。俺がこれからする質問に答えればいい。嘘をつくか、真実を口にするか。それもお前の自由だ」
それは何ともこちらに有利で、ライドに不利な条件だった。しかし、彼のことだ。どうせこちらが嘘をついても見抜くのだろう。そして、それが分かっているからこそ、少女も嘘をつこうとは思わなかった。
「分かりました」
「そうか、では……」
と一拍置いてから。
「お前は一体何者だ?」
一瞬。
少女は何を問われたのかが理解できなかった。故に何も口にすることができなかった。
そんな彼女に対し、ライドは続けて言う。
「俺はお前の噂を聞いた。その色香によって男を誑かし、己の欲望を満たそうとした悪女だと。そしてそれを王妃に看破され、追放された罪人であると。確かに、お前にはそれだけの魅力があり、男をたらしこむこともできるかもしれん」
だが。
「俺はどうにもお前がそういう性格をしているとは思えんのだ。あの森で会ったあの時、弱っていたお前は怯えていた。震えていた。だが、決して叫び声を上げなかった。獣相手に無様に命乞いをすることもなかった。ただ生き抜くために手に武器を握りしめ、目の前の敵に立ち向かおうとしていた。その姿に、その在り方に俺は感動せずにはいられなかったんだよ。そして同時に思った。この少女が、本当に噂の異世界人なのか、と」
ライドが見たあの時の少女の瞳は確かに強い意志を感じさせるものだった。
それは男を誑かし、欲望のまま振り回すような姿ではなかったのだ。
「故になぁ、教えてくれよ。名前も知らない勇気ある少女よ。お前は一体、誰なんだ?」
ライドはやはりというべきか、凶悪にして不敵な笑みを浮かべながら少女に訪ねる。だが、それは何か卑劣なことを考えているわけでも、よららぬことを企んでいるわけでもない。目の前にいる男は、純粋に少女が誰なのかを知りたがっているだけなのだ。
「私は……」
そこで少女の口が止まる。
それは別段、言いたくない、というからではない。言っても信じてもらえないから、という理由から。
ライドは先程、嘘をついてもいいし、真実を口にしてもいいと言った。けれど、少女の場合、真実を口にしたところで嘘だと思われるに違いないという確信があった。何せ、自分にとってもこの状況は許容範囲を超えているのだから。城の誰にも信じてもらえなかったことから考えるに、ライドもまた同じだろう。
しかし。
少女は思うのだ。例え信じてもらえなくとも、この男には本当のことを言うべきではないのかと。
彼の目的は未だに不明だ。だが、それでも自分の命を救ってくれたことには変わりない。ならば、誠意をもって応えるのが礼儀というものだろう。
だから。
「私の名前はメリサ。森林の国『クーパー』の現王妃、メリサ・クライトフです」
少女―――メリサは覚悟を決めて、語り始めたのだった。