25
「かっ、は、が……はぁ……はぁ……」
勝敗は決した。
ベルセルクは己の剣によって勝利を掴み取った。いやもぎ取ったというべきか。荒々しいその姿にはお世辞にも騎士道的な決闘のあり方とは言えない。言うならば乱闘。礼儀や作法など存在せず、あったのはただ勝利への執念。それだけだ。
そして、ベルセルクはそれを見事完遂させた。
だが、その代償は大きい。服は勿論のこと体中は傷だらけ。殺人鬼の拳を何度も受けた彼の身体はすでに限界を超えていた。一時の気分の高揚。戦いの中での意識の極限状態。それが解かれたことによって今まで感じていなかった体への負担が一気に押し寄せてくる。
剣を地面に突き刺し、膝もまた地につける。
全身に走る激痛。大量の血を流したために襲いかかる寒気。そしてそれらと共にやってくる疲労。その全てが入り混じって体中を食い潰す。
それでもベルセルクは勝者としての悪態をつく。
「……俺の、勝ちだ……ウル」
「あー……その通りだな。こりゃ見事にやられたぜ」
一方、まるで全ての気力が抜けたようにウールは呟いた。しかし、それだけでも異常な事態でもある。砕かれた右拳はすでに使い物にはならないものになっており、叩き込められた一撃は彼女の強靭な体を一閃していた。にも拘らず、彼女はまるで飲んでいた酒が無くなった程度の反応しか示さなかった。
あまりに平素。あまりに尋常。
声だけ聞けば、彼女がまさか剣で体を斬られたなどと誰も思うわけがない。
「ったく……何で普通に受け答えしてんだよ。ここはもっと苦しんだりするところだろうが」
「そういうのがお望みか?」
「……いや」
ウールの問いにベルセルクは首を横に振りながら答える。別に自分はそんなものを拝むために彼女を斬ったわけではない。
それを理解したのか、ウールは呆れたような顔をしながら口を開く。
「オレの体が普通じゃないことくらいオマエもとっくの昔に理解してるだろ。だがまぁ、安心しろ。オレがまともに動けない状態だってことは事実だし、これ以上オマエらを攻撃できないことは真実だよ」
「その割にはよく口が回る」
「瀕死の悪役が最期に喋るのは、それこそよくあることだろう?」
「何の話だ」
「さぁね。何の話だろうな」
はぐらからすように言うウールの言葉によって眉間に皺を寄せるベルセルク。しかし彼女はベルセルクが反論する前に続きを言う。
「あー、楽しかったなぁ。久々に、いや……人生最高の殺し合いができた。本当に……本当に、な」
「……、」
仰向けに倒れているウールはそんなことを口走った。その表情は笑みであり、敗者の顔ではない。殺人鬼のものとは思えない透き通った瞳が夜空を眺めている。
「けどな、だからこそ引き際くらいは理解してる。敗者の末路なんてもんは決まってんだ。だからオレもそれに従うとしよう」
「ハッ……らしくねぇじゃねぇか」
「仕方ねぇだろ? 流石のオレでもここは空気を読むってモンだ……だからまぁ、オマエも空気を読んでくれや」
言いながら目を瞑る。そこにそれ以上の言葉は要らなかった。
ベルセルクとウールは似たもの同士だ。狂剣士と殺人鬼。人を傷つけ殺し、戦場のような場所でしか生きられない。そんなクズでどうしようもない人種。そんな彼らだからこそ、互いのことは理解している。
ベルセルクもまた何も言わない。ウールが何を望んでいるのか、何を欲してるのか。それが分かってしまったから。
残りカスの力で何とか剣を握る。その力はいつもの十分の一にも満たない。そして剣を支えにしながら立ち上がる。情けないと思いつつもそれが今の自分の現実だと理解していた。しかし、それでも瀕死のウールを殺すことはできる。
だが。
「待ってください、師匠!!」
瞬間、予想通りの声が彼の耳に入ってきた。それがシナンのものであることは言うまでもない。
ベルセルクは振り向くことなく、彼女に応える。
「その人を……殺しちゃいけません」
そしてこれまた想像通りの言葉が出てきた。
「何故だ? こいつは俺達を殺そうとした。そして俺達は勝った。それはこいつも理解しているし、覚悟の上だ。どうしようと俺の勝手だ」
「なら、別に殺す必要はないじゃないですか」
「殺そうとしてきた相手を殺す。それは当然の話だろうが。正当防衛ってやつなんじゃねぇのか?」
「相手はもう動ける方だじゃありません。それ以上は過剰防衛です」
「かもな。だが、このままこいつを放置しとけばまた俺達を殺しに来る」
「だったら返り討ちにすればいいだけの話です」
「簡単に言ってくれるな。こいつの強さはお前も知ってるだろうが」
「承知した上で言ってます」
そうは言うものの、実際のところシナンはほぼ勢いで言葉を紡ぎ出しているのが分かる。
彼女が何をしたいのか。いや、させたくないのか。それはわかりきっていることだ。しかし、ベルセルクにはそれが理解できない。
だからこそ、彼は疑問を口にする。
「……もう一度聞く。何故俺がウールを殺すことに反対する?」
「人が人を殺すことは間違っているからです。ましてや、それが自分の……かつての相棒となれば尚更です」
「はっ、正論だな。正しすぎて吐き気がする」
皮肉げに笑いながらベルセルクは言う。
そう。シナンの言っていることは正しい。どこまでも筋が通っている。人が人を殺してはいけない。それは世界の常識であり、ルール。日常において侵してはならない絶対領域。それを瓦解させてしまえば人の世は混沌と化し、地獄が誕生してしまう。そんな世界で生きたいと思う奴など極少数だ。
だからこそ人は人を殺さない。人の世のルールを曲げないため、そして自分が普通の人だと認識するために。
だがしかし、ここにいるのは人であって人でないもの。その道を外れ、殺しを生業にしてきた狂った獣だ。
「おい、シナン。俺の異名は何だ?」
「……『狂剣』です」
「そう。『狂った剣』だ。斬って殺して潰して、血の道を歩いてきた男だ。それ以外の方法をしらないどうしようもないクズだ。魔物だけじゃねぇ、数え切れないほどの人間を殺してきた。そいつらの顔も名前もほとんど覚えてねぇ。そして、極めつけに殺したことに対する罪悪感すらない。あるのはただ戦いたいという欲求だけだ。そんな奴に、てめぇの道理が通用するとでも未だに思ってんのか?」
「思ってますよ」
何の間もなく。
彼女は即答した。
そこに迷いはなかった。それだけにベルセルクは戸惑いを隠せない。この女は何を言っている? 何を根拠にそんなこと言っているのだ?
「だって師匠はいい人ですから」
それは。
それはかつてどこかで聞いた言葉。あれはそう、彼女と会って間もない頃の話だ。どうして自分を師匠に選んだのか。その問いに対しての彼女の返答がそんなような言葉だったと記憶している。
その時は何の冗談かと思った。そしてそれは今も変わらない。ベルセルクは自分が良い人間などと思ったことは一度もないのだから。
だというのに、彼女は続けて言う。
「師匠は優しい人じゃありません。いつも口より先に手が出るし、口を開けば皮肉ばっかり。僕がいくら止めても酒は飲むし、修行の時だって厳しくて何度も死ぬ思いをしました。ホントにダメでどうしようもない性格なのはわかってますから」
でも。
「僕は知ってます。師匠が『人間の心を持っていない殺人狂』じゃないってことを。だってそうでしょう? 人の心を持っていない人間が僕みたいな奴を弟子にするわけがない」
それは、と口にするがその後の言葉がでてこなかった。
成り行きでそうなったから。そう言い返すのは簡単だ。だが、ベルセルクの中にある何かがそれを阻害させる。
そして、何も言わないベルセルクに対して、シナンは言う。
「だから僕は師匠にその人を殺させません。多分その人を殺せば、本当に師匠がただの殺人好きの人斬りになってしまう。それを証明することになる。そんなの……そんなの、僕は嫌です!!」
「……、」
言葉が出ない、とは正しくこのことなのだろう。
シナンの言葉の一つ一つが言って何もかもが馬鹿馬鹿しい。青臭くて、どうしようもないバカ正直な人間であるかを物語っている。結局のところ、彼女は初めて会った時から何も変わってないのだ。自分の意見を曲げず他人に押し付け、それを信じて突き進む。どこまでも愚か。どこまでも阿呆。そしてどこまでも……眩しい。
自分が嫌だから他人の殺人を止める。どこまでも我が儘な発言に、ベルセルクは微笑する。
「シナン……お前はやっぱり馬鹿だな」
「なっ、それはどういう……!?」
「そのままの意味だ。お前はとんでもない大馬鹿だ。それももう手の付けられないほどの重傷だ」
いつものように馬鹿にされたせいか、シナンはムキッと目を強ばらせ、自らの師匠を睨みつける。だが、この時彼女は気づいていただろうか。
ベルセルクが既に彼女が知っているいつもの彼に戻っていることを。
「んでもって……その馬鹿さ加減は感染するらしい」
ベルセルクはゆっくりと剣先を下ろす。
そこにもはや殺気はなかった。
「師匠……」
「ったく、俺も焼きが回ったもんだな。こんなガキに説き伏せられるとは。情けないったらありゃしねぇ」
「師匠が情けないのは今に始まったことじゃないでしょう?」
「うるせぇ。俺は自分がダメ人間なのは自覚しているが、情けない奴になった覚えはない」
「世間一般ではそれらは同一なんですよ」
「ハッ、悪いな。生憎俺は世間一般の範疇外なんだよ」
いつもの皮肉な会話が交わされる。
ダメな師匠に弟子が文句を言う。そんなおかしな、しかしてどこか人間味のある会話は、殺人鬼ですら笑いを隠せなかった。
「クッ、ククク……」
「……何か言いたい事でもあるのか」
「言いたいこと? ああ、あるさ、あるとも! まさかオマエがそこまで『変われる』なんて夢にも思ってなかった。世界っていうのは不思議だよな。何が起こるか予想がつかない。全く、これだから人生ってのは面白い」
ウールは知っている。ベルセルクという人間がいかに異常な存在かを。『狂剣』という名にふさわしく戦場に置いての彼は正しく鬼。修羅の道を行く獣。敵をなぎ払い、潰し、斬り伏せる殺人者。どの剣士よりも敵を倒すという点において常軌を逸している。卑劣ではないが、非常。平和というのが日常ならば彼は非日常でしか生きられない存在だ。いや、だったというべきか。
そんな彼が、そんな人間が、たった一人の少女の言葉で剣を下ろした。昔の彼ならばそんなことはありえない。ありえるはずがない。そこで踏みとどまれないのがベルセルク・バサークという男なのだから。甘くなったとうべきか、丸くなったというべきか……しかし優しくなったとだけはありえないと断言できる。
だが、しかし。一つだけ確かに言えることある。
彼は少し、少しだけだが『変われた』ということだ。
そして、それが『誰』の影響なのか……言うまでもない。
「……なぁ、シナン・バール」
「は、はいっ!?」
唐突に名前を呼ばれ、奇妙な声を出してしまう。しかし、それだけが理由ではないだろう。何せ、ウールがシナンの名前をちゃんと呼んだのはこれが初めてなのだから。
「約束、覚えてるか?」
「約束、ですか」
「ああ。次に会ったら勇者のことを教えてやるって話だよ」
その言葉に反応したのはシナンだけではない。
痛みによるものよりさらに怪訝な顔付きになりながらベルセルクは問いを投げかける。
「そりゃどういうことだ? 勇者のことだと?」
「ああ、そうさ。その反応だとベルセルクも知らないようだな。まぁ勇者である当の本人が知らないんだから無理もないか。っつか、オマエらそんなんでよくもまぁ今日までやってこれたな」
「ごたくはいい。さっさと話せ」
「はいはい……っつか、その前に言っておかなきゃなんねぇんだけどよ……」
一拍間を置いてウールは告げる。
「シナン・バールを狙っていたあの黒服連中。あいつらは勇者の国『アスタトラル』の王宮直属の暗殺部隊だ」
一瞬、ベルセルクは彼女が何を言ったのかを理解することができなかった。
勇者の国『アスタトラル』。そこは確かシナンの出身の国ではなかったか?
彼女を聖剣に選ばれたからという理由で勝手に勇者に仕立て上げ、そしてたった一人魔王討伐という馬鹿げた度に出した。
だというのに。そうだというのに。
その国の連中が暗殺部隊を送り込んだ?
「それ、は、一体、どういう……」
あまりにも突然すぎる言葉に上手く言葉がでないシナン。
だが、彼女がその先を聞くことはできなかった。
「残念だが、それ以上は教えられない」
青年の声だった。
いきなり掛けられたその一言が放たれた方向にシナンとベルセルクの視線が向く。そして林の中から現れたのはやはり青年だった。短い金髪、翡翠色の瞳。整った顔立ちはしかしてただの優男という印象を与えない。そこから感じるのは異様な空気。この場において場違いといえるその雰囲気は怪しいというだけでなく、危険を感じさせる。
「……誰だてめぇは」
「これはまたご挨拶だね。僕の名は……取り敢えず、ジャックとでも言っておこうかな」
「……なるほど。お前がリッドウェイをボコった奴か」
「えっ、リッドウェイさんを!?」
「そうだね。でもあれは彼が必要以上にボクを追い詰めるからああなってしまったわけで、別に痛めつけるつもりはなかったのだけれど。いや、必要以上に煽ったのはこっちだけどまさか彼があそこまで『キレる』なんて思わなかったから……彼、元気?」
「一週間はベットの上だとよ」
「それはまた……すまないことをした」
「気にするな。しばらくうるさいのがいなくて静かに過ごせる」
「それは……素直に喜んでいいんだろうか」
苦笑するジャックにウールは不機嫌そうな顔をする。
「……おい、ジャック。まさかテメェ、オレの邪魔しに来たんじゃないだろうな」
「邪魔って、もう勝負は終わったじゃないか。ここでボクが介入しても何ら問題はないと思うけど? ただ……キミがそれ以上何かを言うのならそういう結果になるかもね。っていうか、キミ達、結構重傷じゃないか。これ以上長話をしてたらホントに死んじゃうよ?」
事実だった。
ベルセルクにしてもウールにしてもこのまま放置というわけにはいかない。彼らは体が他の人間と比べてかなり丈夫である方だが流石に重傷のままずっといるのは命の危険がある。今も尚、彼らは体から血を流しているのだから。
「というわけで、ボク達はこれでお暇させてもらうよ。ああ、それからもうディスカビル家にはちょっかいはださないよ。彼女も満足してるようだし」
「待ってください!! 僕はまだその人に聞きたいことが……!?」
スッ、とシナンの言葉にジャックは左手を前に出して止める。
「小さな勇者さん。キミが言いたいことは分かっている。唐突なことに驚くのも無理はないし、知りたがるのも人の性だ。だが、世の中には知らなくても良いことっていうのは山のようにある。そして今回はその一つ。知ってしまえばキミはどうしようもない真実に打ちのめされてしまう。それは……ボク個人としてはあまり好みの展開じゃない」
だが、と不思議な青年は話を続ける。
「それで立ち止まれないのなら仕方がない。どうしても本当のことを知りたいのなら全てを知っている人に会いに行くといい」
「全てを知っている人?」
シナンが問いかけなおすとジャックはある方向へ指を示す。
「ここからさらに西へ行ったところに森林の国『クーパー』がある。そこにいる森の魔女に話を聞き給え。彼女ならば君の知りたいことを大体は教えてくれるだろう」
「……全て、じゃねぇのか?」
「流石の彼女もそこまで全能ではないよ。ボクと同じ様に、ね」
ベルセルクの言葉にジャックは苦笑して答えた後、地面に倒れていたウールを肩に担いだ。そして指をパチンと鳴らすと彼らの周りに不思議な風が集まっていく。その光景はまるで魔法使いが魔法を使ったかのようなもの。
そして、ベルセルクとシナンは気づく。目の前にいる男はまさか……。
その疑問が言葉になる前に、不思議な青年はまるで狂言回しのように締めくくる。
「では、敗者はこれには退場させてもらおう。最後に勇者とその師匠のお二人に賛辞を。今回の戦いは君らの勝利だ。誇りに思い給え。特にシナン・バール君。ボクは君のような人間が勇者であり続けることを願っているよ」
言い終わると同時に彼らが纏っていた風が一気に激しくなる。そして、シナンとベルセルクが次の瞬間目を開けるとすでにそこには誰もおらず、ただ先程までの戦いの残骸だけだった。
こうして勇者と貴族と殺人鬼を巻き込んだ、一つの事件は幕を下ろした。